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切り札の男  作者: 古野ジョン
第一部 切り札の男

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第二十一話 切り札

 九回裏、二点差でツーアウト満塁という絶好の場面。球場全体は異様な雰囲気に満ちており、観客は皆ネクストバッターズサークルに視線を注いでいた。もちろん、その先にいるのは久保だ。彼は軽くバットを振りながら、出番を待っている。


 自英学院の内野陣が散り、伝令がベンチに戻っていった。審判に選手交代が告げられ、場内アナウンスが流れる。


「大林高校、バッターの交代をお知らせします。六番、岩沢くんに代わりまして、久保くん」


 その瞬間、スタジアムが大歓声に包まれた。観客のなかには久保の存在を知らない者もいたが、この場面で代打に出されるほどの打者なら相当だろう、ということで大きな声援を送っていた。


「久保くーん、頼むからねー!!」


 まなは久保を送り出しながら、大きな声で応援した。久保は球場の雰囲気をかみしめる様に、ゆっくりと左打席に向かって歩いて行く。試合が始まってから、彼はずっとベンチで見守っていた。好投を見せた竜司と、その後ろを守っていた野手陣。彼らと比べ、自分が何も出来ないことをもどかしく思っていた。だからこそ、少しでも長くこの雰囲気を味わいたかったのだ。


 一方で、八木と松澤の中にも昂るものがあった。ピンチであるのに、心のどこかに勝負を楽しみにしている気持ちがあったのだ。特に八木にとって、対戦相手はかつてのライバルである。絶対に抑えてやろう、そんな気迫で満ち溢れていた。


 塁上を見れば、三塁に寺北、二塁に神林、一塁に竜司がいる。神林が帰れば同点、竜司が帰ればサヨナラ勝ちだ。自英学院の外野陣は、指示通りにやや後ろに下がっている。お互い、夏を終わらせまいと必死だった。


「久保ー、絶対打てよー!!」


「頼むぞ八木ー!!」


 両方の応援席から、二人に声援が飛ぶ。試合の結末は、この二人の勝負の行方に託されている。強豪校が順当に勝つか、弱小校が大金星をあげるのか。まさに、運命の打席だ。


「プレイ!!」


 審判の合図で、試合が再開された。久保は打席に入り、構える。八木は松澤のサインをじっと見つめ、頷いた。


(今まで通りに直球で押してくるなら、それを叩く)


 久保はストレートに狙いを絞り、八木と相対した。八木はセットポジションから、第一球を投げた。ボールは低い軌道を描き、まっすぐホームベースに向かっている。


(ストレートだ!)


 久保はテイクバックを取り、スイングを開始した。ベンチから散々見てきただけあって、タイミングはばっちり合っていた。しかし、彼の視界から白球が消えていく。


(しまった!!)


 と思う間もなく、バットが空を切った。八木が初球に投じていたのは、スプリットだった。


「ストライク!!」


 審判がコールすると、球場がどよめいた。十八・四四メートルの距離で相対する二人に、球場中の注目が集まっている。その一挙手一投足を、皆が見守っていた。


「いいぞー八木!!」


「ワンストライクだぞー!!」


 八木は松澤から返球を受け取り、コクンと頷いた。久保も一度打席を外し、思考を整理していた。


(とにかく低めをついて、バットに当てさせないつもりだな)


 彼の想像通り、バッテリーは変化球で押し切る構えだった。本来であれば、ピンチの際には直球主体でストライクゾーンを狙う投球をするところだ。しかし、二人は久保の力量をよく知っていた。押し出しで一点を失うリスクを負ってまで、慎重に配球を組み立てていた。


 続いて、八木は第二球を投じた。さっきと似たような軌道で白球が突き進んでいく。


(低い!!)


