鬼が出ますよ
◇
塩焼きそばうめぇ。
味の解説とかはできないが、とりあえずソースのとは別物だ。とにかくうめぇ。
白い皿に盛ってフォークでも添えて出されたらそういう種類のスパゲッティーだと思っちまったかもしれん。あー美味かった。
ただかなり味が濃かったので口直しにウーロン茶を買って飲む。
魔王と魔女は真剣な顔で型抜きに興じている。
食ったことのない味まで再現されてるなんて、改めてすげぇなこの夢は。さすが魔王の術だ。
そんなことを思いつつ、次はどうするかなと考えながら人波をぼんやりと眺める。
今何時ぐらいかな。焼きそばは美味かったが晩飯とするには量がぜんぜん足りねぇしな。
追加で何か買ってこようと、二人にそう告げようとしたところで――
――バツンッ
空気の震える音がした。
放送マイクのスイッチが入った音、だな。次いで会場内のあちこちに設置されてあるスピーカーから、間もなく花火の打ち上げが始まる旨が告げられる。
「わ、もうそんな時間?」
魔女が慌てたように顔を上げた。
はずみで手元の型がぺきりと割れる。
「あ、あーっ、もうちょっとだったのにいっ」
八割がた削り出されていた『トンボ』の、右の翅が斜めに折れてしまっている。確かに惜しい。
「ざんねん。でも仕方ないよ、花火見に行こう」
「うん……」
雑に慰めて促してやると、しかし立ち上がりはしたが動こうとしない。後ろ髪でも引かれてんのか?
いやどっちかって言うと緊張してるっぽい感じだな。
屋台の店主にピンを返して、型の残骸を口に放り込んで、もぐもぐもぐもぐ。
しかし何を緊張することがある?
「待ってください、兄さん」
同じくもぐもぐしていた魔王が、ごっくん呑み込んでからそう言った。
「どうした?」
「そっちじゃなくて、上に行きましょう」
その指は境内へと続く石段を指している。
周りの皆が向かっている河川敷とは全くの反対方向だ。
「なんで?」
「穴場なんです」
穴場ねぇ。
「なんでそんなの知ってるんだ?」
「……なんで私が知らないと思うんですか」
おっと?
いやそりゃお前がそう言うならそうなんだろうよ、ここはお前の世界なんだから。
けどそれを口に出して言っていいのか?
妙に真剣な顔と言い、何を焦ってやがんだか。
ま、だいたいわかるがな。
魔女の様子と、この夢のそもそもの目的も併せて考えれば、な。おのずと見えてくるってなもんよ。
ずばり、告白タイムだろう?
花火の下、人気のない場所で、秘めていた思いを打ち明ける。
っかー、ベタだねぇ。
まぁいい。付き合ってやろうじゃないか。でも笑っちまったらごめんな。
「わかったよ。じゃあ行こうか、ノゾミちゃん」
内心の呆れをなるべく隠して魔女に向きなおる。
彼女は緊張を引きずったままうなずく。
「う。うん……」
「先に二人で行っててください。私はちょっとお手洗いに」
魔王が言う。
まぁそう来るわな。
「え、ちょ、え」
魔女がますます焦るが、どうせお前ら事前に打ち合わせてたんだろう? こういうのは二人きりでやるもんなんだから、覚悟決めろよ。
「ゆ、ユメちゃぁん」
「がんばってください、おねえちゃん」
「そうだな。この石段、けっこうきついからな」
そんなグダグダにまで付き合う気はない俺は、魔王の激励にわざとズレた相槌を打ちつつ、さっさと境内に向けて歩き出す。わざわざ手を引いてやったりもしない。
魔女は意を決したふうでもなく、引きずられるように小走りで追ってきた。
さて、どうなるのかね。
◇
この神社には小さなころから何度か来ている。だからってこの長い石段に慣れてるわけじゃないが、今の俺の身体能力をもってすれば朝飯前だな。
それでも面倒なもんは面倒だし、何より一般人としての体力しかなさそうな魔女には相当きついみたいだ。
「ご、ごめん、ねぇ……運動不足、だから……ハァ、ハァ……」
最初に焦って駆け足になったのがよくなかったな。
息を乱して額に汗を浮かべるその姿はなかなか眼福な感じではあるが。上にたどり着くころにはさらにエロくなっていることが期待できるが。
だからこのまま何もせずに眺めていたいところではある、が。
もう始まっちまってんだよな、花火。
石段を挟む杉林に遮られて見えないけど、音だけはさっきから響いてきてる。そんなすぐに終わったりせんとは思うものの……
「はぁ、ひぃ……」
魔女がこのザマだからな。
仕方ねぇ。
「ちょっとごめん」
「え? ――ひゃあっ」
背中とひざ裏に手をまわし、すくうようにして持ち上げる。
そう、あの伝説のお姫様だっこである。
「か、かか、かっちゃ」
「この方が早いから。ごめんね、ちょっとがまんして」
「あうあうあう」
