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切り札の男  作者: 古野ジョン
第二部 大砲と魔術師

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第四話 本領発揮

 話は練習試合の前日に遡る。久保、まな、そして岩沢の三人は翌日のことについて話しあっていた。オーダー等の大枠は決まり、最後に先発投手を決めようということになった。先に口を開いたのは、キャプテンの岩沢だった。


「明日は梅宮でいこう。夏もアイツに投げてもらわんと話にならんしな」


「賛成です! リョウくんには途中の回から投げてもらえばいいですし」


 岩沢の提案に対し、まなも同意した。二人ともリョウの素質は認めていたものの、まだ試合で先発させるのは早いと考えていた。梅宮を先発させようと話がまとまりかけていたが、久保が静かに口を開いた。


「……俺は、リョウに先発させた方が良いと思います」


「「えっ?」」


 その言葉に、二人は思わず聞き返した。


「久保、どういうことだ?」


「リョウには先発の経験をさせるべきです。アイツは十分やってくれますよ」


「でも、リョウくんの実力は未知数だし」


 まなの言う通り、彼がどれくらい高校野球で通用するかは未だ不明だった。まだ一度も試合での登板がないうえ、久保との一打席勝負では特大ホームランを打たれているのだ。二人は、なぜ久保がリョウの先発を推しているのか理解できなかった。そして、岩沢が久保に問いかけた。


「久保、一つ聞いていいか?」


「何ですか?」


「お前、リョウが試合で投げているのは見たことないはずだろう? 十分やってくれますよ――なんて、どうして分かるんだ?」


 実際、久保はリョウが試合で登板しているのを見たことは無かった。彼がシニアに在籍していた頃、リョウは試合に出られるような投手ではなかったため、当然のことだった。彼は岩沢の問いかけに対し、口を開いた。


「あの一打席勝負、覚えてますか?」


「ああ。けど、あの時はお前がホームラン打ったんじゃないか」


「結果はどうでもいいんです。俺が買ってるのはアイツの度胸です」


「度胸?」


「入部早々、上級生に勝負しろなんて言える奴は只者じゃありません」


「……そりゃあ、そうだが」


「しかもアイツは一球も投げ損じませんでした。あの状況で実力を発揮できる人間はそうそういませんよ」


「つまりお前は、リョウのメンタル面を評価してるってことか?」


「はい。先発させれば、きっと自分のピッチングをしてくれるはずです」


 二人の会話を黙って聞いていたまなだったが、持っていたノートにペンを走らせ始めた。


「まな、何書いてるんだ?」


「明日のスタメンだよ」


 そう言って、彼女は二人にあるページを見せた。そこには、「九番 投 平塚」と書いてあった。岩沢は戸惑い、まなに問うた。


「お、おい。いいのか?」


「今の話を聞いて、リョウくんに決めました。私は久保くんを信じます」


 まなは真剣な表情で返事した。当初は懐疑的だったが、久保の意見を聞いて考えを変えたのだ。彼女は久保を指さし、釘を刺した。


「でも久保くん、明日リョウくんが打たれたらキミの責任だからね」


「大丈夫だ、アイツはちゃんと投げるさ」


 久保は自信ありげにそう答えた。他の部員たちが思っている以上に、彼はリョウを高く評価していたのだ。練習の帰り際に見出した投手と、三年ぶりに再会する。そのことに、どこか胸が躍っていたのだ――


***


 まっさらなマウンドに、初々しい一年生が立っていた。今日は藤山高校との練習試合の日。まなが先発投手として送り込んだのは、もちろんリョウだった。


「落ち着いていけよ、リョウー!!」


「はい!!」


 三塁からそんな声掛けをしているのは、キャプテンの岩沢だ。一人でマウンドに立つ一年生投手にとって、頼れるのは後ろを守る野手だけだ。彼もそのことを理解しており、積極的に声を掛けていた。


