第三十話 一刀両断
試合は進み、七回裏。この回は大林高校がチャンスを作り、一死満塁となって打席に九番の潮田が入っていた。終盤に差し掛かっていることもあり、応援団の声援も勢いを増していた。
「「かっとばせー、しーおたー!!」」
「今度こそチャンスをものにしたいですね」
「うん。もう七回だし、流石に同点にしないと」
ベンチでも、レイとまなが焦りを見せていた。潮田はなんとか足立の球に食らいついており、フルカウントとなっている。バッテリーはなかなかサインを決められず、足立は何度も首を振っていた。
「粘っていけよ潮田ー!!」
雄大は投球練習を行いながら、打席に向かって大声を張り上げていた。足立はセットポジションから、第七球を投じる。インコースへの直球で、潮田はなんとかバットを出していった。しかし鈍い金属音が響き渡り、打球はワンバウンドで足立のグラブに収まった。
「ホーム!!」
捕手が指示を飛ばすと、足立は素早く本塁へと送球した。三塁ランナーがアウトになると、捕手はしっかりと一塁に送球し、打者走者の潮田を刺した。これでホームゲッツーとなり、七回裏が終わった。
「ナイス足立ー!!」
「オッケー!!」
盛り上がる和泉高校の内野陣とは対照的に、潮田は悔しそうに空を見上げていた。雄大は一連のプレーを見届けたあと、何も言葉を発さずにマウンドへと歩いて行った。
「久保先輩、プレッシャーでしょうね」
「もう一点も取られるわけにはいかないからね。雄大も神経使ってると思うよ」
マネージャーの二人は、雄大の心境を慮っていた。八回表、和泉高校の攻撃は七番の左打者からだ。雄大は彼に対し、直球で丁寧にコーナーを突いていく。
「ナイスボール久保!!」
「いいぞー!!」
大林高校のナインも必死にマウンドへ声援を飛ばしていた。得点が奪えぬ中で、雄大は孤軍奮闘している。他の選手たちも、その姿を見て何も感じないわけはなかった。
雄大は打者をワンボールツーストライクに追い込み、四球目に低めのストレートを投じた。打者は振り遅れ、左方向にぼてぼてのゴロを打ち返した。
「ショート!!」
芦田が声を出すと、潮田が猛チャージを見せた。その勢いのままに打球を拾い上げると、彼は素早く一塁に送球した。タイミングは際どかったが、塁審の右手が上がった。
「アウト!!」
「ナイス潮田ー!!」
「ナイスー!!」
先ほどのゲッツーもあり、潮田は気合いの入ったプレーを見せていた。雄大も拍手を送り、彼のことを讃えている。
続いて、八番の右打者が打席に入った。雄大はカットボールをしつこく投げ、なかなか芯に当てさせない。最後は打者が音を上げ、セカンドゴロになった。これでツーアウトだ。
「ツーアウトツーアウトー!!」
「ナイスピー!!」
雄大は二本の指を立て、周囲とアウトカウントを確かめ合っていた。彼は淡々と打者と勝負し、しっかりと打ち取っている。そのテンポの良い投球が、徐々にチームに勢いを生み始めていた。
そして、九番打者が左打席に入った。雄大は表情を変えることなく、直球を投げ込んでいく。既に八回だが、依然として彼の直球の勢いは衰えておらず、打者もタイミングを掴むことが出来ていなかった。
「狙っていけー!!」
「打てるぞー!!」
和泉高校のベンチからも、打者に向かって声援が飛んでいる。カウントはツーボールツーストライクとなり、雄大は第五球を投じた。打者はバットを振り抜いたが、捉えきれなかった。やや詰まった打球が、右方向へと舞い上がる。
「ライトー!!」
雄介は快足を飛ばして落下地点へと向かっていき、走りながら打球を捕った。これでスリーアウトとなり、あっという間に八回表が終わった。
「っしゃー!!」
「ナイスピー久保ー!」
「ナイスー!!」
応援席から歓声が巻き起こる中、雄大はほっと息をつき、マウンドを降りていった。八回裏、大林高校の攻撃は一番の雄介からだ。雄大が三者凡退で抑えたことで、再び大林高校に流れが傾いている。雄介がライトから走ってきて打席に入る準備をしていると、雄大が声を掛けた。
「おい、雄介」
「なんすか?」
「自分の立ち位置、分かってるよな」
