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正体不明の少女(1)

 人生というものは転機の連続によって成り立ち、時には充実した日々を手に入れ、また時には挫折や苦悩により、そこで終わってしまう場合もある。それが当たり前だからこそ、人々は良い転機と巡り逢えるよう期待を胸に生きるのだが、何事にも動じず平凡として受け入れてしまう者もそこにはいた。


 ごく一般的なアパートの一室で暮らすその男は、三十年を超える時間を生きて尚、全ての転換期をありのままに捉えて過ごす事で、特別大きな高揚も不自由も感じぬまま、今現在も独りで眠っている。ドラマの様な急展開も求めず、その日常に満足そうな顔をして。

 

「んー? なんだぁ? 来客の予定なんて無いはずだが」

 

 ガタイの良い男が目覚めたキッカケは、部屋のインターホンが鳴り響いたからであった。

 平日は(おろ)か、休日でさえこのベルが役目を全うする機会はほとんど無い。何しろ男は友人を自室に招待する事を好まないし、ネット通販で注文する商品は、全て外にある宅配ボックスへの配達を希望するからだ。それで経済までも回せるのが現代社会であろう。


 しかし目を擦る男の鼓膜には、立て続けに呼び立てる機械音が打ち付けている。二度ならず三度目までもやかましく聞こえてくれば、嫌々でも身体を起こして確認するしかない。

 仕事疲れは残っていたが、のそのそとベッドから降りた男は、歩きながら気怠そうに声を上げる。

 

「はぁーい。どちらさんですかー?」

「えっ!? あの、ごめんなさい!」

 

 返された言葉は声色から察するに、若い女性の尋ね人だと判断出来た。突然出た驚きと謝罪の文句から考えると、訪問する部屋でも間違えたのだろう。そう思った男は寝床に引き返して、せっかくだし休日を昼過ぎまでの睡眠に使おうとしたのだが、その希望は脆くも崩れ去る。

 

「す、すみません! 私の声は聞こえてますか!?」

 

 意味の分からないセリフに眉を(ひそ)めながらも、男はドアホンのモニター越しに相手を確認した。そこに映る女性は、年齢的には十代後半から二十代前半だろうか。画面からでも分かる透き通るような銀髪と、西洋人とも異なる真っ白な肌。チラリと光った瞳の色は、どこか儚さを感じさせる淡いグレーだった。


 この部屋で一人暮らしをする住人は首を傾げる。こうした見た目の知人はおらず、そもそも若い女性との縁など職場でもあまりない。自身の部屋へと訪れた理由に皆目見当が付かないまま、無下に放っておくわけにもいかず、とりあえずマイクに向けて返答をした。

 

「聞こえてますけど、俺に何か御用ですか?」

「あ、はい! 可能でしたら、直接お話し出来ればと!」

「セールスとかならお断りなんですけど」

「違うんです! 私、すごく困ってまして……」

 

 不可解な事態の連続ではあるが、男は動じたりはしなかった。軽く溜め息を吐きながらも、玄関へと歩を進める。

 俯きながら話した女性には、何か事情があるのだろう。特に用事があるわけでもないし、相談くらいなら乗ってみるかと、そんな気持ちで玄関口を開けた。

 

「それで、どちらさま?」

「あ、あの、私が見えるんですか!?」

「なに意味不明なこと言ってんの? あんたの名前と、ご用件は?」

「そ、それがその……名前がわからなくて……」

 

 ドアノブを掴んでいた男は、反射的にそれを引き付ける。会話の要領を得なくて不信感を抱いたのもあるが、名乗るべきところを誤魔化そうとされれば、さすがに厄介事か詐欺辺りの臭いしかしない。そう思って扉を閉めるに至ったわけだが、不思議な事に数センチの隙間が埋まらず、唐突に痛がる高い声が聞こえていくる。

 

「ご、ごめんなさい! ホントなんです! 本当に自分の名前がわからないんです!」

「あれ? 手で掴んでるわけじゃないのか」

「足です! 足が挟まってて痛いので、ドアを閉めないで下さい!」

「足……? いや、挟まってないけど?」

「く、詳しく説明するので、ドアを引く力を抜いてください!」

 

 女性……いや、少女と思しき人物は、不自然な姿勢で表情を歪めていた。挟まれていると主張する足どころか、履いてるはずの靴さえも男には見当たらないが、隙間から顔を覗かせる少女は今にも泣きそうな目をしている。というか下まぶたには零れ落ちる寸前の涙が溜まり、苦痛に堪えようと歯を食いしばっていた。

 男が恐る恐る扉を開けると、しゃがみ込んだ少女は足に当たる位置を(さす)っているみたいだが、男の視界には何も映っていない。足先どころか、少女の脚は膝の上までが無く、スカートの下に綺麗な太ももが少しだけ見えた。淡々と対応していた男も、これには驚きを隠せずに声を掛ける。

 

「もしかして君、幽霊なの!?」

「幽霊って、足でドアを押さえたり出来るんですかね?」

「いや知らないけど。生きてはいるのか?」

「そう信じたいです。なにしろ昨日からの記憶しか無いので………」

「名前が分からない理由はそれか」

「はい。なので、自分がどこで生きてたのか、どこかで死んでこうなったのかも、さっぱりわからないままなんです」

 

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