真っ赤になって固まる魔女。
固まってるのにすげぇ柔らかい。
いやもう……すんげぇやわっこい。あといいにおい。
ごめんと言いつつカケラも抱いてなかった罪悪感が時間差でわいてくる。魔女じゃなくて本物ののんちゃんに対してのな。
「だ、だいじょうぶ? 重くない?」
「ぜんぜん。……って言うとこなんてしょ、知ってる」
召喚される前の俺には無理だっただろうけどな。マクドガルドで勇者として鍛えまくった今なら屁でもないぜ。
「そういうことは言わないでいいのっ」
「ははは。ごめんごめん」
「もぅ……」
ほどなくして石段のてっぺん、神社の境内に到着する。
人気はまったくない。明かりも必要最低限しか灯されていないのでかなり暗い。
そして――魔女を地面に下ろしてやるのとだいたい同時に、夜空に大輪の花が咲いた。
「わあっ……」
なるほどよく見える。
確かに穴場だな、ここは。端の方がちょっとした展望台のようになっている。
正直ちょっと疑ってたんだが、考えてみればここは竜神を祀る社。そのご神体というか、信仰の対象となっているのは清き流れの翡翠川そのものだ。打ち上げ会場たる河川敷がまるっと見渡せるのは必然か。
「すごぉい。きれい……」
陶酔したような声で魔女が言う。
まぁ同感だ。期待以上によく見える。奇麗だし、一拍遅れて響いてくる音も心地よい。
むしろなんでこんな絶好のスポットが無人なんだって話だ。
どうせ魔王がそういう設定にしたってことなんだろうが。
そのまましばし、二人並んで、無言で花火を見上げる。
打ち上げが少し途切れたタイミングで隣を見下ろすと、向こうもこっちを見上げてきていた。うっ、と息を詰まらせて、数秒目を泳がせて、それからへらっと笑う。
「き、きれいだね」
その顔は魔女の癖にかわいらしくて、一瞬萌えてしまいそうになったのが悔しくて。
「そうだね。ユメも早く来ればいいのに」
夜空に目を戻しながらそんなことを言ってみた。
気付いてないふりであり、また催促でもある。
すると狙い通り、魔女の気配に再び緊張の色が混ざり始める。
「あの、えっと」
「ん?」
「ユメちゃんは…………来ない、と思う」
俺は無言で、また隣を見下ろす。
魔女もこちらを見上げてはいたが、その視線は微妙に逸らされていた。
「わたしが頼んだの。かっちゃんと二人きり……っていうか、二人で話を、話したいことが、あって」
期待と不安。恐怖、羞恥、ためらい、そして勇気。
ごちゃ混ぜになった感情が、その表情や言葉の端々に浮かんでいる。
吐息に疑問符だけを乗せて続きを促した。
「わたし……あのね? わたしはもう二十二歳で、かっちゃんはまだ高校生だから、だからこんなのはおかしいってわかってるんだけど……だけどそれでも、わたしは……」
そこで一旦うつむき、数瞬のタメを挟んでからまた見上げてくる。
その両目は決意に満ち、まっすぐに俺へと向けられていた。
「わたしは――!」
「待って」
だが残念。
その眼前に人差し指を一本立てて、遮ってやった。
見開かれる目。その一秒後、夜空をひときわ大きな花が彩り、二秒後には鼓膜のみならず全身を震わせる炸裂音が響き渡った。
「……は……」
呆けたように斜め上を見上げる魔女。
俺は小さく息をつく。
勇者としての肉体スペックは聴覚にも及ぶ。炸裂に先んじるかすかな風切り音をこの耳は聞き逃さなかったのだ。
でなければ、花火に告白を邪魔れるなんてベタすぎるお約束を見せつけられるところだった。
「すごいタイミングだったね。こんな偶然ってあるんだなぁ」
んなわけあるかと思いつつ、一応そう言っておく。
とりあえず魔王のしわざというか、演出のつもりなんだろうが、意図がわからんぞ。とにかくベタなラブコメがやりたいのか、あるいは魔女には失敗させるつもりだったのか。
どっちにしても違和感が残るし、もしかしたらマジで偶然だったのかもしれんな。
「あの、かっちゃん」
「ノゾミちゃん、何かを言うなら気を付けて。花火の音に負けないように」
「……!」
おっと。
この顔、察してることを悟られたか。まぁいい。
苦笑いを向けてやる。
「あそこまで言われたらさすがにわかるよ。でも、ちゃんと最後まで聞くから」
「うぅ……」
「それとももう返事、聞く?」
「う、ううん、待って。ちゃんと言う」
ほう、偉いね。
魔女は一歩下がり、大きく深呼吸をして、それから改めて俺と向かい合う姿勢をとる。
花火の音は、大丈夫。
「わたしは、かっちゃんが好きです」
そこで言葉を切る。
邪魔は入らない。
俺は何も言わない。
「わたしと恋人になってください。そして、いつかお嫁さんにしてください」
言い切った。
ちゃんと全部聞こえた。
