そのほかのヒロインがこちら
◇
翌日。
テスト休みも終わったので今日は学校に行かないといけない。終業式に出て成績を受け取るだけだが、面倒くさいことには変わりない。
結局魔王に起こしてもらって、飯を作ってやって、身支度を整え二人で並んで家を出た。
別に仲良く一緒に登校なんてしたかないんだけどな。別々に行く口実を考えるのも、どうせ渋る魔王を説得するのも面倒だから仕方ない。したかないけど仕方ない。
駅までは徒歩で、そこから十分少々電車に揺られて、改札を出てからさらに五分も歩けば我らが県立菱追高校に到着だ。
ちなみにこの間会話らしい会話は特になかった。
「じゃあな」
「はい」
昇降口で魔王と別れて、とっとと靴を履き替えて教室へ向かう。
背中にしばらく視線を感じていたが無視した。
「おっす、カイ」
「おはよう」
「おう、久しぶり」
声をかけてきた友人たちに挨拶を返す。
召喚される前から付き合いのあったやつらだ。ここにいるのはコピーの偽物なんだろうが、本物たちは元気でやってるかねぇ。確か二人とも大学に行くって言ってたけど。
「ひさしぶり、じゃねーだろ。何度かライン送ったのに全部無視しやがって。既読すらつかないってどういうことだよ」
「日本語で頼む」
「「日本語だよ!」」
ハモんなよ。
いやわかるよ。例の石板の話だろ。さすがにそのぐらいは覚えた。
ラインというのは短い文章を個人間で遣り取りするする機能のことだ。電子メールの簡易版、みたいな感じで、それはいいんだがなんだよ『線』って。ネーミングもうちょっと頑張れよ。
「サノ、お前さぁ、その機械音痴なんとかしなよ。そんなんじゃこの先生きていけないよ」
「知るかよ。俺はそんな異世界のテクノロジーになんか頼らない」
「現実世界のだよ……」
はーぁ。
こいつらはそれなりに大事な友人だが、同時に魔王の尖兵でもあるんだよなぁ。ムカつく。
「で? なんか用事だったのか?」
「ん?」
「ん、じゃなくて。連絡くれたんだろ?」
「あー、別に。遊ぼうとかそんなんだよ」
「そうか。悪かったな」
「悪いと思うならちゃんと返信しろって」
「ムリ」
「「はぁ……」」
二人そろってタメ息をつく。失礼な奴らだ。
「お前ほんと、なんのためにスマホ持ってんだよ」
最初から持たされてたんだよ。
なんのためってのは、監視のためだろ、俺の。
それにしても魔王も浅はかだよな。
仮に俺がここを元の世界だと信じたとして、そんな意味の分からんアイテムにそう簡単に順応なんてできると思えんのだが。
その後も他愛のない会話を続けているとところに、声をかけてくる者がいた。
「来たね、カイくん。おはよう。ユキくんとケンくんも」
「ん」
「おお」
「……おはよう、冬馬」
制服をかっちりと着こなした背の高い女子だ。
冬馬梢。
元の世界にはいなかった人物ながら、なぜか俺とも友人ということになっている。
あと男どもの一方がこいつに惚れている設定っぽい。
やめとけそいつ魔将だぞ。
冬の馬梢。
三魔将次席、氷結のコキュートス。
自身を中心とした半径百メートルぐらいを極寒地獄に変えるという凶悪なスキルの持ち主で、魔王とディアボロス以外には無敵と言われていたヤツだ。
まぁ遠くからの狙撃で倒したんだけどな。
俺に現代知識があったから取れた戦法と言える。あのときは普段目立たない魔導士さんが大活躍だったなぁ。
「ときにカイくん、もう聞いたかい?」
「何を?」
「……そう訊き返すってことは聞いてないのかな。来週の海だけど、中止になりそうって話さ」
コキュートス……コズエが肩をすくめる。
俺は友人たちの方を見た。
「あ、うん。それも送った」
「用件あったんじゃないか」
「そうだけど……俺が責められるのおかしくね? お前がちゃんとライン見りゃ済んでた話じゃん」
「ぬぅ……」
それを言われてしまうと……おのれ魔王め。どうあっても俺に石板を使わせたいか。
コズエに向きなおる。
「けど中止ってなんで?」
「まだ確定じゃないんだけど。パパがクルマ出してくれるって話だったろう? それが駄目になりそうなんだ」
