第二十話 足がかり
八回表、大林高校の攻撃は九番の潮田からだ。彼は内海のボールに食らいついていったものの、レフトフライを打ち上げてワンアウトとなった。打順は一番に戻り、雄介がネクストバッターズサークルから歩き出す。
「一番、ライト、久保雄介くん」
「頼むぞ雄介ー!!」
「打てよー!!」
今日の雄介は三打席とも三振に打ち取られており、打線の中でも特に内海の球に合っていなかった。彼は外の変化球が見極められず、ボール球に手を出してしまっていたのだ。
「やっぱり雄介が出ないと話にならんな」
「うん、なんとかついていけるといいんだけど」
ベンチでは、雄大とまなが心配そうに打席の方を見ていた。一番打者の雄介が出塁できれば、クリーンナップにチャンスで回る確率が高くなる。それ故に、彼にかかる期待は大きかったのだ。
しかし、この打席でも雄介は内海の球に翻弄されていた。外のスライダーを振らされ、なかなか捉えることが出来ない。早くもワンボールツーストライクと追い込まれてしまった。
「やっぱキツイか……」
「ちょっと、あれ見て雄大」
雄大が諦めかけたその時、まながあることに気づいた。雄介が後ずさりをして、ベースから思い切り離れて立っていたのだ。
「アイツ、何してんだ?」
「ね、どうしたんだろう……」
雄介はニヤリと笑みを浮かべて立っている。内海は困惑した表情のまま、投球動作に入った。そして第四球として、外角へのスライダーを投じた。
(振らされる!!)
ベンチで見ていた雄大は三振を確信したが、雄介はピクリとも動かず見逃した。その様子を見て、まなが雄介の狙いに気がついた。
「そうか、ああすれば見分けなくていいんだ!」
「え、どういうことだ?」
「あそこに立てば『手が届かないところはボール球』って割り切れるんだよ」
「つまり、ああすれば中途半端なボール球に手を出さずに済むのか」
「そういうこと。雄介くん、思い切ったことをするわね」
実際、内海はかなり投げづらそうにしていた。彼は第五球にも外のスライダーを投じたが、雄介のバットは少しも動かなかった。今まで散々左打者を苦しめてきたスライダーが、ここに来て弱点を見せていたのだ。
「見えてるぞ雄介ー!!」
「狙っていけー!!」
フルカウントとなり、ベンチからも雄介に声援が飛んでいる。六球目、内海は真ん中付近へのストレートを投じたが、雄介はそれを見逃さなかった。彼は確実に逆方向へと弾き返し、三遊間を破っていった。これで一死一塁となり、二番の青野に繋ぐことが出来た。
「ナイバッチ雄介ー!!」
「いいぞー!!」
雄介が塁上で拳を突き上げると、観客席から拍手が巻き起こっていた。打席には青野が入る。彼は先ほどの打席で二塁打を放っており、悠北のバッテリーにとって警戒すべき打者の一人だった。森は彼の様子を窺いながら、配球を考えている。
(さっきツーベースを打たれてるし、ここも初球から狙ってくるかもしれん。カーブでタイミングを外すか)
森がカーブのサインを出すと、内海はそれに同意して、セットポジションに入った。彼は青野に気を取られており、走者には見向きもしていない。塁上の雄介が、それを見逃すはずもなかった。内海は小さく足を上げ、第一球を投げようとする。そのとき、悠北の一塁手が大きな声で叫んだ。
「ランナー!!」
雄介は迷わず、初球からスタートを切っていたのだ。森は送球体勢に移ろうとするが、カーブがワンバウンドになってしまった。これでは送球出来ず、雄介は簡単に二塁へと到達した。
「ナイスランー!!」
「ナイススチール!!」
雄介の盗塁で一死二塁となり、大林高校の応援団はさらに盛り上がりを増していた。この後、青野はセカンドゴロに打ち取られたものの、雄介は三塁へと進んだ。これで二死三塁となり、悠北高校はここでタイムを取った。伝令が走り、各選手に指示を伝達している。
一方で、まなもネクストバッターズサークルで待つリョウに対して伝令を送っていた。その様子を見て、レイがまなにその内容を尋ねていた。
「まな先輩、リョウに何を伝えたんですか?」
「雄介くんの真似をしろって伝えたの」
