やっぱりラブコメじゃないか
それ以外には特筆することもなく、帰りのバスに三人で乗り込んで、空いていたので固まって座った。
「それじゃあ話し合いを始めましょうか。三人で二本のカサをいかに分け合うか!」
つってもなぁ。
「――ま、コレ以外にないですよねー」
結論はすぐに出て、駅に着いてバスから降りて屋根の切れ目まで歩いたところでカエデがへらへら笑いながらそう言った。
その手には俺が持ってきたカサを差していて、俺と魔王は行きしなに使っていたカサに二人で収まっている。
いやわかるんだけどな、実際他にやりようはないって。
しかし何が悲しゅうて勇者たる俺が魔王なんかと相合傘なんぞをせにゃならんのか。
「泣けてくる」
「ちょーっとカイさーん。さすがにそれは酷くない?」
斜め前を歩いていたカエデが耳ざとく聞きつけて振り返ってくる。
帰路が分かれるまではまだもうちょっとある。
「仕方ないだろ。高校生にもなって兄妹でこんなの、知り合いにでも見られたら何言われるか」
「別に何も言われないと思いますけどねー。それとも」
カエデはそこで言葉を切ると、下から覗き込むように俺の顔を見つめてくる。
「もう言われたんですか? 誰かに何か」
「……は?」
なんだ、こいつ?
小生意気にからかってくるふうを装っちゃいるが、目の奥にはどこか真剣な、見極めようとするかのような色が光っているのがわかる。
しかしこのタイミングで探りを入れてくる意味がわからん。
とりあえず、不意打ちを警戒しつつ、妹とその友達を相手する感じを続ける。
「何かって、誰に何をだよ」
「とぼけちゃってぇ。フフン」
こちらを向いたまま後ろ歩きで言葉を続ける。転んでも知らんぞ。
……うん。こいつが転んで頭を打ってそのまま死のうが知ったこっちゃないわ。顔がムカツクし。
「例えば仲のいい友達の人とかからかなぁ? オマエ妹と仲良すぎなんじゃねーのとか、言われたりしたんじゃないですか?」
何言ってんだこいつは。
確かに召喚以前にならそういったことはあったが、この夢の世界に来てからは妹と仲良くしたこと自体が一度もないぞ。
「……カエデ」
魔王が口をはさんできた。
名前を呼んだだけだが、その声は非難と、そして緊張に強張っているようだった。
ちらりと目を向けてみたが表情は見えない。微妙に逸らされている。
「いーじゃん。この際はっきりさせようよ」
カエデは、いや魔将ディアボロスはそんな魔王に平然と言い返す。
少し意外だな。現実世界のアイツは主君に絶対の忠誠をささげるってタイプだったのに。
魔王の方は『ただ一人の友』とか言ってたから、そっちが反映されてるのかね?
とにかく、立ち止まったカエデは、背筋を伸ばしてまっすぐに俺と向き合った。
俺も仕方なく足を止める。
ちょうど別れ道だ。
ここを右に曲がればカエデの家がある方。まっすぐ進めば我が家になる。
「ねぇカイさん。カイさんはユメに兄離れさせようとしてるんだよね?」
「はぁ?」
なんの話をしてるんだこいつは本当に。
兄離れも何も、俺は最初から魔王に近づいてなんか――いや待て。
俺の主観ではこの夢の世界が始まったのは半年前。
しかし設定上はそうではないはず。もっとずっと大昔から続いている歴史がある、そういうことになっているはずだ。
その中には俺と妹がともにあった十数年も含まれているのだろう。
世界五分前仮説、とかいったか。そんな感じで。
そしてそれは俺の記憶を元に構成されたものであるはずだから、俺以外の登場人物からは、ある日突然俺が妹に冷たくなったというように見える、ということか。
だとして、しかし。
そのことをこうして指摘してくる意図がわからん。
俺と魔王以外のやつらも多くは確固とした人格を持っていて、それぞれの価値観で考えて行動しているらしいということはすでにわかっている。NPCと思って雑に対応すれば恥をかくことになる。
煩わしいが……仮にこの世界で一生を過ごすとすれば、その方が総合的には快適なんだと思う。魔王もそれがわかっているんだろう。
というかアイツが一番わかっているのかもな、人形に囲まれるむなしさを。
何が言いたいかというと、カエデのこの言動にも何らかの意図があるということだ。
だがそれが何なのかがわからん。
わからんが、まぁ。
まぁいいや。
何を言われているかわからない、という反応でもそれほど不自然な場面ではないだろう、たぶん。とりあえず話だけ合わせておくか。
「……関係ないだろ。人んちのことに口を出さないでくれよ」
「へー。否定しないんですね」
「別にいだろ。常識に外れたことをしているわけじゃなし」
「ま、それはその通りかなぁ」
カエデは笑みを変えない。
俺は正論しか言っていない。反論の余地はないはずだが、やつは余裕ぶった態度を崩さない。
「でもさぁ? だったらカイさん」
ただ一歩、脇道の方へと下がった。
「あたしが本格的にアプローチ掛けても問題ないってことですか?」
「カエデ!」
…………えっと。
カエデが言って、魔王が怒鳴った。
つーか今、告白されたのか俺?
