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ああもうメチャクチャだよ



          ◆



「ええ……なにこれ……?」


 厚生労働省直属逸脱存在管制局、通称妖怪管理局東海支局菱追方面班所属諜報員、ブランチこと冬馬コズエは、眼下に広がる光景に唖然としてつぶやいた。

 市内にいくつかある消防団施設の火見(ひのみ)(やぐら)の上である。

 住み慣れた町の、あまり馴染みのない神社の周りが、戦場のようになっている。

 いくつもの建物が倒壊し、木々は薙ぎ倒され、あちこちから煙が上がっている一方で水浸しになっている箇所もある。


 その中心、というより、今も広がり続けている破壊の最前線で暴れまわる二つの存在を、コズエも、隣にいる少女も、知っていた。

 一方の“竜”は資料や伝承の中で見ただけだったが、もう一方は、


「うーわ、マジでカイさんじゃん。だよね?」

「……そう見えるね」


 メイプルこと麻沼カエデの半笑いのような言葉を、否定することはできなかった。


 竜神祭に鬼が出た。

 遠方で別の任務にあたっていたところにそんな応援要請を受けて、今さっきようやく現場近くに到着したばかりだ。状況説明(ブリーフィング)を受けはしたものの、それでもわけがわからない。


 鬼とはある特定種の妖怪を指す言葉ではあるが、何らかの原因で狂ってしまった人間を言うことも多い。後者の場合は悪意を持った妖怪に憑かれたり惑わされたりといったものであることが大半を占めるとされている。


 彼、佐野口カイがそれになってしまったのだという。

 信じがたい――いや信じたくないというのが正直なところだが、しかしどうやら竜神直々(じきじき)の見立てであるらしい。最初の現場に居合わせた民間人から複数の目撃証言が得られていると聞かされた。

 仮にも神の言うことだ。全くの的外れではあるまい。

 それにそういうことであるなら彼が振るっている超常的な異能の数々にも説明がつく。

 妖怪に憑かれた者は神通力を得る。

 世間一般には与太話と思わ()ているが、れっきとした事実である。……もっとも、


「なにあの光る剣。なんかレーザー? 火の玉? みたいなの撃ってるし、てか身体能力ヤバくない? 鬼強(おにつよ)じゃん」

「いや鬼なんだよ……」


 言っている場合ではない。

 さておき、いくらなんでも能力が多すぎやしないか。

 よほど強力なのが憑いているのか、あるいは複数という可能性もあるか。いずれにせよ、とにかくそいつらを引っぺがしてやらなければならない。


 それ自体は実は簡単だ。

 管理局の歴史は長く、多くの知識や技術が蓄積、継承されている。こいった場面での対処法ももちろんある。具体的には特効薬だ。

 コズエが実際に使ったことはないし、原料や製法までは知らないが、なんでも妖怪だけを選択的に遠ざけることができる薬剤があるのだという。人間やほかの通常生物には何の効果もないため、これを彼に飲ませればそれで終わりだ。


 問題は、どうやって、という点。


「いや無理っしょ。どーすんのアレ」


 カエデがつぶやく。

 その視線の先では彼が竜神と互角の戦闘を繰り広げている。

 素直に飲んでくれるとは思えない。液薬なので麻酔銃に詰めて撃ち込んでもいいが、だとしても最低限動きを止める必要がある。

 また竜神に当たってしまっても大変だ。あちらも分類上は妖怪なのだ。


「まぁ、どうもこうも。私たちは班長の指示通りに動くだけさ」


 何も女二人だけで突撃するわけではない。

 頼れる大人たちがサポートしてくれる。というよりこちらが彼らをサポートする側だ。だから気楽にやればいい――というわけにはいかないにしても、ただ普段通り与えられた役割に忠実であればいい。そうすればあとは上司や先輩たちがなんとかしてくれる。


