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切り札の男  作者: 古野ジョン
第三部 怪物の夢

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第十話 最後の夏

 雄大は抽選会を終え、学校へと戻っていった。そしてグラウンドへと向かい、抽選の結果を皆に伝えた。


「も~、何やってんのよ~~!!」


 ぷりぷりと怒るまなをよそに、雄大は組み合わせ表を広げて他の部員たちと話をしていた。当然ながら、悠北と対戦するにはまず一回戦を突破しなければならない。その初戦の相手は、中堅校である石田商業高校だった。雄大は芦田とともに、石田商業の選手について話し合っていた。


「なあ芦田、石田商業ってたしか吉田のいるところだよな」


「ああ。アイツはよく打つ」


 吉田は右投左打の中堅手だ。県内ではそこそこ名の知れた打者であり、石田商業では四番を打っている。長打力とミート力を兼ね備えており、中距離ヒッターという感じであった。すると、さっきまで怒っていたまなが口を挟んできた。


「皆、相手のことより今は自分のことでしょ! 合宿も近いんだし、練習再開するよ!」


「「はーい」」


 そうして、部員たちは練習へと戻っていった。まなの言う通り、間もなく合宿の時期である。最後の総仕上げとして、合宿所に泊まり込んで猛練習を行うのだ。


 そして抽選会の日から数日後、合宿が始まった。より実戦を意識した練習を行い、夏の大会に備える。投手陣はブルペンで投げ、自らの状態を確かめていた。


 芦田が雄大の球を、レイがリョウの球を、岩川が加賀谷の球を受けている。三人の投手はそれぞれ直球と変化球を順番に投げ、入念にチェックしていた。特にリョウは、スクリューに重点を置いて投げ込みを行っている。


「オッケー、ナイスボール!!」


 レイはリョウの球を捕ると、大きく声を張り上げた。スリークォーターから繰り出される、左打者の膝元に沈み込むスクリューボール。スローカーブしか持っていなかったリョウにとっては、投球の幅を広げるのにこれ以上ない球種だった。


「リョウ、なかなかいい感じだな」


「ありがとうございます!」


「直球を見せたあとなら、左打者はまず内野ゴロを打たされる。球数の節約にもなるし、いいことづくめだな」


「そういう久保先輩こそ、この間から何か試してますよね?」


「ん? まあな。悠北やら自英学院やらと戦うには、今の球種だけだと心もとないからな」


 そう言って雄大は振りかぶり、「新球」を投じていた。一方で、隣にいる加賀谷もしっかりと投げ込みを行っていた。去年は実質的に梅宮とリョウの二人でマウンドを回していたため、悠北や自英学院の打線を止めることが出来ていなかった。すなわち、三人目の投手である彼の存在も重要なのだ。


 グラウンドでは、まなが野手陣にノックを行っている。炎天下だが、部員たちはめげずに打球を受け続けていた。


「次、ライトー!!」


「おうよー!!」


 カーンという金属音とともに、打球が右中間へと飛んでいく。雄介は猛ダッシュを見せると軽くジャンプし、しっかりと打球を掴み取ってみせた。


(やっぱり、彼に「9」を渡したのは正解ね)


 雄介は自らの実力をもって、一年生ながら背番号「9」を掴んだのだ。その類まれな脚力と確実性のある打撃で、既にトップバッターの地位を不動のものにしつつある。そして、他の部員たちもその実力を認めていた。


 ちなみに、背番号「1」はもちろん雄大が背負っている。正捕手は芦田で、リョウは「3」の背番号をつけることになった。二塁手には三年の青野が、三塁手と遊撃手にはそれぞれ二年の森下と潮田が選ばれている。加賀谷は「7」をつけて左翼を守ることになり、中堅手には三年の中村が入っていた。


 今年の夏、大林高校はこの布陣で夏を戦うことになる。雄大をはじめとする三年生にとっては、最後の大会だ。一回でも負けられない、厳しい戦い。一線でも長く戦おうと、部員たちは必死に練習に励んでいたのだ。


 やがて練習が終わり、夕食など食べているうちにすっかり夜になった。部員たちは疲れ果て、既に合宿所で布団に入っている。雄大がトイレに起きたついでに合宿所の外を歩いていると、まなが片付けを行っていた。ちなみにマネージャー二人は合宿所には泊まらず、自宅から通って合宿を手伝っている。


「どうした、まだ残ってたのか?」


「ううん、これが終わったら帰るとこだよ」


「そうか、遅くまでお疲れ様」


「雄大こそ、早く寝なよ」


「ははは、分かってるよ」


 そう言いながらも、雄大は片づけを手伝い始めた。まなは一瞬それを止めようとしたが、言っても聞かないのだろうと諦めた。二人は黙って作業していたが、やがて雄大が口を開いた。


「もう三年生だな」


「どうしたの、急に」


「いや、一年生の頃が懐かしいなって。あの頃は竜司さんをプロに行かせるんだって、必死だった」


「雄大も代打だったしね。今や大注目のエース様だもん」


「ははは、そう言うなよ」


 雄大は笑いながら手を動かしていた。その時ふと、二年前に竜司と話したことを思いだした。まなが大林高校を選び、野球部のマネージャーとなった理由。そして、雄大がなすべきこと。彼は静かに、まなに向かって告げた。


