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切り札の男  作者: 古野ジョン
第三部 怪物の夢

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第三十三話 つるべ打ち

 試合は進んでいくが、スコアは〇対二のままだった。二回以降の金井は制球が安定し、カットボールがいいコースに決まるようになった。雄大たちはなかなかそれを打てず、追加点を奪えずにいる。


 五回裏、大林高校は二死三塁のチャンスを作り、打席に青野が入っていた。好機とばかりに応援団も大きな声を出しているが、青野はワンボールツーストライクに追い込まれている。


「いいぞ金井ー!!」


「決めろー!!」


 藤山高校の内野陣も声を出し、金井を盛り立てている。金井はサインを交換すると、セットポジションに入った。そして小さく足を上げ、四球目を投じる。白球が弧を描き、本塁へと向かっていった。


(カーブ!!)


 青野はなんとかこらえようとするが、待ち切れない。そのまま空振りすると、金井が雄叫びを上げた。


「ストライク! バッターアウト!!」


「っしゃあ!!」


 この回も無得点に終わり、大林高校の応援席はため息に包まれた。二点のリードがあるものの、試合の流れを掴めているとは言い難い状況だ。


「次の回だぞ、皆!!」


 雄大は声を張り上げ、部員たちを元気づけている。一方でリョウはここまで二安打無四球と完璧に藤山打線を抑えていたが、その表情には緊張感が現れていた。


「リョウ、ちょっとしんどそうですね」


「集中して投げてるみたいだからね。加賀谷くんにはいつでもいけるようにって伝えてあるけど」


 まだリョウは無失点ではあるものの、まなは継投も視野に入れていた。リョウは去年よりも投手として大きく成長しており、課題だったスタミナ不足も克服しつつある。それでも彼はまだ二年生であり、成長途中だったのだ。


 そして――レイとまなの不安は的中することになる。六回表、リョウは先頭の九番打者にセンター前ヒットを許してしまった。先頭打者の出塁で勢いづく藤山高校とは対照的に、彼の表情は険しい。


「リョウ、ランナーは気にするなよ。思い切って腕振っていけ」


 一塁の雄大も心配し、声を掛けていた。リョウは何回か頷き、マウンドへと戻っていく。打順が一番に戻ることもあり、藤山高校にとっては反撃のチャンスとなった。


(嫌な流れだな。火がつくと止まらない打線だし、早めに切りたい)


 芦田は今の状況に危機感を覚えていた。なかなか大林高校が得点を挙げられないでいる中、藤山高校がノーアウトのランナーを出したのだ。試合が徐々に動きつつあった。


「「フレー、フレー、ふーじやまー!!」」


 ますます応援団が活気づく中、一番の右打者が打席に入った。二点差ということもあってかバントの構えはしていない。芦田は内野陣に対してゲッツーシフトを指示していた。


 打者に対して、リョウは丁寧に低めを突いていく。もちろんゴロを狙っての配球だが、打者も簡単には引っ掛からない。カウントがスリーボールワンストライクとなり、リョウにとって不利な状況となった。


「打たせてこいよ、リョウー!!」


 一塁についている雄大が大きな声で叫んだ。リョウは苦しそうに汗を浮かべ、少し息を切らしている。彼は五球目に真っすぐを投じたが、少し高めに浮いてしまった。打者はそれを見事に捉えると、一二塁間を破ってライト前に運んでいった。


「よっしゃー!!」


「ナイバッチー!!」


 これで無死一二塁となり、ピンチが広がった。藤山高校の選手たちは勢いを増していき、リョウに襲い掛かろうとしている。いくらメンタルの強い彼といえども、プレッシャーを感じないわけがなかった。


 続く二番打者にはあっさりと送りバントを決められ、一死二三塁となった。ここで登場するのが、三番の佐藤だ。彼は第一打席でリョウからレフト前にヒットを放っている。大林高校にとってはますます厳しい状況となった。


 ここで芦田がタイムを取り、マウンドへ向かった。彼は守備位置や配球について確認をしつつ、リョウの調子を探っていた。


「リョウ、正直どうだ?」


「結構キツイですね。こうもポンポンやられると」


「そうか。加賀谷に代わるか?」


 芦田がそう尋ねると、リョウの表情が変わった。彼は大きく深呼吸をして、はっきりと答える。


「いえ――僕が投げます」


「そうか、お前らしいな」


 芦田はミットでポンとリョウの胸を叩き、本塁へと戻っていった。たとえ厳しい状況でも、自分からマウンドを降りることはしない。彼の投手としての矜持が、今まさに表れていた。しかし――試合の流れは、確実に藤山高校へ傾いていたのである。