「じゃあ、私はいくよ」

「あ、うん。気を付けてください」

「メイちゃんもね。ってかそっちのが危険なんだからさ」

「わかってますって。じゃ」


 言い合い、それぞれに(やぐら)から飛び降りる。

 カエデは団舎の屋根から隣の屋根、そのまた隣へと、争い続ける両者を高所より見下ろしながら現場へと向かう。コズエは一気に地面まで降り立つと、そのまま神社のある丘へと走り始めた。


 目撃者の証言によると、菱追竜神宮本殿に至る石段の下、今夜は屋台通りになっていた参道が最初の現場であるらしい。

 屋台の一つが突然爆発したのだと。

 次の瞬間にはもう竜が現れていて、倒れ伏す少女に呼び掛けていたそうだ。

 そしてそこに少年がやってきて、竜と少女に襲い掛かった、と。


 考えるまでもなく最初の爆発というのが怪しい。

 それを調べるのがコズエの受けた指令だ。カイを元に戻す手がかりが得られるかもしれない。


 現場に着いた。

 あたりは静まり返っている。人気(ひとけ)はまったくなく、建ち並ぶ屋台は傾いたり焦げていたりするものもあるが、おおむね原形を保っている。石畳の地面には食べ物や景品の類が散乱している。

 金魚が一匹、踏みつぶされて死んでいるのが妙に物悲しく感じられたが、そんな場合ではないと頭を振って余計な思考を追い出した。


 ひとまず燃えているところを消化して、爆心地の前に立つ。

 すると詳しく調べるまでもなく、一見しておかしいことに気が付いた。


「カキ氷屋じゃん……」


 そう。

 フレームも天幕もぐしゃぐしゃに押しつぶされてはいるが、元が何の店だったかわかるていどには機材や商材は無事だ。カキ氷屋で間違いないだろう。

 だというのに、いったい何が爆発したというのか。

 もちろん機械を動かすのには電気を使う。照明だってある。火種が皆無ということはあるまい。

 しかしそれでもおかしい。

 どこも焦げていないし、何よりその壊れ方だ。内側から爆ぜたというより、まさに上から押しつぶされたような有様なのだ。素人が見てもわかると思う。


「でも上って……」


 この上となると、神社の本殿と境内しかない。確かに花火見物には絶好のスポットであろうが、今夜は立ち入り禁止のはず……いや。

 佐野口ユメは竜神に見初められた巫女だ。彼女が一声かければ許可ぐらい容易に降りるだろう。


 まぁ行くだけ行ってみるかと石段を駆け上がる。

 普通の人間には厳しい傾斜も、普段から鍛えている彼女たちにとってはさしたるものでもない。ほどなくして頂上まで登りきる。

 下と同様人の気配はなく、下とは違って破壊のあとはない。

 ただ一点、隅の方の見晴らし台のようになっている一角におかしなところがあった。

 コズエは無線に向けて口を開く。


「こちらブランチ。現着しました。班長、どうぞ」

『――』


 向こうの声にうなずく。


「ええ、神社の境内です。どうやらここが起点で間違いないようで、奇妙な痕跡がありました。何かが焦げたような跡です。どうぞ」


 そう告げる彼女の足元では、確かに石畳の一部が真っ黒に焼け焦げていた。

 直径1.5メートルぐらい。よほどの高温だったのか、中心近くは石が融けているようにも思える。


『――』

「了解、映像を解析班に回します。それで、私はこのあとどうしましょう?」

『――』

「ええ、見えています」


 眼下には翡翠川と河川敷、そしてそこにきらめく花火とは別の光が見える。それらを生み出している人物の姿も、人より優れた視力によって問題なく捉えられている。

 コズエは半妖だ。雪女の血を引いている。管理局にはそういった者が少数ながらいる。

 対象までの距離は、ざっと一キロ弱といったところか。


「この距離なら問題なく狙えます。どうぞ」

『――』

「ブランチ了解。待機します」


 許可が下りた。

 久々の狙撃だ。


 湧き上がる緊張と高揚に、コズエは唇をなめた。



          ◆



 戦いながら、いつの間にか河川敷まで移動していた。

 神社からここに至るまで、いくつもの建物や木々が薙ぎ倒され、切り裂かれている。犠牲者が出ていないことを祈りたいところだが、実際のところそんな余裕はなくなりつつあった。


