第十八話 目前
八回表、木島工業の攻撃は二番からだ。梅宮はこれまでと同じように打者に投げ込んでいたが、疲労の表情は隠せていなかった。とはいえ、まだ無失点。まなはリョウに肩を作らせつつも、可能な限り梅宮を引っ張る方針だった。
「梅宮、頑張れ！！」
「ナイスピーだぞ、梅宮ー！！」
大林高校の内野陣は、大声で梅宮の投球を盛り立てていた。彼は先頭の二番打者をセカンドフライに打ち取り、さらに三番はサードゴロに打ち取った。これでツーアウトとなったが、次の打者は四番の中野だ。ランナーなしとはいえ、大林高校にとっては嫌なバッターだった。
「中野頼むぞー！！」
「打てよー！！」
木島工業の応援団から、中野の打棒に期待する声が上がっていた。八回表でまだ二点差。ランナーが出ればまだまだ分からない、彼らにはそんな期待感があった。
（さっきはカーブを打たれてるし、真っすぐで押していくか）
芦田は中野の打席を振り返り、サインを出した。梅宮はそれに従い、直球を投げ込んでいく。ツーボールワンストライクと打者有利なカウントになってから、彼は四球目にストレートを投げた。低めの良いコースだったが、中野は上手く流し打った。
「セカン！！」
芦田の指示も虚しく、打球が一二塁間を抜けていく。これでライト前ヒットとなり、中野にとっては今日三本目の安打となった。
「いいぞ中野ー！！」
「ナイスバッティングー！！」
これでツーアウト一塁となり、木島工業の応援団もさらに盛り上がった。打席には五番打者が入り、マウンドに対した。梅宮は力を込めて投げこんだが、打者もなかなかアウトにならず粘っていた。とうとう根負けした梅宮が甘い直球を投げてしまい、センター前へと弾き返された。
「ナイバッチー！！」
「チャンスだぞー！！」
ツーアウト一二塁となり、ピンチとなった。まなはタイムを取って伝令を送り、梅宮に指示を伝えていた。内野陣もマウンド上で彼を励まし、次の打者に備えていた。タイムが終わると、外野は後ろに下がって一塁ランナーの生還を阻止する構えを見せた。
「梅宮先輩、ファイトー！！」
投球練習をしていたリョウも、マウンドへと声援を送っていた。梅宮は一回戦と二回戦の両方で好投してきた。この三回戦も、まだ失点することなくマウンドに立っている。球威では去年の竜司に劣るが、エースとしての風格は彼に引けを取らなかった。
続く六番打者に対し、丁寧に低めを突いていく。打者もなんとか対応しようと食らいつくが、前に飛ばせない。木島工業の応援団はますます活気づき、なんとか得点をと祈っていた。しかし最後には、梅宮がカーブを投じて打者を泳がせた。
「サード！！」
芦田が指示を飛ばすと、岩沢が捕球体勢へと入った。そのまましっかりとキャッチして、これでスリーアウトとなった。
「おっしゃあ！」
珍しく、梅宮が大声で叫んだ。それを見た観客席も拍手を送り、彼の投球を称えていた。
「ナイスピー梅宮！！」
「いいぞー！！」
もちろん、大林高校の選手たちも彼に声を掛けていた。ここまで八回を投げて未だ無失点。彼はエースとしての役目を十分に果たしていたのだ。
そして、八回裏の大林高校の攻撃。先頭打者だった六番の門間が打ち取られたものの、七番と八番の連打でワンアウト一二塁のチャンスとなった。次の打者は九番の梅宮だが、まなは代打を出さずにそのまま打席へと送り込んだ。
「まな、いいのか？」
「迷ったけど、九回もこのまま投げてもらおうと思う」
「梅宮先輩、結構疲れてるだろ」
「でも、向こうの打者は完全には捉えられてない。まだ無失点だし、代えたら向こうに勢いがつくかも」
「まあ、まだ球に力はありそうだしな」
「うん。このまま完封してくれればベストだね」
久保とまなはそんな会話を交わした。梅宮は何度かピンチを招いていたものの、要所を締めて無失点としていた。続投か、継投か。監督のまなにとっては悩ましい場面を迎えていた。
打席の梅宮は粘ったものの、ファーストゴロに打ち取られた。これでランナーが進塁し、ツーアウト二三塁となった。
「ドンマイ梅宮ー！！」
「気にすんなー！！」
梅宮はバットを置くと、投球練習へと向かった。そして打席には、一番の木尾が入った。大林高校の応援団も大きな声援を送り、なんとか追加点をと願っていた。北山も汗を拭いながら懸命に投球し、ツーボールツーストライクとなった。
「木尾先輩、打てるよー！！」
「ファイトー！！」
ベンチからそんな声援が飛ぶなか、北山は第五球を投げた。指から放たれた白球が、段々と沈んでいく。木尾もスイングをかけていったが、バットは空を切った。これで三振となり、八回裏も無得点に終わった。
