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切り札の男  作者: 古野ジョン
第三部 怪物の夢

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第十二話 動揺

 外野スタンドに打球が吸い込まれ、一塁塁審が人差し指をくるくると回した。石田商業の観客席から大歓声が巻き起こり、その本塁打を祝福している。打たれたリョウはうつろな目で、打球が飛んだ方向を見つめていた。


「ナイバッチ吉田ー!!」


「ナイスバッティングー!!」


 吉田に対して、ベンチからも拍手が送られていた。これで石田商業が一気に三点を先制することになった。大林高校ナインはかなり動揺し、ベンチにいる二人も苦い顔をしていた。


「リョウくんにしては甘かったね」


「はい。最初の二球は良かったのに、最後の球がまずかったですね」


 バッテリーはインハイを厳しく攻めるつもりだったのだが、やや真ん中寄りに入ってしまった。そのうえ、低めに手を出さなかった事実が示している通り、吉田は高めに狙いを絞っていたのだ。その二つが合わさり、本塁打という最悪の結果につながってしまった。


「リョウ、切り替えていけよ」


「ハイ!」


 リョウは空元気で芦田の声に応えたが、気落ちしているのは明らかだった。その後は何とか後続を抑えたものの、いつもより低いテンションでベンチへと戻っていった。


「お疲れ、リョウ」


「ありがとうございます、久保先輩」


「お前らしくないな。緊張してるのか?」


「……まあ、少し」


「なに、試合は始まったばかりだ。楽にいこうぜ」


 雄大はそう言うと、リョウの背中をぽんぽんと叩いた。試合は一回裏、大林高校の攻撃に入る。打席には一番の雄介が向かい、場内アナウンスが流れた。


「一回裏、大林高校の攻撃は、一番、ライト、久保雄介くん」


「頼むぞ雄介ー!!」


 雄介が軽く体を捻りながら打席に向かうと、雄大が大きな声を張り上げた。いきなり三点差をつけられた以上、一点でも返していかなければならない。となれば、先頭打者が出塁出来るかが極めて重要になってくるのだ。


(リョウ先輩の分は、俺が)


 雄介は左打席に入ると、気合いの入った表情でマウンドの方を見ていた。石田商業のマウンドには、もちろん山形が立っている。先制点を貰ったことで、彼の表情はリラックスしていた。


「まな、狙いはストレートでいいんだな?」


「うん、そう。シンカーを打たせてゴロにするっていうのが山形くんの得意技だから」


 雄大とまなは狙い球について話し合っていた。審判がプレイをかけ、山形が捕手のサインを見る。彼はこくりと頷くと、大きく振りかぶって第一球を投じた。


 次の瞬間、快音が響き渡った。雄介は初球の直球を捉え、センター前に運んでみせたのだ。バットを放り投げながら、彼は雄叫びを上げる。


「しゃー!!」


 大林高校の応援席からも拍手が巻き起こり、その安打を讃えていた。先制点を許して雰囲気が悪くなっていたが、一気に空気が明るくなった。これで無死一塁となり、反撃のチャンスとなった。


「二番、セカンド、青野くん」


 続いて、二番の青野が打席に向かった。ベンチでは、雄大とまなが作戦について話し合っている。三点差がついている以上、ヒッティングでランナーを溜めていくしかない。


「まな、雄介はどうする?」


「ここは動かないでもらう。刺されたら最悪だし」


「そうだな」


 まなは塁上の雄介に対し、サインを送った。ところが、雄介は投手の動きをじっと見ており、ベンチの方をまるで見ていない。まなは何度も送り直すが、そうこうしているうちに山形がサイン交換を終えてしまう。


「雄大、彼サイン見てない!」


「えっ」


 まながそう声を出した瞬間、山形がセットポジションから第一球を投じた。雄介はスタートを切らず、少し大きくリードを取った。青野もスイングをかけなかったが、捕手は投球を捕ると素早く送球体勢に入った。