「【ええい、厄介な刀だ……!】」


 もう何度目になるのか。

 カイを弾き飛ばして遠ざけながらスイは呻く。

 その姿には傷の一つもなく、覇気も衰えてはいない。ただ気配にわずかながら焦りの色が混じり始めている。


「はぁ……はぁ……」

「【……ユメよ】」

「へ、平気、です……私の、ことは……」


 彼女の体力が限界に近い。

 飛び回る竜の胴体に延々としがみつき、振り回され続けているのだ。もちろんスイとてなるべく負担にならないよう気遣ってはいるのだが、完全になくすまでには至らない。


「ううっ……」


 震えている。顔色も紙のように白い。

 スイの本質が川であることが災いしている。水の流れは命をはぐくむが、一個の生き物に対しては体温を奪う毒になりうる。このままでは。


「――なんか放っときゃ死にそうだな、このまま」

「【ぬうっ!】」


 冷めた言葉とともに、水の膜がまた切り裂かれた。

 これだ。

 どのような原理をもってしてか、あの光の剣はスイの張る防壁を斬ることができるのだ。

 包丁で豆腐を切るように、などというほど絶望的ではないが、その要領で例えるなら、チェーンソーと丸太あたりだろうか。

 多少は耐えうる。しかし耐えきることはできない。


 無論すぐに修復することはできる。翡翠川の流れがある限りスイの神力が尽きることはない。

 だが、一瞬でも切られるというだけで致命的なのだ。

 切っ先さえ通れば、その凶刃は正しくユメの命に届きうる。

 さらに、有効と見るや飛び道具の火の玉も同様の光の弾に切り替えてきた。


 逆にこちらの攻撃は通用しない。

 正確には、死なせないよう手加減した攻撃では決定打を与えられない。

 加えて例の奇妙な瞬間移動術。これらのせいで防戦を強いられ、振り回され、結果として町に被害を広げてしまった。

 このままではらちが明かない。

 何か状況を打破する手を探さなくては。


 目星は付いている。

 先ほどから感じる、こちらを(うかが)ういくつかの気配。悪意はなく、むしろ恐れ敬い、憂い(おもんばか)る気配だ。おそらくは官憲の類であろう。

 彼らの手や知恵を借りることができれば。


 鬼ごときのために人の子を頼るなど業腹だが、ユメの命には代えられない。

 あるいは人の問題を人に返すだけだと思えばいい。


 一番近くにいるのは……対岸か。

 急に不自然な動きをすればヤツに気取られる。ならばその背後、川に架かる橋の上にいるあの者に。


「【いい加減に決めさせてもらうぞ!】」


 吠えつつ、突進をかける。直進ではなく弧を描く軌道で。

 大量の水を巻き上げながら川面の上を(はし)る。

 カイは無表情のまま、ぼそぼそと独り言を垂れ流したまま剣を構えた。

 巻き上げた水で無数の縄と球を作り、殺到させる。全て切り払われるがそれで構わない。

 無尽の飛沫となってカイを取り囲む川の水。その一粒ひとつぶを余すことなく、空中に固定した。


「むっ」


 霧の牢獄。

 完全に微動だにしないわけではない。押されれば多少は動く。しかし元に戻ろうとする。

 例えるなら巨大なスポンジの中に閉じ込めたような状態だ。目くらましも兼ねている。

 これまでに見たヤツの能力からしてそう長くは持つまいが、その必要もない。


 スイ自身はそのまま脇を抜けて橋へと迫る。

 野次馬どもが慌てて逃げていく中に、わずかな驚きを示しながらも踏みとどまる人物が一人。顔まで隠した奇妙な黒装束だったが、ユメと変わらぬ年頃の少女だとわかる。


「【手の者か!】」

「は――はいっ! ヒスイヌシ様、ユメ、これを!」


