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第二十一章 方陣聖域 2

 行列はやがて群衆のあいだを抜け、恭しく槍を垂れる軍団兵の列のあいだを通り抜けて方陣のなかへと入っていった。


「……やったな」

 ハインツが小声で囁く。

「ええ」

 アマーリエも頭巾の影で声を潜めて頷いた。


 方陣聖域(カトルサンクテ)が開発されたのは、アマーリエたちの時代から数えて約八〇〇年前――

 今この過去世からすれば五〇〇年後の未来だ。


 アマーリエたちの時代だったら超常の力で謀を巡らせる人物があまりにも一般的すぎる防御技術である方陣聖域(カトルサンクテ)に警戒を払わないなどありえない事態だが、ジュニーヴルはやはり技術そのものを知らないらしい。


 獲物は方陣のうちに入った。


 とりあえずは第一関門突破だ。



 ジュニーヴルは行列の先頭を堂々と進み、腕を組んで睥睨するシグルーンに軽く一礼をすると、川岸の祭壇の梯子を上って、壇上で群衆へと向き直った。


「――これより儀式を始める!」

 澄み切った声でただそれだけ宣言する。

 一拍置いて熱狂的な歓呼が返る。


 ジュニーヴルは観衆をゆっくりと見回し、鋭く響く声で続けた。

「わが主を讃えよ! 万物の造り主を!」


「主よ!」

「主よ!」

「救い賜え!」

「暗雲を払い賜え!」


 昂ぶりきった無数の声が繰り返す。

 アマーリエは眩暈を感じた。熱狂の渦に思考が飲み込まれていくかのようだ。


 大波のようにうねる歓呼のなか、フレデリカを乗せた輿が祭壇へと登ってゆく。

 四人の男が壇上に輿を下ろし、白いローヴ姿のフレデリカの体を抱き起す。


 フレデリカはぐったりとしていた。

 灰金髪の頭が糸の切れた操り人形のように項垂れている。

 これから始まる血腥い見世物に期待してか、群衆が一瞬にして静まり返る。

 ジュニーヴルが長い金髪を扇のように広げて跪き、フレデリカの顔を覗き込みながら、手にした球体を蔽う黒天鵞絨の布を解いた。

 中から大きな透明の球が現れる。

 アマーリエは胸の奥で心臓がドクリと跳ねるのを感じた。


 間違いない。

 あれが《冥王の眸》だ。


「――アマーリエ」

 ハインツが耳元で囁く。「行くか?」

「ええ」

 アマーリエは頷いた。

 二人は顔を見合わせて頷き合い、息を整えてから、同時に頭巾を外しながら叫んだ。

「その儀式に異議あり!!」


「異議だと? 何者だ? 今すぐ前へ出て来い!」

 初めに咎めの声をあげたのは打ち合わせ通りシグルーンだった。


 群衆たちが戸惑いきった視線を向けてくる。


 アマーリエはハインツと並んで人垣のあいだを抜け、戸惑い顔の軍団兵のあいだを通り抜けてシグルーンの前まで進んだ。


「そなたら何者だ?」

 わりと演技派の女騎士がいかにも胡乱そうに誰何する。

「今生贄に捧げられようとしている風使いの友です。そしてロージオンの王弟ガウフリドゥスの友でもあります」

 アマーリエは心臓が口から飛び出しそうな緊張を覚えながらもどうにかそれだけ応え、居並ぶ軍団兵ごしに群衆を眺めまわした。

「どなたか覚えておりません? 一月前、同じこの場所でわたくしたちは王弟殿下と共にイストモスの樹海へと旅立ちました。今壇上に横たえられている風使いも一緒にいたはずです。彼女は人間です。エルフではありません!」

 群衆がざわつく。

 やがて、だれともつかないだれかの声が心許なそうに呟いた。


「そうだよ。いたよ、あの()は。ジュニーヴル様が仰っていた予知の力のある娘だ」

「そうだ。あの金髪もそういえばいたぞ」

「どういうことなんだ?」

 ざわめきが漣のように広がってゆく。


 アマーリエは全身の力がどっと抜けるような安堵を感じた。

 熱狂に流されて思考を放棄していた観衆たちが、ようやくに理性を取り戻してくれたらしい。

 ここで最後の一手だ。


「――ジュニーヴル様、わが友たちが生贄に捧げられると決まるに至ったきっかけは耳にしております! そもそもの始まりは、彼女が風を使って暗雲を払うことを拒否したためですよね?」

 小首を傾げていかにも無邪気そうに聞く。


 壇上のジュニーヴルは呆然としていた。

 海のように碧い目を見開き、紅薔薇の唇もわずかに開いている。

 赤い唇の隙間から小粒の真珠を並べたような真っ白な歯が覗いていた。

 隅々まで完璧な造り物のような美貌だ。


 群衆たちの視線もジュニーヴルに集まる。


 ジュニーヴルは瞬きをし、ぎこちない笑顔を浮かべて頷いた。

「ええ、その通りです。彼女は主から力を賜りながら、その力を人々のために使うことを拒んだのです」

「それが罪だと?」

「罪ではないと思うのですか?」

 ジュニーヴルが鋭く切り返す。

 群衆が彼女の声の蠱惑にまた囚われようとしている。

 アマーリエは切札を叩きつけるように応えた。「では彼女にその罪を償わせてください。わたくしが今ここで彼女を目覚めさせます。そのあとで改めて、風神アンティノウスにより賜りし加護の力を人々のために使うようにと諭します。そうすれば生贄は必要ないでしょう」


 ジュニーヴルは一瞬怯んだような表情を浮かべたが、すぐに笑顔に戻って頷いた。

「分かりました。やってみなさい」


 アマーリエは内心で快哉を叫んだ。


 この巫女の最大の弱点は敵を侮りすぎることだ。

 どうせ目覚めさせられるはずはないとたかをくくっているのだろう。



 --見ていなさいこの偽王女! 隊長殿(シェフィン)は必ずわたくしが助けてさしあげるんだから!


 

 喜びと怒りと闘争心のないまぜになった熱さが胸を充たすと、全身が凍り付くようだった恐怖が退いていった。


 アマーリエは堂々と頭をかかげて祭壇へと登った。

 白鳥の戦士たちが戸惑い顔のままフレデリカを抱き起している。

 

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