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第十九章 進軍 7

「未来――とは?」

 シグルーンが眉間にしわをよせる。「どういう意味だ?」


「言葉通りの意味でございます。――仔細をお話する前に、どうかお人払いを」

 女騎士は一瞬躊躇いを見せてから頷いた。

「分かった。来い。私の宿坊で聞く。ついてこい」

 兵士らしく簡潔に命じて刀を収め、三人を顎で促して踵を返す。

 未来人たちは慌てて従った。



 ハインツの見立て通り、番小屋の天幕の外には馬よりもむしろ豚や鶏や家鴨のほうが多いようだった。ぼってりと厚い手織布のフードを被った農民らしき面々が、衣の裾を風に嬲られながら穀物の袋を運んでいる。

 これから進んでくる大軍勢のために兵糧を支度しているかのようだ。


 幕屋のあいだに自然にできてしまったような路を抜け、物見櫓の根元の門を抜ける。

 門衛の軍団兵たちはシグルーンを目にすると最敬礼をした。

 後に続く三人については何も訊ねない。

 女騎士はかなりの権力を有しているようだ。



 谷底のような路地を抜けると方形の広場(アゴラ)に出た。

一辺が20(ルーデ)《約60m》ほどか、意外なほど見事な敷石で舗装され、石造りの柱廊に囲まれている。

 その広場を目にするなり、アマーリエは息を呑んだ。


 人間の子供ほどの背丈ながらがっしりとした体つきの、赤っぽいチュニックとマント姿の黒い髭の生き物たち――十数名はいようか、みなハンマーと鑿を手にして、リーダーらしき光の球の杖を手にした一人の采配に従って、石敷きの広場にせっせと彫り物を施している。



 ――ドワーフたちだわ。



「方々よ、作業は順調か?」

 ところどころに篝火を据えた柱廊を進みながらシグルーンが声をかけると、ドワーフのリーダーが光の球の杖を高く掲げてみせた。


 彼らが何を刻んでいるのかに気付いてアマーリエは寒気を感じた。


 円陣だ。


 ペラギウ山脈の水辺にあったような移動の円陣とよく似た図案を、一辺20丈の石の広場全体に刻みこもうとしている。



 --まさか、この円陣で一気に兵の移動を?



 思いついてしまうなり背筋が寒くなった。



 シグルーンは一言声をかけたあとには、ドワーフたちにはもう一瞥もくれず、篝火の並んだ柱廊を北へ進み、二人の軍団兵が入り口を護る石造りの建物のなかへと入っていった。


 がらんとした控えの間には火を燈さない銀の燭台のようなものがあった。ずっとシグルーンの肩に留まっていた隼がそちらへ飛び移る。

監視役だわ――と、アマーリエは察した。

もしかしたらこの女騎士は鳥獣と五感を分かち合える狩人神ウルーの加護持ちなのかもしれない。


「こちらだ。入れ」

 シグルーンが重たげなつづれ織りの垂れ幕を廻って促す。

 奥の間には一面に毛皮が敷き詰められていた。東方風の赤いクッションがいくつも散らばっている。

「みな好きに坐れ。話の続きをしろ」

 促しながら、シグルーン自身は垂れ幕の前に胡座する。

 アマーリエたちも言われるままに坐った。

 床は暖かかった。

 もしかしたら床下で暖房を焚いているのかもしれない。



「――それでは、そなたらはアヌビルの護符の効力によって未来から飛ばされてきたというのだな? そして、その代わりにアヌビルが過去に飛ばされたままになっていると」

「その通りです」

「護符を見せてみろ」

 シグルーンが単刀直入に命じる。


 アマーリエは諦めて巾着から青い護符を取り出して渡した。

 大きさのわりに重みのある平たい楕円形の石の護符を受け取るなり、シグルーンの鉛色の眸がわずかに見開かれた。

「これは、確かにアヌビルのものだな」

「信じていただけましたか?」

「――信じるほかあるまい。そなたらがやはりエルフと与していて、あれを殺して護符を奪ったのでなければ」

 シグルーンはまだ迷っているようだった。

 剣胼胝のある掌に護符を乗せ、目を伏せてじっと眺めている。

 アマーリエは焦りを感じた。


 何かないだろうか?