「リョウ、頑張ってー!!」


「分かってるよー姉さん!!」


 リョウがマウンドに立つ一方で、姉のレイは心配そうに声援を送っていた。今日は記録員としてスコアブックをつけながら、ベンチで試合を見ることになった。ちなみに、まなは春から記録員ではなく監督登録となっている。


 今日は藤山高校が先攻だ。こちらも夏の大会に向けて本気のオーダーだったのだが、大林高校が一年生投手を先発させていることに戸惑いを隠せなかった。部員たちはリョウの投球練習を見ながら、口々に印象を述べた。


「左だけど、球は速くないみたいだな」


「普通のスリークォーターだし、なんで先発してるんだ」


 一方で、大林高校のベンチでもまなとレイが投球練習を見守っていた。


「レイちゃん、どう思う?」


「いつも通りのリョウです。多分、大丈夫かと……」


 さっきの声援とは変わって、レイはいつものようにもじもじと答えた。


「まあ、久保くんが先発させろって言ったからね。大丈夫でしょ」


 まなはそう言って、レフトを守る久保の方を見た。夏の大会が近くなるにつれて、実戦の機会もどんどん限られてくる。その貴重な機会を実力未知数の一年生投手に費やすというのは、ある種の賭けに近かった。彼女は、久保の言う通りにリョウが好投することを祈っていた。


「プレイ!!」


 投球練習が終わり、試合が始まった。リョウは緊張した面持ちで芦田のサインを見つめ、頷いた。彼はランナー無しでもセットポジションで投げる。今日もセットポジションから、第一球を投げた。


 アウトコースへのストレートだ。一番打者は積極的に打ちに行ったが、ひっかけてサードゴロになった。


「サード!!」


 芦田の指示で、岩沢が落ち着いて捕球した。そのまま一塁に送球し、まずワンアウトとなった。


「ナイスサード!!」


「ワンアウトなー!!」


「はいー!!」


 大林高校のナインから、リョウに対して声援が飛んだ。彼も人差し指を立て、落ち着いてアウトカウントの確認をした。一人打ち取ったことで、緊張していた彼の表情が少し和らいでいた。まなとレイも、まずワンアウトを取れたことでほっと息をついた。


「初球打ちで助かったね」


「はい。しっかりコースに決めていれば、簡単には打たれないです」


 続いて、二番打者が打席に入った。さっきと同じように、リョウは初球に外角への直球を投じた。打者は見逃し、まずワンストライクとなった。


「リョウ、その調子だぞ」


 捕手の芦田はリョウに声を掛けながら返球した。リョウも頷き、落ち着いて返球を受け取った。


(アイツ、マウンドさばきも悪くないな)


 レフトから見守っていた久保は、リョウの冷静さに感心していた。練習試合とはいえ、彼にとっては高校野球での初登板だ。にも関わらず、落ち着き払って芦田のサイン通りに投球出来ている。やはりリョウには素質があるのだと、久保は改めて感じていた。


 続いて、リョウは第二球を投じた。今度は内角いっぱいへのストレートだ。今度は打者が打ちにきたが、タイミングが早くファウルとなった。これでツーストライクだ。


「いいよーリョウくん!」


「リョウ、しっかりねー!!」


 まなとレイがベンチから声を出していた。ゾーンギリギリを攻めてカウントを稼ぎ、打者を追い込む。ここまではリョウの得意パターンだ。


「この後だね」


「はい。リョウのピッチングは、カーブの出来次第で決まりますから」


 レイの言う通り、リョウのピッチングは緩急が肝だ。初回でカーブを相手に意識させることが出来れば、有利に試合を進めることが出来る。


 リョウは第三球に、高めへの釣り球を投じた。打者も思わず手を出しかけたが、バットが止まった。芦田は彼に返球したあと、四球目に向けてサインを出す。リョウは首を縦に振り、セットポジションに入った。


 そして足を上げ、第四球を投げた。指から放たれたボールが山なりの軌道を描いて、ホームベースへと向かって行く。時速百キロにも満たないスピードで、打者にはまるで止まったように見えていた。


