おや、魔王様の様子が
◆
佐野口優芽は、中学からの友人でクラスメイトでもある麻沼楓とともに街のショッピングモールに来ていた。
数件の衣料品店や雑貨屋をめぐり、あいだにフードコートでのランチを挟み、アレがカワイイコレがヤバイなどと言い合いつつ余計なものは何も買わず、今はカフェで二度目の休憩をしているところだ。
「うーん……やっぱ買えばよかったかなぁ、さっきのキャンドル」
両手で頬杖を突き、ストローを加えたままカエデが言う。
さっきの雑貨屋で見かけたアロマキャンドルのことだろう。彼女の趣味はアロマテラピーなのだ。
「ネコを燃やすんですか?」
「そこなんだよねぇ……!」
悔しそうな声。
「食べ物とかもそうだけどさぁ、燃やすものをリアルにかわいくするのってどうかと思うの」
「まぁ、ええ」
その意見にはユメも同意できる。
むかし、まだ小学生の低学年だったころ。確か母へのプレゼントを買うためだった。当時愛用していた貯金箱を壊したことがある。
カエルの貯金箱だった。
リアルなデザインではなく、子供向けにかわいらしくデフォルメされていた。
ユメはそれを、金づちで叩き割った。
アニメか何かで見たのをマネしたくてやったことなので、それ自体は躊躇なく行われた。
しかし結果でき上がった残骸は、幼い少女の目にはひどくむごたらしいものに見えてしまった。
力なく転がる手足。
ひび割れながらも笑みを作る口元。
まろび出た茶色の十円玉たちは臓物のようで。
バラバラな方向を向く目玉の一方と、目が合った気がした。
声をあげて泣いた。
聞きつけてやってきた両親が、危ないことをしてはいけないと諭しつつ優しく慰めてくれた。
それは親として人として正しい態度ではあったのかも知れないが、ユメの心を救うことはなかった。
それをしてくれたのは兄の開だった。
――おはかを作ろう。
そんなことを言ってくれたのだ。
カエルの貯金箱の、である。庭にゴミを埋めるのが嫌だったのか、両親は難色を示したが、ユメの慰めになるのならと最終的には許可してくれた。
あれがなければもっと長く尾を引いていたかもしれない。
兄のおかげだ。
あのときだけでなく、兄はいつでも優しかった。
少なくともユメの記憶にある限りは。
それなのに。
「…………」
トレードマークの青いヘアピンに無意識に手が伸びる。
カエデに気付かれないよう、こっそりとタメ息を吐く。
「どうしたの?」
速攻で気付かれた。なぜだ。
「なんでもありません。別に」
「愛しのおにーさまのことでも考えてた? ってゆーかまだ仲直りしてなかったんだ」
「……違うって言いましたけど?」
「言ってるだけだよね」
なぜだ。
カエデはユメをからかうふうでもなく、小首をかしげて斜め上に目線をやっている。
「けど長くない? 高校入るちょい前ぐらいからなら……え、もう三か月? 四か月?」
いや、半年ぐらいだ。
ではなく。
別に兄とはケンカをしているわけではなく。だから仲直りも何もなく。
ただちょっと。
なんというか。
そう、ちょっとおかしな感じになっているだけだ。
原因はユメにもわからない。
こちらから何かをしたとかしなかったとか、そういった心当たりはまるでない。
しかし確かに最近の兄の様子はおかしい。以前と違ってしまっている。
両親が離婚して母が出て行き、父が仕事を理由に家に寄り付かなくなったのが、ユメが中学一年生のころ。
そのころの兄は優しかった。
自分も不安だっただろうに、いつだって優しく(ときには厳しく)ユメのそばに寄り添ってくれた。
二人で助け合っていこう、なんて言ってたくせに、いつもいつも向こうばかりが助けてくれた。ユメにできたのはほんの些細な手伝いぐらいだ。