「ナイスピー北山ー！！」
「いいぞー！！」
盛り上がる木島工業の応援団とは対照的に、大林高校側の観客席は意気消沈していた。リードしているとはいえ、またチャンスを潰してしまったのだ。追加点を取り切れぬ状況に対して、もどかしさを感じていた。
「皆さん、この回を抑えれば勝ちですよ！ 行きましょう！！」
「「「おう！！」」」
何とかムードを変えようと、まなが大声で各ポジションに向かう選手たちを励ました。二対〇でリードしている状況で、九回表を迎えようとしている。依然としてマウンドには梅宮が上がり、表情を引き締めていた。
「梅宮先輩、大丈夫でしょうか」
「リョウくんも準備してるけど、何事もなく締めてほしいね」
レイは不安そうにマウンドを見つめていた。この回の打順は七番からであるので、三者凡退で抑えれば一番の北山には回らない。出塁を許すことなく試合を終えたい、皆そのように考えていた。打者が打席に入り、審判がコールする。
「プレイ！！」
「バッター頼むよー！！」
「打てよー！！」
そして、九回表が始まった。木島工業の応援団は今日一番の盛り上がりを見せている。ブラスバンドの演奏と大きな声援で、じわりじわりと大林高校にプレッシャーをかけていた。梅宮は平常心を装いつつも、やはり九回のマウンドということで少し浮足立っていた。
（とにかくゾーンに集めて、打たせて取る）
芦田はストライク先行で投げさせようと、ゾーン内にミットを構えた。梅宮が足を上げ、初球を投じる。しかし、白球は芦田の構えと全く違う場所へと飛んでいき、外角へ大きく外れるボール球となった。
「ボール！！」
「オッケーオッケー！！」
「バッター見えてるよー！！」
梅宮は首を傾げながら、芦田からの返球を受け取った。続いて二球目三球目と投じるが、ボールがゾーンへと集まらない。四球目も外れ、フォアボールとなった。
「ボール、フォア！！」
「ナイスセンナイスセン！！」
「バッターいいぞー！！」
盛り上がる木島工業のベンチを横目に、芦田はタイムを取ってマウンドへと向かった。八回までと明らかに梅宮の様子が違っていた。ベンチでも、マネージャーの二人が話し合っていた。
「梅宮先輩、少し向こうの圧に押されてますね」
「うーん、何とか立て直せるといいんだけど」
タイムが終わり、芦田が戻っていった。梅宮はふうと息をつき、心を落ち着かせていた。打席に八番打者が入り、審判のコールで試合が再開される。芦田はさっきとは一転し、低めのカーブを要求した。
（四球後の初球は狙われるし、カーブで空振りを狙う）
梅宮はそのサインに頷き、セットポジションに入った。一塁に牽制球を送ったあと、小さく足を上げて第一球を投じた。
（高い！）
しかし、芦田が思っていたよりもボールが高い軌道を描いていた。捕球しようとミットを動かした彼の目の前に、バットが現れた。カーンという金属音とともに、打球がセンター方向へと舞い上がる。木島工業の応援席から大きな歓声が巻き起こった。
「センター！！」
芦田が大声で指示を飛ばすと、中堅手の中村が懸命に下がっていった。しかし、打球はそのまま彼の頭上を越えていく。そのままワンバウンドでフェンスに直撃し、二塁打となった。これでノーアウト二三塁となり、ピンチとなった。
「よっしゃー！！」
「ナイスバッティングー！！」
木島工業のベンチは大チャンスを迎えて大きな盛り上がりを見せていた。梅宮は顔をしかめ、自らの一投を悔いていた。まなは伝令を送り、内野陣をマウンドに集めた。
「がんばれ梅宮ー！！」
「踏ん張れー！！」
応援席からも梅宮に対して声援が飛んでいた。まなは二点差があることを鑑みて前進守備は指示せず、確実にアウトを重ねていくよう伝えた。黙って話を聞いていた梅宮だったが、芦田に対してこんなことを尋ねた。
「芦田、スクイズあると思うか？」
「九回で二点差ですし、どうですかね」
「九番がスクイズで点を取って一番の北山に回すというのはあり得るな」
「たしかに、そうですね」
「とにかく頭に入れておいてくれ」
「もちろんです」
そうして、内野陣が各ポジションへと散っていった。九番打者が左打席に入ると、審判のコールで試合が再開された。観客席が大きく盛り上がり、一気に騒がしくなる。
（スクイズあるかもとは言っても、左だしな。初球はカーブで様子見だ）
左打者だと捕手から三塁走者が見えやすいため、攻撃側はスクイズを仕掛けにくい。芦田はそのセオリーに従って、スクイズの可能性はあまりないと踏んでいた。彼はサインを送り、ミットを構えた。
