第九話 豪快
一回戦の日がやってきた。相手は福田農業高校。何度か練習試合を行ったこともあり、大林高校には慣れた相手だった。部員たちは球場の外で、試合前のミーティングを行っていた。
「オーダーはいつも通りで、先発は梅宮先輩です」
「おう」
「リョウくんも、状況によっては肩を温めるように」
「はい!!」
まなの発言に対し、梅宮とリョウが返事した。大事な初戦の前だが、二人は落ち着いていた。
「向こうの先発は、恐らく二年生エースの吉永くんです。球種なんかは昨日お伝えした通りです」
「右サイドスローで、スライダーとカーブだったな」
「久保くん、その通り。球は速くないからしっかりボール見ていきましょう」
「「おう!!」」
ミーティングを終えた一行は球場に入り、試合に向けた準備を行っていた。スタンドには、一回戦にしては多めの観客が入っている。女子マネージャーが監督のうえに、その兄はプロ野球選手――ということで、大林高校野球部は話題を呼んでいたのだ。
「すげ~人だな」
「うん、こんなにいっぱいとはね」
「頼むぜ、滝川監督」
「もー、久保くんったらからかわないでよ」
とは言いつつも、監督と呼ばれて悪い気はしていないまなだった。レイは記録員としてベンチに入り、試合の行方を見守ることになっている。
「リョウ、ちゃんとウォーミングアップしとくのよ」
「分かってるってば、姉さん」
リョウは落ち着いていたが、どちらかというとレイの方が浮足立っていた。先発ではないとはいえ、登板の可能性は十分にある。一年生で公式戦初登板なんて――と、不安で仕方なかったのだ。
試合前の練習なども終わり、あとは試合開始を待つばかりとなった。今日は大林高校が先攻ということで、部員たちは改めて相手投手の特徴を確認していた。
「なんか右打者は打ちにくそうですね、木尾先輩」
「そうだな、ちょっと見えにくいかもな」
一番を打つ木尾が、久保と話し合っていた。相手先発の吉永はサイドスローということで、右打者の木尾にとってはリリースポイントが見えにくいのだ。
「久保くん、そろそろだよ」
「はいよー」
まなに促され、久保はベンチ前に移動した。他の部員も整列し、その時を待っている。
「集合!!」
「「「おっしゃあ!!!!」」」
審判の号令で、両チームの部員たちが整列した。ホームベースを挟んで、互いに見合っている。その表情は固く引き締まっていて、一発勝負の夏が始まることを想起させていた。
「試合を始めます。礼!!!」
「「「「お願いします!!!」」」」
観客たちから拍手が巻き起こり、福田農業の選手たちは各ポジションに散って行った。エースの吉永は投球練習を始め、大林高校の部員たちはその様子を眺めていた。
やがて練習も終わり、木尾が右打席へと向かった。審判と捕手に挨拶し、吉永と大してバットを構えた。
「プレイ!!」
そして、試合が始まった。気温は既に三十度近くまで上がっており、両チームの選手は早くも汗を流している。吉永も緊張した面持ちで捕手とサインを交換していた。
「あのピッチャー、なんか固いな」
「うん、緊張してそうだね」
久保とまながベンチで話し合っていると、吉永は初球を投じた。直球がアウトコースへと外れ、ボールとなった。
「オッケーオッケー!!」
「見えてるよ木尾ー!!」
木尾はふうと息をついた。一方で、初球でストライクを取れなかった吉永はさらに固くなり、二球目三球目とボール球を投じた。そのまま四球目を投じるも外れてしまい、フォアボールとなった。
「ナイスセン木尾ー!!」
「いいぞー!!」
大林高校のベンチが早くも盛り上がった。木尾は軽くガッツポーズして一塁へと向かう。続いて、二番の近藤が左打席へと向かった。
「まな、どうするんだ?」
「ピッチャー落ち着いてないし、強攻しよう」
まなはそう言って「打て」のサインを送った。近藤は頷き、打席に入ってバットを構えた。吉永は一塁に牽制球を送り、ランナーを警戒していた。
「フォアボール後の初球、叩きたいな」
「大丈夫、近藤先輩なら分かってるよ」
