第二十七話 弟と後輩
和泉高校と大林高校の準々決勝は、雄大が二失点という意外な展開で幕を開けた。未だどよめきが収まらない中、雄介がベンチを出る。アナウンスが流れ、応援団が彼に声援を送っていた。
「一回裏、大林高校の攻撃は、一番、ライト、久保雄介くん」
「頼むぞー!!」
「お前が出ろー!!」
雄介は左打席に入ると、マウンドの足立と対する。彼はベンチに座る雄大をちらりと見て、自らに気合いを入れていた。
(兄貴が打たれたんなら、俺がやり返すしかねえ)
足立は大きく振りかぶり、第一球を投じた。外角への直球だったが、僅かにゾーンから外れていた。雄介はしっかりと見逃し、これでワンボールとなった。
(たしかに速いけど、兄貴ほどじゃない。これなら打てる)
雄介は今の球を見て、自らの打力で十分に対処できるものだと判断した。続いて、足立は第二球を投じる。カウントを取りに来たストレートであり、雄介は思い切ってバットを振り抜いた。カーンという快音が響き、打球が足立の左を抜けていく。
「ショート!!」
捕手が大声で叫び、遊撃手の鎌田が飛びついたが間に合わない。打球はセンター前に抜けていき、これで雄介が一塁に出塁することとなった。
「っしゃー!!」
「ナイバッチ雄介ー!!」
雄大の失点で暗くなっていたベンチが、一気に明るくなった。俊足の雄介が出塁したことで、「何か起こりそう」という空気が生み出されていたのだ。
「兄貴ー!!」
雄介はベンチに向かって叫び、雄大に向かって親指を立てた。気落ちしていた雄大も、それを見て少し笑みを浮かべていた。
「……ったく、敬語使えってのに」
そう言いながらも、彼は弟が出塁したことを喜んでいた。続いて、二番の青野が右打席に入る。雄介は大きくリードを取り、足立の隙を窺っていた。
「まな先輩、どうするんですか?」
「雄介くんには走っていいって伝えてある。二点差だけど、彼なら走れるでしょ」
レイが雄介について尋ねるとまなはそう答えた。彼女の言葉通り、雄介は自分の足なら盗塁できる自信があった。足立は何度か一塁に牽制球を送ったが、雄介のリードは大きいままであった。
「足立、ランナー気にするなよ」
その様子を見て、遊撃手の鎌田が声を掛けていた。足立はセットポジションに入り、一塁をちらりと見る。そして前を向くと小さく足を上げ、青野に対して第一球を投じた。
「ランナー!!」
次の瞬間、一塁手が大声で叫んだ。再三の牽制にも関わらず、雄介は迷わずスタートを切ったのだ。捕手も素早く送球したが、間に合わない。雄介は余裕でセーフとなり、これで無死二塁となった。
「っしゃー!!」
「ナイスラン雄介-!!」
大林高校のベンチから、雄介を讃える声援が飛んでいた。雄大もガッツポーズを見せ、その盗塁を喜んでいた。その後、青野はライトフライに倒れたが、雄介はタッチアップして三塁へと到達した。そして、ネクストバッターズサークルからリョウが歩き出していく。
「三番、ファースト、平塚くん」
「頼むぞリョウー!!」
「打てよー!!」
リョウは左打席に入り、足立と対した。和泉高校の内野陣は前進守備を敷いておらず、一点やむなしの姿勢を見せている。
(俺が点を取られたとき、久保先輩は必ず取り返してくれていた。だったら、今度は俺が返す番だ)
打席のリョウは、ネクストバッターズサークルで待つ雄大を見た。リョウにとって、雄大は憧れの先輩だ。だからこそ、一点でも返そうという気概を強く持っていたのだ。
「「かっとばせー、ひーらつかー!!」」
応援団は元気よくリョウの背中を押している。足立は三塁ランナーの雄介に気を配りつつ、慎重に捕手とサインを交換していた。やがてセットポジションに入ると、小さく足を上げて初球を投じた。力のある直球が、アウトコースいっぱいに進んでいく。
(外!!)
