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切り札の男  作者: 古野ジョン
第三部 怪物の夢

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第五十三話 エースとエース

 森山のスライダーに対し、リョウのバットは空を切った。自英学院の応援席が沸き上がり、大林高校の方からはため息が聞こえそうになる。しかし次の瞬間、雄大が大声で叫んだ。


「走れリョウ!!」


 なんと、健二がスライダーを捕り切れずに弾いていたのだ。ボールはぼてぼてと彼の後方に転がっていくが、それほど勢いはない。しかし、雄介は既にスタートを切っていた!


「健二!!」


 森山は猛ダッシュでマウンドを降り、本塁のカバーに向かう。雄介は今年一番のスピードで、本塁に向かって突き進んでいた。健二は慌ててマスクを取り、後ろに向かって走り出す。


「先輩!!」


 彼はボールを素手で拾い上げると、そのまま森山に向かって送球した。一方で、雄介ももう間もなく本塁に到達しようとしている。


「突っ込め雄介!!」


 雄大が声を張り上げると、雄介は頭から本塁に滑り込んだ。送球を受けた森山は、身体を捻ってタッチにいこうとする。しかし、雄介はそれを躱すように身体をねじり、左手でホームベースの隅に触ってみせたのだ。次の瞬間、球審が両手を広げた。


「セーフ!!」


「「「よおっしゃあああ!!」」」


 地響きのような歓声が巻き起こり、大林高校の応援席がとんでもない盛り上がりを見せていた。ベンチの選手たちも無我夢中で大声を上げ、喜びを分かち合っている。


「っしゃあ!!!」


 雄介は飛び上がるようにして身体を起こし、雄叫びを上げた。それとは対照的に、健二は呆然と本塁の方を見つめている。森山も天を仰ぎ、ショックを隠せていなかった。あと一球、いやあと「〇球」に迫っていた勝利が、するりと彼らの掌から零れ落ちてしまったのだ。


「信じらんねえ……」


「まさか振り逃げで同点とはな……」


 スタンドで観戦していた岩沢と神林も、グラウンドの方を見て唖然としていた。同点となって喜ぶべき場面だが、それ以上にたった今起こったことに対する驚きの方が大きかったのだ。一方で、彼らの隣にいる健太は苦い顔をしている。


「お二人とも、気づきましたか?」


「気づいたって、何がだ?」


 神林がその意図を理解できないでいると、健太はさらに話を続けた。


「バッターの平塚くんは明らかにスタートが遅れていました。無理にホームに投げず、一塁に投げればそれでよかったはずです」


「! ……たしかに、君の言う通りだな」


「でも森山の声に釣られて、健二はついホームに投げてしまった。これがアイツの『経験不足』の部分ですよ」


 健太は絞り出すかのように、二人に説明した。甲子園を懸けた決勝戦、その瀬戸際で露呈した健二の弱点。散々彼に振り回されてきた大林高校だったが、ここに来てその弱点を突くことに成功したのだ。


「ナイスラン雄介!!」


 雄大はベンチに戻ってくる雄介とハイタッチを交わした。二人は満面の笑みを浮かべ、まるで子供のように喜びを露わにしている。ベンチでは、まなとレイがほっと胸を撫で下ろしていた。


「「よかったぁ~……」」


 追い込まれていた大林高校だが、首の皮一枚で甲子園への望みを繋ぐことが出来たのだ。しかもまだ走者が残った状態で、打席に四番の雄大を迎えることになる。間違いなく、風は雄大たちの方へと吹いていた。


「四番、ピッチャー、久保雄大くん」


「決めろよー!!」


「甲子園行こうぜー!!」


 大歓声に押され、雄大はネクストバッターズサークルから歩き出した。彼は不敵な笑みを浮かべ、森山の方を見つめている。自英学院の選手たちは静まり返ってしまい、何も言葉を発することが出来なくなっていた。


(同点に追いつかれたってのに、タイムも取らないでいいのか?)


 本来であれば健二がマウンドに向かうべき場面だが、そのような動きはない。雄大は二人の動揺ぶりを察して、リョウの方を見た。彼は目配せをして、何かを伝えようとしている。リョウもその意図を理解したのか、コクリと頷いた。


「まな先輩、久保先輩がリョウに何か伝えました」


「分かってる。この場面なら、私でもそうするわ」


 まなが改めて雄大とリョウにサインを送ると、二人とも頷いた。マウンド上の森山は心ここにあらずといった感じで、雄大との勝負に集中出来ていない。彼は健二のサインを見て、セットポジションに入る。


(頼むぞ、リョウ)


 雄大はバットを構え、森山と対した。森山は一塁に気を配ることもなく、じっと健二のミットを見つめている。彼が足を上げようとした瞬間、一塁手の竹内が叫んだ。


「ランナー!!」


 なんと、リョウがスタートを切ったのだ。彼はモーションを盗み、完璧な走り出しを見せている。森山は第一球を投じたが、アウトコースに大きく外れてしまった。健二は捕るのが精いっぱいで、送球体勢に移ることが出来ない。リョウは余裕で二塁を陥れ、これで二死二塁のチャンスとなった。


