第二十章 白鳥の戦士たち 1
翌日の午後である。
アマーリエは、今は弩を腹の側に回したハインツの駆る灰色馬の後ろに荷物みたいに括りついて、前にある痩せ男の意外と逞しい胴体にひしとしがみついていた。
相変わらずの激しい風が右手から吹き付け、頭上を青黒い雲が流れている。
目の前を伸びるのは、もう堤道のようではなくなったまっすぐなランサウ街道だ。
耳元で鳴るごうごうと激しい風の音に紛れて後ろからくる蹄の音か辛うじて聞こえてくる。
アーデルハイトの駆る小柄な月毛馬の足音だ。
二頭の馬は二日前、女騎士シグルーンが密かに都合してくれたものだ。
二騎の頭上を昨日からずっと、まだ腹の黄色い若い隼が飛び続けている。
私は鳥獣と五感を分かち合えるのだ――と、女騎士は生涯の恥辱を打ち明けるような声音で言った。
ああ成程とアマーリエは納得した。
要するに狩人神ウルーの加護持ちということだ。
鳥獣と五感を共有し、場合によっては使役もできるウルーの加護持ちは、アマーリエの時代の南部地方でも、他の加護と比べてあまり尊ばれてはいなかった。
帝都のある中央地方では、「獣憑き」として忌まれてきた歴史があるという。今はアマーリエたちの本来の時代の1308年前――紛れもなく遠い歴史の彼方の古代だ。間違いなく中央地方の出自であろう女騎士シグルーンは、その能力のために蔑まれることも多々あったに違いない。
――あの方がウルーの加護持ちということは、隊長殿たちと合流出来たら、風と焔とわたくしの癒しに加えて、四種類の加護持ちが近場に揃うことになるのね……
馬の背で弾みながらアマーリエは唐突にそんなことを思った。
四種の別個の加護持ちが揃うとは、すなわち方陣聖域の防御術が使えるということだ。
方陣聖域とは、互いに五感で認識できる正方陣の四つの角に、各々異なる加護持ち四人が立ってそれぞれの力を陣の輪郭に巡らせることによって、あらゆる呪術や怪異による攻撃を防ぐ防御術だ。
――あら、でも方陣聖域が編み出されたのは800年前くらいよね? この時代でも本当に使えるのかしら?
不安に駆られると考え事をしたくなるのが学者気質のアマーリエの癖だ。
今直接には関係のないことを考えることで恐ろしさを振り払おうとしているとき、アマーリエはふと気づいてしまった。
後ろからくる蹄の音が遠い。
アーデルハイトが遅れているのだ。
「ハインツどの、ハインツどのってば!」
慌てて声を絞り出す。
「とまってください、アーデルハイトどのが遅れています!」
「えええ、ハイジさん!? おい大丈夫か!」
ハインツが慌てて馬を止める。「アマーリエ、ちょっと後ろ見てくれ!」
「はい!」
風になぶられるフードを手で押さえながら背後を省みる。
「見えるか?」
「……見えません!」
「あああ、大丈夫なのか? あの人にまで何かあったら隊長殿に顔向けできん」
ハインツが悲痛な声をあげて髪をかきむしる。アマーリエは慌てて宥めた。「大丈夫ですよ、遅れているだけです。待っていたらすぐ追いつきますよ」
宥めながらアマーリエは奇妙なことに気付いた。
後方に比べて前方がほのかに明るいのだ。
――シグルーン様の話では西岸一隊が暗雲で覆われて、その下で家畜や病人たちが次々と死んでいるということだったけれど。
それならば、なぜ西岸に近づくにつれて明るくなっているのだろう?
「……どうした?」
ハインツが不安そうに訊ねる。「何か思いついたのか?」
「いえ、特に何も――」
内心のもやもやを隠して軽い口調で告げようとしたとき、西側よりも明らかに暗い東側から蹄の音が近づいてきた。
「ごめんよ二人とも! 遅くなっちまって!」
アーデルハイトの懐っこい声が響く。
アマーリエはほっとした。
「こっちこそすいません、馬の大きさが違うのにちっと急ぎすぎちまって!」と、ハインツが安堵も露わに応じる。
アーデルハイトは近づきながら小柄な馬を止め、いかにも慣れた動きでひらりと飛び降りた。
「急いだ甲斐があったってもんだよ。ゼントファーレンまであと一歩里《約4㎞》ってとこだ」
「え、もうそんなに近いんですの?」
「なんでわかるんだ?」
「なんでって、あっちに丘が見えるだろう? あれは東丘の稜線だよ。ほら、私たちが初めに出てきちまったあの洞窟のある。それから行く手にポプラ並木が見え始めている。あれは門前の並木だよ。見えるってことはもう大した距離じゃない」
地図製作者が当たり前のように応える。
「--それでしたら、このあたりでもう馬を返したほうがいいかもしれません。あの女祭司が何をしているにせよ、あまり目立つような戻り方は良くない気がしますの」
「分かった。あんたの勘はあてになるからな」
ハインツがまじめに応じ、名残惜しそうに灰色馬の首を叩いた。
「ここまで助かったよ。そろそろ戻ってくれ」
「あんたもね。ありがと」
アーデルハイトも自分の月毛馬に告げる。
二頭の馬はありありと知性を感じさせる短い嘶きを残して、ランサウ街道を暗い方角へと駆け戻っていった。
アマーリエは内心で思った。
たぶん、あの馬たちはシグルーンと視覚を共有しているのだ。
--あの方を信用しないわけではないけれど、一方的に監視されているのは気分がいいものではないわ。
馬を返したあと、残っている《目》は隼だけだ。
暗雲の流れる空を見上げても鳥の影は見つからなかった。
ウルーの加護持ちが鳥獣と感覚を共有するときは大抵瞑想状態になる。
いろいろと多忙な女騎士は、そうそう常に鳥と視覚を分け合っているわけでもないらしい。




