第九話 貫禄
雄大が空振りすると、リョウは雄叫びを上げた。レイも小さくガッツポーズして、喜びを表現していた。コース、キレ、球速、全てが完璧なスクリューボール。雄大でも当てることは出来なかったのである。
「リョウ、お前の勝ちだよ。よく投げ込んだな」
「ありがとうございます!」
「ここまで完璧に投げ込まれたら、エースナンバーを渡しても文句は言えねえな。なあ、まな?」
「え? あ、うん」
まなはすっかり勝負に見入っており、背番号の話をすっかり忘れていた。ともかく、リョウが勝負に勝ったのは事実。これでエースナンバーを背負うのはリョウに決まり――という雰囲気になっていたが、芦田が口を開いた。
「おい久保、ちょっと待てよ」
「どうした?」
「さっきのホームランを合わせたら二打数一安打だろ? それでお前が負けってのも変じゃないか」
「言われてみりゃ、それもそうだな」
雄大は「たしかに」というような表情をしていた。彼はあくまでリョウの実力を引き出すことに集中しており、勝負の結果などあまり気にしていなかったのだ。芦田はリョウの方を向き、こんな提案をした。
「おい、リョウ」
「は、はい?」
「今度はお前が打席に入るんだ。それで、久保の球を打て」
「えっ?」
「お前ばっかり投げてるのもおかしい話だろ? フェアに勝負するなら、久保も投げるべきだ」
その言葉に、部員たちがざわつき始めた。エースナンバーを懸けた勝負なのに、リョウだけが投げるのはおかしい――という至極当然の指摘に、皆も頷いていた。すると、まなが口を開いた。
「分かった。リョウくん、打席に入って」
「……分かりました! でも、必ず打ちますから!」
「リョウ、なかなか言ってくれるじゃねえか。よっしゃ、投げてやるよ」
雄大も芦田の提案に乗り、バットを置いてグラブを着けた。捕手として二年の岩川が入り、雄大は投球練習を始める。相変わらず凄まじい捕球音を響かせているが、リョウもそれに対応しようとバットを振って準備していた。まなは二人の様子を見ながら、勝負の行方を予想していた。
(去年に比べて、リョウくんは打撃もレベルアップしてる。仮にも三番を任せてるんだし、簡単に打ち取られてほしくない)
リョウは長打力こそ控えめだが抜群のバットコントロールを誇っている。雄大の剛速球に対しても対応できるのではないか、まなはそう予想していた。間もなく投球練習が終わり、リョウが左打席に入る。芦田がプレイを告げると、雄大はじっと岩川のサインを見た。
(追い込まれるまでは直球を狙う。投球練習を見てタイミングは合わせた)
リョウはストレートに狙いを絞り、強くバットを握った。雄大はサイン交換を終え、ふうと息をつく。そして大きく振りかぶると、一気にその右腕を振るった。白球が高めの軌道を描き、本塁へと向かっていく。
(来たっ、ストレート!!)
リョウは一気にスイングを開始した。タイミングはばっちり合っており、徐々にバットが前へと進出していく。しかし次の瞬間、ボールが軌道を変えた。
(しまった、縦スラ――)
などと思う間もなく、白球が彼の足元目掛けて鋭く落ちていく。バットが空を切ると、芦田が高らかにコールした。
「ストライク!!」
「すごい……」
今の球を見て、まなは思わず声を漏らした。高めのボールゾーンから、一気に左打者の足元へと落ちていく縦のスライダー。その球速も相まって、初球から投じられてはまず対応が困難だった。防具を外して観戦していたレイが、まなに向かって話しかけた。
「初球からスライダーなんて、本気ですね」
「うん。雄大は一ミリも油断してない」
雄大は岩川からの返球を受け取ると、少し間を開けた。リョウはというと、次の一球について考えを巡らせている。
(今のを続けられたら手が出ない。ボールになりそうだったら見逃すしかない)
彼の中に、初球のスライダーがかなり印象付けられていた。雄大は次のサインを見て、頷いた。そしていつも通りのワインドアップで、第二球を投じた。唸りを上げて、白球がアウトコースへと突き進む。
(しまった、外いっぱい――)
リョウがバットを出す間もなく、ボールはミットに収まっていた。芦田が右手を突き上げてコールすると、リョウは思わず天を仰いだ。
「ストライク!!」
「くっ……」
まるでリョウのお株を奪うかのように、雄大はアウトローいっぱいに直球を投じてみせたのだ。これで早くもノーボールツーストライク。その投球に、周囲も思わず息を呑んでいた。
(「簡単に打ち取られてほしくない」なんて思ってたけど、やっぱり雄大の方が何枚も上手ね)
まなも、雄大の凄まじさを再認識していた。リョウは狙いを絞り切れず、険しい表情をしている。雄大は振りかぶり、第三球を投じた。これはインコースに外れ、ワンボールツーストライクとなった。
(今度は内角か。雄介くんの時と同じで、フロントドアで仕留める気だな)
リョウはシュートを警戒し、インコースに目付していた。一方で、雄大は岩川のサインに何度か首を振った。やがて頷くと、大きく振りかぶる。
(来る。インコース、フロントドアに注意だ)
リョウもぐっとテイクバックを取り、投球に備えた。そして、雄大はその右腕から白球を解き放つ。次の瞬間、リョウは驚いて目を見張った。
(外角だ、でも外れてる!)
