第二話 意外な正体
白球が、打席の一年生に向かって突き進んでいく。このままでは間違いなくデッドボールになる。彼もその軌道を見て、声を上げた。
「え」
そして慌てて身を引き、ボールから逃げようとした。彼はその勢いで尻餅をついてしまう。しかし、次の瞬間に球の軌道が変わった。何かに吸いつけられているように、ストライクゾーンに曲がっていく。そのまま捕手の岩川が捕球すると、審判の右手が上がった。
「ストライク!! バッターアウト!!」
「ナイスピー!!」
まなは大声を出し、雄大の投球を褒め称えた。打者は何が起こったのか理解できず、座り込んだまま呆然としている。雄大が投じていたのは、もう一つのウイニングショットであるシュートだった。
「『手すら出させない』ってのは、こういうことだ」
雄大はそう言うと、岩川からの返球を受け取った。上級生たちは守備位置から本塁付近へと戻ってくる。勝負を見ていた他の一年生たちは唖然として、互いに顔を見合わせていた。すると、まなが立ち上がって打席へと歩み寄っていった。例の一年生の前に立ち、口を開いた。
「君、自英学院出身なの?」
「はい。オレ、自英学院の中等部で野球やってました」
その言葉を聞き、上級生たちもざわつき始めた。まなは構わず、さらに話を続ける。
「レギュラーだったの?」
「ライト守ってたっす」
「打順は?」
「一番が多かったっす」
中等部とはいえ、自英学院で上位打線を打つ。その言葉の持つ意味は重い。そんな彼が、どうしてわざわざ大林高校に入学したのか。皆も気になっていた。
「どうして自英学院の高等部に進学しなかったの?」
まながそう質問すると、その一年生はあっけらかんとして――
「こっちの方が、甲子園に近いと思ったからっすね」
と答えた。仮にも甲子園準優勝校である自英学院よりも、大林高校の方が甲子園に近い。彼はそう言い切ったのだ。部員たちがその真意を掴みかねていると、まなが核心を突いた。
「君、どうして雄大の球種を知ってたの?」
「え?」
「公式戦でもほとんど投げてないのに、新入生の君が球種を知ってたらおかしいじゃない」
周りの部員たちも「たしかに」という表情を浮かべていた。まなの質問に対し、一年生はなかなか答えない。皆が不思議がっていると、雄大が割って入った。
「もういいだろ、雄介」
「あはは、そうだね兄貴」
「「「兄貴ィ!?」」」
雄介の言葉に、周囲が驚きの声を上げた。特にまなは目をまん丸に見開いて、呆気に取られている。雄大は説明を続けた。
「コイツは俺の弟だ。中学三年間、自英学院で軟式野球をやっていた」
「改めまして、久保雄介っす。よろしくお願いします!!」
「部活では先輩として接するように言いつけてあったからな。流石に勝負したいってのは想定外だったけど」
「久しぶりに兄貴の球が打ちたかったんだって!」
「お前、敬語使えよ」
「あ、すいませんキャプテン!!」
二人はハハハと笑い声を上げていた。部員たちはぽかんとその様子を見ていたが、芦田が雄介に向かって口を開いた。
「お前が久保の球を打てたのは、見慣れてたからってことか?」
「うす! あに……久保先輩は家の庭でよく投げてるんで!」
「じゃあ、最後のシュートが打てなかったのは?」
「フロントドアで投げるなんて知らなかったんすよ! 中学の頃はそんな投げ方してなかったし」
フロントドアとは、打者の内角のボールゾーンからストライクゾーンに変化する球を投げることである。雄大は中学時代からシュートを投げていたが、フロントドアで使うことは無かった。そのため、雄介も対応しきれなかったのである。
謎が解けたところで、いつも通りの練習が始まった。一年生たちは、体力づくりのためにランニング等の基礎的なメニューに取り組んでいる。上級生たちはノックを終え、休憩時間に入っていた。皆は水分補給をしながら、一年生が初々しく練習に励む姿を眺めている。
「あの、久保先輩」
「なんだ、リョウ?」
「弟くんは、ピッチャーもするんですか?」
「いや、アイツは外野だけだよ。投げるのは興味ないみたいだ」
「そうですか」
「なんだお前、ポジションの心配してるのか?」
「いえいえ! そんなことないです」
リョウは両手を横に振って否定した。その後、すこし寂しそうに呟いた。
「……ただ、いいなあって。久保先輩の球を間近に見て勉強できるなんて」
「まあ、お前にとっちゃそうかもな」
彼にとって、雄大はライバルであり憧れでもある。間近でその姿を見ることが出来る雄介のことを、羨ましく思っていたのだ。二人が雄介について話をしていると、レイがトントンとリョウの肩を叩いた。
「ちょっと、リョウ」
「どうしたの?」
