第二話:騎士団への合流
「……一つ聞いていいか?」
「……何が聞きたいか分かる気もするけど、なに?」
一樹とリィナは脇目も振らず全速力で走っている。
なんの荷物もない一樹はともかく、軽量とはいえ鎧を着込んでいるリィナは辛いはずであろうに、そんな素振りを見せず走っている。
足を縺れさせようと絡んでくる植物が本当に恨めしい。
「後ろにいる怪獣はなんなんだぁ!?」
一樹は叫びながら後ろを振り向く。
後ろには猛牛を思わせる姿をしている魔物がいた。強靭な毛が生えている肉体を、三叉に分かれている尾が己を奮い立たせるべく何度も強打している。
それに答えるべく咆哮しながら頭を下げ、禍々しく湾曲した角を突き出しながら突進してくる。
「あれが魔物! 普段は大人しいんだけど、今は産卵の時期だから!」
かしゃかしゃと軽鎧の擦れる金属音を響かせながら、リィナは答えた。
そうか、と一樹は短く返事すると今度は上を見上げる。上空では蒼い鱗を持つベビードラゴンが旋回し、実に楽しそうに鳴いている。
打ち落としてやりたい。
再び視線を前に向け、
「それよりリィナ、なにか武器とか無いのか!?」
「…………」
「なんで黙ってるんだよ! あったら貸してくれよ!」
ぽつりと、言いにくそうにリィナが答える。
「―――た」
「え? よく聞き取れな……」
「剣、隊に忘れてきちゃった」
テヘ、とリィナは宿題を忘れた生徒のような自虐的な笑みを見せた。
一樹は走りながら辺りを見渡す。隠れるところがあって、そこで魔物を撒けるのならそれがベターだ。
しかし景色は相変わらず平原で、たまに生えている樹木は身を隠すにはあまりにも細い。点々と聳える岩もせいぜい体の半分を隠せればいいほうで、それに騙されるほどあの獣も知能が無いわけではないだろう。
八方塞だ。
「それより、あいついつまで追いかけてくるんだ!?」
「縄張りさえ出られればなんとかなると思う……」
元はといえば、休憩とはいえ巣に不用意に近づいてしまった自分とリィナが悪かった。
一樹が荒い鼻息がするなと岩に座って後ろを振り返れば、五つの卵とそれを守る母親の魔物とご対面してしまった。心臓が止まるかと思った。
それから聞くも涙言うも涙の逃走劇が始まり、既に三十分ほど経過している。
「ハァ……っ、ハッ…、こんなに走るのなんて、久しぶりだな……」
「私は…久しぶりじゃないけど、全速力は……やっぱりきついぃぃぃ」
と、二人が弱音をはいた時だった。
魔物はぴたりと四本の足の躍動を土煙を上げながら止め、そうとも気付かず走り去っていく一樹とリィナの背中をじっと見つめている。
そして天を仰いで荒々しい鼻息一発、ゆっくりと体の向きを変えてのしのしと元来た道を戻っていく。
魔物と数百メートルほど離れた場所でリィナが気づき、一樹の襟の後ろを掴んで引っ張った。
「もう大丈夫みたいだよ」
後ろを振り返れば、ゆっくりと遠ざかる魔物がいた。それを見た一樹は膝に手をついて肩で息をする。
頬を伝う汗を感じ、手の甲で拭ってから大きく息を吸い込んだ。
「あー……しんど」
「まさかあの場所が巣だったなんてね。もうちょっと警戒すればよかったかなぁ」
「いやあれは気がつかなくても仕方ないって。それより、隊のいる場所ってまだ先なのか? もうずいぶん走ったけど」
空は既に寂寥の紅に染まり始めている。
涼しげな風を全身で浴びながら、頭に何かが乗る感覚と共に手を伸ばす。頭の上に着陸したベビードラゴンの顔を両手で挟み、ぐにぐにとこねくり回す。
「ったくお前はー。本当にドラゴンならあいつ追っ払えよ」
同じように汗を拭っていたリィナは、
「隊自体はもうすぐだよ」
「やっとか……。どこが近くだよ、怪獣みたいな牛に会うし」
「むー、でもほら、こうして魔物の危険性とか分ったんだからいいじゃない」
一樹の返答を待たないまま再び歩き出した。
肩をすくませながら一樹は、リィナに並んで歩き出す。
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―――――