雄大が放ったボールはアウトコース、それも高めへと突き進んでいく。リョウは予想外の配球に意表を突かれつつも、しっかりと見逃した。しかし、白球は一気に軌道を変えていく。
(しまった、また縦スラ――)
リョウが慌ててバットを出そうとするが、時すでに遅し。ボールはストライクゾーンを掠めるように、岩川のミットに収まった。芦田が右手を突き上げ、アウトを宣告した。
「ストライク!! バッターアウト!!」
「っしゃああ!!」
雄大は雄叫びを上げた。彼はフロントドアではなく、縦スライダーでのバックドアを選んだのだ。外角のボールゾーンから一気に落下し、ストライクゾーンへと入る。高校生離れしたその軌道に、リョウはただただ脱帽するばかりだった。
「……久保先輩、僕の負けです」
「さっきは二打席だったんだし、もう一打席やるか?」
「いえ、結構です。……先輩に勝とうとした、僕が馬鹿でした」
「そうか」
雄大がマウンドを降りると、各ポジションに就いていた部員たちも戻ってきた。するとまなが皆を集め、こう問うた。
「今年のエースは雄大に決まり。賛成の人!」
彼女がそう言った瞬間、拍手が巻き起こった。もちろん、リョウも惜しみない拍手を送っていた。練習試合で見せていた浮かない表情は消え、清々しい顔つきになっていた。雄大は拍手に応え、口を開いた。
「皆、ありがとう。夏も近くなってきたんだし、練習に戻るぞ!」
「「おうっ!!」」
部員たちは大きな声を出し、再びグラウンドへと駆け出していった。彼らはそれぞれの思いを抱えながら、夏に向かって鍛錬に励む。レギュラーが取りたい、少しでも野球が上手くなりたい、甲子園に行きたい。しかし、チームの勝利のために努力しているのは同じだった。
それから約一か月が経ち、抽選会の時期となった。雄大が代表として参加し、くじ引きの順番を待っている。やがて彼が壇上に上がると、少しざわめきが起こった。去年準決勝に進出しただけあって、大林高校は注目を集めていたのだ。
「あれが久保雄大?」
「去年の秋に百五十出してたって噂だよな」
他校の主将たちも、雄大についていろいろと話していた。気にする素振りも見せず、雄大は箱の中からくじを引く。その番号を見た瞬間、彼は少し戸惑ったが、すぐにニヤリと笑みを浮かべた。そしてマイクに向かって、こう告げたのだ。
「大林高校、二番」
一瞬の静寂のあと、会場がどよめいた。他校の主将たちはさらにざわつき、会場に集まった記者も一斉にペンを走らせている。
「すげえ、そこに来るかよ」
「これは面白いぞ」
会場内では、熱戦を期待する声が上がっていた。しかし、そんな期待感で満たされた会場の中で、一人だけ厳しい表情をしている者がいた。悠北高校の主将である野村だ。
「……久保くん、こんなに早く当たるとはね」
二番という数字の持つ意味。そう、大林高校は第一シードの下を引き当てたのだ。すなわち、一回戦を突破すれば彼らは悠北高校と対決することになる。去年の夏は劇的なサヨナラ勝ちを収め、秋はコテンパンにやられてしまった。自英学院と同じく、因縁の相手と呼んでいい相手だ。
「学校に戻ったら、まなに叱られるかな」
雄大はぽりぽりと頭を掻きつつも、武者震いを抑えられなかった。夏はすぐそこまで迫っている。各校の球児たちにとって、負ければ終わりの一発勝負。県大会を制して、甲子園への切符を掴み取るのはどの高校か――




