第十一話 浮足
ついに一回戦の日がやってきた。球場には両校の応援団が詰めかけ、早くも期待感に包まれている。大林高校の選手たちは、球場の外でミーティングを行っていた。まなが皆に、改めて注意事項を伝達している。
「多分、向こうの先発はエースの山形くん。シンカーが特徴的だね」
「オーバースローでシンカーって、やっぱ珍しいよな」
「そうだね、雄大。ゴロを打たされないように注意ね」
「あとは吉田か?」
「うん。彼に打たせると向こうが勢いづくから気をつけてね、リョウくん」
「はい!!」
まなの言葉に、リョウが元気よく返事した。大林高校は、二回戦に備えて雄大を温存する作戦に出ていた。悠北と当たる以上、万全の状態で雄大を投げさせたい。まなはそのように考えているのだ。
「とにかく、今は相手に全力でぶつかっていくだけ。いくよ!!」
「「おう!!」」
部員たちは大きな声を出し、気合いを入れた。その後、彼らは球場に入り、試合前練習を始めた。初戦ということもあって、皆の動きがやや固い。ベンチで練習を見守っているレイが、まなに話しかけた。
「まな先輩、みんな緊張してないですか?」
「一回戦だしね。そのうちほぐれるといいんだけど」
「ちょっと心配ですね」
リョウは投球練習を行っている。雄大を温存するためとはいえ、初戦の先発という重要な役割を任されているのだ。いくらメンタルの強い彼といえども、緊張していた。すると、リョウの球を受けていた岩川がそのことを指摘した。
「リョウ、少し球が高いぞ」
「ほんと? おかしいな」
「お前でも緊張するんだな」
「試合までには何とか修正するよ」
そう言って、彼は投球を再開した。今日の先攻は石田商業である。すなわち、リョウが一回表をきっちり抑えることが出来れば、試合の主導権を握ることが出来るというわけだ。
間もなく、試合開始の時間となった。試合前の挨拶に備えて、皆がベンチ前に列をなしている。そして、審判が合図した。
「整列!!」
その言葉を聞いて、両校の選手たちが一斉に駆け出していった。ホームベースを挟んで、互いに見合っている。
「これより、石田商業高校対大林高校の試合を開始する。礼!!」
「「「「お願いします!!!!」」」」
大声で選手たちが挨拶すると、観客席から拍手が巻き起こった。大林高校の選手たちは各ポジションに散って行く。今日の雄大は一塁に入っており、投球練習を行うリョウに声を掛けていた。
「リョウ、気負うなよ。俺も加賀谷も後ろにいるからな」
「ありがとうございます! 頑張ります!」
リョウは明るく返事をしたが、雄大は少し心配していた。依然として、リョウの制球が定まっていないように見えたのだ。このまま何事もなく、一回表を凌げるのか。不安になりながら、見守っていた。
間もなく、石田商業の一番打者が左打席に入った。リョウは投球練習を終え、マウンド上で小さく息をついている。そして、球審が試合開始を告げた。
「プレイ!!」
コールが球場全体に響き渡ると、石田商業のブラスバンドが演奏を開始した。まだ午前だというのに日差しが強く照っており、じわりじわりと選手たちの体温を上げている。リョウはいつも通り、芦田のサインを見ていた。
(初球、まずは外にストレート)
芦田は直球のサインを出して外角に構えた。リョウはそのサインを見てセットポジションに入る。ふうと息を吐くと、足を上げて第一球を投じた。
(高い!)
芦田がそう思うが早いか、打者はコンパクトにスイングを開始した。カーンという金属音が響き、打球がリョウの真横を抜けていく。あっという間に、センター前ヒットとなった。
「よっしゃー!」
「ナイバッチー!!」
打者は一塁を大きく回ったところで止まり、石田商業のベンチが一気に沸いた。これで無死一塁だ。いきなり先制のピンチとなり、リョウは額に流れる汗を拭っていた。
「リョウ、切り替えていけよ」
「ハイ!」
雄大は落ち着かせようと、リョウに声を掛けた。続いて、二番の右打者が打席に向かった。早くもバントの構えを見せており、一塁手の雄大と三塁手の森下がじわりじわりと前進している。
リョウはセットポジションから小さく足を上げ、第一球を投じた。打者はバットを引かず、一塁方向に転がした。雄大は一気に前進して、打球を掴み取る。
「ファースト!!」
既に走者が二塁に到達しようとしており、芦田は一塁に投げるよう指示を出した。雄大がそれに従って送球し、これでまずワンアウトだ。
「ワンアウトワンアウトー!!」
リョウが大きな声を出して、人差し指を挙げた。内野手の皆もそれに合わせて声を出し、アウトカウントを確認し合っていた。その時、場内アナウンスが流れ、石田商業の応援席が一気に沸いた。
「三番、ピッチャー、山形くん」
「打てよ山形ー!!」
「チャンスだぞー!!」
声援を背に受けながら、エースの山形が右打席へと歩き出した。吉田ほどではないが、彼もクリーンナップを打つだけの打力を備えている。芦田は彼の様子を窺いながら、配球を考えていた。
(リョウの制球が定まってない以上、投げ慣れてないスクリューのサインは出せない)
彼は初球、外角のボール球を要求した。リョウはそれに頷き、セットポジションに入る。そして小さく足を上げ、第一球を投じた。綺麗な直球が、ミットに向かって飛んでいく。そのまま芦田が捕球し、審判がコールした。
「ボール!」
「オッケー、それでいい」
芦田は声を掛けながら返球し、リョウもそれを捕球すると小さく頷いた。カウントはワンボールノーストライク。リョウは続いて同じようなコースにストレートを投じたが、山形は手を出さずツーボールとなった。
(誘いに乗ってこないな。カーブで打たせてみるか)
芦田はスローカーブを要求し、低めに構えた。山形は構えを変えず、じっとマウンドの方を見つめている。まだ一回表だが、グラウンドは早くも緊迫感で満たされていた。
「リョウ、打たせてこい!!」
雄大も一塁から声を出し、エールを送っていた。二塁走者はリードを取りつつ、リョウの様子を窺っている。リョウは一呼吸置くと、第三球を投じた。山なりの軌道で、白球がミットに向かって進んでいく。
(また高い!)
