第八話:魔術と魔法と
用意するものと言っても、個人的な荷物は殆ど無いに等しかった。
三人分の保存食と、水と、着替えと金がある程度持たされたくらいで、他に主たる荷物はない。ロイドとリィナはそれぞれの武器を持っているのではあるが。
さらに二人はヘイムガルド王国に準ずる騎士としての証を持っている。これがあると無いのでは大違いだというので、一樹はなんだか羨ましそうに王国の紋章の入ったエンブレムを見つめていた。
「なぁロイド、ベッツってここからどのくらいの日数かかるんだ?」
「んー? そうだなぁ……なんも起きなきゃ三日、ってとこかな」
「けっこう遠いな」
「いや直線距離はそんなないんだけどな。山越えるからそんだけかかるだけで」
今一樹たち三人は、ヘイムガルドを旅立ってから半日ほど経っている。
服装はその場しのぎの布ではなく、ガロンとヴィオラから半ば強制的に渡された服を着ている。ちょっとした斬撃や衝撃に耐えうると言われ、騎士が鎧の隙間に着る素材で作られた防護服だ。
麻に似た肌触りではあるが、幾分か重く感じる。
ロイドと一樹は上下共にそれを着ているが、リィナはワンピースを着ている。赤を基調としていて、すべてヴィオラの好みだ。
ちなみにダイナには何もない。いつも通り、お気楽な感じで空を飛んでこちらを見下ろしている。
先を歩いているリィナが、くるりと振り返った。
「ねぇカズキ君、ロイド君にダイナちゃんの袋の入れ方聞かなくていいの?」
「あ、そうだった」
「ん、なんかあったのか?」
小さな葉がついた茎をへし折って、咥えながらロイドは反応した。
「本当は一昨日聞こうとしたんだけどさ、ロイド結局その日に目覚まさなかったから聞きそびれてたんだ。ダイナをこの袋の中で大人しくさせたいんだけど、ガロンさんはロイドにやり方を聞けって」
そう言って一樹は布の袋を取り出し、絞り口をロイドに向けて開く。
「方法っつーか、あれだな、うん。ダイナ呼んでくれるか?」
「? おーいダイナ、おりてこーい!」
旋回を続けるダイナに向かって手招きをする。遊んでもらえるとでも思ったのか、すぐさま急降下して、一樹の胸に突進した。
「げほっ……! 普通に降りてこいよなこいつ」
一樹はダイナの腹を掴んでもみくちゃにこねる。そのままロイドの視線の真ん前に動かす。
「で、どうするんだ?」
「簡単。こうするまでよ」
そう言ってロイドは楽しそうに捏ねまわされているダイナの鼻っ面に人差し指を乗っけて何かを呟いた。
すると一樹が両手に暖かい風を感じると同時、ダイナは全身から力が抜けたかのように一気に脱力し、手の中で静かな寝息を立て始めた。
「はい完了」
「え……、いまのどうやったんだ?」
「どうやったって、簡易魔術使っただけだけど」
「魔術!?」
一樹は危うく眠っているダイナを落っことしそうになって、慌てて抱きかかえる。
「あれ、言ってなかったっけ? おいリィナ、お前説明した?」
「ううんしてないよ。図書館に通ってたからもう知ってると思ってたもん」
「だよなぁ……」
何やら自分の知らないところで会話が進められているのが悔しい。
「カズキ、図書館で魔術書とか見なかったのか?」
「いや、それらしいのは見かけてない……」
「ドラゴン生態書の真横の本棚が魔術書だったんだけど、見なかったの?」
そういえば、と一樹は思い出す。
ドラゴン生態書が見当たらなくて手当たり次第に本棚をあさっていたら、そんな文字を見かけたような気がする。てっきりあれは幼少の少年たちが読む絵本の部類だと思っていた。
まさか本物の魔法書だったなどと、夢にも思わなかった。
「じゃあ知らなくて当然だわなぁ。簡単に説明すると、魔術ってのは適合者なら誰でも練習すればある程度使えるようになる便利なやつだよ」
「俺も使えるようになるのかな?」
「適合者ならなるんじゃねぇかな。ただ練習っても半年以上かかるけどな」
「げ……そんなにかかるのか」
「そして、魔術と似たようなものに魔法がある」
ロイドは受け取っていた布の袋を一樹の手提げ袋の中に無造作に突っ込んだ。
「魔術と魔法って違うのか?」
「おう。まぁ基本的には似たようなもんなんだけど、こっちは魔術と違って先天的な才能が必要なんだ。身近な例で言うと、リィナとヴィオラさん、あとゼネットさんか」
「えっ!?」
一樹は驚愕の表情のままリィナに視線を向ける。
「えっ、って失礼な……。これでも魔法は得意なんだからねーだっ」
