最初にぜんぶ説明する
◇
眠っている。
俺は今眠っている。そして夢を見ている。
『――……』
眠っている。
『――……』
眠っている。
『――……て――』
眠っている。
『――……て――』
……うん?
『――……きて――』
今、何か。
『――……きて――』
ああ、声だ。
声が聞こえた。
着て?
いや、来て。
どこに?
『――……きて――』
女の声、だな。
確かどこかで。
えっと確か……
『――……きて――』
いや知ってる。
知ってるんだよ。
覚えてる。
ただちょっとこう、出てこない。
『――……おきて――』
だから待って……うん? おきて?
ああ、来て、じゃなくて起きて、か。
それは別にいいけど。
『――……おきて――』
いや嫌だな。
まだ寝てたい。
この夢の世界に浸っていたい。
『――……おきて――』
しつこいな。
俺は
「――――もうっ! 早く起きてください! 兄さん!」
うおっ!?
◇
突然の大声とまぶしさに、気付けば目を開けていた。
パイプフレームのベッド。厚手のタオルケットの肌触り。フローリングの床に差す平行四辺形の光。カラーボックスに雑に突っ込まれた各種ゲームソフトとハード。窓の向こうはすぐ近くにデカいマンションが鎮座ましていて景観もへったくれもないが、十分な明るさが入り込んできている。
うん。
いつもどおり、俺の家の俺の部屋だな。
「まったく! 毎朝毎朝! 止めたあとに起きないなら何のための目覚ましですか!」
「……ふぁ~~あ……」
なんか聞こえてくるのを聞き流しながら上体を起こしてあくびを一つ。それから、
「聞いてるんですか! テスト休みだからっていつまでも――、って!」
スウェットの上を脱いだ。
素肌が外気にさらされてほんのりと涼しくて、ようやく目が覚めてきた。
「ちょっと兄さん!」
「あん?」
「私がまだいるのに脱がないでください!」
振り返ると、顔を赤くした少女に怒られた。
夏の部屋着姿で短い黒髪に小さな青いヘアピンを差した、俺の二つ下設定の少女。
魔王だ。
「いやお前が早く起きろって……」
「そういう問題じゃありません! まったくもうっ、デリカシーがないんだから!」
デリカシー、なぁ。聖女さんや姫サマにもよく言われるが。
「とにかく! 朝ごはん、待ってるんですから、さっさと降りてきてください!」
最後にもう一つ怒鳴って、魔王は部屋を出て行った。
いやぁ、声を荒らげないとしゃべれないんですかね。
まぁ本来は互いに殺し合う間柄なわけであるし、むしろ正しい態度と言えてしまうわけだが。
「フッ」
鼻から短い笑いをこぼし、俺は枕元に置かれたTシャツに手を伸ばした。
◇
俺の名前は佐野口開。実年齢二十一歳の元高校生。
今はここ、異世界マクドガルドに召喚されて勇者をやっている。
いや大丈夫だ。正気だ。中二病でもない。
バーガー屋でもない。
まぁ部屋の様子も着ている服も外の景色もどう見ても日本だからな、信じられないのも無理はない。
けど本当なんだ。ここは夢の中なんだよ。
ラスボスである魔王の精神攻撃で閉じ込められちまったんだ。
よくあるだろ? 理想の世界に引きずり込んでどうのこうの、みたいな。アレだよ。
ちなみにさっきまでいた俺の妹面してた女がその魔王だ。まだ試してないけどあいつを殺せばたぶん目が覚めると思う。
もちろん証拠ならあるぞ。
あいつに起こされる直前まで聞こえてた声があっただろ? 起きて起きてって。あれは現実世界で俺を目覚めさせようとしてるパーティーメンバーの声なんだ。ヒーラー兼バッファーの聖女さんだな。
魔王討伐が終わればプロポーズしようと思ってる相手だ。
日本に帰るつもりはないんで。方法もないらしいが。
他にもあるぞ。テレビも雑誌も毎回どこかで見たようなことの繰り返しでしかないし、新作ゲームはいつまでたっても発売しないし。
俺の頭の中の限られた情報を使いまわしてるせいだろうな。
なんかメディア関係は二か月ぐらいでゆるくループしてるっぽい。
そして何よりも。
俺の本当の妹は、召喚される二年前に死んでるんだよ。
だからここは、異世界よりもなお、現実じゃない。
そこまでわかってるのにどうして起きようとしないのかって?