「用事ができたって言ってたよね。親戚の手伝いだっけ」
「うん。だから決行するなら別の足を探すか、もしくは電車で行くかになるね」
「なるほど……」
ここから海まで電車でとなると、往復の交通費が結構なもんになりそうだよな。俺は平気だが他のやつらにはキツいだろう。
けど他の足ってのも難しいよなぁ。もともとコズエの家の車がデカいから父親が空いてる日ならみんなで遊びに行けるよってんで挙がった話なわけだし。
いっそ俺が魔法でみんなを運ぶか? なんて一瞬思ったが、実行も説明も面倒くさそうだから却下だな。
この後さらに女子が二人ほど(元世界にもいた)合流して軽く話し合ったがこれといったアイデアが出ることもなく、やがて担任教師がやってきて時間切れとなった。
みんなで講堂に移動して、校長その他の大して中身もない話を聞き流して、教室に戻って成績表を受け取る。
案の定ボロボロで担任からは逆に心配されちまったが、適当に流しておいた。
「じゃあね、カイくん。決まったら連絡するから、ちゃんと受け取るんだよ」
「家の電話にかけてくれ」
「スマホで受けなさい!」
お断りだ。
ともあれやることも終わったし、とっとと家路につくとする。
帰り道がかぶってる友人はいないので一人だ。
昨日の雨のあとが残っている道を見て、この夢の精巧さを改めて思い知る。俺以外のやつだったら騙されてたんだろうな。
それにこれだけのものを展開するとなれば魔王と言えど戦いながら片手間にというわけにはいかないだろうから、やっぱり俺と一緒に眠っていると思っていいだろう。
聖女さんたちには心配をかけてしまうが、もう少しだけこの“休暇”を満喫させてもらうとしよう。
しかしそうなると残念なのが来週の海だな。
女性陣はすでに水着を新調してあるという話だし、できることなら外したくはない。
問題は交通手段だけなわけだが、その一点が高校生の身の上としてはハードルが高い。実際俺にもどうすりゃいいのかわからんし。
魔王も何考えてるんだかな。せっかくの水着イベントをふいにするなんて。
問いただすわけにもいかんしな……いや待て。
確かアイツ、自分も行きたいとかほざいてたよな。ならば中止になりそうって伝えて反応を見てみるのはアリか。もしかしたら魔王にとっても想定外のことかもしれんし。
もしそうなら何とかしてくれるかもしれん。
代わりというかお返し的に連れてくことになりそうではあるが。
あれこれと考えているうちに我が家が見えてきた。うん?
なんか家の前に引っ越しのトラックが止まってる。
いや隣か。
一つ手前。
老夫婦が棲んでいたはずだが、出て行くのか? いや、荷物を運びこんでるな。別居してた息子夫婦とかが介護のために、みたいな感じか。
って、なんか嫌な予感がするのだが?
せわしなくも黙々と動き回る作業員たちの脇をそっとすり抜ける。全員帽子を目深にかぶってて誰とも目が合わないのがいかにもモブって感じだ。
自分の家の玄関の前に立って、ふと横を見上げてみる。
目が合った。
こちら側を向いた二階の窓が開いて、そこに立っていた女性と。
二十代前半。大学生か新卒の社会人かといったところ。
あぁそうだな。そのぐらいの年齢差だったよな。
苦々しい思いをとっさに隠して真顔をキープ。
結果、先に動いたのはその彼女の方だった。
「あのっ!」
窓から大きく身を乗り出す。
相変わらず――いや、以前にも増して大きくなった胸がたゆんっと揺れる。俺は真顔をキープする。
「もしかし、かっちゃん、カイ――佐野口カイくん、ですか?」
「え、はい。えっと……え? まさか、のんちゃん?」
問い返すと、彼女は輝くような笑顔を浮かべてうなずいた。
そのはずみでまた胸がぽよんと揺れた。おのれ魔王め。ありがとうございます。
もとい。
のんちゃんこと音無希望。子供のころに引っ越していった幼馴染にして俺の初恋の女の子――にして。
確証はないがおそらくは、これまで姿を見せなかった三魔将の最後の一人、『名も無き絶望の魔女』がその正体なのだろう。