「いいから、こっち来て」
リョウは不可解な表情を浮かべながら、レイに引きずられていった。雄大も頭に疑問符を浮かべていると、彼の目の前にまなが現れた。頬を膨らませ、何か言いたげな顔をしている。
「ま、まな……?」
「私、弟がいるなんて知らなかったんだけど」
「あれ、言わなかったっけ」
「聞いてないよ! なんでそんな大事なことを黙ってたの!」
雄大が助けを求めて他の上級生の方を見ると、皆が「ご愁傷様」という顔をして笑っている。彼は諦め、まなを隣に座らせた。そして、事の経緯を説明した。
「まあ、言わなかったのは悪かったよ。でも、そもそも三月までアイツとはほとんど会ってなかったんだ」
「どういうこと?」
「自英学院の軟式野球部は全寮制なんだよ。家に帰ってくるのは盆と正月くらいでな」
「そう……だったんだ」
「うちを受験してたことも、アイツが受かった後に知ったんだよ」
一番という打順が示す通り、雄介は野球部でも有望な選手だった。自英学院の高等部に進学すれば、すぐにベンチ入り出来ると言われていた。にも関わらず、彼は大林高校を選んだのである。
「さっき、彼が『こっちの方が甲子園に近いから』って言ってたけどどういう意味?」
「俺にも分からん。けど、そう思われてるなら光栄じゃねえか」
「そりゃ、そうだけどさ」
二人はじっと、グラウンドでランニングを続ける一年生たちの姿を見つめている。雄介はその先頭に立ち、皆を引っ張るように走っている。
「皆遅いぞー!!」
彼は大きな声を出し、へとへとになっている他の一年生を励ましている。彼自身は汗一つかかずに平然としており、その身体能力の高さが示されていた。
「弟くん、やっぱり体力あるんだね。なんかへらへらしてるけど」
「ハハハ、昔からああだからなあ。でも、意外と義理堅いところもあるんだぜ」
「へえ、例えば?」
「自英学院にいた頃、周りの奴らに俺が野球をやめた理由をよく聞かれたらしいんだ」
「それで?」
「でも、アイツは一切言わなかったんだ。俺の面子のためにな」
雄大はそう言うと、じっとグラウンドの方を見た。まなはきょとんとして、雄介に対する認識を改めていた。その口調こそ軽薄だが、雄介は兄のことをしっかりと尊敬しているのだ。
やがて一年生たちはランニングを終えた。皆がばてて動けなくなっている中、雄介は軽く息を切らしながら雄大のところへやってきた。
「なあ、兄貴」
「おい」
「じゃなかった、久保先輩!」
「どうした?」
「ボールを触らせてくれませんか!」
「今日は初日だし、焦らんでもいいだろ」
「でも、俺は軟式しかやってこなかったんすよ! 一日でも早く硬式に慣れたくて」
雄介はいつの間にか左手にグラブを着けており、早く野球をさせろと言わんばかりの態度だった。隣にいたまながどうしたもんかと考えていると、雄大が口を開いた。
「分かった。俺がノックしてやるから、ライトに行け」
「いいんすか!? あざっす!!」
「ちょっと、雄介くんだけ特別扱いしちゃっていいの?」
「心配ないさ。コイツのプレーを見れば他の一年生も文句言わんだろう」
雄大はバットとボールを持ち、本塁へと向かった。まなは彼についていき、近くで様子を見ることにした。雄介はグラブを持ち、嬉しそうにライトの守備位置へと駆けていった。
「まな、なんでアイツが自英学院でレギュラーを張ってたと思う?」
「なんでって、よく打つからじゃないの?」
「それもあるが、本当の武器は別だ。雄介、いくぞー!!」
「おうよー!!」
雄大はそう言って合図した。雄介もグラブを構え、打球を待っている。まなが不思議な顔で見守る中、雄大はカーンと金属音を響かせて大きなフライを打ち上げた。打球は右中間、それもセンター寄りに飛んでいく。
「え、ちょっと」
まなはその打球を見て、思わず声を上げた。並の外野手では到底追い付けそうにない打球で、彼女は雄大がノックを失敗したのではないかと疑った。ところが、その様子を見ていた部員たちが次々に口を開いた。
「お、おい」
「追い付いちまうぞ」
雄介は驚異的な脚力で、一直線に落下地点へと駆け出していたのだ。雄大は何も言わず、少し笑みを浮かべてその様子を見ている。皆が注目する中、雄介は滑り込むことすらせずに余裕で打球を掴み取ってみせた。
「すげー!!」
「足はえーな!!」
「ナイスキャッチー!!」
部員たちは大きな歓声を上げ、雄介に拍手を送っている。まなが呆然と外野の方を見つめていると、雄大が彼女の方に歩み寄ってきた。
「今ので分かっただろ? アイツの武器が」
「う、うん。彼が一番を打ってたのって」
「そうだ。アイツは――あの足でレギュラーを掴み取ったんだ」