「三番、サード、佐藤くん」


 アナウンスが流れ、佐藤が打席に入った。彼は塁上の走者を見て、落ち着いてバットを構える。芦田は低く構え、スローカーブを要求した。


(初球でカーブは予想していないはず。裏をかいてやろう)


 リョウもそのサインに頷き、セットポジションに入る。小さく足を上げ、要求通りにスローカーブを投じたが、佐藤はスイングを開始した。彼は一拍待ってバットを始動させており、タイミングがばっちりと合っていた。


「なっ……」


 裏の裏をかかれた芦田は、思わず声を出す。佐藤は完璧にバットを合わせ、センター方向に打ち返してみせた。


「ショート!!」


 潮田が飛びついたが、打球はそのままセンター前に抜けていった。三塁ランナーが生還し、一点差となってしまう。リョウは打たれたことに対し、悔しがるというより驚いていた。


「いま、カーブに張ってたんですか?」


「分からない。こういう流れなのかもね」


 レイも驚いており、まなは険しい表情でマウンドの方を見つめていた。そして次の打者が現れ、球場中がさらに沸き上がる。


「四番、センター、牧原くん」


「チャンスだぞー!!」


「決めろー!!」


 一死一三塁という状況で、迎えるは相手の四番打者。大林高校にとっては同点のピンチであり、芦田は野手に中間守備をとるよう指示を飛ばしていた。


(同点は避けたいが、あまりこだわると大怪我しそうだな)


 芦田は初球、低めのスクリューを要求した。内野ゴロを打たせて、あわよくばゲッツーを取ろうかという狙いだった。リョウもその考えに同意して、セットポジションに入る。彼は一塁走者をちらりと見て、再び前を向いた。そして小さく足を上げ、第一球を投じた――


「「うそっ!?」」


 次の瞬間、ベンチのマネージャー二人が大きな声を出した。佐藤同様、牧原も初球から完璧なタイミングでバットを振り抜いたのだ。鋭い打球が三遊間を破り、レフト前へと抜けていく。


「っしゃー!!」


「ナイバッチー!!」


 三塁走者が生還し、これで二対二の同点となってしまった。リョウは失投したわけではなく、しっかりと低めのコースにスクリューを投じていた。だからこそ、バッテリーも打たれたことが信じられなかった。


(まずい。向こうがどんどん勢いづいて、何を投げても打たれるフェーズに入ったのか)


 芦田は血の気が引くような思いだった。今年の藤山高校が強い理由は、その打線にある。一度打ち始めると誰にも止められず、あっという間に相手と大差をつけてしまうのだ。今まさに、雄大たちもその脅威に晒されていた。


「芦田くん!!」


 その時、ベンチのまなが大きな声で叫んだ。彼女はレフトを指さし、静かに頷く。芦田もその意図を理解し、審判に選手交代を告げた。リョウは意外な表情をしたが、やむなしといった感じでうつむいた。


「まな先輩、早くないですか?」


「まだ同点だけど、このままじゃ飲まれる。リョウくんは不服かもしれないけどね」


 レフトから加賀谷が走ってきて、ベンチでは選手たちがグラブとミットを用意している。間もなくアナウンスが流れ、球場がざわつき始めた。


「大林高校、シートの交代をお知らせします。ピッチャーの平塚くんが、ファースト。ファーストの久保雄大くんが、レフト。レフトの加賀谷くんが、ピッチャー。以上に代わります」


 雄大はグラブを受け取り、レフトへと向かおうとする。しかしその前に、マウンドを降りようとするリョウに声を掛けた。


「お前はよく投げたぞ、気にすんな!!」


 その一言に、下を向いていたリョウが顔を上げた。雄大の言う通り、決してリョウは悪い投球をしたわけではない。ただ、藤山高校の勢いが彼を上回ったということなのだ。


 雄大は加賀谷とすれ違った際にも声を掛け、励ましていた。こうした事態に主将が出来ることは、ただただ他の部員を鼓舞することだけ。雄大はそのことを理解していた。


 加賀谷が投球練習を終えると、試合が再開される。状況は一死一二塁であり、芦田はゲッツーシフトを敷いた。打席には五番の右打者が入り、藤山高校の応援団はさらに勢いを増している。


「加賀谷先輩、落ち着いていきましょう!!」


 一塁に入ったリョウは、その声で加賀谷を盛り立てていた。しかし予想外に早く登板機会が訪れたせいか、加賀谷はなかなか制球が定まらない。


「バッター見ていけよー!!」


「狙っていけー!!」


 芦田はなんとかゾーン内に投球を集めようと苦心したが、加賀谷はどうにも力が抜けなかった。最後はストレートが大きく外れ、四球となった。これで一死満塁となる。


「ボール、フォア!!」


「オッケーオッケー!!」


「ナイスセンー!!」


 投手が交代しても、藤山高校に傾いた球場の雰囲気はなかなか変わらない。さらに悪いことに、次の打者は好投を続けている金井である。芦田はもう一度タイムを取り、マウンドへと向かった。