「戻れ雄介!!」


 一塁コーチャーが叫ぶと、雄介ははっとした。慌てて頭から帰塁しようとしたものの、その前に捕手が一塁へと送球してしまった。一瞬遅れた雄介は戻り切れず、タッチアウトになってしまった。


「アウト!!」


「ナイスキャッチャー!!」


「ナイスー!!」


 これで牽制死となり、無死一塁が一死走者なしに変わってしまった。雄介はしまったという表情を見せながら、ベンチへと戻ってくる。すると、まなが口を開いた。


「ちょっと、雄介くん」


「……はい」


「サイン見てなかったでしょ?」


「あっ……!」


「盗塁しようとしたの?」


「はい。何とか点取らないとって思って……」


「気持ちは分かるけど、空回りしすぎ。まだ初回なんだし、少しは冷静になって」


「はい……」


 まなは厳しい口調で雄介を諫めていた。それを聞いていた部員たちも、暗い表情へと変わってしまった。チームの雰囲気が再び悪くなってしまい、青野もレフトフライに打ち取られてツーアウトとなった。


 その後、三番のリョウが打席に向かったが、三振に打ち取られてチェンジとなった。このままでは試合の雲行きが怪しくなる。そう感じた雄大は、打席から戻ってきたリョウに話しかけた。


「リョウ、ちょっといいか」


「なんですか?」


「お前、次の回からスクリュー投げろ」


「えっ、大丈夫ですか?」


「七番からだし、多少は甘くなってもそうそう打たれん。それより、この雰囲気を変えるのが先決だ」


「分かりました。芦田先輩にも伝えておきます」


 そうしてリョウは芦田と会話を交わすと、マウンドへと向かっていった。二回表、石田商業の攻撃は七番の左打者からだ。リョウは直球を使って打者を追い込むと、最後にスクリューを投じた。


「ッ!?」


 打者は一瞬驚いた声を上げ、何とかバットに当ててみせた。しかし打球に勢いはなく、ボテボテと一塁方向に転がっていく。雄大はそのまま打球を拾い上げると、走ってくる打者にタッチした。


「アウト!!」


「オッケー、ナイスボール!!」


 雄大は声を掛けながら、リョウに返球した。初回よりいくらか緊張が取れたのか、リョウも落ち着いて頷いていた。彼は八番と九番に対してもスクリューを投じ、しっかりと打ち取った。これで三者凡退となり、石田商業に傾きかけていた流れをいくらか引き戻すことが出来た。


「リョウ、ナイスピッチ!」


「ありがとうございます!」


 雄大が声を掛けると、リョウも元気よく応えた。彼の狙い通り、石田商業の選手たちは頭に無い球を投じられて困惑していた。ベンチでも、まなとレイが手応えを感じている。


「リョウくん、スクリュー投げてから落ち着き始めたね」


「はい。危ないかと思いましたが、久保先輩のナイスアイディアでした」


 二回裏、大林高校の攻撃は雄大からだ。軽くバットを振りながら、彼はゆっくりと打席へと向かう。場内アナウンスが流れると、観客席から一斉に歓声が起こった。


「四番、ファースト、久保雄大くん」


「打てよ久保ー!!」


「お前が頼りだからなー!!」


 流れがいくらか戻ってきたとはいえ、三点ビハインドであることに変わりはない。雄大はふうと息をつきながら、真剣な表情で打席に向かった。


「雄大、頼むからね」


 まなは小さく呟き、彼のバットに期待を寄せていた。大林高校のブラスバンドは活気づき、四番に懸命な演奏を送っている。マウンドの山形は、慎重に捕手のサインを見つめていた。


(追い込まれるまで、狙うはストレート)


 雄大は直球に狙いを絞り、バットを構えた。当然ながら、石田商業も雄大の打力は把握している。山形は直球とシンカーで慎重に低めを突いていくが、なかなかストライクゾーンに投じられない。カウントはスリーボールワンストライクとなった。


(先頭だし、フォアボールにはしたくないはず。直球でカウントを取りにくるか)


 状況的に、雄大はストレートの可能性が高いと踏んでいた。山形は額に汗を流しながら、じっと捕手のサインを見ていた。そして大きく振りかぶり、第五球を投げた。


(まっす……いや、シンカーだっ!)