「健二!!」


 そのとき、森山が大声で叫んだ。健二はそれにハッと反応し、球審にタイムを要求した。盗塁されたことで我に返ったのか、森山は冷静さを取り戻していたのだ。健二は立ち上がり、小走りでマウンドに向かう。


「……すいません、先輩。自分がちゃんと捕っていれば」


「俺こそ、すまん。キャプテンだってのに、もっとちゃんとしないとな」


「いや、でも……!」


「健二、お前はいつも通りやってくれればいいんだ」


「えっ?」


「今日の試合、お前のおかげで松下も俺も無失点だったんだ。もっと自信を持っていけ」


「自信……ですか?」


「お前の兄貴は、もっと頼りがいがあったぞ」


「!」


「俺は構え通りに投げてやる。お前の強みを見せてみろ!」


 森山は力強く健二を励ました。彼は一年生ながら、ここまで自英学院の投手を緻密なリードで引っ張ってきた。森山は、健二に堂々とグラウンドに立っていてほしかったのだ。


「……分かりました。やります」


「よし、その意気だ」


 タイムが終わり、健二はマウンドから本塁の方へと歩き出した。二人の表情を見て、雄大も気合いを入れ直す。


(どうやら二人とも落ち着いたみたいだな。――その方が倒しがいがあるってもんだ)


 彼は軽くバットを振ると、再び左打席に入った。ふうと息を吐き、バットを構える。一方で、健二は外野陣に対して前進守備を指示していた。二塁ランナーが還れば大林高校が勝ち越す場面。たとえ強打者の雄大が相手でも、絶対に本塁生還を許さないという意思表示だった。


「プレイ!!」


「よっしゃこーい!!」


 審判が号令をかけると、雄大も大声を張り上げた。スタジアム全体の視線が、森山と雄大の二人に集まっている。スコアは一対一、カウントはワンボールノーストライク。優勝旗をかけた力と力の対決が、幕を開けようとしていた。


「雄大、頼むよー!!」


 ベンチでは、まなも大きな声を出して応援している。マウンド上の森山は、サインを見るとセットポジションに入った。今度はしっかりとランナーを見て、目で牽制している。一拍置いてから、彼は第二球を投じた。白球が、直線軌道で本塁へと突き進んでいく。


(来たっ、真っすぐ!!)


 雄大は迷わずスイングを開始した。タイミングはしっかりと合っていたが、本塁手前でボールがストンと落下した。バットが空を切り、驚いた雄大が目を見開くと、審判の右手が上がった。


「ストライク!!」


「ナイスボール!!」


 健二は力強く声を掛け、返球した。予想外の球種に戸惑い、雄大は顔をしかめている。ベンチでも、まなとレイが驚いていた。


「今の、フォークでしたよ」


「みたいだね。もう投げないと思ってたけど――向こうは腹を括ったようね」


 ここに来て、健二は本来のリードを取り戻したのだ。高めに浮くリスクも厭わずにフォークを選んだ健二と、それに応じてみせた森山。やはり王者のプライドは伊達ではなかったのだ。


(何の球で来ようが関係ない。――打つ)


 雄大はギロリとマウンドの方を睨み、バットを強く握った。それに呼応するかのように、森山も睨み返す。エースとエースによる、昨年から続く宿命の対決。両者の気持ちがぶつかり合い、ただならぬ雰囲気が作り上げられていた。


 森山はサイン交換を終え、セットポジションを取る。二塁ランナーのリョウを見て、彼は再び前を向いた。そして小さく足を上げ、第三球を投じた。


(打つ!!)


 先ほどと同じような軌道の球に、雄大も反応してみせた。高校生離れしたそのスイングスピードで、白球を捉えにいく。しかし――またもバットが空を切った。


「ストライク、ツー!!」


「よっしゃー!!」


「追い込んでるぞ森山ー!!」


 森山が投じていたのは、またもフォークボールだった。雄大は悔しそうにバットを見つめ、厳しい表情をしている。自英学院の内野陣は、大きな声で森山を盛り立てていた。


「雄大!!」


 その時、ベンチから叫び声が聞こえた。雄大が驚いてそちらを見ると、まなが笑顔を浮かべ、大きな声でエールを送った。


「勝つよ!!」


 さっき雄大がリョウを励ましたように、まなもまた彼を励ましているのだ。去年も一昨年も、雄大はまなの力を受けて逆境を跳ね返してきた。この場面でも実力を発揮し、勝ち越すことが出来るのか。大林高校の運命は、雄大のバットに託されていた。


「よっしゃあ!!」


 雄大は再び大声を上げ、マウンドと対した。どっしりと左打席で構え、鋭い目つきで四球目を待っている。森山も不敵な笑みを浮かべ、セットポジションに入った。


「打てるぞ久保ー!!」


「抑えろ森山ー!!」


 両校のベンチから必死の声援が続いている。外野手は依然として前進守備を敷いており、本塁でランナーを刺す構えだ。しかし――今の雄大にとって、それらは些末なことだった。


