切り札の男

第二部 大砲と魔術師

第三十五話 主将として

　八回表、大林高校の攻撃が始まる。この回の先頭打者は、九番のリョウだ。彼は軽く素振りをすると、ゆっくりと打席に向かっていく。

「八回表、大林高校の攻撃は、九番、ピッチャー、平塚くん」

「打てよー！！」

「かっとばせー！！」

　好投を続ける一年生投手に対し、観客席からも熱い期待が寄せられていた。この試合、リョウは大きな存在感を示している。彼が出塁すれば、チームに勢いを生むことが出来るのだ。

「リョウ、絶対出ろよー！！」

　そう強く声援を送るのは、ベンチの久保だ。彼も当然、今のリョウの立場は分かっている。自分になんとかチャンスで回るように、そう祈っていた。

（さっきは三振だったが、勢いがある相手だ。倫太郎、確実に抑えるぞ）

　松澤もリョウを警戒し、慎重にリードしている。初球、彼は高速スライダーのサインを出した。八木もそれに頷き、ノーワインドアップで第一球を投じた。白球が外角に向かって曲がっていくが、リョウはしっかりと見送った。

「ボール！」

「倫太郎、それでいい」

　松澤は冷静に声を掛けた。リョウはバットコントロールに長けており、当てれば安打になる確率が高い。バッテリーもそれを把握しており、簡単には当てさせないよう配球を組み立てていた。

（さっきは力押しだったけど、この打席はかわしてくるのか）

　リョウもそれを察知し、頭の中で考えを整理していた。試合はもう終盤。自英学院としても追加点が取れていない以上、一点でも与えるわけにはいかなかった。

　続いて、八木は第二球を投じた。今度はゾーン内へのスライダーだ。リョウは辛うじて当てたが、三塁線を切れていくファウルとなった。

「オッケー、いいぞ」

　松澤は想定通りといった感じの反応を見せていた。八木も表情を変えず、冷静に振舞っていた。一方のリョウは、バッテリーの配球を読んでいた。

（外角一辺倒とは思えない。どこかで内角に来るはず）

　彼は内角の球に狙いを絞り、バットを構えた。その予想通り、松澤は内角に構える。直球を一球だけインコースに見せて、あとは外の変化球で押し切るつもりだった。八木は足を上げ、第三球を投げた。直球がリョウの胸元に向かって突き進んでいく。

（来たっ！）

　リョウは肘をたたんで、うまくバットに当ててみせた。そのまま流し打つような格好で、無理やりバットを振り切った。

「なっ……」

　インコースを流し打つという芸当に、松澤も思わず声を出した。打球はふらふらと左方向に舞い上がっていく。遊撃手が追っていくが、そのままレフト前にポトリと落ちた。これで無死一塁となった。

「っしゃあ！！」

　ベンチで誰よりも強く叫んだのは、久保だった。先頭打者の出塁に、ベンチも盛り上がる。塁上のリョウは左手を突き上げ、声援に応えていた。

「一番、ライト、木尾くん」

「木尾先輩、頼みますよー！！」

「打てよ木尾ー！！」

　打順は一番に戻り、打席に木尾が向かう。ブラスバンドの演奏はより活気づき、彼の背中を押していた。

「まな先輩、どうするんですか」

「三点差だし、木尾先輩を信じて打たせるしかないよ」

　レイはまなに対し、作戦の確認をしていた。八回で三点差となれば、とにかくランナーを溜めるしかない。木尾もバットを強く握り、八木と対していた。自英学院はゲッツー態勢を取り、内野ゴロに備えていた。

「木尾先輩、変化球を打たされるのだけは避けてもらわないとな」

「なんとか内野手の間に打ってほしいね」

　久保とまなはそんな会話を交わした。ゲッツーシフトのため、一二塁間と三遊間は広く開いている。ヒットゾーンを狙えるか、木尾の技術が試される場面となった。

（倫太郎、ゾーンに集めて打たせていくぞ）

　一方で、松澤は内寄りに構えた。ストライクを投げさせ、木尾が引っかけるのを狙っていたのだ。八木はセットポジションから、第一球を投じた。松澤の構えた通り、内角にストレートが飛んでいく。木尾はそれを見逃さず、左方向に打ち返した。

　カーンと良い音が響き、観客席も沸き立った。打球はそのまま三遊間を抜けるかと思われたが、遊撃手がなんとか飛びついた。

「くそっ！」

　木尾は一塁に駆けながら、悔しそうに声を上げた。遊撃手は身を起こすと体を反転させ、二塁へと送球した。リョウのスライディングより僅かに早く二塁手が捕球し、これでワンアウトとなった。

「ナイスショート！！」

「ワンアウトなー！！」

　自英学院の選手たちは、好守を見せた遊撃手を称えていた。次は二番の近藤が打席に向かう。彼は六回にライト前ヒットを放っている。この打席でも打棒を発揮させ、クリーンナップに繋ぐことが出来るか。

「さぁこい！！」

　近藤は打席に入ると、気合いを入れて大声を出した。八木は構わず、松澤とサインを交換している。そのまま、第一球を投じた。

　白球が真っすぐ本塁へと突き進んでいく。低めだったため、近藤は見逃したがギリギリストライクゾーンに入っていた。

「ストライク！！」

「オッケー、ナイスボール」

　松澤は頷きながら返球した。近藤はバットを握り直しつつ、再び打席に入った。大林高校のベンチは、祈るように彼を見つめている。

　しかしその願いと反して、八木は圧倒的な実力を見せつけていく。その後も力のある直球をストライクゾーンに集め、なかなか前に飛ばすことを許さない。カウントはワンボールツーストライクとなった。

