第七話:稲妻げんこつと新たな道
一樹は広間に通じる扉の前に立っている。
広間の中からロイドとガロンの声が聞こえる。ということは答えは一つなわけで、げんこつを一樹がもらうのも明白なわけで。重いため息をつきながら後ろを振り返る。
「なーに落ち込んでんのさ、坊や」
「きっとガロンさんも許してくれるって!」
後ろにはお気楽極楽な表情で立っているリィナとヴィオラ。
本当は先ほど図書室で別れたはずなのだが、ヴィオラは最初から付いてきたかのように歩き始めていた。一樹が図書室で調べものをしなくていいのか、と聞いたところ、こっちのほうが面白そうだからと鼻っ面に指を当てられて宣言された。
人の不幸がそんなに見たいのか。
とにかく、このまま部屋の前に突っ立っているわけにもいかない。
覚悟を決めた一樹はおっかなびっくりにドアノブを回し、顔だけを部屋の中に入れた。
「はぁッッ!!」
情け容赦など微塵もない、重い一撃だった。
天から稲妻の如く降り注ぐげんこつを避けられるはずもなく、一樹は鈍い音を立てながら床に崩れ落ちた。
「だっ、大丈夫、カズキ君!?」
リィナは屈んで心配そうに後頭部をさすり始めた。
「――いってー……。な、なんとか…」
痛みをなんとかこらえ、視線を上げる。
部屋の中には、うすら笑いを浮かべたガロンとロイドがいた。二人とも私服に着替えている。ガロンは上裸であるが。
「ガロン、もうちょっといたわって殴ってやりなよ」
殴る時点でいたわっていないというのは言ってはダメなのだろう、やっぱり。
ヴィオラは中途半端にあけ放たれた扉に手をかけて、片足に体重を預けながら一樹に視線を下ろす。
予期せぬ来訪者に多少驚いた顔をしたガロンが、一樹に手を貸して立たせた。
「なんだ、ヴィオラもいたのか。しかしこれは愛の鞭ってやつだ、なぁカズキ」
愛の鞭とはいえ、「はぁッッ!!」なんて掛け声をされてたまるものか。確実にストレス発散だろ。
なんて思いをぶちまけるわけにもいかず、一樹は適当に頷いた。
その返答で満足したのか、ガロンは備え付けてあった年代物の椅子に腰を下ろす。サイズが合っていないので今にも壊れてしまいそうな軋む音が耳に届く。背もたれに体重を預け、
「さて、カズキ。お前を呼んだのはほかでもねぇ。総団長から託を預かって、」
「ヴィオラさ~ん!!」
奇声であった。
一樹は一瞬、誰の声だか判断できなかった。目の前でガロンが”また始まった”と頭を抱えた。
ロイドだった。
ガロンの後ろで本棚に寄りかかっていたロイドがその身を乗り出し、机を飛び越え、ヴィオラの豊かな胸に向かって突撃を、
できなかった。
「ホントに毎回毎回……、よく飽きないもんだね」
ヴィオラのすらりと伸びた腕の先では、ロイドが顔面を覆うようにして鷲掴みされていた。
ぎりぎり、と締め上げられる音が全員の耳に届く。
「い、いやあ、自分はルヴィアさんに一目ぼれして騎士団に入ったくらいですから…」
「嬉しいセリフだね。でも、タイミングは選ぼうね、今ドラゴン坊やとガロンの会話の最中なんだから……」
ルヴィアのほほ笑んでいる目から優しさが消え、獲物を狩る狩猟者の鋭い目つきに変化した。ロイドの体がゆっくりと上昇していく。
「あっ、はいすいませんしたっ! 調子こいてましたっ! お願いですので手の力を抜、いたたたたたた!!」
もがき苦しむロイドをほっておいて、何事もなかったように一樹は会話を再開させた。
「託……ですか?」
一瞬遅れて、おうよ、とガロンは頷く。
「総団長も忙しいっつーのに暇さえありゃニホンについて調べてくれてたらしくてよ、似たような記録を今朝になってようやく見つけたらしい」
「ほ、ホントですか!?」
ただ、と付け加える。
「この王都にはその資料が無くて、隣の学問の街にあるってよ。んで、その資料を部下に持ってこさせようとしたんだが、何しろ曰くつきの書物らしくてな。貸出厳禁らしいのよ」
「じゃあ、俺がその街まで行けばいいんですよね?」
「そういうこったな」
「やったね、カズキ君!」
「ああ!」
リィナが一樹の両肩を掴んでぴょんぴょん跳ねている。
「あれ、でも、曰くつきって……そんなところに俺入れるんですか?」
「そりゃ入れるわけねぇだろが」
「――え」
「落ち着け。だから総団長がその趣を伝えるために文を書いてくれた」
そう言ってガロンは腰からぶら下げていた布袋の中に手をいれ、丁寧に何重にも絹で巻かれた長方形のものを取り出した。
それを一樹に向って放り投げる。
一樹はそれを落とさないよう屈みながら掬い上げ、
「これがその文書ですか?」
「おうよ。無くすんじゃねぇぞ」
一樹はその文書を掲げ、ダイナと共に凝視する。