「もちろんっす。あと二回しかないし、俺が出ないとヤバいっすよ」
「分かってるなら大丈夫だ。気合い入れていけよ」
「おう!!」
そう言って、雄介はベンチを飛び出して行った。まなは一連の会話を見て、雄大に問いかけた。
「ねえ、あんなプレッシャーかけていいの?」
「いいんだ。アイツはこれくらいで潰れる奴じゃない」
「そうなの?」
「だって――アイツは、自英学院の一番打者だぜ」
雄大は打席の方を見つめたまま、誇らしげにそう言った。雄介が兄を自慢に思っているのと同じで、雄大も弟のことを誇りに思っていたのだ。
「一番、ライト、久保雄介くん」
「頼むぞ雄介ー!!」
「しっかりなー!!」
スコアは依然として二対一であり、雄大たちは徐々に追い詰められつつある。しかし観客たちもは、去年のベスト四進出校である大林高校の奮起を期待していたのだ。
雄介が左打席に入ると、足立はじっと捕手のサインを見つめた。そして投球動作に入り、第一球を投じる。ストレートが大きく外れ、ボールとなった。
「ボール!!」
「いいぞー!!」
「よく見ていけー!!」
大林高校のベンチが声を張り上げ、雄介を励ましていた。足立も足立で、大林打線からのプレッシャーを受け続けて既にかなりの体力を消耗していたのだ。彼は雄介に対して果敢に攻めていくが、ゾーンに収まらない。カウントはスリーボールノーストライクとなった。
「足立、楽にいけよ」
捕手はマウンドに対して、そう声を掛けていた。一方で、雄介は真剣な表情でバットを構えている。普通なら一球待つカウントだが、彼は打ちに行く気だったのだ。
「アイツ、打つな」
「ビハインドだし、待った方が」
「お前が一番バッターに選んだんだから、信じてやれよ」
「それは……そうだけど」
ベンチでは、まなと雄大が話し合っていた。まなは心配そうに雄介を見つめていたが、雄大は安心した表情だった。
そして、足立が第四球を投じた。カウントを取りに来た直球だったが、雄介はバットを始動させた。そのまま芯でボールを捉え、右中間に弾き返してみせる。カキンという快音が響き、速い打球が外野へと飛んでいった。
「よっしゃー!!」
「回れ回れー!!」
雄介はあっという間に二塁に到達し、これでツーベースヒットとなった。ノーアウトでの出塁に、大林高校の観客席は一気に盛り上がる。
「ナイバッチ雄介ー!!」
「いいぞー!!」
これで無死二塁となり、打席には二番の青野が向かっていった。まなが送りバントのサインを送ると、彼はしっかりと頷き、バントの構えに入った。
和泉高校の内野陣もバントシフトを敷き、三塁でのアウトを狙う構えだった。捕手も高めの球を要求し、簡単にバントをさせないという意思を表していた。
「楽にいけよ足立ー!!」
「決めていこうぜ青野ー!!」
八回裏ということもあり、両軍の必死な声援が入り乱れていた。足立はセットポジションに入り、雄介の動きを窺っている。そして小さく足を上げ、初球にインハイの直球を投じた。しかし青野はそれを物ともせず、あっさりと三塁方向に転がしてみせた。
「ファースト!!」
三塁手が前進して打球を拾い上げると、捕手が指示を出した。一塁に送球されて青野はアウトになったが、一死三塁で三番のリョウを迎えることとなった。
「青野先輩、こういうときは頼りになりますね」
「二番を任せてよかったよ」
ベンチでは、レイとまなが青野の技術に感心していた。間もなく場内アナウンスが流れ、大林高校の応援団が一気に沸き上がった。
「三番、ファースト、平塚くん」
「頼むぞー!!」
「同点にしようぜー!!」
リョウは引き締まった表情で、ネクストバッターズサークルから歩き出した。自らのバットで点を取ろうという決意が、その顔に現れていたのだ。一方で和泉高校の捕手も前進守備の指示を出しており、なんとしても同点を防ごうという姿勢を見せていた。
「頼むぞリョウー!!」
雄大もベンチから歩き出しつつ、リョウに向かって声援を送っている。一点ビハインドの八回裏、チャンスでクリーンナップに回る。これ以上ない同点のチャンスだった。