 投げてよこしてきたのは小さな背負い袋(リュックサック)。尻尾の先で器用に絡めとると、カイのいる方へと即座に向き直る。


「【……】」


 まだ霧は破られていない。


「今の、カエデ……?」

「【ユメ、袋の中身を】」

「あ、はい」


 知り合いだったのか。

 そういうこともあろう。今は重要なことではない。

 あの娘はこちらが声をかけるや否や、袋を投げ渡してきた。そしてすぐに走り去った。

 向こうもそれなりに策を講じていたということだ。


「えっと……飲み物、みたいなのが入ってます。なんか赤くて、それとこれは、ヘッドセット?」


 前に警戒を向けたまま横目に確認する。


「【猩々(ショウジョウ)の霊薬か、ありがたい。ユメ、それを呑め。体力が戻る】」

「は、はい」


 言われるがままにユメは瓶のふたを開け、その薄赤い液体を口にした。

 直後に目を見開く。


「なにこれ、すごい……」

「【よし、次にその機械だ。声を届け合うものだろう。それを――】」


 言葉の途中で霧が音もなく消失した。

 カイが再び姿を現す。


 そして――しかし、動かない。

 その場に立ち止まったまま、何やら周囲を気にしている様子だ。

 例によってつぶやかれている独り言を、スイの耳はしっかりと拾っていた。


「今のはディアボロスか……? ここで出てくるか。ならどうせコキュートスもいるだろうし、他にも……」


 やはり意味はわからない。

 わからないが、足を止めているのは事実だ。これは、好機と見るべきか否か――



          ◆



 あの赤い水を飲んだら、嘘みたいに疲れが消えた。

 その驚きに浸る間もなく、スイから次の指示が飛んでくる。


「【よし、次にその機械だ。声を届け合うものだろう。それを――】」


 言葉が途切れた。

 見ると、彼の作った霧の煙幕が晴れ、兄が姿を現していた。

 しかし再びこちらを攻撃してくるでもなく、何かを探しているのかしきりに周囲を見渡している。何かを言ってもいるようだが遠すぎて聞こえない。

 もっとも聞こえたところで理解などできないのだろうが、そう推測できてしまう事実が悲しかった。


「【ユメ、今のうちだ。その機械で手の者らと連絡を取れ】」

「てのもの、ですか?」

「【人の世の担い手だ。その中にワシらのようなものを扱う一派があるのだろう?】」


 要するに公務員、公的機関ということか。その中でスイたちのような存在の専門というと。


「あ、妖怪管理局」

「【呼び名など知らぬ。ともかくそやつらと話して、助力を許すと伝えよ】」

「……わかりました」

「【よいか? 決してワシの力が及ばぬということではない。逆に力が余り過ぎてヤツを生け捕るのが手間だというのだ。努々(ゆめゆめ)取り違えるでないぞ!】」

「は、はい……」


 冗談だろうか。そんな勘違いなどするわけがないのだが。

 いぶかりつつ、ヘッドセットを装着する。兄はまだ動いていない。

 スイッチを入れる。

 もしもし、と呼びかけると落ち着いた女性の声で応答があった。


『――竜神の巫女、佐野口ユメ様ですね?』

「はい、そう……カエデ?」


 それは中学からの友人、麻沼カエデの声でもあった。知っている口調とはまるで違ったが、声自体はそのままだった。


『……なんのことでしょう。あたしは妖怪管理局のエージェント、コードネーム・メイプルです』

「つまりカエデなんじゃないですか……というかさっきコレを投げてくれたのもあなたでしたよね? 忍者だったんですか? いったいいつから……まさか最初から? 私を見張ってたんですか?」