「なるほど、そういうことですか」
「そう。先制出来ればベストだけど、フォアボールで雄大に繋いでもらうってのもアリだしね」
リョウは伝来の話に頷き、軽く素振りをして待っていた。まもなくタイムが終わり、場内アナウンスが流れる。
「三番、ファースト、平塚くん」
「打てよ平塚ー!!」
「かっとばせー!!」
内海に相性が悪い左打ちとはいえ、リョウは好打者である。そんな彼が打席に向かえば、観客席が盛り上がるのも当然のことだった。
「頼むぞ、リョウ!!」
ネクストバッターズサークルへ向かいながら、雄大も大きな声を出していた。リョウは打席に入ると、やはりベースから大きく離れて立っていた。
(コイツも何かやってるな。スライダーで空振りが取れないなら、真っすぐしかない)
森はその構えを見て、外いっぱいに構えた。内海は小さく足を上げ、第一球を投じる。白球が綺麗な直線を描いて進んでいき、そのままミットへと収まると、審判の右手が上がった。
「ストライク!!」
「オッケー、ナイスボール!!」
森は力強く声を掛け、内海に返球した。レイは今の一球を見て、心配そうな表情でまなに話しかけていた。
「あそこに立ったら、変化球は見極められても外いっぱいの真っすぐに届かないんじゃ」
「レイちゃん、少しは弟を信用した方がいいよ」
「えっ?」
「次の一球、見ててごらん」
続いて、内海は第二球を投じた。今度も同じような外いっぱいの直球だったが、リョウは思い切り右足を踏み込んだ。森が驚く間もなく、快音を残して打球が左方向へと飛んでいく。しかし、僅かにファウルラインを切れていった。
「ファウルボール!!」
「惜しい~!!」
「ナイバッチー!!」
バッテリーは冷汗をかいたが、一方でリョウも仕留めきれなかったことを悔しがっていた。これでノーボールツーストライクとなった。内海は第三球にスライダーを投じたが、リョウは余裕の表情で見送った。
(向こうに打つ手はないはず。雄介くん、必ず帰すから)
リョウは何としても先制点を挙げるつもりで、強くバットを握り直した。森は苦し紛れに外のボールゾーンに構え、直球を要求している。すると、内海は何かを思いついたような様子で、そのサインに頷いた。
「「かっとばせー、ひーらつかー!!」」
内海はセットポジションに入り、三塁ランナーの雄介をちらりと見た。そして小さく足を上げると、左腕をいつもより低く下げ、サイドスローのようにテイクバックを取った。
(何!?)
ネクストバッターズサークルの雄大は、それを見て目を見開いた。リョウも驚いていたが、急いでテイクバックを取った。内海はそのまま、第四球を投じた。
通常より角度のついた直球が、森のミットに向かって突き進んでいく。リョウは先ほどと同様に右足を踏み込んだが、バットが及ばなかった。そのまま空振りすると、審判の右手が上がり、内海が雄叫びを上げた。
「ストライク!! バッターアウト!!」
「っしゃあ!!」
リョウはバットを見つめたまま、悔しがっていた。内海は周囲とハイタッチを交わしながら、ベンチに戻っていく。雄大はその様子を見て、彼の投手としての本能を見せつけられた思いがしていた。
(ああまでして抑えてくるとは、悠北でエースナンバーをつけるだけはあるな)
結局大林高校は得点を挙げることが出来ず、試合は八回裏へと進む。悠北高校の攻撃は六番からだ。依然として雄大の勢いは衰えておらず、先頭打者は内野フライに打ち取った。続いて七番打者が打席に入ったが、こちらも三振に打ち取ってみせた。
「ツーアウトツーアウトー!!」
「ナイスピー久保ー!!」
雄大はあっさりツーアウトを取ってみせたが、油断せずにネクストバッターズサークルを見据えていた。彼の視線の先にいたのは、八番の左打者。そう、次の打者は――
「八番、ピッチャー、内海くん」
エースの内海だったのだ。八回裏ツーアウト、ランナーなし。大林高校がしっかりと抑え、九回表の攻撃に繋げるか。それとも、エースの内海が自ら先制の糸口を掴むのか。試合の行方は、両エースの対決に託されていた――