その後も兄は変わらなかった。変わらず優しいままだった。
半年前、今年の正月にも一緒に初詣に行って、学業成就のお守りを買ってくれた。
けれど――そう。そのあとだ。
最初に違和感を覚えたのは、そのすぐあとぐらい。
一月半ば。センター試験直前のあの日。
いつもならダイニングの食卓に、受験勉強の夜食にとおにぎりやサンドイッチが用意されていたのだが、その日は何も置かれていなかったのだ。
そのときは『おや?』と思いながらも、そういうこともあるだろう、もしかしたら集中を乱さないようにしてくれているのかもしれないと流して、お茶漬けを作って食べた。
次の日も同じく何も用意されておらず、その次の日は試験前日だったので早めに床に就いた。
この間、会話はほとんどなかった。
試験当日の朝。
家を出たユメを、兄は玄関で見送ってくれはしたが、その態度はあからさまによそよそしかった。
気になって集中できず、試験の出来は散々だった。
まぁ受かったが。
二月になり、節分の日に恵方巻を一緒に食べたのはいいとして。
バレンタインデーにチョコレートを渡しても反応は芳しくなく。ホワイトデーのお返しも、申し訳ていど、みたいなコンビニで売っている商品だった。
何より試験に受かったことを報告したときも、
『あ、そう。……おめでとう』
と、あまりにも淡白にすぎた。
あさましい話かもしれないが、お祝いの品も料理も何もないのは、以前の兄と比べるとあまりにも不自然に思えた。
「こりゃ本格的に兄離れ妹離れする気なのかもね、カイさん」
兄妹離れ。
それはまぁ、いつかはするべきことなのだとは、ユメにだってわかってはいるけど。
しかしこんな急に、無理やり一方的にというのは、ちょっと違うのではないかと思うのだ。それならそうと言ってくれればこちらもそれなりの対応をしなくもないのにと言いたい。
「だいたいさぁ……――あれ?」
そのとき、カエデが声のトーンを急に変えて窓の外を見た。
ユメもつられて見る。
心なしか薄暗い景色の中を、いくつもの透明な縦線が走っていた。
「雨じゃん。降るって言ってたっけ」
「……いえ。気付きませんでした」
「えぇ~~? えっと一応訊くけど、カサある?」
あるわけがない。黙って首を横に振る。
さてどうしたものか。今日はちょっとだけ大きな買い物をしてしまった、とはいえビニール傘を買う余裕ぐらいならあるが……
「よし。あたしにいい考えがある」
「やめましょう」
「なんでさ!?」
つい反射的に言ってしまったユメである。
しかしこの友人がこの手のことを言い出したときは、たいていくだらないことで、時間の無駄なのだ。
「まぁ聞け。一石二鳥のナイスアイデアが浮かんだんだよマジでマジで」
全く信じる気にはなれなかった。
なれなかったが――
◇
昼メシは適当にチャーハン作って済ませて、またダラダラとゲームを続けていると、効果音とBGMのあいだに異音が鳴っていることに気が付いた。電話だ。
妙にはっきり聞こえると思ったらドアがちゃんと閉まってなかった。
くそ、気付いちまったからには無視もできねぇ。面倒くさいがまたリビングまで降りて受話器を上げる。
「はい、佐野口」
『もしもし、兄さん?』
魔王かよ。
とっさにガチャ切りしたい衝動に駆られたが、そういうわけにもいくまい。
別に配慮したわけじゃない。あとで面倒くさいのだ。具体的には説教を食らう。何度かやられたから知ってる。
おのれ魔王め。
「……ああ」
『あの……兄さん、今大丈夫ですか?』
控えめな声。
優芽の声。
違う、魔王だ。魔王の声だ。
落ち着け。
意識してかったるそうな声を出す。
「なんだ?」
『あ、はい。実は、急に雨が降ってきまして』
「雨?」
窓の外を見る。