 久保は冷静に見極め、バットを出さなかった。すると、ボールがストンと落ちた。八木はまたもスプリットを投じていたのだ。


 次の瞬間、おおっという歓声が起こった。ワンバウンドしたスプリットを松澤が捕り切れず、弾いていたのだ。


「いけー!!」


 歓声に押され、思わず寺北が走り出しそうになった。しかし、松澤は素早く前に出てボールを握り直した。久保は右手を挙げ、寺北を制した。


「「おお~」」


 一連のプレーに、またも球場が騒がしくなった。三塁にランナーがいれば、暴投のリスクは常に付きまとう。


「倫太郎、力入ってるぞ」


 松澤はそう声を掛けながら、八木に返球した。これで、バッテリーはスプリットを使いにくくなった。カウントはワンボールワンストライクとなり、両者五分の状態だ。


「久保ー、打てー!!」


「頼むぞー!!」


 塁上の竜司や神林も、打席の久保に向かって一生懸命に声援を送っている。ベンチにいるまなは、真っすぐ久保を見つめていた。


(お願い、久保くん。私たちを勝たせて!!)


 ただ、祈るような気持ちだった。チームの勝利と、竜司のプロ入り。彼女はその二つを、久保のバットに託していたのだ。


 久保の耳にも、その声援は届いていた。皆がチャンスを作り、自分にまで繋いでくれた。その事実が、彼をさらに奮い立たせた。


 八木は松澤のサインに何度か首を振っていたが、やがて頷いた。セットポジションに入り、それぞれの塁をちらりと見る。そして小さく足を上げ、第三球を投げた。そのボールはアウトコースに向かって進んでいく。


(真っすぐ!!)


 久保は反応して打ちにいくが、ボールが鋭く外に逃げていった。手を伸ばしてなんとか合わせたが、打球はファウルゾーンへと転がっていった。


「ファール!!」


「追い込んでるぞ八木ー!!」


「いいぞー!!」


 八木が高速スライダーで久保を追い込んだ。カウントはワンボールツーストライク。またも、大林高校は追い込まれていた。


 久保はもう一度打席を外し、ゆっくりと深呼吸した。バッテリーはこのまま変化球で押し切るのか、それとも直球で決めにくるのか。彼のなかに迷いが生じていた。思考がまとまらないでいると、彼の耳に聞きなれた声が届いた。


「久保くん!!!!」


 久保は、思わず声のした方向を向いた。そこにいたのは、まなだった。彼女は大きく息を吸い込み、口を開いた。


「絶対打てるから!!!」


 それを聞いて最初は驚いた久保だったが、吹っ切れた。右手を挙げてまなの声援に応えると、再び打席へと戻る。そしてバットを構え、八木に向かって叫んだ。


「よっしゃこーい!!」


 球場が大きく沸いた。大林高校の応援席からは次々に声援が飛び、ブラスバンドの演奏にもさらに熱が入る。


(あの時と、同じ……!)


 久保が叫んだのを聞いたまなは、あの一打席勝負のことを思い出していた。久保は竜司に向かって威勢よく叫び、そしてワンバウンドのフォークを仕留めた。あの時のように、彼が打ってくれるのだと直感した。


「「かっとばせー、くーぼー!!」」


 大林高校応援団の大声援のなか、八木は松澤とのサイン交換を終えた。追い込んでいるとはいえ、対戦しているのは「怪物」である。そこには一ミリの油断もなく、ただ集中して臨んでいた。


 八木はセットポジションから、第四球を投じる。久保はテイクバックを取って打ちにいく。ボールはベース手前で鋭く変化した。またも高速スライダーだが、久保はしっかりとカットした。


「ファール!!」


「いいぞ久保ー!!」


「合ってる合ってるー!!」


 大林高校のベンチは久保を盛り立てている。球場を支配する熱気が、観客たちの心を燃やしていた。一進一退の攻防を見逃すまいと、目を見開いてグラウンドの方を眺めていた。


(スライダーはカットして、甘くきた球を狙う)


 久保は考えをまとめ、再び構えた。八木は二、三度松澤のサインに首を振ってから頷いた。セットポジションから、五球目を投じた。


(真っすぐ!)


 インコースへと向かってくるボールを見て、久保はスイングを開始した。しかし、ボールの軌道が少し違うことに気づいた。


(……いや、チェンジアップ!!)


