第一話 風物詩
お待たせしました! 第三部、開幕です!
あの悠北高校戦から、約半年が経過した。冬の間、大林高校の部員たちは目標に向かって厳しい練習を続けた。時には心が折れそうになりながら、歯を食いしばって耐えた。攻撃力、守備力、投手力。足りないものはいくらでもあった。夏に向けて、少しでも実力を伸ばす。一つの目的のために、皆が団結した。
そして、春を迎えた。暖かい日も増え、学校の桜も美しく咲いている。今日は入学式の翌日で、野球部にも入部を希望する者が多く詰めかけていた。その中には、昨年夏の準決勝進出という実績を見て大林高校に入学を決めた者もいた。
「いや~、すごい数だね~!!」
グラウンドに集まった一年生の数を見て、まなは驚いたような声を上げた。彼女は今年度も監督として野球部の指揮を執っている。
「まな先輩、一年生を集合させてきますね!」
そう返事したのは、マネージャーのレイだ。相変わらずの引っ込み思案だが、一年間の野球部生活を経てすっかり頼れる存在となっていた。
レイがグラウンド中央に新入部員を集め、それに合わせて上級生も集合した。まなは皆の前に出て、挨拶を行った。
「大林高校野球部にようこそ! 私は監督の滝川まなと言います。よろしく!」
ぱちぱちと拍手が巻き起こった。一年生の中には女子マネージャーが監督をしているとは知らなかった者もおり、少々困惑していた。
「じゃあ次、キャプテン!!」
まなが促すと、雄大が立ち上がった。その姿を見て、一年生からおおっという声が上がった。去年の夏の大会において、彼は六本の本塁打を放っている。県内では、結構な有名人だったのだ。
「キャプテンの久保雄大だ。県大会で優勝して甲子園に行く、というのが俺たちの目標だ。練習はつらいだろうが、頑張ろう」
そう話すと、再び拍手が巻き起こった。その後、上級生たちが続いて自己紹介していった。
「三年の芦田次郎、副キャプテンだ。ポジションは捕手」
「二年の平塚リョウです! ピッチャーとファーストやってます!」
「三年の青野強と言います。セカンドです」
「同じく三年の中村洋平だ。ポジションはセンターだ」
「えーと、二年の平塚レイです。マネージャーです」
やがて全員分の自己紹介が終わり、雄大が口を開いた。
「よし、上級生はこんなもんだ。次は、君たちに自己紹介をしてもらおうかな」
「ちょっと待ったー!!」
その時、一年生の中から雄大の発言を遮る者が現れた。真新しいユニフォームに身を包んでいるが、身体つきはしっかりとしている。雄大は彼の方を向き、鋭い視線を向けた。
「なんだ?」
「去年、先輩といきなり勝負した一年がいたって聞いたんですけど!!」
彼がその言葉を発した途端、リョウとレイがビクッと反応した。二人はそっぽを向いて、何のことだか分からないというふうにとぼけている。雄大はその二人を指さして、口を開いた。
「その二人だ。勝負を申し込んだ挙句、ホームラン打たれたけどな」
双子は顔を赤くしてすっかり縮こまっていた。その様子を上級生たちがクスクスと笑っていると、雄大は話を続けた。
「それで、お前はどうしたいんだ?」
「先輩と勝負がしたいっす!!」
「どうやって?」
「先輩が投げる球を、俺が打ちます!!」
一年生がその言葉を発した瞬間、上級生がざわつき始めた。雄大の球を打つというのが、どういう意味を持つのか。そのことを理解している彼らにとって、この一年生の発言は無謀に思えたのだ。
「いいよ。雄大、勝負して」
すると、まなが雄大に向かってこう言った。上級生はその言葉に驚き、さらに騒がしくなる。
「滝川、本気かよ? 打てるわけないだろ」
「勝負したいって言ってる人間を、止める理由なんてないよ」
「って言ったって、久保の球だぜ」
「別にいいの! それに――君たちだって、雄大の球を見てみたいでしょ?」
まなが他の一年生たちにそう呼びかけると、彼らはうんうんと頷いた。雄大が公式戦で登板したのは、去年の秋の大会のみだ。それでも、その剛速球の噂は県内中に広まっていたのだ。
結局勝負することになり、部員たちが守備位置に散って行った。基本的にはレギュラー陣が守備に就いているが、捕手のポジションには二年生の岩川が就いている。芦田はグラウンドの脇で、まなと共にその様子を見ていた。
「なんだか、毎年恒例になっちゃってるな」
「雄大がおにーちゃんと勝負したのが二年前だなんて、信じられないね」
「あの時はすげえ奴が同級生にいるなあと思ったよ」
二人は雄大の入部当初を懐かしんでいた。グラウンドでは投球練習が始まっており、例の一年生はそれに合わせて素振りをしている。
「滝川、あの一年どう思う?」
「身体はしっかりしてそうだね。結構鍛えられてたみたい」
「ほお、どこで野球してたんだろうな」
「それが、さっき彼の道具に刺繍してあるのを見たんだけど」
「お、どこどこ?」
「『自英学院中等部』って書かれてた」
「えっ」
その言葉を聞き、芦田は耳を疑った。自英学院の中等部は、軟式野球の名門校として知られている。野球部員の多くはそのまま高等部に進学し、甲子園を目指すことになる。つまりこの一年生は、わざわざ自英学院でなく大林高校を選んで進学したというわけだ。
「肩温まったから、もういいぞ」
間もなく、雄大は投球練習を終えた。打席に入るよう促すと、一年生もそれに従って左打席に入った。
「お前、俺の球種知ってるか?」
「知ってるから大丈夫っす!!」
「そうか、ならいい」
まなは二人の会話を聞き、違和感を覚えた。雄大は秋の大会では直球しか投げておらず、それ以外に対外試合で投げた経験もない。すなわち、雄大が何の球種を投げるのか知っている人間など校外にいないはずなのだ。
(あの子、一体何者?)