確かに降っている。気付かなかった。
「みたいだな。で?」
『えっと、ですからその……』
いやな予感がするぞ、コラ。
『カサを持って迎えに来てはもらえないでしょうか?』
やっぱりか。
「イヤだよ、めんどくさい。カサぐらい買えばいいじゃん」
『も、もったいないじゃないですか。それに兄さん、今日は暇なんでしょう?』
「ゲームで忙しい」
『暇なんじゃないですか!』
チッ。
これが現実世界だったらゲームをなめるなと一喝してやるところだが、こっちじゃ実際ただの暇つぶしだからな。
『……ダメ、ですか…?』
すがるような声。
甘えん坊で、お兄ちゃん子な、俺の記憶の中そのままの。
ああ、ちくしょう。姿が見えりゃあ成長してる分だけ違和感があるからいくらでも無視できるんだが。
声だけだと俺の知ってる妹と本当に変わらねぇ。
『…………あ、あの、兄さん。やっぱり』
「場所は」
『えっ?』
意外そうな声が、癪に障る。
「行ってやるって言ってるんだよ。どこに行けばいいんだ?」
『あ、えっと、フラワーです。邦原の』
「わかった。バス降り場のあたりで待ってろ」
『は、はい。ありがとうございます。あの、それと――』
切った。
なんか言いかけてたけど別にいいや。
フラワー。
フラワーガーデンモールか。
邦原はこのへんで一番の繁華街。召喚される前の現実の方ではジヤスコがあった場所だ。何度か足を運んだことがあるが……
どう言えばいいんだろうな。
ジヤスコがおもちゃ箱だとすれば、フラワーは『おもちゃを広げた状態』みたいなもんだ。
一つの建物を縦に伸ばすんじゃなくて横に広げて、広場や野外ステージなんかも配置してあったりして、とにかく広くておしゃれで人が集まる。
商業施設のデザインにセンスを発揮する魔王様。
ただし日本の都市部の土地事情をまるで考慮できていない模様。
ジヤスコの周りにあった家とか店とかたくさん消されちまったんだろうなぁ。まぁ夢の中のことだからどうでもいいけど。
二人分のカサを持って家を出て、駅までの道を歩く。
歩きながらふと見てみると、民家の屋根の上に浮かんでいるものが見えた。
ガラスのように透明な、太めのワイングラスのような物体。
上の部分で受け止めた雨を足の先から霧状にして吐き出しながら、ゆっくりと空中を漂っている。
『河童の盃』、あるいは『アメクラゲ』。西洋では『フェアリーズ・グラス』などと呼ばれる“妖怪”だ。
普段は空高くに浮かんでいて、雨とともに降りてくるのだという。
なんだぁ、そりゃあ?
いねぇよ、そんなもん。
モンスターがうろつきまくってたマクドガルドとは違う、ここは日本で、地球なんだろうが。
妖怪なんか伝承の中にしかいねぇっつうんだよバカヤロウ。
ハァ~~、と、クソデカいタメ息をつく。
聞いた話ではドラゴンなんかもいるらしいし。ドラゴンっつーか『龍』か? 近所の神社に祀られている竜神さまも伝説とかじゃなく実在してるって話だ。
他にも小さめの一反木綿みたいな紐状のやつとか影みたいな真っ黒の生き物もどきとか普通に見かけるし、見たことはないがキツネやタヌキがナチュラルに魔法(というか妖術?)を使ったりするらしいし。
まったく、外国の映画に出てくる変な日本じゃねーんだからさ。
つくづく思う。魔王はアホだと。
まー仕方ねーかなー。国どころか世界が違うんだし。俺一人の記憶を覗いたていどじゃあ、完璧な再現なんかできようもないわな。
などと頭の中で魔王を罵倒したり擁護したりしながら歩くこと二十分あまり。
たどり着いた最寄り駅前から出ている無料送迎バスに乗り、揺られることさらに十数分。目的地が見えてきた。
これが有料なら俺の往復運賃分でカサ買えるだろって言ってやれたのに。