「!?」


 打者はスイングをかけてきたが、タイミングを合わせることは出来ない。何とか踏ん張ろうとしていたがこらえきれず、体勢を崩して空振りした。


「ストライク!! バッターアウト!!」


「ナイスピッチー!!」


「いいぞーリョウ!!」


 ツーアウトを取り、大林高校のナインはさらに活気づいた。続いて三番打者が左打席に入る。打って変わって、リョウは初球からスローカーブを投じた。打者は待ちきれず空振りし、ワンストライクとなった。


「バッターしっかりー!!」


「もっとボール見ていけー!!」


 藤山高校のベンチからも声援が飛んでいた。部員たちにとって、リョウの球は打ち頃の球速帯に見えていた。なぜ打者が打ち損じているのか理解できず、どこか楽観的な気持ちだったのだ。


「向こうの人たち、リョウのこと舐めてるなあ……」


 レイは思わずそう呟いた。リョウの球を誰よりも受けてきたのは、彼女だった。すなわち、彼女はリョウの凄さを誰よりも理解しているのだ。


「でも、ここまでよく投げてるじゃない」


「まな先輩、リョウの本気はここからですよ」


「え?」


 意外な言葉に、まなは思わず聞き返した。レイは変わらず、マウンドの方をじっと見つめている。そんな彼女の姿に、まなはただならぬ雰囲気を感じていた。


(本気って言ったって、真っすぐとカーブしかないのに)


 まなは不思議に思いながら、改めてグラウンドの方を向いた。リョウはサイン交換を終え、第二球を投じようとしていた。芦田は真ん中高めの甘いコースに構える。


「えっ芦田くん、それは甘いんじゃ……」


 まなは思わず声を出したが、リョウはそのまま第二球を投じた。芦田の要求通り、白球が高めのコースへと向かう。


(来たッ!)


 打者はそれを見逃さなかった。長打狙いのフルスイングで、ボールを迎え撃とうとしたのだが――


 鈍い音が響いた。打者は戸惑った表情でバットを置き、一塁方向へ駆け出した。打球はレフト方向に力無くふらふらと舞い上がっていく。久保は落ち着いて落下地点に入り、確実に捕球した。これでスリーアウトだ。


「リョウ、ナイスピッチー!!」


「ナイスピー!!」


「いいぞーリョウ!!」


 レイは大声でリョウを褒め称えた。守備から戻ってくるナインも、彼に対して声を掛けていた。一方で、まなは何が起こったのか分からず、戻ってきた芦田に問いかけた。


「芦田くん、最後の球はどういう意図だったの?」


「ああ、これの通りだよ」


 そう言うと、芦田はベンチに置いてあった一冊のノートを手に取った。そこには「平塚家の配球ノート」と書かれていた。


「これ、レイちゃんが?」


「そうだよ。リョウをリードするときはこれを参考にしてくださいって渡してきたんだ」


 まなはレイの方を向いた。すると彼女はどこか照れたように、まなに説明した。


「リョウのカーブを見たあとだと、真っすぐはかなり速く見えるはずです。ちゃんと高めに投げれば、バッターは簡単に詰まらされます」


「だからって、ちょっとでも甘くなったら」


「大丈夫です。リョウは簡単に失投しませんから」


 レイははっきりとそう答えた。いつもはもじもじと頼りなさそうな彼女だが、リョウの投球についてはかなりの自信を持っていた。そんな彼女を見て、まなはぽつりと呟いた。


「……レイちゃん、やっぱり私と似てるね」


 彼女は、レイに去年の自分を重ねていた。彼女は兄の投球を絶対だと信じ、彼のプロ入りのために懸命に努力していた。そのことに対する懐かしさが、彼女の胸にこみ上げていた。


 試合は一回裏、大林高校の攻撃に移る。四番に入っている久保も、打席に備えて準備をしていた。夏の大会に大波乱をもたらすことになる大砲が、いよいよベールを脱ごうとしていたのだ――

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