―――
隊に合流したのはそれから更に一時間を費やした場所だった。
空は更に変化し、一面を覆い尽くすほどの星が爛々と輝く夜になっていた。
風も昼に比べると冷たく、半袖の一樹にとって少々肌寒く感じられた。しかしそんなことを言うとなんだか格好悪い気がして黙っている。
隊が野営テントを張っている場所は、草原を抜けた森の中であった。大木が所狭しとその枝を天へと伸ばし、それに絡み合う弦が実に神秘的な印象だった。
「ほぉん、んでここまで来るのに半日を費やしたのか。おうアンちゃん、大変だったな」
ガタイのいい、よく言えば筋肉質の大男、悪く言えば人の言葉を話せる熊が一樹の背中を力強く叩きながらそういった。半裸なのは何かの冗談だと思いたい。
あまりにも強く叩くため、手に持っていた皿からスープを溢しそうになりながら、一樹は愛想笑いをした。
合流したとき、隊は夕食の準備に取り掛かっていた。
底の深い盃のようなドでかい鍋で、山菜と何かの肉を煮込んでいた。
リィナはちょっと特殊な人、と隊の皆に軽く紹介すると目の前にいるこの熊に相手をするよう頼み込んでどこかに去ってしまった。その説明では変な人という意味にしか捉われないだろう。
鍋と炎を囲むように座り、一樹は半裸熊から色々な質問攻めにあった。
「それで、ニホンとやらの国に帰る手段を探してるってことか」
「そうですね。何か知ってませんか?」
「んー、知ってりゃなにか答えてやりてぇんだがよ。おうロイド、てめぇは何か知ってっか?」
ロイドと呼ばれた男は、人差し指ほどもある銃弾を木目の細かい布で拭きながら、器用にスープの汁を飲んでいた。
呼ばれたことに気付いたロイドは皿を地面に置いて答える。
「いや、俺も聞いたことねっす」
「そうか。悪いなアンちゃん」
「いえ、気にしないでください」
そう言って一樹は湯気の立つスープを一口だけ飲んだ。
独特で癖のある味だが、どこと無く味噌汁に似た味がある。丸一日何も食べていない身としては、かなり美味しく感じられた。
足元ではドラゴンが、飯盒の蓋に注がれた水をちびちびと飲んでいる。
それを横目で見ていた半裸熊がドラゴンを指差しながら、
「なぁ、さっきから気になってたんだがよ、そいつベビードラゴンか?」
「リィナもそう言ってたんで、そうなんじゃないですかね」
「だよな。俺の見間違いじゃねぇよな。……不思議だよなぁ」
「なにがですか?」
「いやなに、ベビードラゴンの個体数は少なくなってきてるんだよ。もともとドラゴンの数なんて少ないってのに、なんでか知らねぇがこの数年のうちに次々に死んでいってよ」
「はぁ……」
「しかも保護しようと思っても人には絶対に懐かない、なんて言われて、事実そうだった」
一樹はドラゴンに視線をおろす。
視線が自分に集まってきたことを感じたのか、ドラゴンは水を飲むのを止めて顔を上げ、みーと小さく鳴いた。
それを見ながら、一樹はここが地球ではないことが薄々と理解できてきた。
ゲームの世界に憧れている。
その言葉に偽りは無い。しかしそれは自分が絶対無敵の困難知らずの勇者で、安全が確保されたことが前提だ。何をどう解釈しても勇者の素質なんて自分には無い。
ドラゴンもいる、魔物もいる。
だというのに勇者にはなれない自分がいる。嬉しいはずなのに、嬉しくないのはそれが理由なのかもしれない。
「けどよ、アンちゃんにはなぜかそのベビードラゴンが懐いてる。誰も知らねぇ土地から来たことといい、なんか特別な奴なのかもなぁ」
「そうそう、だから落ち込むなって。首都に行けば何か知ってる奴がいるかもしれないしな」
いつの間にか隣で胡坐をかいていたロイドが、空の皿に底から掻きだしたスープを注いでそう言った。
こげ茶色で癖のある短髪をしている。ほぼ全身日に焼けていて、笑うたびに見え隠れする真っ白な八重歯がやけに際立って見える。
別に落ち込んではいないのだが、人から見ればそう映るのだろうか。
ロイドは湯気立つスープを傍らに置いて、一樹に手を伸ばす。