「……一年の秋、お前と決めた目標があったよな。覚えているか?」


 その言葉を聞き、まなは動きを止めた。そして真剣な表情になり、雄大に対して向き直した。


「忘れるわけない。私の目標は、雄大をプロ野球選手にすることだよ」


「そうだな。甲子園とか何とかいろいろ考えているうちに、俺はすっかり忘れそうになっちまうよ」


「それくらい必死で練習してきたってことだよ。雄大が実力を出し切れば、必ずプロに行ける」


「ありがとな。お前の力が無ければ、もう一度ピッチャーに戻ることは無かった気がするよ」


「ううん、それは違うよ。雄大は自分の努力でマウンドに戻った。それでいいじゃない」


「お前がそう言うなら、それでいいか」


「何よそれー!」


「ははは、気にするなって」


 そうして、夜空に二人の笑い声が響き渡っていた。多忙な毎日で二人がつい忘れそうになっていた、プロ入りという目標。彼らはそれを再認識して、気持ちを改めていた。


***


 合宿が終わって数日が経ち、いよいよ開会式の日が訪れた。式が始まる前、各校の選手たちは互いの健闘を祈って会話を交わしている。大林高校の選手たちが会場に着くと、周囲がざわつき始めた。


「見ろよ、本当に久保がエースナンバーだぞ」


「あれが百五十投げるって噂の奴か」


「九番付けてる奴、自英学院にいた足速い奴じゃねえか?」


「本当だ、なんで大林にいるんだ」


 雄大たちは周囲の声を気にせず、会場へ向かって歩いている。その時、列の後ろにいた雄介が雄大のところへと駆け寄ってきた。


「なあなあ兄貴」


「おい」


「じゃなかった、久保先輩。あそこにいるの、自英学院じゃないすか?」


「本当だ、やっぱり森山がエースナンバーか」


「みたいすね」


 雄介の指さす先に、自英学院の野球部がいた。不調と噂されていた森山がエースナンバーをつけており、列の先頭を歩いている。だが雄大には、気になる点がもう一つあった。そう、森山の球を受ける正捕手が誰なのかという点だ。


「なあ雄介、『2』を着けてるのは誰だ?」


「あれ、見当たらんすね」


「あ、あの小さい子じゃない?」


 すると、横からまなが口を挟んできた。彼女の視線の先には、周囲と比べて少し背の低い選手がいた。


「本当だ。あんま見たことない奴だな」


「ね、誰だろ」


 まなが選手名簿を取り出そうとしたとき、雄介がその正体に気づいた。彼はその場に立ち止まり、目を丸くしている。雄大がそれに気づくと、声を掛けた。


「雄介、どうした?」


「兄貴、健二だ」


「だから、お前な――」


「自英学院のキャッチャー、松澤健二だよ」


 そのフルネームを聞いた途端、雄大もそれが誰なのか気づいた。去年まで自英学院の正捕手を務め、攻守両面で活躍していた松澤健太。健二はその弟で、高校一年生だった。


「そういや、お前中等部で同級生だったよな」


「そうだよ。俺が一番で、アイツが四番だった」


「でも、春の大会じゃベンチ入りすらしてなかったはず」


「うん。まさか正捕手に抜擢されてるなんて、思いもしなかった」


 二人は顔を見合わせ、ただただ驚くばかりだった。すると見られていることに気づいたのか、森山と健二が近くへ寄ってきた。


「久しぶりだな、久保」


「ああ、一年ぶりだな。どうだ、調子は?」


「知ってて聞いてるなら、ひでえ奴だな」


「ははは、まあまあ」


 雄大と森山は、この一年間について語り合っていた。去年の準決勝、そして秋の大会、今年の春の大会。話題はいくらでもあった。


「……それにしても、本当にマウンドに戻ってきたんだな。噂は聞いてるよ」


「ああ、約束は守ったぞ。なんとしても決勝で、今度こそお前らを倒す」


「ふん、なんとでも言え」


 そうして二人は握手を交わした。去年の準決勝以来の、久しぶりの握手だ。大林高校と自英学院が対戦するとすれば決勝戦になる。すなわち、雄大たちにとって、甲子園を目指すうえでは最後の障壁となる相手なのだ。


 二人はそれぞれの学校のところへ戻ろうと、別れの挨拶を交わした。しかし次の瞬間、二人は怒声を聞いた。


「お前、何て言った!?」


「何も言ってねえよ!!」


 いつの間にか、雄介と健二が互いの胸ぐらを掴み合っていたのだ。雄大と森山は慌てて二人を引きはがし、宥めていた。


「雄介、何だってんだ」


「こいつが兄貴を馬鹿にしたんだよ!!」


「別にそんなことは言ってない。ただ、甲子園に行くのは俺たちだって言っただけだ」


「健二、あまり挑発するな」


 いがみ合う二人に対し、雄大と森山は困惑していた。開会式の時間が近くなったため、雄大は仕方なく雄介を引きずって皆のところへと戻っていった。


「全く、開会式前に喧嘩してんじゃねえよ」


「だって、向こうが最初に言ってきたんだよ」


「何をだよ」


「『黙って高等部に上がればよかったのに、何で大林なんかに進学したんだよ』とか言うんだぜ!? 腹立って仕方ねえよ」


「それで、お前はなんて言い返したんだ?」


 雄大がそう問うと、雄介ははっとした。少し声を小さくしながら、静かにこう述べた。


「……兄貴がいるから、負けるわけねえんだって」


 すったもんだのうちに、開会式が始まった。各校の球児が、県大会制覇を目指して大会へと挑んでいく。果たして大林高校は、甲子園出場という目標を達成することが出来るのか――

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