「加賀谷、まだ力入ってるぞ」


「わりい。今ので肩あったまったから、もう少しましになるとは思う」


「満塁だし、前進守備でホームゲッツー狙いだ。低め中心でいくぞ」


「ああ、それで頼む」


 話し合いを終え、芦田は本塁へと戻っていく。場内アナウンスが流れ始め、金井がゆっくりと左打席に向かって歩き出した。


「六番、ピッチャー、金井くん」


「決めろー!!」


「点取って行こうぜー!!」


 ここまで金井から思うように得点出来ていない以上、大量失点だけは避けなければならない。芦田は前進守備を指示した後、配球について慎重に考えていた。


(フォアボールの後だし、狙われてるかな)


 彼は、初球にフォークボールを要求した。加賀谷の持ち球は、フォークとスライダーである。四球の後、打者は初球を狙うのがセオリーである。芦田は、フォークボールでうまくかわそうと考えていたのだ。


 加賀谷はサイン交換を終えると、セットポジションに入った。各塁の走者は一斉にマウンドを見つめ、圧力をかけようとしている。それでも気にせず、彼は初球を投じた。要求通り、フォークボールが低めの軌道で飛んでいく。金井は豪快に空振りし、まずワンストライクだ。


「ストライク!!」


「ナイスボール!!」


 芦田は手ごたえを感じ、力強く返球した。加賀谷も頷きながらそれを受け取り、小さく息を吐く。金井は軽く素振りをしながら、二球目を待っていた。


(今の空振りを見る限り、直球に張っているみたいだな。もう一球だ)


 バッテリーは二球目にもフォークを選んだ。加賀谷は各塁の走者を目で牽制しつつ、第二球を投じる。金井は再び空振りし、これでツーストライクと追い込まれた。


「加賀谷先輩、押してる押してるー!!」


「いいぞ加賀谷ー!!」


 後ろを守る野手たちからも懸命な声援が飛ぶ。加賀谷は三球目に高めの釣り球を投じたが、これは金井が見逃した。カウントはワンボールツーストライクとなり、芦田は内角の直球を要求した。


(金井は変化球を意識しているはず。これで刺せる)


 加賀谷もその考えに同意して、セットポジションを取った。藤山高校の応援団は威勢よく金井を後押ししている。日差しがますます厳しくなる中、加賀谷は第四球を投じた。しかし、直球が要求よりもやや真ん中寄りに入ってしまう。


(甘い!!)


 芦田がそう思うが早いか、金井はスイングを開始した。しかし、やはり変化球を意識していたのか、彼は詰まらされてしまった。鈍い金属音が響き、打球が左方向に舞い上がる。


「レフトー!!」


「よっしゃー!!」


「ナイバッチー!!」


 ふらふらと飛んでいく打球を見て、芦田が大声で指示を出した。藤山高校のベンチは早くも勝ち越しを確信して、歓声を上げている。レフトの雄大は定位置からやや下がり、捕球体勢を取っている。


「タッチアップ、どうですか!?」


「微妙だけど、今の藤山ならスタートしてくるかも」


 三塁ランナーの佐藤は塁についており、タッチアップの構えを取っていた。彼が生還すれば三対二となり、藤山高校が一歩前に出ることになる。観客たちの視線が三塁に集まる中、雄大がフライを捕球した。


「ゴー!!」


「「来たっ!!!」」


 佐藤がスタートを切ったのを見て、マネージャー二人は思わず叫んだ。彼は全力疾走で、本塁へ向かって突き進んでいく。しかし、次の瞬間――観客たちがどよめいた。雄大がその強肩を活かして、矢のような返球を見せたのである。白球は地を這うような低い弾道で、重力に逆らって進んでいく。


「つっこめ佐藤!!」


 すっかり勝ち越しムードだった藤山高校のベンチも、慌てて佐藤に指示を飛ばしていた。彼が本塁に滑り込むのと同時に、芦田が送球を捕ってタッチする。どちらが早いのか、スタジアム中の視線が審判に集まっていたが――


「アウト!!」


 次の瞬間、一気に歓声が巻き起こった。雄大はガッツポーズを見せながらベンチへと下がっていく。藤山高校の選手たちが何が起こったのか分からず、ただただ呆然としていた。


 雄大たちはなんとか同点までで藤山高校の攻撃を食い止めることに成功した。しかし、なかなか主導権を奪い返すまでには至らない。勝利の女神は、果たしてどちらに味方するのか――

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