そりゃアレだよ。
息抜き的な。
いやだってしょうがないじゃん。めっちゃ過酷なんだよ魔王軍との戦いの旅は。
戦闘自体は勇者としてのスキルやアイテムのおかげでなんとかなる、というか割と余裕だったりするんだけど、それ以外がな。特に移動と野営が辛い。
馬車も馬もとにかく揺れる。昼は暑く夜は寒い。魔王領深部に入って以降は特にひどい。
飯も単調だし、美味くもないし、風呂にだってもう一か月以上入ってない。
浄化魔法ってやつが無かったらもっと早くに音を上げてたね。
いや、心を強くしてくれる指輪を装備してるから実はけっこう耐えられるんだけれども。
街中はそこそこ快適なんだけどなー。街中だけなんだよなー。
まぁそんなわけで俺には癒しが必要なんだ。
ああ、外のことは気にしなくて大丈夫だぞ。
体感ではかれこれ半年ぐらいこっちにいるけど、さっきみたいに漏れ聞こえてくる聖女さんその他の言葉から察するに、実際には数分、せいぜい数十分ぐらいしか経ってないみたいだから。
それにどうやら魔王の野郎も一緒に眠ってるみたいでな、つまり実質封印状態なわけだ。
だったら今のうちに魔王だけぶっ殺してくれよと思うのだが……きっとそうできない理由があるのだろう。俺ごとバリヤーの中に閉じこもってる、とか。
まぁとにかくそういうわけで、俺はまだしばらく目を覚ますつもりはない。
来週には友人たちと海に行くことになってるし、そのあとには夏祭りも控えてる。
いつまで続ける気かって?
さぁな、気の済むまでだ。
でもそうだな、長くてもあと半年かな。それでちょうど一年になるから。冬は嫌いだからそれよりは早めに切り上げるかも知れんけど。
さて、状況説明はこんなところかな。
それじゃあそろそろ朝飯といきますか。魔王様をいつまでも待たせるわけにもいかんしね(笑)。
「……うし」
俺はベッドを下りると部屋着に着替えて部屋を出た。
◇
朝の手洗い洗顔を済ませた俺が向かったのは、台所だ。
まずヤカンに水を入れてコンロにかける。フライパンに油をひいて熱し、冷蔵庫から卵と作り置きの刻みベーコンとほうれん草を取り出してボウルに開けて混ぜ、オムレツというかキッシュというか、まぁそんな感じのものを焼き上げる。
隙を見てトースターに食パンと二枚放り込んでスイッチオン。
湯が沸いたので使い捨てドリッパー(豆粉付き)をマグカップにセットして注いでいく。
おっとパンが焼けた。マーガリンだけ塗って、蜂蜜のボトルとともにキッチンカウンターにおいてやると、何も言わずとも妹が食卓へと運んでくれる。卵とコーヒーも完成、と。
うん? なんで俺が調理してるのかって?
しょうがないじゃんよ。夢だからって勝手に飯が出てきたりはしねーんだからよ。
母親は離婚して出て行ったし、親父はまだ寝てるかいないかだろうし(仕事の関係で生活リズムが合わない)、上の兄弟なんかいないし。だから俺がやるしかねぇんだよ。
妹?
こいつに料理なんかできねぇよ。
ご本人も仰ってただろ? 朝ごはん待ってるからはよ来い、ってな。
つーか母さんが出てったのも親父が仕事に逃げ始めたのも妹の事故死がきっかけだったはずだが? なーんで原因がなかったはずなのに結果だけが踏襲されてるんでしょうねぇ?
こういうところが夢だっつんだよ。雑な仕事しやがって。
いや、元の暮らしは俺の思い出の中にももはや無い、ってことなのかな。放っとけや。
「いただきます」
「ああ。いただきます」
けどまぁ飯にちゃんと味があるのはいいことだ。夢のくせに。
季節の移ろいも一応あるし。
秋になったら梨が食いたいな。
向こうにはないんだよなぁ、あの至高の果物が。リンゴはあるのに。
「兄さん、今日はどうするんですか?」
はむはむと無駄にかわいらしくトーストを食みつつ、魔王が訊いてくる。
予定ね。
俺は特にそちらを見もせずに答えた。
「ゲーム」
「またそんな……受験生なのに、いいんですか?」
「休みだから休む。別にいだろ」
「だからって」
「お前はどうするんだ? 昼は?」
説教を遮って訊き返す。
こいつも俺と同じ高校の一年生なのでカレンダーも基本的に同じになる。
ちなみにウチの学校では定期テスト明けごとに一週間の休みが設定されている。ウチだけなのか一般的なことなのかは知らん。
「……何もありません。一緒にゲームしていいですか?」
「嫌だよ。なんでだよ」
即答。
魔王は押し黙る。
「そうじゃなくて、昼メシは?」
「……いりません。友達と外で食べてきます」
スネたようにそっぽを向いて、不機嫌丸出しの声で言う。
フフン、残念だったな魔王よ。その手には乗らん。
俺を誘惑してこの世界におぼれさせたかったのだろうが、言葉の選択を誤ったな。
まぁ確かにかつての妹はわりとお兄ちゃん子で、よく遊んでとせがんできたもんだが、それも中学までだったんだよ。
ましてや高校生にもなって兄とゲームをしたがるだと?