芦田は投球を捕りに行こうとするが、目の前に山形のバットが現れた。カキンという金属音が響き、ゴロが地面を這うように左方向へと進んでいく。
「ショート!!」
芦田の指示も虚しく、打球は三遊間を抜けていった。外野が前進守備を敷いていたため、二塁走者は三塁で止まった。それでも一死一三塁となり、ピンチが広がる格好となった。
「リョウくん、まだコントロールがいまいちみたい」
「はい。まだまだ浮足立ってますね」
ベンチでは、まなとレイが心配そうにマウンドを見つめていた。リョウの最大の武器である、正確なコントロール。それが失われれば、打たれるのも当然のことだった。
「リョウ、次は吉田だ。とにかく低めな」
「はい。頑張ります」
雄大が声を掛けたが、リョウはやや不安げな声を出していた。芦田も一度タイムを取り、マウンドへと向かった。配球について話し合いつつ、彼はリョウの調子を慮っていた。
「お前の調子は悪くない。一点は仕方ないから、とにかくアウトを増やしていくぞ」
「分かりました。とにかく低め、ですね」
「ああ。スクリューのサインはまだ出さないから、気楽に投げろ」
「頑張ります」
そうして、芦田は戻っていった。石田商業のブラスバンドは威勢よく演奏しており、リョウにプレッシャーを与えている。
(やっぱり初戦ってのは違うのかな)
芦田はそんなことを考えながら、ネクストバッターズサークルの方を見た。彼の視線の先から、一人の選手がゆっくりと歩いてくる。間もなく、場内アナウンスが流れた。
「四番、センター、吉田くん」
「頼むぞ吉田ー!!」
「打てよー!!」
四番の登場に、場内はさらに盛り上がりを見せている。吉田が左打席に入ると、リョウは表情を一段と厳しくした。内野陣はゲッツー態勢を取っており、一点はやむなしという姿勢を表していた。
(無失点で抑えようとすれば大けがするかもしれないし、アウトを増やしていくことに専念しよう)
まなはそう考えながら、じっとグラウンドを見つめていた。芦田はストレートを要求し、インローに構えている。リョウはセットポジションから、第一球を投じた。
綺麗な直球が、本塁に向かって突き進んでいく。吉田はぴくりとも動かず見逃したが、投球は芦田の構えたミットにしっかりと収まった。
「ストライク!!」
「ナイスボール!!」
芦田は力強く声を出し、返球した。ここに来て、リョウは制球力を取り戻したのだ。芦田もそれを感じ、少しほっとしていた。
続いて、リョウは第二球を投じた。外角低めへの直球だったが、吉田はこれも見逃した。審判の右手が突き上がり、カウントはノーボールツーストライクとなった。
「追い込んでるぞリョウー!!」
「ナイスボール!!」
大林高校の内野陣が声を出し、リョウを励ましていた。一方で、芦田は少し不気味さを感じ始めていた。ストライクゾーンに二球投じられておきながら、吉田は少しも反応しなかった。彼が何を狙っているのか、芦田には分からなかった。
(一球、インハイのボール球で様子を見るか)
芦田は直球のサインを出し、内角高めに構えた。釣り球で様子を見て、あわよくば空振り三振を狙おう――という意図だったのだ。リョウは頷き、セットポジションに入る。そして小さく足を上げ、第三球を投じた。
(甘い!!)
白球がやや真ん中寄りに進んでいく。芦田はそれに合わせてミットを動かしたが、吉田は一気にバットを出してきた。そのまま彼がバットを振り切ると、スタジアムに快音が響き渡る。カーンという音とともに、観客たちが一斉に歓声を上げた。
「ライトー!!」
打球は右方向に高く舞い上がり、放物線を描いていく。雄介はそれを追っていくが、やがて足が止まった。そのまま打球が外野スタンドに突き刺さると、一塁を回っていた吉田が大きく右手を突き上げた――




