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第八章 謎の怪異 3

「――しかし、女王は汝を招き入れなかった」と、皮マントに烏の羽を飾った氏族長が低く呟く。


 途端、ガウフリドゥスが浅黒く滑らかな頬をさっと紅潮させ、怒りに輝く琥珀色の眸で相手を睨みつけた。

「黙れレビヌスの。あの怪異(モンストゥルム)が女王のなさりようとは限らん」


「怪異と申しますと――」と、フレデリカが口を挟む。「察するに、王弟殿下のご案内で使者お二人が森へ入ったときに、森エルフの女王が領域を閉ざすために用いる《惑わしの霧》のなかで、何らかの怪異に襲われたということですか?」


「その通りだ、女」と、ガウフリドゥスが意外そうに眼を見開く。「なかなか敏いな。名は何という?」

「フレデリカと申します。ついでに、あちらの細長いのがハインツ。灰色の髪のがエーミールで茶色の巻き毛がアルベリッヒ。ここまではわたくしの部下です」

「ほう」

「で、あっちがアーデルハイトで、彼女は友人です。時に王弟殿下」

「何だ?」

「ひとつ伺いたいのですが、あなたとともに森に入った使者のお二人は、今どちらにいらっしゃるので? 見たところお二方ともこちらにはおいでにならないようですが」

 フレデリカが正面から訊ねる。


 ガウフリドゥスは琥珀色の目を見開き、そのあとで、不意にまたぐしゃりと表情を歪めて答えた。

「……シグルーンは北へと戻った」


「ではアヌビル王子は?」

「アヌビルは」

 ガウフリドゥスはそこで言葉を切り、指の長い手で口元を抑えて喉をヒクリと鳴らした。

「アヌビルは分からん。行方不明だ。霧のなかであの怪異に襲われたとき、私とシグルーンは川に飛び込んで逃れた。知らなかったのだ、私は。ドワーフが泳げないなどと」


 ガウフリドゥスが掠れた声で言って項垂れる。

 ジュニーヴルがまるで若い母親みたいな手つきでその肩を抱き寄せた。



「それはまた」

 アマーリエはどうにか言葉を絞り出した。

「大変な事態ですわね」


「うむ」と、ヴェヌーレスの氏族長が頷いてため息をつく。「この上もなく大変だ。北方からの女大公の使者は、すべては森エルフの女王の仕業だと激昂し、すぐさま宮廷へ報せると言い置いて旅立ってしまった」


「シグルーンは、森エルフの女王は人間にもドワーフにも怒りを抱いているというのだ」と、ガウフリドゥスが項垂れながら言う。「エルフ殺しを働いている東の人間の皇帝と、助けようともせず扉を閉ざしたドワーフの王に怒って、その復讐心を、円環山脈の西の人間やドワーフたちにぶつけるつもりなのだと」


「もし本当に森エルフの女王が故意に使者たちに怪異をさしむけ、その結果アヌビル王子が死亡したとなれば、シャハル・ネアルグのドワーフ王アガラは、子息の仇討ちのために、森エルフの女王に宣戦布告せざるをえません」と、ジュニーヴルが柳眉をよせて呟く。


 アマーリエは眉をよせた。

「そんな。三種族の大同盟の前にドワーフとエルフの全面戦争があったなどという話は聞いたこともありません。王弟殿下、《惑わしの霧》のなかであなた方を襲った怪異というのは、どのようなものだったのですか?」

 アマーリエが訊ねると、ガウフリドゥスは秀でた額に縦皴を刻み、数秒口ごもってから答えた。

「よく分からんのだ」



「分からんって、大体の形状は分からんのですか?」と、下座から、それまでずっと無言でいたハインツが堪えかねたように訊ねる。


 ガウフリドゥスは壁飾りの鹿の頭が急に口を利いたような顔をしてつくづくと痩せ男の顔を眺めてから、何とも悔しそうに答えた。

「見たところは地面から飛び出す触手(テンタケル)のようだった」

「そりゃそのまま地性触手(テラ・テンタケル)じゃないので?」

 地性触手はアマーリエたちの時代の南部地方の森林地帯でも時折みられる怪異だ。

 強酸性の体液を滴らせる多頭の巨大蚯蚓といった格好だが、一体に一本しかない知性触手(テンタケラ・サピエンテ)の開口部を射るなり突くなりすれば確実に仕留められる。少なくともフレデリカ隊は、アマーリエも協力して去年一体倒している。


 強いことは強いし厄介なことは厄介だが、弱点がはっきりしているため、一三〇〇年経っても語り継がれる伝説的な二人組の使者およびエルフの血を引く王弟殿下なんていういかにも強そうな一党が手もなく全滅させられかけるほどの怪異とも思えない。


 未来から来た一同のそんな思いが表情から伝わったのか、ガウフリドゥスは眉間の皴を深めて噛みつくように打ち消した。

「違う! 地性触手(テラ・テンタケル)ならば表皮は軟らかいだろう? 我々に襲い掛かってきた何かはとても硬かった。私の剣やシグルーンの槍はおろか、鍛冶神ティバルクの祝福を受けた焔で鋳られたアヌビルの戦斧でさえ傷つけることができなかった」


「え、まさかそんな」と、アマーリエは愕いた。「鍛冶神の祝福を受けたシャハル・ネアルグの戦斧は、竜の鱗以外のあらゆる物質を断ち切れるはずでは」

「そうだ」と、ガウフリドゥスが頷く。「アヌビルもそう言っていた」


「じゃ、竜だったんじゃないの?」と、アルベリッヒが無邪気に口を挟む。


 ガウフリドゥスは水に濡れた可哀そうな赤犬を見る目で茶色の巻き毛の若者を見やった。

「あ――アルベルック?」

「アルベリッヒです。何でしょうゴットフリードさま」

「ガウフリドゥスだ。いいかアル何とやら。今の世に竜はいない」


「え、そうなんですか?」と、エーミールまでが愕く。

 アマーリエは聖堂仕込みの教師根性がうずいた。

「そうなんですわよ、二人とも。竜というのは《堕ちたる造物主》ユルゲンと言葉もつ諸種族の第一の争いの後にすべて眠りについたのです」

「その通りだ。大体、我々を襲った怪異は全体的には触手っぽかったのだ」と、ガウフリドゥスが得々と便乗する。


「要するに謎の怪異なんですね?」と、フレデリカが結論付けた。

 大層不毛な結論だった。

 

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