切り札の男

第二部 大砲と魔術師

第二十一話 四番と四番

　一回表、悠北高校の攻撃。リョウはまっさらなマウンドに立ち、投球練習を行っていた。エースの梅宮は一昨日に九回まで投げている。リョウがどこまで持ちこたえることができるか、そこに今日の試合がかかっていた。

「リョウ、頑張れー！！」

　ベンチからはレイが声援を送っている。間もなく投球練習も終わり、一番打者が左打席に入った。悠北高校のブラスバンドが威勢よく演奏し、打者を盛り立てている。審判が号令をかけ、試合が始まった。

「プレイ！！」

　一番打者に対し、リョウは冷静に投げ込んでいく。コーナーにしっかり投げ分け、なかなか打者に的を絞らせない。最後はスローカーブを振らせて、三振を奪った。

「ストライク！！　バッターアウト！！」

「ナイスピー！！」

「いいぞリョウー！！」

　まずワンアウトだ。リョウはほっと息をつき、芦田からの返球を受け取った。強力な悠北打線に対しても、彼は臆することなく投球することが出来ていた。

　続いて、二番打者が右打席に入った。芦田は直球のサインを出して、外角低めに構えた。リョウは頷き、セットポジションに入る。そのまま、第一球を投げた。

（良いコース！！）

　ボールは芦田の構えた通りにやってきた。しかし、打者は思い切り足を踏み込んでバットを振り切ったのだ。カーンという金属音が響いて、大きな飛球が右方向へと舞い上がる。

「ライトー！！」

　芦田が大声で叫んだ。右翼手の木尾は走って後退したが、しっかりと落下地点に入って捕球した。これでツーアウトだが、リョウの心は穏やかではなかった。

（今のコースで、あそこまで運ばれるのか）

　彼は、きっちりと外角低めに投げ込んだつもりだった。普通の打者ならば手が出ないコースだが、悠北の打者はしっかりと踏み込んでスイングをかけてくるのだ。改めて、悠北の打線が強力である所以を思い知ったのだった。そうこうしているうちに、三番の尾田が左打席に向かっていた。

「三番、ライト、尾田くん」

「頼むぞー尾田ー！！」

「打てよー！！」

　アナウンスが流れると、悠北高校の応援席からは歓声が上がった。尾田は巧打者であり、強力打線の中でも厄介なバッターの一人だった。バットコントロールに長けており、どのコースでも安打にしてしまう技術があった。

（リョウ、コイツは厄介だぞ。心していけよ）

　芦田は初球に外角の直球を要求した。リョウはそのサインに頷き、セットポジションに入る。そのまま、第一球を投じた。白球はわずかにストライクゾーンの外側を通過し、芦田のミットに収まった。尾田はピクリとも反応せず、見逃した。

「ボール！！」

「ナイスセン尾田ー！！」

「よく見ていけー！！」

　これでカウントはワンボールノーストライクだ。芦田はボールをリョウに返しながら、次の一球を考えていた。

（次はボール一個分、内に）

　続いて、リョウは第二球を投げた。今度はアウトローいっぱいのストレートだ。これにも尾田は反応せず、見逃した。

「ストライク！！」

「いいぞリョウー！！」

「その調子だー！！」

　ストライクが取れたことで、今度は大林高校のベンチが盛り上がった。芦田はインコースに構えて直球を要求した。胸元を抉ったあと、最後にスローカーブで仕留める算段だった。

　リョウはそのサインに従って、第三球を投げた。指から放たれた白球が綺麗な直線軌道を描き、芦田のミットへと向かっていく。すると、尾田がテイクバックを取ってスイングを開始した。巧みに肘を畳むと、そのまま右方向へと打ち返したのだ。

「セカン！！」

　芦田の指示も虚しく、打球は一二塁間を抜けていった。尾田はインコースの直球を狙っていたのだ。リョウは制球が良いだけに、配球を読まれると狙い打ちされやすいという弱点があった。

「リョウ、切り替えていけよ」

　芦田がそう声を掛けると、リョウが頷いた。状況はツーアウト一塁だが、ランナーは足のある尾田だ。大林高校は、初回からピンチを招くこととなった。

「四番、サード、野村くん」

「野村頼むぞー！！」

「かっとばせー！！」

　アナウンスが場内に流れると、悠北高校の応援席から大きな歓声が巻き起こった。夏の大会で、野村はここまで二本塁打を放っている。二年生ながら悠北の四番を背負っているということで、その注目度は大きかった。

（とにかく低めだ、リョウ）

　芦田は直球のサインを出し、外角低めに構えた。リョウはサインを見たあと、セットポジションに入る。すると、彼の目に大きくリードを取る尾田が映った。たまらず一塁に牽制球を送り、警戒していた。

（あまりランナーに入れ込むなよ、リョウ）

　レフトを守る久保は、リョウが過度に尾田を警戒しているのが気になった。投手にとって、本来勝負すべき相手は打者である。しかし走者に気を取られれば、本業が疎かになるのは当然のことだった。

　リョウは小さく足を上げ、投球動作を始めた。尾田はスタートを切らず、じっと彼を見つめている。白球が、マウンドから放たれていった。

（高い！！）

　芦田はその球を見て、血の気が引くような思いがした。彼の構えよりもはるかに高い軌道で、ボールが飛行してくる。それを見た野村は迷わずバットを振り切った。カーンという快音を残して、大きな飛球が舞い上がった。観客たちは立ち上がり、歓声を上げて打球を見守っていた。

「センター！！」

　大声で芦田が指示を飛ばした。中堅手の中村が後ろに下がっていく。彼はそのまま打球を追って行くが、やがてフェンスに到達して足が止まった。ゴンという鈍い音を響かせ、打球がバックスクリーンに直撃した。

