第二十六話 足元
一回表、和泉高校の攻撃。一番打者の鎌田が、ゆっくりと歩き出した。アナウンスが流れると、和泉高校の応援団が沸き上がる。
「一回表、和泉高校の攻撃は、一番、ショート、鎌田くん」
「出ろよ鎌田ー！！」
「ビビんなよー！！」
鎌田の持ち味は、なんといってもその俊足だ。芦田は立ち上がり、内野陣にセーフティバントを警戒するように指示を出していた。やがて鎌田が左打席に入ると、審判がプレイをかけた。
「プレイ！！」
その声で、鎌田はバットを強く握る。雄大も芦田とサイン交換をして、大きく振りかぶった。そして右腕を振るい、第一球を投じた。リョウと森下が前進してくるが、鎌田はバントの構えを見せなかった。投球がインコースに決まると、審判の右手が突き上がる。
「ストライク！！」
「ナイスボール！！」
芦田はそう声を掛けつつも、横目で鎌田の様子を窺っていた。彼はバントの構えを見せず、それでいてストレートに反応しなかった。何を狙われているのか、芦田は慎重に探っていた。
（次は、外でいってみるか）
彼は直球を要求して、アウトコースに構えた。雄大もそのサインに頷き、大きく振りかぶる。そして足を上げ、第二球を投じた。鎌田はそのコースを見て、スイングを開始した。
（高い！）
芦田はやや高めに浮いていることに気づき、ミットを上にずらした。しかし、彼の目の前にバットが現れる。鎌田は、そのまま左方向に流し打った。
「ショート！！」
芦田が潮田に指示を飛ばしたが、打球は三遊間を抜けていった。鎌田は塁上で手を揺らし、「しびれた」というようなジェスチャーを見せていた。
「二球目でいきなり打たれちゃいましたね」
「雄大にしては高かった。まだ肩があったまってないのかも」
マネージャー二人は、ベンチで今の安打を振り返っていた。続いて、二番の右打者が打席に入る。彼は打席に入ると、すぐにバントの構えを見せた。
（素直にバントで来るならありがたいが、果たして）
芦田は内野陣にバント警戒を指示しつつも、バスター等の他の作戦にも気を配っていた。彼が初球にインハイの直球を要求すると、雄大もそれに同意した。
（バントだろうが何だろうが、簡単にはさせねえぞ）
雄大はセットポジションに入ると、素早く一塁に牽制球を送った。鎌田は頭から帰塁し、ユニフォームを泥だらけにしている。雄大はリョウからの返球を受け取り、再びセットポジションに入った。少し鎌田のリードが小さくなったのを見て、雄大は第一球を投じた。
打者はバントの構えを変えず、そのままバットに当ててみせた。彼はインハイの球を苦にせず、絶妙な強さの打球を雄大の前に転がした。
「久保、ファースト！！」
俊足の鎌田は既に二塁に到達しようとしており、刺すことは難しい。雄大は一塁に送球して、確実にアウトを一つ取った。これで一死二塁となり、チャンスで好打者の野口を迎えることになった。
「三番、セカンド、野口くん」
「頼んだぞ野口ー！！」
「先制点取ろうぜー！！」
野口の名前が告げられると、和泉高校のベンチから大きな声援が飛び交っていた。芦田は外野陣に前進守備を指示して、バックホーム体勢を取らせていた。
「大林、初回から強気だな」
「先制点は避けたいんだろう」
観客たちは、その様子を見て話し合っていた。雄大は周囲とアウトカウントを確かめ合うと、ふうと息をついた。間もなく野口が右打席に入り、試合が再開される。
「「かっとばせー、のぐちー！！」」
スタンドからは、野口に向けた大声援が聞こえてくる。野口は真剣な表情でバットを構え、じっとマウンドの方を見つめていた。芦田はその様子を窺いながら、慎重に配球を組み立てている。
（コイツはバットコントロールがうまい。力で真っ向勝負だ）
芦田は直球を要求して、アウトコースに構えた。雄大もそのサインに頷き、セットポジションに入る。二塁の鎌田はやや大きくリードを取っており、雄大の気を散らそうとしていた。
（鬱陶しいな。初球の後、芦田が牽制してくれるだろう）
雄大はちらりと二塁を見て、再び前を向いた。そして素早く足を上げ、第一球を投じようとする。しかし次の瞬間、野口がバントの構えに切り替えた。
「「えっ！？」」
ベンチでは、マネージャー二人も驚いて目を見開いていた。雄大はそのまま右腕を振るったが、野口もバットを引かない。そのままセーフティぎみにバットに当て、三塁方向へと転がした。
「森下！！」
打球の勢いが強く、雄大は追いつくことが出来ない。彼は素早く三塁手の森下に指示を送った。二塁走者の鎌田は全速力で三塁を目指しており、野口も一塁目掛けて全力疾走を見せている。森下は打球を拾い上げると、なんとか一塁へと送球した。
「うぉっと！！」