その行動の意味が分からず、もしかしたら握手でもしようとしているのかと考えた瞬間、空になっていた皿を奪われた。
「元気がない時は飯を食うのが良いんだよ。遠慮なんかしねぇでガンガン食えよ」
「あ、ありがとう」
「ほらよ、熱いからな」
並々と注がれたスープを受け取り、スプーンでかき混ぜる。箸がほしいところではあるが、そんな贅沢は言えない。
ロイドはスープを音を立てながら飲み、一息を吐く。
「なぁ、この部隊ってなんの部隊なんだ?」
「え? あぁまだリィナから教えてもらってなかったのか」
ロイドは皿を片膝に乗っけて、
「ヘイムガルド王国騎士団第十三番隊、ガーレ。これが一応正式な名前だけど、別に覚えなくて良いよ」
「王国騎士団って、ここにいる皆?」
一樹は顔を回りに向ける。
こちらには特に興味が無いのか、黙々と作業を続けている者から薄い布を地面に敷いて尻を豪快に掻いて寝転がっている者、馬の毛繕いを行っている者もいる。
年は上が三十半ばで下がリィナと同年代という感じに見受けられた。詳しくは数えていないが、ぱっと見男女合わせて六十人ほどいる。
「弓兵もいるけどな。んで、今は魔物討伐の遠征から帰って来たとこ」
「へぇ……。じゃあ強いんだ」
「まぁ、そこらの魔物には負けないんじゃないかね」
「でもロイド君はこの間の戦闘中ずっと寝てたじゃない」
後ろから声が聞こえたので振り返れば、鎧をはずして結わえていた髪を下ろしているリィナが立っていた。
麻で出来た身軽な服を着ており、その姿はどう見てもそこらにいる女の子と大差が無い。むしろより子供っぽい印象が強く残っている。
「おうリィナ、今度は出かけるときゃあ剣は必ずもっていけよ!」
半裸熊がガハハハハと下品に笑いながら、どっこいしょと重い腰を上げ禿げ頭をぼりぼりと掻いて立ち去っていった。
その開いた地べたにぺたんと腰をおろしたリィナは、目の前にある新しい皿を取ってスープを注ぎ始めた。
「どこ行ってたんだ?」
「近くの湖だよ。あんなに動いたから、汗掻いちゃったし水浴びしてきたんだー」
「なんだ、湖なんてあったんだ。俺も後で行って大丈夫かな?」
「大丈夫だと思うよ。それより、なにか分かることあった?」
一樹は首を横に振る。
そう、とリィナは小さく返した。
飛び散る火花と遊んでいるドラゴンは、周りが見えなくなっているのか寝ていた隊員の腹を踏んで転んだ。
起き上がったドラゴンがむくれたように翼を広げ、一樹の頭の上に着地し背伸びをする。
「アハハっ、そのベビードラゴン、カズキ君の頭の上が気に入ったみたいね」
「重いんだけどなぁ……」
クスクスと笑っているリィナを傍目に一樹は、自分の背が縮むのではないかといらぬ心配をする。
その行動を見ていたロイドが、
「で、話は戻るけどよ。俺らはこれから首都に戻る。より正確な情報を得たいなら、護衛も兼ねて送るけど、どうする?」
「……出来れば世話になりたいかな」
「うん、決まりだね」
「今度はリィナと違って、魔物に襲われるようなヘマはしないから安心していいぞ」
ロイドは真っ白な歯をむき出しにして笑った。
襲われた身としては笑い事では無かったのだが、この男にとっては笑い事らしかった。
「カズキ君、ロイド君にそのことしゃべっちゃったの……?」
「え、いや、同じ場所で飯食べてたら話をせざるを得なくなって、」
「リィナ、カズキを攻めるな。元はといえば偵察に行って剣を忘れたお前が悪い」
「そ……れは、そうなんだけど」
「そんなんだからいつまで経っても”コルクのリィナ”なんだよ」
コルク? と一樹は首を傾げる。
「なぁロイド、なんだそのあだ名」
「それはだな、コイツが以前―――」
「あー! ダメダメそれ言ったらダメェ!」
リィナは一樹のすぐ耳元でロイドの言葉をかき消すべくぎゃんぎゃんと騒いだ。それでも言葉を止めないロイドに、顔を真っ赤にしながら手をぶんぶんと振り回す。
他の隊員はそんなやり取りを見ながら笑っている。
耳を塞ぎながら一樹は思った。見てないで助けろよ、と。