「いやユメ。ガチのトーンじゃん」
「そ、それはだって……あなたをお義姉さんだなんて呼ぶのは嫌です。それが嫌なだけです」
「結婚するとまでは言ってないのだが?」
「だ、だってほれはほら……――そう! 本格的にって言ったじゃないですか!」
「言ったけど。えーマジかこの子」
なんか言い合いが始まった。
ふむ。
事情を知らずに見れば兄を取られまいとする妹とその友人が修羅場を繰り広げているというふうに思えるのだろうが、もちろん俺は騙されない。からかわれているとすら考えない。
ここが魔王の作った夢の世界で全ては俺を篭絡するための罠だと知っているからだ。
察するに、いつまでも落ち切らない俺に業を煮やして、一対一の兄妹純愛路線から一対多のハーレムラブコメ路線へと切り替えた、といったところか。
それをあの魔王がやっていると思うと笑えてくるが、うん、こらえないとな。
「とにかく! おかしな冗談で兄さんを困らせないでください!」
「冗談なんかじゃないんだけどなー」
「なぁ」
割り込む。
二人が振り返る。
「早く帰りたいんだけど」
「何言ってんのカイさん!? カイさんの話だよ!?」
「兄さん、それはいくらなんでも……」
知るかよ。
「せめて晴れてたらもう少しぐらい待っててもいいんだけどさ、さすがにちょっと辛くて」
「えぇー……」
「だから答えるよ、さっきの質問」
カエデの方を向いて、俺は言った。
「え、ちょっと待って――」
遮られたが無視して続ける。
「悪いけどアプローチとか勘弁して。妹の友達と変な感じになるつもりとかないから」
「待ってっつったじゃん! てかそれあたし自身の魅力とか何の関係もないし!」
「もう帰っていい? いいよな」
「聞けってクズかよ! だったらユメの友達やめるから!」
どっちがクズだよ。魔王にもドン引きされてんじゃねぇか。
ってお前が設定した人格だろ引いてんじゃねぇよ。
なんか面倒くさくなってきた。きびすを返す。
「あっそう。じゃあな」
「え、ちょ」
「兄さん?」
戸惑いの声も置き去りに、家に向けて歩き出す。
魔王は一瞬迷ったようだが、慌てた様子でついてきた。カサから出ちまうもんな。
雨に濡れたくなくて無二の親友を見捨てる魔王。
それ以前に、男の取り合いで無二の親友から切り捨てられた魔王。
ウケる。
「いやいやマジで行っちゃうの!?」
カエデが叫んだ。近所迷惑。
「カサは返せよー」
背を向けたまま手を振って、一方的に言い放つ。
「この……! チョーシ乗んなー! バーカバァーカ! 死ね!!」
小学生みたいな捨てゼリフが返ってきた。本物の断末魔はもっと格好良かったんだがなぁ。
こう、『いい気になるなよ、勇者! 魔王様に歯向かう愚かしさ、いつかその命を以って贖うがいい!』みたいな。
……意味合いは同じだな。さすが同一人物だ。
「あの、兄さん」
魔王がこちらを見上げながら口を開いた。
少しだけ息苦しそうな声だったので、歩く速度をやや落とした。
「あ、ありがとうございます」
……しまった!