バスの窓越しに仰ぎ見るフラワーガーデンモールは、重く垂れこめた雨雲も相まって、魔王城を思わせる。
というか元にしてあるんだろうなぁ。
アレを白っぽくすればちょうどこんな感じになるし。向こうにも練兵場や円形闘技場があったし。
発着場にバスが付いた。
忘れないようカサを二本しっかり持って降りる。
さて魔王はどこだ、とあたりを見回す俺の耳に、朗らかな声が届いた。
「あ、いたいた! おーいカイさーん!」
振り返る。
あいつは。
「やーやーお迎えご苦労様です伍長どの」
一歩後ろに魔王を従えて、明るく笑いながら馴れ馴れしく語りかけてくるこいつは……えっと……
「魔将の」
「いや麻沼ですよ、麻沼カエデ。確かに『ましょう』って読めるけど。そんなアクロバティックな間違われ方初めてしたよ」
「あーはいはい。アサヌマカエデね、はいはい」
つまり、三魔将の筆頭、火炎のディアボロス。
それがこいつの正体だ。
魔王は『ディー』とか呼んでた。
まぁ本物は現実世界でぶっ殺してあるからコピーとかなんかそんな感じなんだろうけど。
「カエデうるさいです。――あの、兄さん。ありがとうございます、わざわざ」
ディアボロスを押しのけ魔王が前に出る。
殊勝な態度を取られるとやりにくいな。
「まぁな。せっかくストⅤで100連勝してたんだけどな」
「いや盛りすぎて草生えますわ。小学生じゃないんですから」
ディアボロスがまた割り込んでくる。
妹の親友というポジションである関係上、こいつとはそれなりに接する機会もあるのだが、たまに意味のわからんことを言うんだよな。草ってなんだよ。『おわらいぐさ』って言いたいなら、草じゃなくて種って書くんだぞ。
「あぁもう、カエデは黙っててください」
「つぅかなんで友達までいるんだよ」
「はぁー? 女子高生が一人でモールに来るわけがないんですが?」
むかつく。
女子ぶってんじゃねぇよ。灰燼に帰すがいい、勇者よ! とかキメ顔してたくせによ。
「って、ちょっと待て」
理由はともかくこいつがいるってことは。
「まさか、カサは二本要ったのか?」
「え? はい」
「当然ですやん」
二人とも真顔で言った。マジか。
「言ってくれよ、そういうことは……」
「いえあの、朝に言いましたよね? 友達と出かけるって」
「う……」
確かに、そんなことを聞いた覚えはある。
記憶力には自信がある。
「いやいや、だからって念押しぐらいしてもいいだろ。するだろ普通」
「言う前に兄さんが切っちゃったんじゃないですか……」
「う……」
確かに、何か言いかけてたのを遮ったような感触はあった。どうせ大したことじゃないだろうと無視しちまったが。
おのれ魔王め。
どうすんだこれ。
「まーまーまー」
と、またディアボロス……めんどくさいな、カエデでいいか。
カエデがまた入ってくる。
「やっちまったもんは仕方がないとして、さ。とりあえず帰りのバスに乗りましょうや。話ならそれからでもできるし。それともどこか入ります?」
「……いや、いい」
まぁ、うん。
こいつの言う通りではある。カサをもう一本買うって選択肢があり得ない以上、ここで立ち止まっている意味はない。
なんであり得ないかって? ムカツクからだよ。
というわけで乗り口まで歩く。
歩きながらそのへんを見回したりもしてみたが、特に収穫はなかった。
「何か探しているんですか、兄さん?」
「カサが落ちてないかと思って」
「……あるわけないじゃないですか」
現実ならな。
でも夢だろここ。サービス足りねぇんじゃねぇか?
わかってるけどな、魔王はリアリティの方を重視する方針だって。
「あ、ワインくらげ」
カエデが指さした先には、例の盃が群れになって浮かんでいた。
リアリティとは。