リョウは見逃したが、審判の右手が上がった。まずワンストライクとなり、和泉高校の内野陣は大きな声を出していた。
「いいぞ足立ー!!」
「オッケーオッケー!!」
盗塁と進塁打で心を乱していた足立だったが、ストライクを取れたことで少し落ち着いていた。一方で、リョウも脳内を整理して、再びバットを強く握った。
(追い込まれるまで、狙いはストレート。最低でも一点は取る)
続いて、足立は第二球を投げた。今度は外角のボールゾーンへの直球で、リョウはしっかりと見逃した。これでカウントはワンボールワンストライクだ。
「見えてる見えてるー!!」
「狙っていけー!!」
ベンチからは必死の応援が続いている。雄大もじっとリョウの方を見て、得点を祈っていた。足立はセットポジションから、第三球を投じる。インコースへの直球だったが、リョウは捉えきれなかった。ファウルとなり、これで彼は追い込まれた。
「ファウルボール!!」
「いいぞ足立ー!!」
「追い込んでるぞー!!」
足立の持ち味は、あくまでその力のある直球である。バットコントロールに長けたリョウと言えど、コーナーに散らされてはなかなか打てるものではなかった。
(まずい、フォークもあるのに追い込まれた)
リョウは一度構えを解き、頭の中で考えを整理した。足立の持ち球はスライダーとフォークである。特にフォークは打者が空振りしやすく、大林高校にとって脅威となる球種だった。
(俺がフォークを打てなきゃ、皆に悪い印象を与えてしまう。打たないと)
リョウは改めて打席に入ると、しっかりとバットを構えた。足立は捕手とサインを交換して、セットポジションに入る。彼は三塁ランナーの雄介を警戒しつつ、小さく足を上げた。そして、右腕を振るって第四球を投じた。
(来た、真っすぐ!)
その球の軌道を見て、リョウはスイングを開始した。彼の目には直球に見えていたのだが――その球は、本塁手前で落下し始めた。
(フォークだ!!)
リョウはそれに気づくと、素早くスイングの軌道を修正した。左ひざを地面につけるように曲げて、うまく下からバットをすくい上げる。そのまま振り抜くと、快音とともに飛球がセンター方向に舞い上がった。
「センター!!」
捕手が大声で指示を飛ばすと、中堅手が落下地点に入った。やや浅いフライだが、雄介は三塁についてタッチアップの構えを見せている。捕球の瞬間、三塁コーチャーが大声で叫んだ。
「ゴー!!」
その声を聞き、雄介は迷わずスタートを切った。中堅手は捕球すると素早く送球体勢に入り、バックホームする。観客たちの視線が、一斉に本塁付近へと集まった。
「間に合えー!!」
ベンチでは、まなが大声で叫んでいた。捕手が送球を捕るのとほぼ同時に、雄介も本塁へと突入する。彼は捕手のタッチをかいくぐって、うまくホームベースの隅に触ってみせた。審判が両手を広げると、大林高校の応援席から大歓声が巻き起こった。
「セーフ!!」
「よっしゃー!!」
「いいぞ雄介ー!!」
うまくフォークボールをすくいあげたリョウと、好走塁を見せた雄介。二人の活躍によって、大林高校は見事に一点を返すことに成功したのだ。
「頼むぜ、兄貴ー!!」
「お願いします、久保先輩ー!!」
ベンチへ戻る二人を見て、雄大は笑顔を取り戻していた。彼が打席に向かうと、さらに大きな歓声が巻き起こる。
「四番、ピッチャー、久保雄大くん」
「一発頼むぜー!!」
「かっとばせー!!」
状況は二死走者なしと変わったが、一発が出れば同点の場面だ。当然観客たちの期待も大きく、スタジアム全体が盛り上がっていた。
和泉高校の捕手は外野手に後退するよう指示を出し、長打に備えていた。雄大は左打席に入り、足立と対した。
(弟と後輩に頼りっぱなしじゃあな。俺が打たないと)
足立はサインを交換すると、大きく振りかぶった。雄大もその投球動作に合わせ、テイクバックをとる。足立が第一球を投じると、雄大は迷わずスイングを開始した。
(来たっ、スライダー!!)
足立が初球に選んだのは、スライダーだった。左打者の雄大にとってはインコースに食い込んでくる球だが、彼はしっかりとバットを振り切った。快音が響き、大飛球が右方向に舞い上がる。
「ライトー!!」
捕手が指示を飛ばすと、右翼手が打球を見上げて後退し始めた。観客たちもどよめいており、打球の行方を見守っている。しかし雄大は悔しそうな表情でバットを置き、一塁方向へ駆け出した。右翼手はフェンスいっぱいまで後退したが、やがて前を向いた。そのまましっかりと打球を捕ると、今度は和泉高校の応援席から歓声が巻き起こった。
「オッケー!!」
「よく抑えたぞ足立ー!!」
強打者の雄大を抑え、足立はほっと胸を撫で下ろしていた。大林高校の選手たちも一瞬盛り上がったが、捕球されたのを見て悔しそうな表情を見せていた。
スコアが二対一のまま、試合は進んでいく。雄大たちは、同点に追いついて試合の主導権を奪い返すことが出来るのか――