そして吉永が初球を投じた。外角、やや甘めの直球である。四球後の初球、投手はストライクを投じたいものだ。近藤はその心理を理解しており、初球からスイングをかけた。快音とともに、打球が左方向へと飛んで行く。
「うまい!」
まなが思わず叫んだ。打球は遊撃手の左を抜け、レフト前ヒットとなった。セオリーでは右方向に打ってランナーを進めるものだが、近藤は外角の直球と見るや確実に逆方向に打ち返したのだ。
「近藤先輩、うまくなったなあ」
「ここ最近、練習頑張ってたもんね」
しっかり四球を選んだ木尾に、打撃技術の向上を見せた近藤。久保とまなは、三年生がより成長したことを実感していた。
「三番、サード、岩沢くん」
「岩沢先輩、頼みますよー!!」
「打てよ、岩沢ー!!」
そして、ネクストバッターズサークルから岩沢が歩き出した。キャプテンの登場に、声援もひと際大きくなった。応援席のブラスバンドも元気よく演奏し、エールを送っていた。
マウンド上の吉永は額に大粒の汗を浮かべていた。少し息を切らし、捕手のサインに何度か首を振っている。
(ここも「打て」のサインか)
ネクストバッターズサークルに入った久保は、まなのサインを確認した。彼女はここもバントではなく、ヒッティングするよう指示を出していた。一方で、福田農業の内野陣はバントを警戒してやや前進している。
「吉永、落ち着いていけ!!」
「まだ初回だぞー!!」
福田農業のベンチからも懸命な声援が飛んでいた。吉永はまだ二年生である。上級生たちの夏を背負ってマウンドに立つプレッシャーは半端なものではなかった。
吉永はセットポジションから初球を投じた。高めへの直球だったが、岩沢は積極的に打ちにいった。ガシャンという音と共に、白球がバックネットに突き刺さった。
「ファール!!」
「いいぞ吉永ー!!」
「押していけー!!」
そして、岩沢がヒッティングしたのを見た内野陣がやや後ろに下がった。さっきの打者もヒッティングだったし、この打者もバントしないだろう……という考えだったのだ。
続いて、吉永は第二球を投じた。すると次の瞬間、岩沢がバントの構えに切り替えた。
「「あっ」」
ベンチにいたまなとレイは思わず声を出した。内野手は慌てて前進してくるが、岩沢はバットを引かずにそのまま三塁線へと転がした。彼はそのまま、一塁方向へと猛ダッシュした。
「サード!!」
捕手がそう指示を出し、三塁手が捕球したが送球出来なかった。岩沢は機転を利かせてセーフティバントを仕掛けたのだ。これでノーアウト満塁となり、チャンスが広がった。
「いいぞ岩沢ー!!」
「ナイスアイディアー!!」
岩沢は一塁上でガッツポーズした。各々が自分で考え、最善の策を講じる。ここ最近の練習成果が確実に発揮されていたのだ。
「すごい、なんかいい感じですね……!」
「うん、皆すごいよ……!」
レイとまなは、隙のない攻撃を出来ていることに感動すらしていた。そしていよいよ、このチームのキーマンが姿を現した。場内アナウンスが流れると、球場に歓声が巻き起こった。
「四番、レフト、久保くん」
「頼むよ久保くんー!!」
「久保ー、打てー!!!」
「ホームラン頼むぞー!!」
久保はゆっくりと打席に向かって歩き出した。福田農業は球場の異様な雰囲気を察知し、早くも守備のタイムを取った。伝令が送られ、内野陣がマウンドに集まった。吉永は汗を拭いながら、厳しい表情で伝令の話を聞いていた。
タイムの間、久保は軽く素振りをして待っていた。その様子を見たレイが、まなに問いかけた。
「まな先輩、久保先輩に何か伝えなくていいんですか?」
「大丈夫だよ、久保くんは分かってる。私が伝えることなんてないよ」
タイムが終わると、久保は改めて左打席に入った。審判と捕手にお辞儀して、投手と対した。そして爽やかに――
「よっしゃこーい!!」
と大声で叫んだのだ。吉永の表情はさらに厳しくなり、サインを見つめる顔はより険しいものになった。何度も首を振り、ようやくサインが決まった。
(満塁だし、変化球は投げにくいはず。狙うはストレート)
久保は狙いを定め、バットを強く握った。彼の顔にも汗が滴り、その水滴が日光を反射していた。吉永はセットポジションから初球を投じた。
(カーブ!)
