第七話 背番号1
木島工業との練習試合から一週間が経った。今日の大林高校ナインは、福田農業高校との練習試合に臨んでいる。リョウが先発のマウンドに立ち、八回裏まで無失点に抑える好投を見せていた。九回表の攻撃の間、ベンチでは雄大がリョウに声を掛けていた。
「リョウ、なかなか調子が良さそうだな」
「ありがとうございます。いえ、まだまだです」
「どうした? なんか元気無いな」
「……なんでもないです」
そう言って、リョウはグラブを持って投球練習に出て行った。彼は考え事をしているような表情で、どこか地に足がついていない。雄大は不思議に思いながら、彼の様子を見ていた。
その裏の守備、リョウはあっさり三者凡退に退けてみせた。これでゲームセットとなり、五対〇で大林高校が勝利を収めることとなった。皆で喜びのハイタッチを交わしていたが、好投したはずのリョウは依然として浮かない表情をしている。雄大はそのことについて、レイに尋ねることにした。
「なあレイ、アイツどうかしたのか?」
「どう、とは?」
「なんか元気無いと思わないか?」
「ああ――少し考えていることがあるみたいですよ」
「結構深刻な悩みなのか?」
「まあ、その……いずれ分かると思います」
「ふーん、そうか」
腑に落ちないと思いつつも、雄大はとりあえず様子を見ることにした。撤収しようとベンチを片付けていると、携帯電話が鳴った。彼が画面を見ると、「芦田次郎」と表示されている。
「あれ、向こうの試合がもう終わったのか」
芦田はまだ実戦復帰していないため、皆を代表して春季大会を観戦しに行っているのだ。今日は県大会の決勝戦で、悠北と自英学院の対戦となっている。当然、森山を擁する自英学院の勝利が予想されていた。雄大は電話を取り、芦田と話し始めた。
「もしもし、芦田か? こっちは勝ったぞ」
「呑気だな、お前。こっちはえらいことになってるぞ」
「え、なんだって?」
「十三対三で――悠北が勝っちまった」
それを聞いた瞬間、雄大の表情が固まった。あの自英学院が、県大会で十点差をつけられることなど滅多にない。一体何が起こったのか理解できず、黙り込んでしまった。
「もしもし、もしもし? 久保、聞こえてるか?」
「す、すまんすまん。ちょっと驚いてしまってな。それで、何が起こったんだ?」
「どうもこうもない。森山が打ち込まれたんだ」
「え、あの森山が?」
「ああ。フォアボール連発だし、球もあまり走っていなかった。あれじゃ打たれて当然だ」
「そうか……」
それを聞いた雄大は、昨年夏の準決勝を思い出していた。恐怖すら抱かせる直球に、消えるように曲がっていくスライダー。その二つを力いっぱいに投げ込んでいた森山が打たれたと聞き、どうにも信じられなかったのだ。
「芦田、お前から見て森山の調子はどうだった?」
「最悪だよ。けど、それ以上にキャッチャーと合っていないように見えた」
「キャッチャー?」
「松澤さんが抜けてから、どうにも正捕手が定まってないんだよ。森山の球を操れるキャッチャーが現れない限り、アイツの調子は元に戻らないと思うぜ」
その後、雄大はいくつか芦田に質問をして電話を切った。電話の内容を伝えられたまなは少し考え事をしていたが、やがて雄大に対して口を開いた。
「とにかく、これで夏の第一シードは悠北ってわけね」
「ああ。悠北が一気に本命校に成り上がった」
「少し複雑だけど、森山くんが不調なのも私たちには悪いことではないしね」
「まあな。戦うなら互いにベストな状態で戦いたかったが、難しいかもしれんな」
「どちらにせよ、私たちは練習するだけだね」
そうして、大林高校の選手たちは学校へと戻っていった。翌日になり、悠北が大勝したことが県内ではちょっとしたニュースになった。屈指の強力打線を誇る悠北高校が、ついに甲子園に返り咲くのか――と、話題になっていたのだ。