 彼はスイングを止め、ボールを見逃した。松澤が三塁塁審にスイングチェックを要求し、球場中の視線がそこに集まる。


 塁審は両手を広げ、ノースイングであることを伝えた。またもスタジアムがどよめく。


「あぶな~!」


 ベンチのまなが、思わず口に出した。固唾を飲んでジャッジを待っていた部員たちも、ほっと息をついた。


 一方で、完全に決めにいっていたバッテリーは逆に追い込まれた。高速スライダーはカットされ、チェンジアップは見極められたのだ。まだカウントはツーボールツーストライクだが、ランナーが自動スタートとなるフルカウントは避けたい。そう考えた松澤は、もう一度高速スライダーのサインを出した。


 それに従い、八木が六球目を投げた。久保はまたもカットし、ファウルとなった。カウントは変わらずツーボールツーストライクだ。


(甘い球が来るまで、絶対粘る)


 久保はそう思いながら、強くバットを握り直した。一方で、八木と松澤は悩んでいた。この打席、八木は失投と呼べるようなボールは投じていない。しかし、既に全ての変化球に対応されてしまっているのだ。もはや選択肢は一つしかなかった。


(……倫太郎、これしかない)


 考え込んでいた松澤だったが、ついにストレートのサインを出した。八木がここまで投じたのは、全て変化球である。いくら久保でもいきなり直球を投げられたら対応できないだろう、そういう判断だった。


 八木もその意図を理解し、サインに頷いた。松澤はインハイに構える。それを見て、大林高校のベンチが少しざわついた。


(久保くん、来るよ……!)


 まなは、バッテリーが勝負に来ていることを感じ取っていた。久保の打撃か、八木の直球か。試合の運命は、次の一球に委ねられていた。八木は小さく足を上げ、その指から白球を放った。


「ぅおらっ!!!」


 八木は思わず声を出した。ボールは真っすぐな軌道を描き、松澤の構えたミットへと向かっていく。今日彼が投じてきた直球の中でも、最高のボールだった。


(ストレート!!)


 久保は素早く反応し、スイングを開始した。普通の打者なら、これだけ変化球を意識させられたあとにインハイの直球を打つことは出来ない。空振りするか、せいぜい詰まらされて内野フライだ。しかし――


 久保雄大は「怪物」だったのだ。彼は驚異のスイングスピードで、一気にバットを振り抜いた。


 次の瞬間、八木は目を見開いた。聞こえてくるはずのない金属音が、彼の耳に届いたからだ。高校生離れした打球速度で、白球が右方向へ飛んでいく。そのままセカンドの頭上を越え、ライト前に抜けていった。久保は一塁方向に駆けながら、思わず右手を突き上げた。


「よっしゃー!!」


「まわれまわれー!!」


 大林高校のベンチが一気に沸いた。今まで無失点に抑えてきた八木という壁を、久保という切り札が突き破ったのだ。球場中からも一気にわーっと歓声が巻き起こる。少し後退していた右翼手が、慌てて前進してきた。


(嘘だろ……!?)


 バックアップのために本塁へと走っていた八木は、驚きを隠せなかった。スプリットとチェンジアップ、それに高速スライダー。変化球で徹底的に打ち気をそらしたはずなのに、久保は初見の直球を完璧に捉えてみせたのだ。


「バックホーム!!」


 松澤はマスクを取り、ライトに向かって叫んだ。既に三塁ランナーの寺北は生還している。二塁ランナーの神林も、三塁を蹴っていた。右翼手は走りながら捕球し、そのまま本塁へと送球した。


「つっこめー!!」


 三塁へと走っていた竜司が、本塁の方に向かって叫んだ。神林は頭から滑り込み、本塁へと突入する。松澤も送球をキャッチし、そのまま神林にタッチした。


 騒がしかった球場に、沈黙が訪れる。皆が球審に注目し、その判定を待っている。神林と松澤は、本塁上で折り重なるような体勢になっていた。松澤はミットを見せ、タッチしたことをアピールしている。久保は二塁の塁上で、じっと球審を見つめていた。


 次の瞬間、まなは涙した。

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