 森山は小さく足を上げ、右腕を始動させる。雄大もテイクバックを取り、備えた。二人にとっては、この一瞬がスローモーションのように感じられている。彼らは主将としてチームの期待を一身に背負い、グラウンドに立っているのだ。その目指す先には、勝利の二文字しか見えていなかった。


「おらっ!!」


 そして、森山は声を出しながら第四球を解き放った。凄まじい伸びのストレートが、高く構えられた健二のミットに向かって突き進んでいく。しかし、雄大の目ははっきりとそれを捉えていた。彼は躊躇せず、バットを振り抜いてみせたのだ。キンという甲高い音が響き、強烈なファウルボールがバックネットに当たった。


「ファウルボール!!」


「「おお~っ!!」」


 次の瞬間、観客席がどよめいた。スコアボードに「157」の表示がなされたのである。すなわち、森山が雄大の自己最速に追いついたことが示されたのだ。


「すげえぞ森山ー!!」


「よく当てたぞ久保ー!!」


 この場面で自分の限界を超えた森山と、それに食らいついてみせた雄大。二人のポテンシャルは止まるところを知らず、この決勝戦でさらに溢れだそうとしていた。観客たちも、目の前で繰り広げられている光景に興奮が止まらなかった。


「二球フォークを見せられたのに、よく当てましたね」


「私たちじゃ到底追い付けない領域だよ」


 レイとまなも、その異様な雰囲気に呑まれつつあった。マウンド上の森山は「やるじゃねえか」と言わんばかりに笑みを浮かべ、雄大もニヤリとして彼の方を見ていた。


 森山は第五球にも直球を投じたが、これも雄大がファウルにしてしまった。カウントは変わらずワンボールツーストライク。雄大は第六球を待ちつつ、考えを巡らせていた。


(もしフォークで決めに来ても見極められる自信がある。八回にスライダーの軌道も見てるし、あとは真っすぐだけだ)


 彼は改めて直球に的を絞り、バットを構えた。カンカンと照る太陽が、球児たちの体温をじりじりと上昇させている。彼らは大粒の汗を流しながら、勝利に向かって必死に戦っているのだ。


 森山は健二のサインを見て、セットポジションをとった。二塁をちらりと見て、再び前を向く。そして足を上げ、六球目を投じた。白球が、ミット目掛けて進んでいく。雄大は照準を定め、バットを始動させていった。


(来たっ、まっす――フォークッ!!)


 しかし次の瞬間、彼はスイングを止めた。ボールは本塁手前でストンと落ち、ワンバウンドでミットに収まる。健二がスイングチェックを要求したが、判定は「ボール」だった。


「よく見たぞ久保ー!!」


「見えてる見えてるー!!」


 今日最初の対戦ではスイングを取られてしまった雄大だが、この場面ではしっかり見極めることが出来ていたのだ。健二は悔しそうな顔で森山に返球し、次の球のサインを送る。その間、雄大は去年のことを思い出していた。


(去年の夏は結局スライダーで打ち取られた。でも、今年は変化球に対応出来ている。やはり、残すは真っすぐだ)


 彼はゆっくりとバットを構えると、不気味とすら思えるような笑みを浮かべていた。自らの勝利を確信しているかのような表情に、自英学院の選手たちも思わず怯んでしまう。しかし森山だけは、真っすぐに雄大の方を見つめていた。


(去年は直球勝負に挑むことすら出来なかった。……今年こそ、真っすぐでお前を打ち取ってやるよ)


 彼はサインを見ると、セットポジションに入った。健二は右腕を振るジェスチャーを見せ、「思い切って腕を振れ」とのメッセージを発している。去年、健太は直球勝負を回避してスライダーで打ち取ってみせた。しかし、健二は森山の直球を信じてストレートのサインを出していたのだ。


「頑張れ、雄大ー!!」


 一方で、大林高校のベンチではまなが懸命に叫んでいた。力と力の究極の勝負。その勝者は、誰にも予想がついていなかった。


(見てろよ、まな。必ず甲子園に連れて行ってやるからな)


 雄大もバットを強く握り直し、構える。森山も呼吸を整え、勝負に向けた準備を完了させた。彼は小さく足を上げ、右腕を動かし始める。雄大もそれを見て、テイクバックを取った。そして、森山は――渾身のストレートを解き放った。ボールは風を切るように、美しい直線軌道を描いて前進していく。


(勝負だ、森山!!)


 雄大はカッと目を見開き、スイングを開始した。目にも止まらぬスピードで、バットが弧を描いていく。高めの直球だったが、雄大にとっては絶好球だった。彼は全身の力を使って、芯でボールを捉えてみせた。間もなく、快音が球場全体に響き渡り――打球が、空高く舞い上がっていった。

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