しかし森下の送球が高くなってしまい、一塁のカバーに入っていた青野は飛び上がって捕球した。その分、打者の足が先に入り、一塁塁審は「セーフ」のジェスチャーを見せた。
「しまっ……」
「バックホーム！！」
森下が思わず声を漏らした瞬間、芦田が大声で青野に向かって叫んだ。なんと、鎌田が三塁を回って本塁を目指していたのだ。青野は慌ててバックホームしたが、送球がやや一塁側に逸れてしまった。芦田の懸命なタッチも及ばず、鎌田が本塁に生還した。
「ボールセカン！！」
今度は、二塁のカバーに入っていた潮田が叫んだ。打者走者の野口が、バックホームの隙に二塁を目指していたのだ。芦田は体勢を立て直して送球したが、これも間に合わない。二塁塁審が両手を横に広げると、スタンドが一気に沸き上がった。
「ナイスラン鎌田ー！！」
「すげえー！！」
「あの久保から点取っちまったー！！」
一死二塁から、まさかのセーフティバントでの失点。点を取られた大林ナインは呆然としており、特に雄大は口を一文字に結んで悔しがっていた。
「まさか、久保先輩がいきなり先制されるなんて」
「ちょっと想定外だね……」
レイとまなも、思わぬ事態にただただ驚くばかりだった。興奮冷めやらぬ中、場内アナウンスが流れ、和泉高校の応援席がさらに盛り上がった。
「四番、ピッチャー、足立くん」
「かっとばせよー！！」
「久保を打っちまえー！！」
足立はネクストバッターズサークルから歩き出し、左打席に入った。球場の雰囲気が和泉高校に傾きかけている中で、四番が打席に入る。雄大たちにとっては最悪のシチュエーションだった。
（足立には長打がある。簡単に外野前進は出来ない）
芦田は外野陣をもとに戻し、足立との対決に備えていた。雄大は険しい表情のまま、セットポジションに入る。状況は一死二塁で、変わらずピンチのままだった。
初球、雄大は外角低めいっぱいに直球を投じた。足立は見逃したが、投球はしっかりとストライクゾーンに収まっていた。審判の右手が上がり、大林高校の応援席からパチパチと拍手が巻き起こる。
「ストライク！！」
「オッケー、それでいいぞ」
芦田はそう声を出しながら、雄大に返球した。足立はバットを握り直すと、再び構える。和泉高校のブラスバンドは元気に演奏しており、選手たちを元気づけていた。
「「かっとばせー、あーだーちー！！」」
雄大は足を上げ、第二球を投じた。再び外の直球だったが、足立は打ちに行く。しかし振り遅れてしまい、三塁線を切れていくファウルとなった。
「ファウルボール！！」
「オッケー！！」
「追い込んでるぞー！！」
ツーストライクに追い込んだことで、今度は大林高校のナインが盛り上がっていた。足立はバットを短く持ち替え、軽く素振りをしている。
（当てに来るな。こういう器用さもあるのがいやらしい）
芦田はそれを見て、足立の打力に対する警戒感を増していた。雄大はもう一球外のストレートを見せたが、これはボールとなった。ワンボールツーストライクとなり、勝負のカウントとなった。
（散々アウトコースを見せたし、これでいこう）
芦田は内角へのカットボールを要求した。雄大はそれに頷くと、セットポジションに入って二塁ランナーを見た。外野はほぼ定位置で、打球に備えている。雄大はふうと息をつき、小さく足を上げて第四球を投じた。
白球は、芦田の要求通りにインコースへと向かっていく。足立はスイングを開始したが、捉えきれない。ボールがバットの根元に当たり、センター方向にふらふらと舞い上がっていく。
「セカン！！」
芦田が指示を飛ばすと、二塁手の青野が懸命に後ろに走って行く。二塁走者の野口はハーフウェーで様子を見ているが、間もなくスタートを切った。そして次の瞬間、打球がぽとりとセンター前に落ちた。
「よっしゃー！！」
「ナイバッチ足立ー！！」
中堅手の中村は猛ダッシュで前進し、打球を拾い上げてバックホームした。しかし野口が先にホームインして、和泉高校は二点目を挙げることに成功したのだ。
「っしゃー！！」
「二点目だー！！」
足立は一塁上でガッツポーズを見せ、喜びを露わにしていた。一方で、打たれた雄大は思わず膝に手を当ててうなだれていた。その後、彼はなんとか後続の打者を断ち、一回表を終えた。しかしスコアボードには「２」の数字が刻まれており、彼の心に重くのしかかっている。
「久保先輩……」
「雄大……」
雄大はベンチへと戻っていったが、その足取りは重い。マネージャー二人も心配そうに彼を見つめていた。悠北の強力打線を完封した雄大が、あっさり二点を取られる。そのことの持つ意味は大きかった。
試合は一回裏、大林高校の攻撃へと進んでいく。ナインは得点を挙げて雄大を援護することが出来るのか――