一方で、雄大たちは今日もグラウンドで練習に励んでいた。彼らはいつも通りの練習をこなし、熱心に汗を流している。芦田も今日から皆との練習に復帰し、久しぶりに雄大の球を受けていた。投げ込みを行う二人のもとへ、まながやってきた。
「芦田くん、調子はどう?」
「ばっちりだ。怪我する前と同じ感覚だよ」
「それなら良かった。雄大はどう?」
「いつも通りだ。『新球』も試しているし、良い感じだよ」
「オッケー。ってあれ、リョウくんは?」
「さっきレイと一緒にどっか行ったぞ」
それを聞いたまなは、周囲をきょろきょろと見回していた。すると彼女の視線の先に、グラブを着けたリョウと防具をつけたレイがいた。二人はその視線に気づき、近寄ってくる。
「ちょっと、二人ともどうしたの?」
「まな先輩、お願いがあるんです」
「なあに、リョウくん?」
「僕らに――久保先輩と勝負させてもらえませんか」
「ええっ?」
まなが驚いた声をあげると、雄大と芦田もそれに気づいた。二人も何事かと思い、まなのところへと歩いて行く。
「まな、どうしたんだ?」
「この二人、雄大と勝負したいんだって」
「どういうことだ?」
「それは僕から説明します」
雄大が怪訝に思っていると、リョウが割って入った。彼はさらに話を続ける。
「僕は久保先輩を抜かすつもりで、この一年間頑張ってきました。エースナンバーをつけて野球がしたい。その一心でした」
意外な言葉に、雄大は目を見開いた。それに構わず、リョウはさらに言葉を紡いでいく。
「でも、先輩はやっぱり凄いピッチャーです。他の皆も、夏のエースは久保先輩だと思ってます」
「そんなことは――」
「僕だって、先輩こそエースに相応しいと思います。でも……諦めきれないんです!!」
「!」
リョウにしては珍しく、感情を露わにした。雄大はさらに驚いたが、少ししてから一気に真剣な表情になった。
「僕だって、秋からずっとエースナンバーを背負ってきた自信があります。簡単に先輩に渡すわけにはいかないんです!!」
「つまり、お前が勝負したいってのは」
「その通りです。先輩、僕と背番号1を懸けて勝負してください!!」
次の瞬間、その場がシーンとなった。レイはあわあわとしており、芦田もどうしたもんかと頭をぽりぽりと掻いている。すると、まなが口を開いた。
「たしかに、リョウくんの言うことも一理ある。私も、エースナンバーを渡すならあなたたちのどちらかだと思っていたから」
その言葉に、雄大は静かに頷いた。そして口を開き、リョウに向かってこう告げたのだ。
「まながそう言うなら、断る理由はない。受けて立とう、リョウ」
「ありがとうございます!」
こうして二人は、一年ぶりに真剣勝負をすることになった。リョウはマウンドに立ち、レイがその球を受けている。各ポジションにはレギュラー陣が就いており、他の部員たちは脇で投球練習を見守っていた。雄大がバットを軽く振っていると、まながやってきた。
「雄大、大丈夫?」
「何だ、打てないと思ってるのか?」
「そうじゃない。まあ勝負を受けたのは私なんだけど、こんな一打席勝負で背番号を争っていいのかなって」
「いいんだ。それより、俺はこの勝負で確かめたいことがある」
「え?」
「まあ、見とけって」
やがて投球練習が終わると、雄大は打席へと向かっていった。いつも通りに構え、マウンドの方をじっと見つめている。
(リョウ、お前の力を見せてみろ)
雄大は強くバットを握り直した。一方、リョウもじっとレイのサインを見つめている。やがて頷くと、セットポジションに入った。そしてふうと小さく息をつき、第一球を投じた。
(カーブ!!)
リョウが初球に投じていたのは、スローカーブだった。雄大はぐっとこらえて、思い切りバットを振り抜いた。カーンという金属音が響き、打球が高く舞い上がる。
「えっ」
その瞬間、レイは小さく声を上げた。一球目でいきなり打たれると思わなかったのか、驚きの余り目を見開いている。打球はそのまま綺麗な放物線を描き、外野のネットを越えていった――