「よっしゃー！！」

「ナイスバッティングー！！」

　悠北高校のベンチから、ホームランを称える声が飛んでいる。野村は右手を突き上げ、ダイヤモンドを一周していた。二塁を回った際、彼はちらりとレフトの方を見た。

（アイツ、俺の方を見たか？）

　久保も視線に気づき、その意図を探っていた。彼はシニア時代に野村の噂こそ耳にしたことがあったが、直接の面識は無い。過去の記憶を辿りながら、何かないかと考えを巡らせていた。

　リョウは五番を内野フライに打ち取り、なんとか一回表を終えた。しかし、野村のツーランで二対〇となってしまった。大林高校は、今大会で初めて先制点を許すこととなった。ベンチに戻ったリョウを、まなが出迎えた。

「リョウくん、切り替えて！！」

「滝川先輩、すみません」

「野村くんが相手だし、仕方ないよ。それに――」

　そう言うと、彼女はちょうどベンチに戻ってきた久保を指さした。

「うちの四番も、打ってくれるから！！」

　それを聞いた久保は、リョウに声を掛けた。

「お前が何本打たれようとも、俺が打ち返してやる。心配すんなって」

「久保先輩！！」

「なんだお前、落ち込んでないじゃないか」

　リョウは久保に声を掛けられてすっかり元気になった。そして間もなく、一回裏の攻撃が始まった。悠北高校の先発投手はエースの小川だった。彼は右のサイドスローで、スライダーが持ち味の投手だ。

　しかし、小川はなかなか制球が定まらず、一番の木尾にセンター前ヒットを許した。近藤は内野ゴロに打ち取ったが、その後に岩沢にもセンター前ヒットを打たれてワンアウト一三塁となった。

「ナイスバッティング岩沢先輩ー！！」

「ナイバッチー！！」

　二点を取られて少し気落ちしていた大林高校のベンチだったが、チャンスを作ったことで再び盛り上がり始めた。そして場内アナウンスが流れると、ネクストバッターズサークルに球場中の視線が集まった。

「四番、レフト、久保くん」

「久保頼むぞー！！」

「ぶちかませー！！」

　大林高校の応援席から大きな歓声が上がった。前の試合では四打席連続敬遠があり、久保はまともに勝負させてもらえなかった。今日こそ特大の一発を、そんな期待で満ちていたのだ。

「小川先輩、落ち着いていきましょう」

「ああ、分かってるよ」

　三塁手の野村は、マウンドに声を掛けていた。小川は額に流れる汗を拭いながら、彼に向かって返事した。悠北高校の内野陣はゲッツー態勢をとり、一点はやむを得ないという意思を見せていた。

「「かっとばせー、くーぼー！！」」

　応援団は声を揃えてエールを送っていた。打席の久保はじっとマウンドの方を見つめ、集中して構えている。小川は目でランナーを牽制しつつ、セットポジションから初球を投じた。白球が、久保の胸元を目掛けて飛んでいく。

「ッ！」

　その球を見て、久保は思わずのけぞった。内角への厳しいボール球だったが、かろうじて躱してみせた。

「オッケー、それで良い」

　捕手はそう言うと、小川にボールを返した。久保は今大会で三本の本塁打を放っており、試合前の時点で野村を上回る数字を残していた。敬遠とまで行かなくとも、厳しい内角攻めを受けるのは当然のことだった。

（デッドボールすれすれで良いわけないだろ、何言ってんだ）

　久保は捕手の発言に少し腹を立てつつも、バットを構え直した。小川は捕手のサインを見たあと、再びセットポジションに入った。

（リョウのためにも打ってやらんとな）

　そう決意した久保は、あるコースに狙いを絞った。小川は小さく足を上げ、第二球を投じた。今度はさらに厳しめのコースで、ボールが内角に向かって進んでいく。

（来たッ！！）

　久保はうまく肘を抜き、そのままバットを振り切った。金属音とともに、打球が右方向に舞い上がる。

「ライトー！！」

　悠北高校の捕手が声を張り上げた。打球はファウルラインの真上付近をかなり高く舞い上がっている。観客たちも一斉に視線を注いでいるが、誰もがライトへのファウルフライだと思っていた。

「あれ？」

「えっ？」

　ところが、少しずつ戸惑いの声が上がり始めた。ボールがいつまでも落ちてこないのだ。右翼手も追って行くが、ポール付近のフェンス前に立ち止まった。間もなく、打球がギリギリ柵を越えて外野スタンドの芝生に入った。

「ホームラン！！」

　次の瞬間、一塁塁審が人差し指を突き上げてクルクルと回した。遅れて歓声が巻き起こり、球場中がどよめいた。

「何だ今の！？」

「すげえホームランだ……」

　これでスリーランホームランとなり、二対三とあっさり逆転してしまった。大林高校のベンチも度肝を抜かれ、喜ぶどころか顔を見合わせていた。

「あいつヤバいな」

「俺、ライトフライかと思った」

　球場中がざわついていた一方、悠北高校のバッテリーはうなだれていた。厳しくインコースを攻めたつもりが、しっぺ返しを食らってしまったのだ。そのダメージは大きかった。

　久保は小走りで二塁を回り、三塁付近に差し掛かろうとしていた。そのとき、三塁手の野村が口を開いた。

「ナイスバッティング」

「え？　ど、どうも」

　久保はそれを聞いて困惑したが、野村はじっと立っていた。古豪の強打者と、新星のように現れたホームランバッター。この二人が、試合を混沌へと陥れていく――