予想外の球種に戸惑い、久保はバットを出さずに見逃した。ボールはストライクゾーンを通過しており、球審がストライクのコールをした。
「ストライク!!」
「オッケー吉永、それでいい」
捕手は吉永に声を掛けながら返球した。バッテリーはここに来て強気の配球を仕掛けていた。初球にストライクを取れたことで、吉永の表情も和らいだ。
「うーん、初球から変化球でカウント取られちゃった」
「意外でしたね」
まなとレイは冷静にバッテリーの配球を分析していた。一方で、吉永は落ち着いた表情で捕手のサインを見ていた。今度はすんなり決まり、セットポジションに入った。
(今度はやけにあっさり決まったな)
久保はその様子を見て考えを巡らせていた。初球カーブに続き、次に来る球種は何か。彼は改めて狙いを定めると、バットを握り直した。
吉永は第二球を投じた。初球でストライクを取れたことで、吉永は少し油断してしまったのだ。カーブを見せたあとは、直球を投じてファウルを取る。そんな考えで、捕手はインハイの直球を要求していた。
ところが、白球はアウトハイにややボール気味で進んでいく。捕手はミットをずらし、捕球しにいくが―― 彼の目の前に、バットが現れた。
久保が思い切り右足を踏み込み、バットを振り抜いたのだ。左方向に向かって、ボールが低い弾道を描いて飛んで行く。文字通り、あっという間に外野スタンドへと吸い込まれていった。
「ホームラン!!」
三塁塁審が人差し指を掲げ、クルクルと回した。球場中が大歓声に包まれ、久保の打撃に称賛の拍手を送っていた。吉永はがっくりと膝に手をつき、自らの一球を悔いていた。
「すげえ!!」
「ナイバッチ!!」
「ナイスバッティング!!」
ベンチの皆も、久保の本塁打を祝福した。一番、二番、三番がチャンスメイクして、四番が決める。理想通りの攻撃に、雰囲気は最高潮になっていた。
「久保先輩、さすがっす!!」
「そうだろう、ハハハ!!」
リョウの発言に、久保も笑顔で応えた。一回表から満塁ホームランを放ち、早くも本領発揮――と言いたいところだが、これでは終わらなかった。
初回に四点を取った大林高校だったが、その後は何度かチャンスを作ったものの無得点だった。一方で梅宮も安定したピッチングを見せ、無失点のまま六回まで投げていた。
そして、七回表。ワンアウト一二塁として、打席には久保が入っていた。福田農業のマウンドには依然として吉永が立っている。吉永は久保を追い込み、決め球にカーブを投じたのだが――
「嘘でしょ……?」
「す、すごい……」
その打球を見て、ベンチの二人はもはや言葉を失っていた。久保は甘く入ったカーブを思い切り引っ張り、場外へと運んで行ったのだ。ライトスタンドを軽々と越えていった打球に対し、球場はどよめいていた。
「今の、何メートル飛んだんだ……?」
「あの四番バッター、一体何者?」
久保は飄々とダイヤモンドを一周し、ベンチへと戻っていった。部員たちも呆気に取られており、どこか落ち着かない気持ちでハイタッチを交わしていた。
これで七対〇となった。七回裏も梅宮が無失点に抑えたため、あっさり大林高校のコールド勝ちとなった。
「七対〇で大林高校の勝ち。礼!!」
「「「「ありがとうございました!!!」」」」
試合後の挨拶も終わり、部員たちは片付けを始めた。流石に皆もコールド勝ちするとは思っておらず、どこか現実離れしたような気分だった。
「久保くん、今日はすごかったね……」
「ん? まあな」
「もー、キミがそんなんじゃ調子狂っちゃうなあ」
「ハハハ、俺はただ打っただけさ」
「まあ、勝ててよかったケド。ナイスバッティング!!」
「ありがとよ!」
そうして二人はハイタッチを交わした。一回戦とはいえ、一試合で二本塁打七打点という衝撃。久保雄大という存在は、県内で畏怖の対象へと変わっていった――