夏休みに入って、ヒロインもそろった。
ここからが本番ってところか? 魔王。
いいだろう。受けて立ってやるよ。
◆
お姉ちゃんが帰ってきた。
実の姉妹ではない。いわゆる幼馴染のお姉さんというやつだ。
名前はのんちゃん。音無ノゾミ。
両親が海外を拠点に働いていた事情により、五歳から十歳までの五年間を母親の実家である祖父母の家で育てられた。ユメたち兄妹の隣の家である。
十歳、小学五年生のときに帰国した両親の元に戻り、中、高、大と女子校に通い、大学入学を機に一人暮らしを始め――卒業後、就職に失敗。
一時は親元に出戻ったが、どうせ家事手伝いをするなら祖父母の世話でもして、ついでに介護系を目指してみようかと幼少期を過ごしたこの町に戻ることにした……ということであるらしい。
そんなノゾミの帰還を、ユメは素直に歓迎した。
彼女が越していってしまった当時、まだ幼稚園にも入っていなかった自分には思い出と呼べる記憶すらほとんどない。ただ優しくて大好きなお姉さんという印象だけが強く残っている。
何かの理由で大泣きするユメを、優しく抱きしめて頭を撫でてくれた。その柔らかなぬくもりを覚えている。
あるいはそれこそが別れの日の光景だったのかもしれない。
だからユメは、ノゾミお姉ちゃんの帰還を素直に喜んでいた。
「ううん、ほんと久しぶり。二人とも大っきくなったねぇ」
酒気に赤く染まった顔をほころばせながら、ノゾミはしみじみと言った。
カイが呆れたようにぼやく。
「いや何度目だよその話題」
その日の夜。再会を祝したささやかな宴席が設けられた。
場所は音無邸のリビング。ノゾミの母方の実家であるため正確には別の名義だが、便宜上そのように表記する。
テーブルの上にはデリバリーのピザやオードブルと作り置きの総菜などが並んでいる。
ノゾミとユメと、ユメの兄のカイの他にノゾミの祖父母も同席している。若い子は若い子同士でという方針なのか、ニコニコしているだけで会話にはほとんど加わってこないが。
あとユメたちの父親は当然いない。今日も仕事だ。
「けど、そういうノゾミちゃんの方は、あんまり印象変わってないね」
兄が言った。
ノゾミは不満げに眉尻を下げる。
「ええー? ひどい。わたしだってちゃんと大っきくなってるよぉ。お酒だって飲めるし」
大っきく、のところで兄の視線が一瞬だけ特定の部位に向けられるのをユメは見逃さなかった。
「そうじゃないよ。変わらずお姉さんのままだってこと」
「ふぅん?」
「引っ越してった当時で小一と小五だろ? 俺には大人にしか見えなかった。ノゾミちゃんを子供だと思ったことなんて一度もないよ」
「……そっか、ふーん」
ノゾミはお酒の缶に口をつけつつ、カイから顔をそっと逸らした。
その口元がニマニマと緩んでいるのがユメの位置からはよく見えた。
「……」
ちらりと横目に兄の顔を盗み見てみる。
穏やかにほほ笑んでいる、ように見えて、その目の奥にまるで何かに挑まんとするかのような強い意志の光が灯っているように思えた。
「で、その頼れるおねーさまにちょっとお願いがあるんだけど」
そういえば――ユメがノゾミに対して抱いていたイメージは、もう一つあった。
「ん? へぇ、なにかな? もしかしてえっちなオネガイだったりする?」
「そういうんじゃないけど」
「えー? どうしよっかなー? かっちゃん、まだ約束守ってくれてないしなー」
「約束?」
「お別れの日に言ったじゃない。大っきくなったら迎えに来てくれる、って」
この人は、お兄ちゃんのお嫁さんになるのだと。
そんなふうに思っていた。
「そんな小さいときのハナシ……ってゆうか、まだ高校生だよ、俺。背は伸びたけど、けっ――」
「け?」
「んんっ……人一人を迎え入れられるほど大人にはなってないよ。収入もないんだから」
「ふふふ。まぁ、そうだよねぇ」
そこには疑問も葛藤もなかった。
今ですら、その想いはこの胸の中にある。実現すれば素敵だろうと心から思う。
思うが――
「それで、なぁに? お願いって」
「うん、ノゾミちゃんってさ、免許持ってる? 車の」