 何か決定的な決め手となりそうな証拠は。


「わたくしどもは――」

 何も考えつけないままとりあえず口を切ったとき、シグルーンが不意に顔をあげて訊ねてきた。

「そなたら、イストモスの森を訪ねるときまでジェフリーと共にいたのだったな?」

「え、ええ」

「そうですけど」

「ロージオンの王弟はどういう人物だった? そこの女、印象を話してみろ」

 シグルーンがアーデルハイトに鋭い視線を向ける。

 アーデルハイトは尻尾を踏まれた猫みたいにヒャっと背筋を伸ばし、困惑しきりと眉を寄せながら歯切れ悪く答えた。

「ええと――見事な長い黒髪で、彫刻みたいなお顔立ちの、いかにもお若い王族らしい立派な殿下でしたね?」

 なぜか疑問形で褒める。

「ほほう」と、シグルーンが眉をあげ、今度はハインツに訊ねる。「他に何かあるか?」

「え? 他に? あ――」と、痩せ男は考えこんだ。「とてもよいお声でしたね。名乗りの様子も堂々としていて、いかにも王子様らしくて」

「そうか」と、シグルーンは相変わらず感情の読めない相槌を打ち、今度はアマーリエに向き直った。


「そちらの薬師はどうだ。あれについて何を覚えている?」

 女騎士の鋭い鉛色の目がまっすぐにこちらを見ている。


 アマーリエは応えに窮した。



 --ジェフリーの印象? 黒髪の美貌で、声がよく徹って、いかにも王族らしい堂々とした名乗りができる以外で、何か褒めることってある?



「王弟殿下は――」

 考えがまとまらないまま声に出すなり、頭のなかで突然思い出が弾けた。


「ジェフリーは、綺麗な琥珀色の目をしていました。

堂々としているのに子供っぽくて、わたくしが一歳年上だと知ったときには目を丸くしていました。

ゼンテスの渡し場の女司祭を母か姉のようだと言っていました。

沼地の鬼火(イルリヒト)を見せてくれました。

わたくしのことを必ず護ると言ってくれました――……」


 そこまで口にしたところで言葉が出なくなった。

 喉の奥から熱い蝋の塊みたいな何かがせりあがってくる。


 泣くな、とアマーリエは自分を叱責した。

 同じ瞬間、見えない熱い塊が喉を押し広げ、眦がじわりと熱くなった。


 気が付くとアマーリエは嗚咽していた。

 アーデルハイトが傷ましそうに眉をよせ、丸めた背を後ろから抱きしめてくれる。



「……どうですかね、信じていただけそうで?」と、ハインツが非難がましく訊ねる。

 シグルーンは微苦笑しながら頷いた。

「信じるほかあるまい。あれを愛していたのか?」

「はい」

 アマーリエは右手の拳で涙をぬぐいながら答えた。

 同時に、心の中に深く澄んだ悲しみが湧き上がってきた。



「そなたらがことなく未来へ戻ればアヌビルも戻ってくるというのであれば、我々が森エルフの女王と戦う理由はなくなる」

「あ、やはり戦うおつもりだったので?」

「ハインツとやら、猿芝居はやめろ。見れば分かっていただろう。これは進軍準備だ。十日後に本隊が来る」

「人数は?」と、ハインツが真顔に戻って訊ねる。

「セルケンバインの南方軍団6000すべて。それにドワーフたちだ。シャハル・ネアルグのドワーフ王アガラが息子の死に怒り狂っているのだ。わが主君アンゲラード殿下は、アヌビルを死地に赴かせた償いを求められている」

 女騎士は苦渋を滲ませた顔で言い、深い悔恨を感じさせる声で続けた。「主君は戦いを望んではいない。しかし、アヌビルが戻らない限り、必ずや戦いは始まる」

 シグルーンがそこで言葉を切り、膝を乗り出してアマーリエに護符を差し出してきた。


「アマーリエ・フォン・ヴェルン、アーデルハイト、ハインツ、頼む。アヌビルを取り戻してくれ」


 剣胼胝のあるごつごつとした両手がアマーリエの手を包む。

 皮膚の分厚い掌だった。

 節くれだち、沢山の白い古傷が刻まれている。

 アマーリエは心底から頷いた。

「ええ。必ず」


 アマーリエが知る正史に、《大分離》以前にイストモスの森エルフとシャハル・ネアルグのドワーフ、それに北方の女大公のあいだで一大戦争があったなどという記録はない。

正史に従えば、この三者は《言葉持つ種族(フォルク)の最後の大同盟》の立役者となって、十四年後に《堕ちたる造物主》と最後の戦いをするはずなのだ。



 ――何があっても必ず戦いは食い止めなきゃ。そうでなきゃ正史が変わってしまう。



 アヌビル王子を必ず取り戻すこと。

 同時にそれは自分たちが未来へ戻るということだ。


 ジェフリーのいない未来へ。

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