第十八章 冥王の眸 5
「本当です。なぜそのようなことを?」
ガウフリドゥスがどことなく不本意そうに問い返す。
老ドワーフはわずかに逡巡してから口を切った。「では、アルハナ山脈に秘されていた《冥王の眸》は、今は汝らの国にあるのか?」
老ドワーフの声音からは押し殺された恐れが感じられた。
ガウフリドゥスが怪訝な顔をする。
「《冥王の眸》? アマーリエ、それは何だ?」
当然のように訊ねてくる。
アマーリエは慌てて頭の中の教科書知識を引っ張り出した。「ええと、堕ちたる造物主ユルゲンがかつて物質界すべてを支配しようとしたとき、配下とした人間の族長たちに与えた呪術的な水晶球ですわ。族長たちはその《眸》を通じて冥王から命令を受けていたのだとか。――1300年後の伝承ですけれど、東方の人間の皇帝アヌー・チャルマンを惑わせた《黒の祭司》なる人物は、《最も強力な冥王の眸》を所有していたと言い伝えられています。彼はその《眸》を通じて、地の底の奈落界に戒められていた堕ちたる造物主に血の生贄を捧げて目覚めさせたのだとか」
試験の前の復唱みたいにサラサラサラっと説明してしまったところで、アマーリエははっと気づいた。
ガウフリドゥスもアーデルハイトもハインツも、あまつさえ白髭の老ドワーフまでもが、零れんばかりに目を瞠って口元を抑えている。
「――未来からきた客人よ、《冥王の眸》とはそれほど悍ましいものだったのか?」
「そんなものはわが故国には当然ありはしないぞ? ――ドワーフの最長老どのよ、われらが王家の遠い母祖たるアナイス・ニレノールがなぜそのような悍ましい品を所持していたと言われる? ことと次第によってはこのガウフリドゥス、われらが后の名誉のために決闘を申し込まねばならん」
「いやいやいやいやジェフリーどの、ちょっと落ち着きなさいって!」と、ハインツが慌てて宥める。「まずはこちらのご老体の話を伺いましょうよ」
「そうですわね」と、アマーリエも何とか気を取り直して頷いた。「最長老さま、どうかお聞かせください。あなた様はなぜロージオン王国に《冥王の眸》が伝来しているとお考えですの?」
正直なところ、アマーリエは持ち前の学術的な好奇心に突き動かされていた。
正面から訊ねられた老ドワーフはまた逡巡を見せたが、じきに長いため息をつき、諦めたように語り始めた。
「ことの発端は三〇〇余年前、イルービエンの北方のアルハナ山脈でのできごとだ。私はもともとその地で生まれた。私たち一族は禁足地を護っていた」
「禁足地というと、そこに《冥王の眸》が?」
「そうだ。上古の昔に堕ちたる造物主が破れたのち、我らが創造主たる鍛冶神ティバルクがじきじきに我ら一族に命じたのだそうだ。この谷には《冥王の眸》が眠っている。誘惑に弱い人の子を決して近づけてはならぬと。我らシャハラの一族はその命じに従って禁足地を護り続けていた。しかし、あるときこの谷に人間たちが入り込んだ。彼らは《忠義党》と名乗っていた」
「《忠義党》?」
「ああ。汝らは海エルフの王国アガラーエスが滅びた理由を知っているか?」
「イストモスの森で耳にしました。支配下においていた人間たちに背かれたのだと」
「そうだ。イルービエンの人間たちは結託してアガラーエスに背いた。しかし、ごく一部の人間は、滅びた海エルフの王国に忠誠を誓って、再起を図るために北方の入り江に逃れていた。彼らは《アクハ》と呼ばれる少女を連れていた」
「アクハ」と、アマーリエは思わず繰り返した。「神聖語で《乙女》ですか?」
「そうだ。彼らの《乙女》は海エルフの王家の最後の生き残りだという話だった」
「――嘘だ。そんな話は聞いたことがない」と、ガウフリドゥスが唸るように言う。「三〇〇年前アガラーエスに忠実だったのはその《忠義党》だけではない。われらロージオンの父祖たちは長らくエルフの友と呼ばれ互いを助け合う同盟を結んでいた。だからこそアナイス・ニレノールは逃れてきたのだ。北ではなく南へな!」
「ジェフリー、とりあえず後にして」と、アマーリエは雑に制止して、強い興味に促されるまま畳みかけるように訊ねた。「その《乙女》と《冥王の眸》がどのようにつながるのですか?」
「《忠義党》はアガラーエス再興のための財貨を求めていた。われらの護る禁足地には莫大な宝物が眠っていると彼らは考えていた。そして――そして、われら一族からも裏切り者が出た。禁足地の谷には非常に沢山の竜血石が埋まっていたのだ。我らは谷川の下流へと流れてくる石を拾って加工していた。しかし、ある一人の愚かな若いドワーフが谷に眠る竜血石をじかに掘り出したいと望んだ。その愚か者はこともあろうに人間たちと手を組み、一族が長らく護ってきた谷へと導き入れた」
老ドワーフの声が震える。
アマーリエははっとした。
好奇心にかられて、語り手の心を慮ることを完全に忘れていた。
「――申し訳ありません。おつらい思い出をぶしつけにお訊ねして」
「かまわん。私が話し始めたことだ。そのあと何が起こったか、私にはしかとは分からん。一族の名誉を穢した愚かな若いドワーフと、すでに滅びた海エルフの王国再興の妄執にかられた人間の一党と、《乙女》と呼ばれていた海エルフの王女と――彼らが禁足地へと踏みこんでから数日後、谷は火を噴いた」
「噴火、ということですか?」と、アーデルハイトが訊ねる。
老ドワーフが頷く。
「そうだ。アルハナ山脈は火山ではあった。しかし死火山だった。突然生じた噴火のために禁足地は熔けた岩の奔流に飲み込まれた。踏みこんだ者たちがどうなったかは分からん。我ら一族の多くも死に、生き残った者たちも各地に離散した。私は数名の仲間たちとこのペラギウ山脈に逃れて、どうにかまた交易路を開いた。その頃に奇妙な噂を聞いたのだ。イストモスの樹海の南方のロージオンの地で、海エルフ最後の王女が人間の族長に嫁いだと。私は愕いた。あの《乙女》が生き延びたのだろうかと。そして思ったのだ。もしあの噴火のなかを生き延びたのだとしたら、あるいは谷に秘められていた《冥王の眸》の呪術的な力を借りたのではないかと」