存在するかよ! そんな妹が現実に!
「了解」
内心の勢いのままに朝食を平らげ、コーヒーも飲み干すと、俺は挨拶もなしにリビングをあとにした。
隣に誰かを置いて対戦という、それ自体は魅力的ではあるんだがな。ネット通信対戦とかあるけどあんまり使いたくないし。
そもそも俺の好みは出るとこ出てる年上のおねーさんなんだ。聖女さんみたいなな。
それか、むかし隣に住んでた幼馴染ののんちゃんみたいな。
うむ、あれは実にけしからんおっぱいだった。引っ越してった当時でまだ小学生だったはずだが。
俺の性癖を決定づけたのって絶対あの子だよな。
◆
兄が去り一人になった食卓で、『魔王』こと佐野口優芽は小さくタメ息をついた。
それから朝食を再開し、終えて、空になった食器を台所に運んで洗い始める。
作る際に貢献できない分、後片付けは彼女の仕事なのだ。
そういうことになっている。
「…………」
それが終わると、ユメはその場に立ち尽くしたまま、斜め上に視線を向けた。
カイの部屋がある方向だ。
「……なぜ……」
そのつぶやきは自身の耳にすらほとんど届かないほどに小さく――
◇
部屋に戻った俺は宣言通りにゲームをはじめ、はせず。
まっすぐに机へと向かい、筆記具を広げた。
もちろん勉強をするためではない。
引き出しの奥から取り出したのは、デッサン用の木炭と質の悪い藁半紙。手に入る範囲でマクドガルドで一般的に使われているものに一番近いヤツラである。
入手先は繁華街近くの画材屋。
少しばかり高くついたが、まぁ、貯金なんか全部使い果たしても構わない。どうせ夢だ。
で、そいつらで何をするのかというと。
まず何も見ずに、そらで木炭を藁半紙に走らせる。
フレームに、軸と軸受け、車輪。そしてサスペンション。
細かいところは別途拡大して、必要のない部分は省いて、正確さとわかりやすさを重視して描いていく。
何をしてるのかって?
見てのとおり、馬車の設計図だよ。乗りごこち改善のためのな。
もちろんこの紙を夢の外まで持ち出せるなんて思ってない。だが記憶、知識だけなら?
そう、そのためのソラ書きだ。
書き上げると事前に用意した資料と照らし合わせて、間違いがないか確認していく。
「…………うん、よし」
大丈夫、ちゃんと書けてる。
書けるようになってる。
かれこれ(体感で)三か月ぐらいは続けてるからな。これなら現実世界に戻った後も再現できるだろう。できるといいな。
ちなみに元となった資料は学校の図書室で仕入れてきたものなわけだが……賢明な諸兄は疑問にお思いのことだろう。
夢の中の資料なんかが使い物になるのか?
なるとしたらその知識はどこから来たんだ?
俺もそれは考えた。ここは本当に夢の中なのかと疑いすらした。
だが間違いない。毎晩毎朝聞こえてくる聖女さんたちの声が、俺が本当は眠っていることを教えてくれる。
ならばこの、自分の脳内も同然な夢の世界で、俺はどこから新しい知識を仕入れることができたのか。
答えは簡単。魔王からだ。
考えてみれば単純な話さ。
これは俺の夢であると同時に魔王の夢でもあるんだから。
まぁ、魔物と魔族の頂点である魔の王が馬車のサスペンションなんかに詳しいってのはおかしいと言えばおかしいかもだが。
でも俺は知ってる。というか割と広く知られてる。魔王は他人の記憶を『喰う』ことができるのだと。種族特性、とかなんとか。犠牲者の中に職人なんかもいたんだろう。
それにほら、これちょっと見てくれ。サスの資料。
バネ式、吊り下げ式とかはいいとして、これ。精霊石式。土属性の石を馬の蹄鉄に混ぜ込んで道を均しながら走ることで振動を減らすって、こんなもんが図書室のまじめな本に載ってたんだぜ? ありえないだろ。
つまり逆に、これもまたここが夢である証拠ってわけだ。
図面書きの訓練を一通り終えた俺は、片付けに取り掛かった。
まず紙には事前に通し番号を振ってある。それを元に枚数を確かめてから、ハサミで一枚ずつ細切れにしていく。出た紙くずはボウル状の器に形成した障壁魔法で受け止める。一片たりともこぼさぬように。
刻み終わったら火魔法で灰になるまで燃やす。煙とススは浄化魔法で処理だ。
ふはは、見たか我が妙技。
勇者のチカラ、驚異の三種魔法同時展開だ。
って、そこじゃないよな突っ込むポイントは。
うん、実はここでも魔法が使えるんだ。マクドガルドで使えたやつがそっくりそのまま。
まぁ全部試したわけではないけれども。特に大規模破壊魔法はね。やらかしてもなかったことになったりしないから面倒くさいんだよ。夢のくせに。
明晰夢の中では空も飛べるっていうのと同じ理屈なんだと思う。俺以外のやつが魔法を使っている様子はないし。
それはそれとして。
なんでこんな厳重に書いたものを隠滅しようとしているかだが、わかるだろ?