『……あー、もぉ……』


 矢継ぎ早の質問に、無線の向こうの自称メイプルは、タメ息でもって答えた。

 一瞬だけ垣間見えた普段通りの顔。

 だがすぐに慇懃(いんぎん)な仮面に隠される。


『そんな話をしている場合ですか?』

「でもっ」

『そういえば、あたしたちが「忍者」の俗称で呼ばれていることはご存じのようですが、では正体を知られた忍者は姿を消すといったウワサを聞いたことは?』

「――っ!?」


 息を呑む。

 確かに聞いたことがある。ただの都市伝説か何かだと大して気にしたこともなかったが、確かにある。しかし――いや、それより。

 わざわざ今、あえてその話をしたということは。


『お兄さんを元に戻して、日常を取り戻したいんでしょう?』


 日常。

 そう言われて、反射的に兄の方を見た。

 まだ動いていない。しかしこちらを見ている。


「……はい。その通りです、すみません。少し勘違いをしていたようです、メイプルさん」

『まぁ、大変な状況ですし、多少の混乱は仕方ないでしょう』


 彼女の言葉はどこかからかうような色も帯びていて、それはユメのよく知るあの子の言葉に他ならなかった。

 信じられる、と感じた。


『あなたのお兄さん、佐野口カイさんが妖怪に取り憑かれて鬼と化した――我々はそう認識しています』

「はい。スイさま――ヒスイヌシさまもそのように。でも何の妖怪なのかも、何故そうなったのかもわかってないんです」

『問題ありません、特効薬があります。既知の妖怪の九割以上に対して効果の認められている忌避剤で、これを対象に摂取させれば何が憑いていようと引きはがすことが可能です』

「そんなものが……」

「【まて、小娘】」


 と、そこにスイが割って入った。


「【その薬とやら、よもや“(くさび)の毒”のことではあるまいな?】」

『……これは、ヒスイヌシノカミ様。聞こえておいででしたか』

「【当然だ】」

「俺も聞こえてるぜ」


 さらに割り込み。

 兄の声。


「!?」


 さっきまで遠くにいたのに、またワープしてきたのか。

 ただし今回は攻撃はしてこない。武器こそ手放していないものの、ただ立っているだけだ――空中に。


 今ユメたちのいるここは橋のすぐ脇、川の真上だ。水面まで4~5メートルはある。もちろん足場などない。スイの能力で浮かんでいるのだ。

 だというのに、兄も平気な顔で立っている。

 よく見ると草履が、鉄パイプの切れ端から出ているのと同じような光で覆われている。


「【貴様、飛べるのか】」

「お前が言うのかよ」


 驚愕を押し殺したようなスイにもやはりろくに取り合わず、彼はユメを睨む。

 あるいは装着しているヘッドセットを、か。


「やっぱテメェか、ディアボロス。どうせコキュートスも近くにいるんだろ?」

「え? え?」

『……はじめまして、悪い妖怪さん。あたしはあなたみたいなのを退治する仕事をしているものです。よろしく』

「なるほどなぁ、そうやって辻褄を合わせるってわけか。諦めの悪い野郎だなまったく」


 スムーズなのに噛み合っていない奇妙な会話。

 聞いているだけで不安が膨れ上がっていく。


『完全に違う現実を見ているようですね。ちなみに、目的をお聞きしても?』

「決まってんだろそんなもん。ユメに成りすましてるコイツをぶっ殺して元の世界に帰るんだよ」


 殺す。

 成りすましている。


 わかっているつもりだったが、改めて聞かされるとやはり、つらい。

 そして言いながら兄は剣を振っていた。

 が。


 ――ジュウッ


 これまで同様、いや、これまでよりもなお強固に、水の灼ける音とともに止められる。


「お?」

「【行けると思ったか?】」


 静かにつぶやかれるスイの声。

 滲んでいるのは(あざけ)りと、


「【確かに今日受けた中では最も鋭い一太刀ではあったがな、だからとて通ると思ったか? ワシが油断するとでも思ったか?】」


 憤怒。


「【舐めるでないわ、寄り蟲ごときが!】」

「……寄生虫ってことか? そんな日本語あんのかよ」


 そして場違いなぼやき声をあげたときにはもう、兄は捕らえられていた。


「む? ……くっ!」


 川面から伸びた四本の水の縄が両手両足を拘束していた。

 よく見ると実物の縄のように、極細の水の糸が何十何百何千と()り合わさって形作られていた。さっきまでのただ細長いだけのものとは一線を画するものであると、ユメにも理解できた。


