第十七話 新球
尾田が安打で出塁し、二死一塁となった。芦田は立ち上がり、外野手に後退するよう指示を出している。まもなく場内アナウンスが流れると、悠北の観客席が大きく沸き上がった。
「四番、サード、野村くん」
「打てよー！！」
「ホームラン頼むぞー！！」
ゆっくりと歩き出す野村を見て、雄大はキッと表情を引き締めた。ここまでの打者三人に徹底的に直球を狙われ、しかも捉えられている。それでも、雄大は気圧されることなく自分のペースでマウンドに立つことが出来ていた。
「まな先輩、ストレートを狙われてますけど大丈夫でしょうか？」
「レイちゃん、落ち着いて。確かに真っ直ぐを打たれたけど、どのバッターもまるで変化球には合ってないんだよ」
「たしかに…… そう考えれば、向こうが完璧に久保先輩の球を打てているわけではないんですね」
「そういうこと。それに――雄大には、まだ『新球』があるからね」
さっきは険しい表情をしていたまなだったが、悠北の打者が変化球に合っていないのを見て、落ち着きを取り戻していた。ベンチで話し合うマネージャー二人を横目に、雄大は芦田とサイン交換をしている。初球のサインは、インコースへのシュート。野村に対して内角を印象付けようとする狙いだった。
「「かっとばせー、のむらー！！」」
悠北の応援団は威勢よく打席に声援を送っている。野村は真剣な表情で打席に立ち、雄大の方を見つめていた。
（野村が打席にいる以上、ランナーの尾田を下手に動かす真似はしないはず。久保、バッター勝負だ）
芦田は内角に構え、胸を叩いて雄大を鼓舞した。県内でも屈指の強打者と、大注目の剛腕投手の対決。一回裏から、激しく火花が飛び散っていた。
雄大はセットポジションから小さく足を上げ、第一球を投じた。正確に制球されたボールが、打者の胸元を目掛けて飛んでいく。野村はスイングを開始したが、白球はさらに内角目掛けて曲がっていった。流石に彼でも対応しきれず、バットが空を切った。
「ストライク！！」
「ナイスボール久保！！」
「いいぞー！！」
これでまずノーボールワンストライクだ。野村は少し考えているような表情をした後、再びバットを構える。雄大はその様子を見て、野村も直球狙いであることを悟った。
（芦田、次もシュートでいこう）
雄大はサインを交換してセットポジションに入った。尾田のリードは小さく、すぐに帰塁出来るような体勢をとっている。悠北というチームが、野村のバットに信頼を置いている証だった。
一塁の尾田をちらりと見たあと、雄大は小さく足を上げ、第二球を投じた。さっきと同じような軌道で、白球がインコースへと食い込んでいく。野村はバットに当ててみせたが、打球は三塁線を切れていった。
「ファウルボール！！」
「オッケー！！」
「追い込んだぞー！！」
二球で追い込み、大林高校の内野陣は盛り上がっていた。一方で、芦田と雄大は次の一球に迷っている。野村が最後まで直球狙いを貫くのか、それとも変化球にも対応してくるのか。二人は迷った挙句、外角ボールゾーンへの直球で様子を見ることにした。
（あれだけシュートを見せられたら、外角には届かないはず）
芦田はそう考えながら、外側に構えた。雄大はセットポジションから、第三球を投じる。直球が唸りを上げて、アウトコースへと向かっていった。しかし次の瞬間、芦田は驚いて目を見開いた。
「なっ……！」
野村は思い切り左足を踏み込み、強引に直球を打ってみせたのだ。カーンと快音が響き、鋭い打球が右方向へ高く舞い上がる。観客席から歓声が巻き起こったが、僅かにポールの右側を通過していった。
「ファウルボール！！」
「惜しい～！！」
「いいぞ野村ー！！」
芦田はマスクを取り、打球の飛んだ方向を見つめていた。内角のシュートをあれだけ見せておきながら、外角のボール球に迷うことなく踏み込まれてしまった。野村という打者の恐ろしさを再認識することとなった。
（野村、お前はやっぱすげえ打者だよ）
雄大はふうと息をつき、目配せをした。それに気づいた芦田がサインを送ると、彼は頷いてセットポジションに入る。一方で、野村は自信を持って打席に立っていた。
（今のタイミングでいいなら、絶対に捉えられる。速球対策の甲斐があった）
彼はバットを強く握り、マウンドに対していた。雄大はセットポジションから小さく足を上げ、第四球を投じた。速球がアウトコースに向かって突き進んでいく。野村はそれを見て、スイングを開始した。
（さっきより内側、打てる！！）
彼は左足を踏み込み、外側の球を捉えようとしている。しかし――次の瞬間、ボールが僅かに変化した。
（えっ！？）
野村は困惑したままバットを振り切ったが、先っぽに当たって鈍い音が響いた。それでもセンター方向に大飛球が舞い上がり、観客席から歓声が響く。
「センター！！」
芦田が叫び、中堅手の中村が打球を追っていた。しかし雄大は打球の行方を見ることなく、ポンとグラブを叩いてマウンドを降りようとしている。野村も悔しそうな表情をしながら、一塁方向へと駆けていた。間もなく中村が落下地点に入り、落ち着いて打球をキャッチした。
「よっしゃー！！」
「ナイスピッチ久保ー！！」
大林高校の応援団が一斉に沸き上がり、雄大の投球を讃えていた。芦田も手ごたえを感じて小さくガッツポーズを見せている。これでスリーアウトとなり、雄大は初回を無失点で凌いでみせた。一方で、野村は尾田とともにベンチに戻りながら会話をしていた。
「野村、今のは？」
「いきなり手元で変化した。多分――カットボールだと思う」
「カットボール？ 偵察の情報にあったか？」
「いや、なかったよ。どうやら、久保くんに一杯食わされたみたいだね」
カットボールは、打者の手元で小さく変化する球種だ。悠北高校の偵察も、敷地外から遠目に見たくらいでは雄大がカットボールを練習していたとは気づけなかったのだ。雄大はベンチに戻り、皆とハイタッチを交わしている。まなも笑顔を見せ、彼を出迎えていた。
「もー、心配したよ！」
「思ったより速球についてきたな。でも、最後の一球は効いたはずだ」
「そうだね。これで真っすぐも活きてくる」
「何にせよ、練習しといてよかったぜ」
そうして、雄大はニヤリと笑みを浮かべた。直球と見分けがつきにくいカットボールは、打者にとっての脅威となる。特にストレートに狙いを絞っていた悠北打線には、効果てきめんだったのだ。
二回と三回は両校ともに得点を挙げることが出来なかった。大林高校はなんとか内海を捉えようとしていたが、うまくかわされていた。一方で、直球を狙い打とうとしていた悠北高校だったが、巧みに変化球を操る雄大によって無失点に抑えられていた。
去年の準々決勝では乱打戦になったが、今年は一転して投手戦の様相を呈している。試合の緊張感は増していくばかりで、観客たちも固唾を飲んでグラウンドを見つめていた。
試合は四回表へと突入していく。先制点を挙げ、試合の主導権を握っていくのはどちらの高校になるのか――