 雄大は途中でバットを止めようとしたが、出来なかった。スイングを取られてしまい、これでフルカウントとなった。


「山形、ナイスボール!」


 捕手は大声を出しながら、山形に返球した。相手が強打者ということもあり、バッテリーは安易にカウントを取りに行くようなことは避けていたのだ。一方で、雄大は頭の中で考えを整理している。大林高校のベンチでは、皆が固唾を飲んで彼の打席を見守っていた。


「久保先輩、打てますよー!!」


「頑張れー!!」


 雄大は強くバットを握り直すと、じっとマウンドの方を見た。山形は振りかぶり、第六球を投じる。その右腕から放たれた白球が、緩い軌道を描いて沈んでいった。


(シンカーだ、今度は打てるっ!)


 雄大はシンカーの軌道を見て、バットを合わせていった。さっきよりもやや高く、ゾーン内で変化するシンカー。彼はそれを見逃さず、思い切りバットを振り切った。左ひざをつきそうになりながら、彼は打球の飛んだ方向を見つめている。


「なっ……」


 捕手が思わず、小さな声を漏らした。打球は右方向へ、美しい放物線を描いて飛んでいく。観客たちも目を奪われており、その行方をじっと見ていた。そのまま外野スタンドに打球が消えていくと、一塁に駆けていた雄大が大きな雄叫びを上げた。


「っしゃあ!!」


 彼は一塁を回りながら、大きく右手を突き上げた。ベンチからも彼に声援が飛び、一気に雰囲気が明るくなっていた。打たれた山形は打球が飛んだ方向を見つめ、ただただ唖然としている。これで二点差となり、反撃ムードが醸成されつつあった。


「ナイバッチ!」


「頼むぞ芦田!」


 雄大はベンチに戻りながら、芦田とハイタッチを交わした。このまま石田商業に追いつき、追い越したい。部員たちはそのような願いを共有していた。


 続いて、五番の芦田が打席へ入った。山形は本塁打を打たれて動揺したのか、なかなか制球が定まらない。ストライクが入らず、ツーボールノーストライクとなった。


「狙っていけ芦田ー!!」


「打てるぞー!!」


 ベンチからは芦田を応援する声が飛んでいる。山形は大きく振りかぶって、第三球を投じた。カウント狙いの直球が、甘めのコースへと飛んでいく。芦田はスイングを開始して、芯でボールを捉えてみせた。快音が響いて、打球が左方向に舞い上がる。


「よっしゃー!」


「ナイバッチー!!」


 観客たちも大声を上げていた。芦田は長打を確信して、一塁を回ろうとしている。しかし、石田商業の左翼手が懸命に走っていくと、そのままダイビングしてしまった。打球はしっかりと彼のグラブに収まっており、今度は石田商業の観客席から大歓声が巻き起こった。


「ナイスキャッチー!!」


「いいぞー!!」


 反撃の嚆矢となるはずの打球が、ファインプレーに阻まれてしまった。ベンチにいる選手たちも思わず前のめりになっていたが、ため息をつきながら姿勢を元に戻した。


「これは痛いなあ……」


 まなも声を漏らし、悔しがっていた。この後、中村と加賀谷も打ち取られ、結局二回裏の攻撃は一点止まりとなってしまった。なかなか主導権が握れないまま、試合は進んでいく。リョウと山形が好投して、両校ともなかなか得点が奪えない。三対一のまま、試合は五回表に突入していく――

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