「【むしろ貴様だ、油断したのは。川の上は我が領域。腹の中も同然よ。――小娘、今だ射ち込め】」

『は――いえですが、それですと川に流れ弾が』

「【構わぬ! やれい!】」

『っ……! 了解!』


 メイプルが叫んで答えると、無人だった橋の上に何人もの人影が滑り込んでくる。

 みな一様に真っ黒な、警察か自衛隊の特殊部隊のようなスーツを着て、顔はガスマスクで隠している。一人だけ妙に小柄な、具体的には麻沼カエデとよく似た体系の人物が交ざっていたが、見ないふりをするべきだろう。

 それより見過ごせないのは、全員がライフル銃のようなものを手にしていることだ。


「ま、まってください、スイさま。何かの毒って、さっき」

「【人には効かん。ワシにもだ。――さぁ撃て!】」


 彼の号令に従ったのか、あるいは本来の指揮官から命令が下りたのか。黒服たちが一斉に引き金を引いた。ユメは思わず目をつぶる。

 銃声は響かず、ぷしゅぷしゅと空気の抜ける音だけがかすかに聞こえた。


「……」


 おそるおそる目を開く。

 兄は空中に固定されたままだ。その身体にはごく小さな注射器のようなものが何本か刺さっている。胸元に三本、右腕と肩に一本ずつ。

 そしてその顔は、


「……何が人には効かん、だよ。しっかり麻酔が入ってんじゃねぇか」


 平然としていた。


「【馬鹿な……! なぜ効かん!?】」


 愕然とスイが叫ぶ。無線の向こうからも息を呑む気配が伝わってくる。

 ユメは特に反応できない。

 つまり、失敗したということ?


「なんでってそりゃ、これこれこういう理由でー、って、敵に情報は渡さねぇっつってんだろうが。っつーかお前の方こそ随分と辛そうに見えるが?」


 その言葉に、はっとなってスイを見る。

 人のものとは大きく異なる爬虫類の顔が、しかし確かに人にもわかるほど苦しげに歪んでいた。


「スイさま!? なんで、平気って」

「【うろたえるな! たかが残り香ごときで竜神たるこのワシが――】」

「その割には拘束もユルユルだな、っと」


 びしゃ、と音を立てて水の縄が引きちぎられる。

 兄はそのまま光の剣を振りかぶる。輝きが増しているように見える。

 予想外かつ早すぎる事態の推移に頭が追い付かず、見ていることしかできない。

 スイもろともに両断される、と思ったそのとき。

 兄は急に体勢を変え、まるで見当違いの方向に刃を振り抜いた。

 しかし何かは斬られたらしい。固いもの同士のぶつかる音が響いた。


「……氷?」


 つぶやき。

 氷?


 裏付けるように、兄の握る光の刀身、その一部が凍り付いていた。


「ってことはコキュートスか? しかも狙撃って、意趣返しのつもりかよ」


 獰猛な薄笑い。睨む視線の先には。神社の建つ丘。

 その姿が、ふと掻き消える。


「え」

『川岸です。南側』


 すかさず無線からフォローが入る。目を向けると確かにいた。

 野球のホームラン予告のように剣を丘へと向けている。そして、何かを言っている。風に乗って声が聞こえてくる。


「 陽なる天 陰なる地 双極を貫く(ほとばし)り 万里に(とどろ)(けが)れを滅せ 」


 なんだろう。

 まるで何かの呪文のような。


「【馬鹿な! これは……!】」


 スイが目を見開く。


「【みな、伏せろぉ!!】」




「 (イカ)() 」




 最後のワンフレーズは、竜神の叫びに掻き消された。

 そう思われたのだが、なぜか耳には届いた。

 あるいは、耳以外のどこかに。


 そして――閃光と轟音。


 世界を引き裂かんばかりの光が数瞬あたりを昼間のように照らし出し、この夜に打ち上げられた花火を全て合わせたような音が周囲数キロに響き渡った。






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