「ここですね。リョウが返せればベスト」
「そうだね。でも欲を言えば、ランナーありで雄大に回したい」
「同点止まりじゃダメ、ってことですか?」
「そういうこと。ここで一気に決めきれるようじゃないと、甲子園には届かない」
レイに対して、まながはっきりとそう告げた。バッターボックスでは、リョウが必死に足立の球に食らいついている。彼が第一打席でフォークをすくい上げて犠牲フライを打ったこともあり、バッテリーは直球で力押ししていた。
「まっすぐばかりですね」
「変化球を打ち上げられるのを警戒しているんだと思う。リョウくん、我慢だね」
レイとまなはバッテリーの配球について話し合っていた。カウントはツーボールツーストライクとなり、リョウが追い込まれた。
「いけるぞ足立ー!!」
「攻めていけー!!」
和泉高校の内野陣は、足立に力強くエールを送っている。バッテリーは慎重にサインを交換し、リョウの動きを窺っていた。
(雄介くんなら内野ゴロでも帰ってこれる。最悪なのは三振と内野フライだ)
リョウは自分が何をすべきか考えを整理し、バットを強く握りなおした。捕手は直球を要求し、インコースに構える。足立はそれに同意し、セットポジションに入った。
「「かっとばせー、ひーらつかー!!」」
応援団が大きな声を張り上げる中、足立は五球目を投じた。要求通り、内角に力強いストレートが向かっていく。リョウはそれを見て、一気にスイングを開始した。
(しまった、詰まらされる!!)
しかし体の始動がわずかに遅れてしまい、芯では捉えられそうにない。リョウは焦ったが、そのままバットを振りぬいた。ガチンという鈍い音が響き、ボールがバットの根元に当たった。打球はぼてぼてと一塁側に転がっていったが、そのまま切れていった。
「ファウルボール!!」
審判のコールを聞き、リョウはほっと息をついた。足立は悔しそうな表情でボールを受け取り、再び捕手のサインを見つめている。リョウも深呼吸で心を落ち着かせたあと、再びバットを構えた。
「リョウ、お願い……」
ベンチではレイが祈るようにリョウを見つめていた。足立が力で抑え込むか、リョウがその技術ではじき返すか。足立はセットポジションから、六球目を投じた。
(またインコース!!)
その球の軌道を見て、リョウはスイングを開始した。さっきと似たような直球が、胸元めがけて突き進んでいく。リョウはうまく肘を抜き、打ち返してみせた。やや力のないゴロが、右方向へ飛んでいく。
「ファ……セカン!!」
捕手の指示が飛び、一塁手と二塁手が打球に飛びつこうとする。勢いのない打球だったが、和泉高校が前進守備を敷いていたことが幸いし、そのまま一二塁間を抜けていった。
「っしゃー!!!」
その打球を見て誰よりも大きな声を上げたのは、ネクストバッターズサークルで待っていた雄大だった。弟が出塁し、自分を慕う後輩が返す。彼にとって、何よりも嬉しい援護点だった。
「ナイバッチ平塚ー!!」
「いいぞー!!」
観客席からも大きな声援が飛び、リョウもガッツポーズで応えていた。一方で打たれた足立は思わず膝を地面につき、悔しそうにしていた。和泉高校の打線が追加点を挙げられていなかったこともあり、彼の心はもはや折れかけていたのだ。
「四番、ピッチャー、久保雄大くん」
「いけー!!」
「お前が決めろー!!」
こうなれば、この男の本領発揮である。彼は声援を背に受けて打席に向かうと、威圧するように堂々と構えた。状況は一死一塁で、和泉高校もゲッツー態勢を敷いて必死の守りを見せていた。しかし、「怪物」には関係がなかったのだ。
足立は肩で息をしながら、セットポジションに入る。そして第一球にストレートを投じたが、甘く入ってしまった。投げた瞬間、足立は青ざめたが、時すでに遅し。とんでもない金属音が響き、打球が高く高く舞い上がった。
「いった!!」
「勝ち越し!!!」
その放物線を見て、ベンチの部員たちは口々に言葉を発した。まなも本塁打を確信し、笑顔で手を叩いている。そして雄大が右手を突き上げると――
白球が、バックスクリーンに吸い込まれた。