セットポジションから、梅宮が初球を投じた。今度は低めの良いコースにカーブが決まった。しっかりとゾーンに収まっており、審判が右手を挙げた。
「ストライク！！」
「いいぞ梅宮ー！！」
「ナイスピー！！」
芦田はボールを梅宮に返しながら、木島工業の様子を伺っていた。
（まだ変な動きはないな。考えすぎか）
彼は二球目に直球を要求した。梅宮はしっかりと力のあるストレートを投げ込み、ファウルを奪った。これでノーボールツーストライクとなった。三球目にカーブで空振り三振を狙ったが、打者が見逃してボールとなった。
（これでワンツーか。最後、真っすぐで勝負だ）
芦田は直球を要求し、低めに構えた。梅宮は目で三塁ランナーを牽制しつつ、ふうと息をついて精神を落ち着かせていた。ノーアウト二三塁という大ピンチだが、彼はしっかりと打者を追い込んでいる。このまま三振を奪えればベストだ。
梅宮は小さく足を上げ、第四球を投じようとした。しかしその時、三塁手の岩沢が大きな声を上げた。
「ランナー！！」
三塁ランナーがスタートを切り、打者がバントの構えに切り替えたのだ。そう、木島工業はスリーバントスクイズを仕掛けてきたのだ。
（嘘だろ！？）
芦田はその視界の隅に、本塁へ駆け出す三塁ランナーを捉えていた。慌ててミットをずらし、大きく外に外すよう梅宮に促した。
「芦田！！」
梅宮もそう叫び、思い切りウエストした。白球は打者から遠い軌道を描いて、芦田のミットへと向かっていく。観客席も一気にどよめき、その行く末を見守っている。
一方で、打者も打席から思い切りジャンプし、ボールに向かって飛びついた。バットを持つ手を精一杯伸ばし、なんとか当てようとしている。そのままキンという甲高い音が響き、打球はファウルグラウンドへと転がっていった。
「ファウルボール！ ストライクスリー！ バッターアウト！！」
審判がコールすると、大林高校の応援席が沸いた。スリーバント失敗でバッターアウトとなり、これでワンアウト二三塁となった。木島工業の選手たちは思わずため息をつき、がっくりとうなだれた。
「梅宮先輩、ワンアウトですよ！」
芦田が声を掛けると、梅宮は人差し指を立てて頷いた。九回表が始まってからずっとバタバタしていたが、ワンアウトを取って梅宮も少し落ち着いた……ように思われた。しかし再び、木島工業の応援団が彼の心を揺さぶり始めたのだ。
「一番、ピッチャー、北山くん」
「北山頼むぞー！！」
「打ってくれよー！！」
場内アナウンスとともに、球場の雰囲気が変わった。エースの登場に、またも観客席が盛り上がり始めたのだ。まるでスリーバント失敗が無かったかのように、北山に対して熱い声援を送っている。
「梅宮、打たせていけよー！！」
三塁から岩沢も励ましていたが、もはや梅宮の耳には届いていなかった。彼は動揺を抑えられぬまま、北山に対して初球を投じた。芦田は低いコースにミットを構えていたが、それとは逆に直球が高めに浮いてしまった。北山はそれを見逃さず、センター前に弾き返した。
「おっしゃー！！」
「ナイバッチー！！」
エースのタイムリーヒットに対し、木島工業のベンチから大きな声援が飛び交っていた。三塁ランナーが生還し、これで一点差となった。梅宮は思わず天を仰ぎ、苦しそうな表情を浮かべた。
そのとき、ベンチのまなが動いた。リョウが走ってマウンドへと向かい、内野陣の輪の中に入っていった。
「大林高校、ピッチャーの交代をお知らせします。梅宮くんに代わりまして、平塚くん」
場内アナウンスが流れると、大林高校の応援席が盛り上がった。二回戦で投げた期待の一年生に対し、熱い視線が注がれていたのだ。マウンドの前で、リョウは梅宮に声を掛ける。
「梅宮先輩、ナイスピッチでした！」
「完封したかったけどな。あとアウト二つだ、頼むぞリョウ」
「ハイ！ 頑張ります！！」
梅宮はリョウにボールを手渡すと、小走りでベンチへと戻っていった。観客席は拍手を送り、彼のここまでの好投を称えていた。
「立派だったぞー！！」
「ナイスピッチー！！」
梅宮はベンチに戻ると、グラブを置いてまなに謝った。
「すまん滝川、申し訳ない」
「梅宮先輩はよく投げましたよ。あとはリョウくんに任せましょう」
「ありがとう。キツイけど、アイツに頑張ってもらうしかないな」
二人はじっとリョウの投球練習を見つめていた。大林高校、勝利まであとアウト二つ。四回戦進出は、目前まで迫っていた――