「近藤先輩、集中集中ー！！」

「よく見てー！！」

　ベンチは必死に声援を送るが、その祈りは届かなかった。八木は五球目にスプリットを投じると、近藤から空振り三振を奪ってみせたのだ。

「ストライク！！　バッターアウト！！」

　近藤は後ろを振り向き、ボールが収まったミットをじっと見た。しまったという表情で天を仰ぎ、ベンチへと下がっていった。

「八木ー、ツーアウトだぞー！！」

「落ち着いていけー！！」

　無死一塁という大チャンスが、二死一塁という状況に変わってしまった。大林高校の選手たちは悔しそうな表情で、じっと八木を見つめていた。

「頼みますよ、キャプテン！！」

　すると、大きな声がした。部員たちも思わずその方向を向く。声の主は久保だ。ネクストバッターズサークルから、岩沢に向かって声援を送っていたのだ。岩沢は打席へと歩きながら、それに頷いた。

「岩沢打てよー！！」

「繋げよー！！」

　久保の声援を聞いて、他の選手たちも声を出し始めた。観客席も拍手を送り、主将の彼にエールを送っていた。

「三番、サード、岩沢くん」

　アナウンスが流れると、岩沢はふうと息をついた。いつも通りの所作で打席に入ると、バットを構えた。

（一打席目で打たれてるし、繋がれると次は久保だ。厄介だな）

　松澤も岩沢のことを警戒していた。主将である彼に出塁を許せば、大林高校は勢いづいてしまう。そのうえ、次の打者は四番の久保だ。当然、なんとしても抑えたい場面だった。

（四球が一番最悪だ。力押しで行くぞ、倫太郎）

　そして松澤は、内角への直球のサインを出した。八木はその意図を理解し、頷いた。セットポジションから一塁に牽制球を送り、間合いをとる。そして、第一球を投じた。

（真っすぐ！！）

　岩沢は打ちにいくが、ついていけずに空振りした。そのまま白球がミットに収まると、審判の右手が上がった。

「ストライク！！」

「岩沢先輩ナイススイングー！！」

　ストライクでも、久保は前向きに声援を送っていた。岩沢が出れば一発出れば同点の場面となる。大林高校にとって、最大のチャンスとなるのだ。

　八木はセットポジションから第二球を投じる。その球速を見て岩沢もスイングをかけたが、ボールはストンと落下した。ストライクゾーン内のスプリットだったのだ。これでノーボールツーストライクと追い込まれてしまった。

「ナイスピー！」

「いいぞ八木ー！！」

　八木は追い込んだことで、少し表情が和らいだ。大林高校の選手たちは必死に声を出している。ブラスバンドの応援も熱を帯び、岩沢に力を送っていた。

「岩沢先輩……」

　まなはただ祈ることしか出来ず、じっと岩沢を見つめていた。主将として、この一年間ずっとチームを率いてきた。彼の実力が、今まさに試されようとしていたのだ。

「つないでくださいよ、岩沢先輩ー！！」

　久保もネクストバッターズサークルから声を張る。八木はセットポジションから、第三球を投げた。ボールは低めの軌道で、本塁へと向かっていく。岩沢はスイングを開始した。

（真っすぐ……いや違う！）

　しかし、振り切る直前でスイングを止めた。白球がさっきと似た軌道で、地面に向かって落下していった。ワンバウンドとなり、松澤は体で止めた。

「ボール！」

「「あぶね～！！」」

　大林高校の選手たちもほっと息をついた。一方、仕留め損ねた八木は悔しそうに返球を受け取った。岩沢は表情を変えず、じっとマウンドの方を向いている。

（さっきエラーで迷惑をかけたし、簡単に打ち取られるわけにはいかねえ）

　彼は強く決意し、どんな形でも塁に出るつもりだった。八木はその後も変化球を投げ込んでいくが、岩沢は必死に食らいついていく。ボール球はしっかりと見極め、フルカウントとなった。

「岩沢いいぞー！！」

「絶対打てよー！！」

　必死に頑張る主将の姿に、球場中から歓声が起こっていた。八木もその雰囲気に徐々に飲まれていき、制球を乱してしまった。最後はスライダーがワンバウンドとなり、フォアボールとなった。

「よっしゃー！！」

「すげええ！！」

　審判がフォアボールを告げた瞬間、まるでホームランでも打ったかのような雰囲気になった。岩沢は一塁へと歩き出そうとするが、ネクストバッターズサークルの久保を指さした。

「あとは任せたぞ、久保！！」

「はい！！」

　久保は大きな声でそう答え、バットを軽く振っていた。ツーアウト一二塁となり、自英学院はタイムを取った。伝令が送られ、守備隊形等の指示を伝えていた。

「外野は後退だな」

「その通りです、松澤先輩。一点は仕方ないとのことです」

「仕方ない、健太。割り切っていこう」

「しかし、またこんなときに久保とはな」

「やっぱり、アイツは持ってるよ」

　八木と松澤の二人は素振りをして待つ久保を見て、そんな会話をした。去年と似たような場面で、再び久保に打席が回ったのだ。八木と久保の二人にとって、去年のリベンジとなる機会となった。

「倫太郎、次の打席は『アレ』使うからな」

「分かってる。ここまでアイツのために温存してきたからな」

「じゃ、気負うなよ」

「ああ、楽しんでいこうぜ」

　そうして、自英学院の内野陣は散っていった。そう、このバッテリーはある兵器を未だに使っていないのである。この試合、大事な場面で久保に打席が回るかもしれない。そう考えていた二人は、予め作戦を立てていたのだ。

　久保は八木から一発を放ち、同点に追いつくことができるのか。それとも、再びしのがれてしまうのか。強豪のエースと、それと対する新鋭校の大砲。試合はまさに、山場を迎えていた――