魔王に見られないように。その通りだ。
夢だと気付いてるって気付かれるのはやっぱマズいよな。
木炭とわら半紙はそれぞれジップロックとクリアファイルに収めて引き出しの奥へ。資料はバインダーにまとめて本棚へ。
この辺りは別に見つかっても問題ない。画材は授業で使うとでも言えばいいし、資料についても、俺は子どものころからこの手のカラクリ、機械構造が好きだったからな。違和感はないはず。一応念のため機織機や船の舵輪なんかの構造図も一緒にファイリングしてある。
さらに万一のために防犯魔法をかけ直しておく。俺の意思と関係なく引き出しが開けられたときに、術者にだけ聞こえる警報が鳴るというものだ。マクドガルドでは貴族や商人たちの間でも使われてたポピュラーな魔法だ。
実際に作動するかは知らない。発動したことはないから。
用心のしすぎか? かえって墓穴を掘ることになったりしないか?
まぁいいや。そんときはそんときだ。
作業を終えて時計を見ると、十時半ちょい前。
半端だな。
どうするか、と迷いかけたそのとき。ちょうど見計らったかのよなタイミングでドアの外から声がかかった。
「兄さん」
魔王だ。
「なにか荷物が届いてますけど」
「……」
返事はしない。
俺は今、ゲームをしていることになっているから。
ヘッドホンをつけてゲームをしているのだ。だから聞こえないのだ。
「……それじゃあ、私は出かけてきますから」
黙っていると、魔王はそれだけ言い残して立ち去った。妙に未練がましい足音がゆっくり離れていく。
「ふん」
さて改めて――どうするか。
荷物とやらは通販で頼んだ食材だろう。冷凍とかじゃなかったはずだからしばらく置いといても平気だとして。
ゲーム。マンガ。ビデオ。
ゲーム。
ゲームでいいか。カモフラージュとか関係なく、普通に好きだしな。
なんだけども。
実は少しだけ問題があったりして。
機器をセッティングして電源を入れる。数瞬の暗転ののちに、特徴的な起動音とともにハードのロゴマークが画面に表示される。
『PS4』と読める。4て。
PSはわかるよ。ソニィのプレェステーション。通称プレステ。俺も召喚される前はよくプレイしてたよ。
でもなんだよ、4て。
ソフトでなくハードなのに『スーパー』とかじゃなくナンバリングされてるのは百歩譲ってソニィのセンスであるとしてもだ。4はさすがに出すぎだろ。
俺がマクドガルドに喚ばれてまだ三年も経ってないんだぞ。いくら何でも代を重ねすぎだっつーの。
グラフィックもやたら美麗になってるし。キャラもそうだが背景とかこれもう実写だろ。
しかもそれより何より意味わからんのが、通信対戦とかいう謎の機能だ。
全世界規模で構築された通信線のネットワーク。インターネットとかいうそれにゲーム機をつなげて、地球の裏側にいる相手ともリアルタイムで一緒にプレイできるって代物だ。
ねぇよ、そんなもん。
少なくとも俺のいた二十世紀には存在してなかった。
パソコン通信とか国際電話とかならあったけど、それらの発展形ということなのかもしれんけど。
無理だろ。よく知らんけど写真一枚送るのに数分かかるとかって聞いたことあるぞ。それでどうやってゲームするんだよ。チェスや将棋ならまだしも。
そもそも地球の裏側って真夜中だろ、今。魔王は時差も知らんと見える。
まぁいまだに天動説が主流だしなぁ、マクドガルド。
そういや魔王領には似たようなシステムがあったな。
ハイドゲイザーって目玉の化物がそこら中に配置されていて、仲間同士でテレパシーができるっていうこいつの性質を利用した監視網が敷かれてたんだ。
地味に厄介だったんだよなぁ、あれ。下手したら三魔将戦より苦労させられたかも。
あれをこっちで再現しようとした結果がこれなのかもな。
つまりは俺を監視するためのものってことだ。だからなるべく触らないようにしてる。特に調べもの関係では。
かといって全く触れないのも不自然だし、だからゲームのときぐらいはつないでも大丈夫かなって思う。
「さてと――オフライン練習はこのへんにして、いっちょうブラジル人でもボコってやるか」
なんてな。