俺は。
「…………」
何も感じなかった。
喪失感にも似た後悔と、死にたくなるほどの罪悪感。その二つを除いては。
「……あぁ……」
ありがとう。でも俺は一応受験生だから、返事は落ち着くまで待ってもらっていいかな。
そんな風に答えようと思っていた。
そのていどの言葉すら出てこない。
間違っていた。
軽く考えていた。
こんなことを言わせてはいけなかったんだ。
――これに。
「……ごめん、のんちゃん……」
「え、あ……かっちゃん。そう、だよね……」
「お前に言ったんじゃねぇよ」
「……え?」
ああ、いかん。声に出しちまった。いや。
いいか。別に。
もう終わりにしよう。
目の前で混乱した様子を見せるそいつを無視して、しかしそいつに向けて、俺は魔法を発動するべく魔力を練り始めた。
◆
盗み聞きをするつもりだったわけじゃない。
二人と別れたあと、ユメはそのまま家に帰るつもりでいた。しかし気付けば足は逆方向に向かってしまっていた。
菱追竜神宮本殿に通ずる長い石段。その中ほどを過ぎたあたりまで来てしまっていた。
たった一人の兄と、大好きなお姉ちゃん。
二人の声はまだ聞こえていない。姿も見えない。だけどあともう少しだけ登れば。
昼間、数時間前。
音無邸で浴衣を着つけてもらっていたとき、ユメはノゾミから一つのことを聞かされていた。
彼女が自分の兄、カイに、告白をするつもりであると。
驚きはあまりなかった。いつかはそうなるとわかっていたことであり、ユメ自身も望んでいたことであるからだ。
だから了承し、協力もすると答えた。
実際に、兄に彼女を意識してもらえるようさりげなくアピールしたり、二人で花火を見られるよう手配したりした。
まぁ、前者については成功したとは言い難いが。
最近の兄はいろいろとおかしく、特にこちらの言葉を聞こうとしないのと、女性全般と必要以上に距離を置きたがる傾向が強いから。
とはいえ目的自体は達成できている。
この先にいるのは二人だけだ。本来祭りの間は立ち入り禁止なのだが、裏技を使わせてもらった。
あとはノゾミお姉ちゃんの頑張り次第。
つまり、ユメがここにいる必要はやはりない。
しいて言うなら胸の奥にわだかまるこのもやもやのせいか。しかしこんなものは、お兄ちゃんを取られたくないという幼稚なヤキモチにすぎない。そんなことで二人の大切な時間を邪魔するわけにはいかない。
だから帰ろう。
きっと上手くいく。
自分はただ家で朗報を待っていればいい。そう思ってきびすを返し、ユメは石段を下り始めた。
四段ほど降りたところで、ふと目の前が暗くなった。
違う。後ろが明るくなったのだ。それも突然、強力に。
何ごとかと振り返ると、火柱が立っているのが見えた。
「……?」
意味がわからない。
それはほんの数秒のことで、すぐに消えて見えなくなった。
しかし確かに、石段の上、左右の視界を遮っていた林の途切れた向こうに、大木のような炎の柱が。
見間違いではないと思う。かすかに熱も感じた気がする。
しかし、だとして。
なぜそんなものが、あんなところに?
そう疑問を抱いた次の瞬間、ようやく思い至った。その正体が何であれ、ことが起こったのは大切なあの人たちがいるはずの場所だということに。
「兄さん! お姉ちゃん!」
叫んで、駆け出した。すぐに止まった。
行く手に人影が見えたからだ。
「……にい、さん?」
見えたままを口に出す。
そう、兄だ。ユメの兄、佐野口カイだ。見間違えるわけがない。そのはずなのに。
「あ? なんだ、いるじゃねぇか」
違和感。
なぜ、一人なのか。
「え? あの……ノゾミお姉ちゃんは……?」
「あー、もうそういうのいいから」
違和感。
なぜこんなにも言葉が荒く、冷たいのか。
「……なぜ……」
「はぁ? ――ははっ! なぜってお前」
違和感。
なぜこんなにも、敵を、仇を見るような怖い目を向けられなければならないのか。
「すっかり騙せてたつもりでしたってか? 何もかも間違いだらけだからだよ。こんなもんで、ハッ、演技してやってたのはこっちだっつーの」
演技。騙す?
なんのことだ。
確かに、理由を言わずにノゾミと二人きりになるよう仕向けはした。それを謀ったを言われれば反論はできない。
だが、だからと言って兄のこの振る舞いはなんだ。実は彼女のことをひどく憎んでいたとでもいうのか。今日の浴衣も以前の水着も、普段だって胸元を、嬉しそうに見ていたくせに。
「まぁ、いいや。夢を見るのはもう終わりだ」
その言葉を、言い終える前か後か。
気付けば目の前に迫っていた。
「なにぼけっとしてんだ」
「え?」
「そろそろ目を覚まさせてもらう――ぜ!」
瞬間、世界が爆発した。