まなはこの一年生の正体が知りたくなっていた。自英学院高校への進学を捨て、わざわざ大林高校に進学してくる。そのうえ、雄大の球種を知っているというのだ。不思議に思わないはずがなかった。
「プレイ!!」
球審役の部員が号令をかけた。各ポジションの部員たちは一斉に構え、打球に備えている。脇で見ている一年生たちは、今か今かと雄大の投球を待ちわびていた。
雄大はキャッチャーミットを見て、大きく振りかぶった。左足を上げると、勢いよく踏み込み、第一球を投じた。直球が唸りをあげ、本塁へと向かっていく。そのままズドンという捕球音が響き渡り、審判がコールした。
「ストライク!!」
「うわ、すっげえ」
「マジでエグい」
次の瞬間、脇で見ていた他の一年生たちが騒がしくなっていた。一方で、打席に入っている例の一年は気にすることなく、悠然と見逃していた。それを見て、芦田はまなに声を掛けた。
「やっぱり自英学院出身は違うみてえだな」
「全然動じないね」
「でも、久保も驚いてないな」
「本当だ、なんでだろう」
その一年生は、速球を見ても全く動じていない。しかし、雄大がそれを不審がることもない。まなと芦田は、グラウンドで向かい合う二人のことを不思議がっていた。
雄大は振りかぶり、第二球を投じた。初球と同じく、直球だった。すると一年生はバットを出していき、そのまま当ててみせた。ただ振り遅れていたため、打球は三塁線を切れていった。
「ファウルボール!!」
「すげえ、アイツ当てたぞ」
「嘘でしょ、信じられない」
脇で見ていた二人は、ファウルとはいえバットに当たったことに驚いていた。それでも雄大は動じず、平然とマウンドに立っている。打席の一年生は軽くバットを振り、スイングを修正していた。その姿はまるでベテランのプロ野球選手のようで、周囲に貫禄すら感じさせていた。
「なんかあの二人、レベル高くないか」
「ちょっと、これは想定外かも」
目の前で起こっていることを理解できず、二人は顔を見合わせた。まなとしては、元気の良い一年生の実力を見てやろう――という軽い気持ちで勝負させたのだった。それが今、高校生とは思えぬハイレベルな対決に変貌していたのだ。
雄大は岩川の出したサインに頷いた。一年も打席でバットを構え、マウンドと対している。周囲は固唾を飲んで、勝負の様子を見守っていた。雄大は振りかぶって、第三球を投じた。
(真っすぐ!!)
白球が、高めの軌道を真っすぐ突き進んでいく。打席の一年生はそれを見てスイングを開始した。しかし、本塁の手前でボールは急激に軌道を変えた。そのまま彼の左足を目掛け、一気に落下していく。雄大が投じていたのは、得意球の縦スライダーだった。
(決まった!!)
見守っていたまなも、雄大の勝利を確信した。直球はともかく、初見で彼の変化球を捉えられる打者はまずいない。打席の一年生もそのまま空振りするのだと思い込んでいた。
「ッ!」
しかし、彼は上手くタイミングを合わせてみせた。声を漏らしながら、バットを半ば縦にして無理やり当ててしまったのだ。鈍い金属音が響き、一塁側のファウルグラウンドにボテボテと打球が転がっていった。
「ファウルボール!!」
「「嘘!?」」
脇で見ていたまなと芦田も、流石に信じられなかった。高めのストライクゾーンから、一気に左打者の足元へと落ちていく縦スライダー。雄大のウイニングショットの一つで、これに当てるというのは至難の業なのだ。
「お前、なかなかやるな」
「あざっす!!」
雄大が一年生を褒めると、彼も礼を返した。芦田がそれを呆然と見守っていると、隣にいたまなが立ち上がった。マウンドの方を見て、大きな声で叫んだ。
「雄大!!」
雄大はビクッと反応して、まなの方を見た。彼女は真剣な表情で、話を続けた。
「話している暇があるなら、さっさと抑えなさい!!」
彼女にとって、今の状況は我慢ならないものだった。自分の球をファウルにされても、雄大は悔しがるどころか相手を褒め称えている。投手としての自覚はないのかと、彼に問いたかったのだ。
「おぉ、夫婦喧嘩が始まった」
芦田が小声でそう言うと、まなは隣をギロリと睨みつけた。芦田は慌てて姿勢を正し、すました顔をしている。すると、雄大が口を開いた。
「大丈夫だ、心配ない。次で抑えてやるよ」
そう言うと、彼は右手でボールを握った。そして打席に向かい、こう告げたのだ。
「手すら出させないから、覚悟しろよ」
「上等っす!」
一年生も大声で返事をして、その挑発に応えた。雄大は岩川のサインに何度か首を振ったあと、頷いた。
(次の球で抑えなかったら、ただじゃおかないんだから)
まなは真剣な表情を崩さず、戦況を見守っていた。雄大は大きく振りかぶって、第四球を投じる。その指から解き放たれたボールは、打者の身体目掛けて進んでいった――