魔王に優しくしてしまった。つい昔の癖が出た。おのれェ……
「それで、兄さん」
「なんだ」
「いえ……アレです。つまり」
無意識にか、青いヘアピンをいじりながら、言う。
「カエデと付き合う気とか、無いってことですよね?」
「……ハナシ聞いてたか?」
「ダメですからね、絶対、あの子だけは! 二人きりで会うとかもナシです!」
何言ってんだこいつ。
聞いてなかったのかというのは、そんなわけはないとわかった上での言葉だ。こいつは間違いなく俺のアイツへの対応を見て聞いていた。
それなのに、こんなことを言っている。
何も知らない、勇者でもないただのお兄ちゃんであれば『はははブラコンかよかわいいやつめ』などと思うところなのかもしれんが、相手が魔王だと知っている俺には通用しない。
ただちょっと、篭絡の一環にしては妙に切実というか、真に迫ってるというか。
不自然な感じがある。
が、夢というフィルターを外してみればそうでもない。
すなわち、魔王と勇者と、勇者に倒された魔王の腹心という構図。
こいつ、自分のいないところで盟友を殺されたのが相当ショックだったと見える。
実際凄い反応だったからな。
顔を合わせてこちらが名乗った瞬間、『貴様かぁ!』っつって極大魔法をぶっ放してきやがったんだ。
魔王ってもっと悠然と構えてるイメージだったし、前口上的な、剣を交える前の舌戦なんかもあると思ってたからびびった。三魔将とかほかの幹部クラスのときはそうだったからなおさらな。聖騎士さんの全体防御スキルがなかったらあそこで終わるとこだった。
自分も大勢の人を、誰かの家族や友人を殺してるくせに。被害者面してんじゃねぇよ、まったく。
話が逸れたか?
とにかく俺がカエデに近付くのを魔王が嫌がる理由はそんなところだろう。
ハーレム路線に移ったんじゃねーのかって感じだが。
いやまぁそれは俺の勘違いでさっきのアレはカエデの暴走って可能性もあるか。
いずれにせよ術者本人たる魔王にもこの世界のすべてを掌握することはできていないということだな。これまでにそれらしい兆候はあったが、今回のコレはほぼ確定的な証拠と言えるかもしれん。
ま、できないのではなくしてないだけという可能性はいつまでも消えないから油断はしないが。
「聞いてるんですか。兄さん」
おっと、考えてたら魔王が何か言ってきた。
慌てず騒がず返事を返す。
「ああ、聞いてる聞いてる」
「……」
じとっとした目で睨まれた。答えがテキトー過ぎたか。
タメ息をついて言葉を付け足す。
「心配しなくても、お前の友達を取ったりしないよ」
「べ、別にそういうことじゃ……」
なにやらうつむいてボソボソつぶやく魔王。
とりあえず満足したらしい。
そのあとは特に会話もなく、トラブルもなく、普通に家に帰りついた。
あーあ、靴が泥だらけじゃねぇか。
なんて、心中で毒づく一方で、そんな些細なことで苛立てる贅沢をかみしめる。やっぱ日本はいいなぁ平和で。
「兄さん、先にお風呂入りますか?」
「あとでいい」
問うてくる魔王に返して、部屋に戻るべく階段を上る。
その途中でまた、声をかけられた。
「あの、兄さん」
「……なに?」
振り返って見下ろす。視線は合わない。
なにやらうつむいてもじもじしている。
まさかとは思うが、一緒に入りたいなんて言いだしゃしねぇだろうな。
「えっと、その……ですね」
「なんだよ」
「う……」
急かすと、言葉を一瞬詰まらせ、そして意を決するように胸の前で両のこぶしを握り締めた。顔が上がる。
「カエデの言ってたことは、当たってるんですか?」
「カエデ?」
言ってたことって……どれだよ?
「兄妹離れしようとしてるって……」
ん?
ああ、言ってたっけ。
兄妹離れねぇ……実際のところ俺にはそんなつもりは全くなかったが、しかし魔王と馴れ合わない口実としてはなかなかだ。乗っかっておくか。
「まぁ、そうだな。お互いもう高校生なんだし、いつまでもべったりってわけにはいかないだろ」
「……そうですか……」
くっ。
悲しげな顔はやめろっ。
「でも、だったらそう言ってくれたらいいじゃないですか。……急に冷たくするから何か怒らせるようなことしちゃったんじゃないかって、わたしっ……!」
涙ぐむなよ、ちくしょう。
人の心をもてあそぶその所業、まさしく魔王といったところか。起きたら覚えてろよ。
思わず階段を降りかけて……あぁクソ。
まぁいい。別にいい。
俺は自分の意思で階段を降り、魔王の正面に立ってその頭に手を置いた。
「そうだな。悪かったよ」
撫でることはしない。置くだけだ。
本物の妹ならいざ知らず、魔王相手じゃあこれが精いっぱいの譲歩だ。
「兄さんっ……!」
ってこのやろ!