本当に紙が入っているのかと疑いたくなるほど絹が巻かれていて、重量もそこそこにある。
「それと、だ。これも持ってけ」
再び視線をガロンに移せば、両手に余るほどの大きさをした袋が覆いかぶさってきた。一樹に当たり、床に落ちていく。
リィナがその袋を拾い、
「これ、なんなんですか?」
「袋だ。見てわからねぇのか」
そんなの見ればわかる。
リィナに文書を渡し、代わりに袋を受け取る。裏にしても表にしても、何の変哲のない茶色に染色された麻で出来ている袋だ。
「あれだよ、そのダイナをぶち込むための袋だ」
「ダイナを?」
小さな翼を羽ばたかせて、ダイナは麻の袋をじっと眺めている。
「ベビーってもドラゴンだかんな。どこの街でもびっくりして腰抜かしちまう野郎どもがいんだよ。だから人目がつくとこではその中に入れてやり過ごせ」
「はぁ……」
「なんだ、文句でもあんのか?」
首を横に振り、
「いえ、その案には賛成なんですけど、なんというか、ダイナが大人しく袋に入ってじっとしてるかなぁって」
ダイナは一樹から袋を奪って床にたたき落とし、その上で嬉しそうにじたばたと暴れている。
こんなやんちゃな奴が大人しくしているなんて無理な話だよなぁと思う。
「それに関してだが、きちんと考えてるぞ。おいロイド!」
そういえばロイドはどうなったんだと一樹は肩越しに振り返って、
「あ、ごめん。ロイドには用ないと思って落としちゃった」
えへへ、とヴィオラは取り繕ったような笑顔になり、気を失ったロイドがそこにいた。
全身から脱力し、ヴィオラの腕の動きに合わせてぶらぶらと左右に揺れているロイドが実に不気味である。
いやーまいったねーとヴィオラは長い髪を掻き上げながらロイドを長座体前屈の姿勢で床に座らせ、どっかりと壁に寄りかかる。
ガロンは眉間にしわを寄せて三秒だけ間をおき、
「――まぁ、いい。俺が言いたかったことはあとでロイドに聞いとけ。とりあえずそれで問題は解決するはずだからよ」
「わ、わかりました。えっと、もう出発してもいいんですか?」
「だぁから落ち着けっての。まだ俺様の話は終わってねぇぞ」
ガロンは椅子から一旦腰を浮かせ、もう一度座りなおした。
「その学問の街、あー、”ベッツ”までなんだがよ、ここからはそれなりに遠いし危険なんだよ。お前、どうやって行く気だ?」
「え、馬貸してくれるんじゃないんですか?」
「残念ながら馬は王の所有物でな、おいそれと貸しだすわけにもいかんのだ。そこで、総団長はさらにこういう提案をされた」
ガロンはリィナを指さし、次いで気を失っているロイドを指さす。
「ヘイムガルド王国騎士団第十三番隊隊長、エヴィッツ・ガロンの命令だ。お前ら二名はエノモト・カズキを無事にベッツへ送り届ける指令を与える」
「はーい、了解です!」
リィナは腕をぴんと伸ばし、元気よくガロンに敬礼した。
「こっちも了解したってー」
ルヴィアが勝手にロイドの腕を持って振り回している。全身ががくがくと震え、右なりに傾きかけた。
「うむ、元気な返事大変よろしい。というわけでだ、馬は貸せねぇがこいつらを貸してやるよ」
「え……、リィナいいのか?」
隣にいるリィナに向き直し、袋でじゃれるのに飽きたのか頭に乗ってきたダイナを抱きかかえながら尋ねる。
リィナはどこか悪戯っぽい笑みを口元に浮かべ、返答した。
「ぜんぜんだいじょうぶだよー。どこでも送ってあげるからねっ」
真っ向から来る笑顔につられて、一樹は照れ臭そうに鼻の頭を掻き、ありがとうと呟いた。
「話は以上だ。用意もあるだろうから、出発は明後日あたりでいいだろ。おいヴィオラ、責任もってそこの脱力してる問題児を医療隊の部屋まで引っ張ってってやれよ」
「別にほっとけば目が覚めるのに……、なぁ、ドラゴン坊や」
なぁ、と言われても困る。
ヴィオラはいかにも面倒そうにロイドの身体を持ち上げ、腕を首の後ろに回させて担ぐ。代わりに持つと一樹が申し出ると、にかっと笑った。
「いやこのくらい慣れっこだからだいじょーぶ。それより、何を持っていくかキチンと考えなさいよ」
そう言い残して軽い足取りで部屋から出て行った。
一樹は腕に大人しく抱かれているダイナをしばらく見つめ、みーという鳴き声を聞いてから鼻で笑った。
今日はいい日だ。
目標になることが見つかったし、なによりもこんな自分のために動いてくれている人達がいることが予想外だった。
こんなにもお膳立てされているのだから、なんとしてでも帰る方法を見つけなければならない。そのためにも、これからはさらに気合いを入れて頑張るしかない。
そう思いながら一樹はリィナと共に部屋を後にした。
次は土曜日の投稿になると思います。時間はまた九時くらいを予定してます。