リィナはむくれた顔のまま右腕を天に伸ばし、人差し指をくるくると回す。指先のすぐ上に卵の黄身ほどの大きさをした球体がぼんやりと現れ、よしと頷いて一樹に向け指を振り下ろした。
瞬間、カズキの額にでこピン程度の衝撃が伝わった。
「――今のが?」
「うん。魔術は主に人の生活を補佐するために生れてきたものだけど、魔法は遥か昔の血を受け継いでる者に与えられた破壊の印なんだって」
「破壊って穏やかじゃないな……」
「さっきのはゼネットさんの受け売りなんだけどね」
噛み砕くとだな、とロイドは付け足す。
「サポート用が魔術で、戦闘を主とするのが魔法だとでも思えばいいさ。要は力の入れ具合を間違わなければいいだけの話だし」
一樹は納得したような出来ないような、複雑な顔になった。
魔法も自分が望んでいた勇者の必要不可欠な要素ではあるが、先天的な才能が必要であるならば自分は使える道理がない。なんだかいろいろと負けたような気持ちになって、一樹は自虐的な溜息を吐いた。
これから魔術をロイド、ではなくリィナに教わろうかなと思う。
より魔術について知りたいのならば教授願うのはロイドなのであろうが、なんとなく心配である。どこからかさぼり癖のある自分と同じ匂いがするから。
そんな一樹の考えなど知る由もなく、三人は足を進めていく。
道というにはあまりにお粗末な、草が生えていないから通れるだろ、程度の道に差し掛かったあたりでリィナの足が止まった。
「ね、そろそろお昼ごはんにしない?」
「カズキは腹減ったか?」
「減ったといえば減ったかな。休憩も兼ねて休もうか」
そうだな、とロイドは返事をして辺り一帯を眺めて、草木に紛れる切り株を見つけた。
「あっちの切り株に座ろうぜ」
先立って歩くロイドの後ろについてあるき、切り株のある場所についた。幾層にも広がる年輪が、以前はなかなかの樹齢であったことを物語っている。
切り株の上にロイドが飛びつくように尻を下ろした。
余っている切り株は一つ。
「リィナ、座っていいよ」
「え、でも悪いよー……」
「いいって言われてるんだから座ればいいのに。あ、俺はぜってー動かねぇぞ」
切り株をがっしりと掴むロイド。
くたばってしまえ。
「あ、じゃあこの切り株に二人で座ろうよ!」
「リィナがそれでいいなら……」
一樹が言い終わる前にリィナはぺたんと腰を下ろし、半分開けたスペースをぽんぽんと叩く。そこに遠慮がちに座り、伸ばした足の上に気持ちよく眠るダイナを乗せた。
ロイドが手提げ袋から巨大な葉で包んだものを取り出す。葉を身に似合わぬ器用さで取り除き、魚の干物のようなものを一樹とリィナに渡した。
一樹はそれを受け取り、リィナにも渡す。自分の干物を少しだけ千切って、余った葉に包んでおいた。
「なにしてんだ?」
「ダイナの飯。どうせ起きたら暴れだすんだから、今のうちに確保しとこうと思って」
「ふーん。にしてもホント変わってるよなダイナ。肉に反応しないドラゴンなんて初めて見たぞ」
「カズキ君みたいにどこかの世界から来た迷子だったりして」
リィナは干物を一口サイズに砕き、小さな口へと運んだ。
「迷子って、好きでなったわけじゃないよ」
「好き好んで迷子になる奴がいるかっての」
リィナとは対照的に、ロイドは口に入る限界まで干物を押し込んで、ばきばきと噛み砕いてから何度も咀嚼してごっくりと飲み込む。実に野性的。
一樹は自分の腹の虫が鳴いたことに気づいて、干物にかじりつく。醤油独特の風味が口に広がるが、どちらかというと苦みのほうが強い。
「さて、今日の野宿する場所なんだが、このペースだとザグロ山の半ばあたりになると思う」
「ザグロ山……って、けっこうデカい山じゃなかったっけ?」
「お、よく知ってんな。勉強の成果か」
もう一口干物にかぶりつく。
「まぁ。それで、その山だとなんかあるのか?」
ロイドが答えようとした瞬間、代わりにリィナが口を開いた。
「行商人の人たちもよく通る山だから魔物は少ないの。だからある程度の安全は確保できるよ」
「おお、良いことじゃないか。野宿なんてあんまりやったことないからなぁ」
「で、明日も多分そのザグロ山の中にずっといることになると思うから、気を抜くなよ」
「おう、了解」
よし、とロイドは頷いて余っている干物を砕いてすべてを口の中に放り込んだ。噛み砕かれる音がここまで聞こえる。
空を見上げれば雲ひとつない青空が広がっている。明日もこの天気が続けばいいな、と一樹は思った。
いや、やっと冒険始まります。今後の三人がどう進むのか、見守ってやって下さい(笑
続きは明日の9時に上げると思います