向こうから抱き着いて――いや、しなだれかかってきやがった。シャツの胸元を両手で弱々しくつかみ、その上から頭を預けてくる。
とっさによけられず、一拍おいてからようやく突き放そうと手を伸ばして――
「父さんも母さんも、いなくなっちゃって」
「え?」
「兄さんにまで見捨てられたら、わたしどうしたらいいかって、だから……!」
「……おぅ」
おう、じゃねぇだろ俺!
クソ! わかってんだぞこの野郎。そんなしおらしい態度の裏でククク勇者と言えど所詮は人の子か、下らん情にほだされおってククク、みたいに嘲笑ってんだろぉ!?
わかってんだからなマジで。
もういっそ今すぐ殺して終わらせてやろうとすら思う。
思うがしかし。
駄目だ。
まだ駄目だ。
今は、今日はダメだ。昼間に届いた高級国産地鶏をまだ食ってねぇ。
通販で頼んでたやつだ。あれで唐揚げを作って食うまではこの世界を終わらせるわけにはいかんのだ!
もちろん魔王には食わせん。お前なんか特売の安肉で十分だ。
「父さんは、まだ家にいるだろ」
「いるだけじゃないですか」
「そうだけど」
いや、そうか。なるほどそういうことか。
妹が兄に強く依存していても不自然とは思われないように。そのための離婚設定か。
こざかしい。
「まぁ、アレだ。俺が優芽のこと嫌いになったりするわけないだろ?」
一応、本心だ。
ただこいつが優芽じゃなく魔王なだけだ。
その肩をつかんでそっと押し、身体を離させる。
顔を見て話すため、を装えば怪しまれはすまい。
「兄さん……」
「だけどまぁ、こういうのはもう、な? 彼氏でも作って、今度からそいつにやってもらえ」
「そんなの……私は、男のひとは苦手です。それに兄さんは平気なんですか? 私に恋人ができても」
きわどいとこ攻めやがるなこいつは。
「平気っていうか、嬉しいよ。祝福する。まぁ、変なヤツだったら許さんけどな」
だが見たか。これが模範解答だ。
この『正しい』言い分に対して、良い子な妹の顔のまま反論ができるならやってみるがいい。
「……そうですか」
「ああ」
「じゃあ……まぁ、考えてみます」
せんのかい反論。
「でも!」
む?
「だったら兄さんも、朝一人で起きるようにしてくださいっ」
「んっ……うん。まぁ、それは、そうな」
「そうです。そうですよ。まずは兄さんが手本を示してください。そうしてくれれば私もそれを見習います」
ふんす! と力強い鼻息とともに魔王は言った。
なるほどそう来たか。
情けない話かも知れないが、正直それはかなり厳しい。
親の監視がなく、また将来のこととか考える必要のないこの世界で毎朝規則正しく起きるなんて、そんなの続けられるわけないだろう?
だがそれをしないとこいつは兄離れをしないという。なんてヤツだ。
こちらに隙があったとはいえ、『良い子』のままで正論を述べて見事にこちらの思惑から逃れている。
さすが魔王。
……うん、魔王。
「……くっ」
おっとしまった。笑いが漏れた。
魔王が顔を赤くする。
「ちょっと! なんで笑うんですか!?」
「あー、いや、うん。ごめん。だってそんなに兄離れしたくないのかって思ったらさ」
お兄ちゃんともっと仲良くしていたいと。そのために一生懸命知恵を絞って。
あの魔王が。
さすがにこらえきれんかった。
「な、なにっ、何言ってるんですか! 兄さんの方こそ妹離れできてないって話でしょう今のは!」
「あぁ、まぁ、そうだな。ごめん。……くくくっ」
「笑ってるじゃないですか!」
「ごめんて」
そのあとも笑いはなかなか収まらず、怒れる魔王をなだめるのに苦労した。
まぁいい。
笑わせてもらった礼だ。お前にも地鶏を食わせてやろうじゃないか。せいぜい感謝することだな。