五十九話:言霊に秘められたもの
すみません。一応発熱症状あるみたいなのでとりあえずルビ振りは起きて様子が良ければやります。
職場のオンボロ体温計と体温が低く出るらしい新品の体温計、どっちを信じればいいんだ……(困惑)
「あちぃー……スフェルセ大陸の夏、暑すぎっす……」
冷房が効いた馬車の中で身体が本能的に水分を欲し、ジュンのコップに注がれた水はあっと言う間に空っぽになっていった。
モルプローヴ大陸はスフェルセ大陸と違い全土に春夏秋冬が訪れる。必然と夏という季節は廻るのだが、それでもモルプローヴ大陸は朝と昼が存在しない夜の大陸。太陽が昇らない……日差しの分を考えれば、スフェルセ大陸の夏の方が厳しい。
この馬車の中の涼しさを体感してしまうともう二度と出たくなくなってしまう。ジュンは冗談交じりにそう思いながら水のおかわりをコップに注ぐ。
「モルプローヴ大陸の夏って何かあったりする?」
「んー……夏祭りかな? 屋台で食べ物とか売り出して、花火でドカーンって空を照らすんすよ!」
「花火……? 空をドカーンって、狼煙みたいな?」
「って、狼煙は伝達手段じゃないっすか! 娯楽っすよ娯楽!」
「そっか……そっちはこっちより文明が進んでるんだもんね」
ミエルに聞かれて、ジュンはほんの少しだけ悩んだが、すぐ浮かんだのは間違いなくそれであった。しかし、花火がスフェルセ大陸に存在しないとは。
やはりスフェルセ大陸には娯楽の類いがなさ過ぎると改めて思い知らされてから、ジュンは咳払いをし話の方向を別に向けた。
「……これは単純に疑問なんすけど。何でレフィシアさんが選ばれたんすか?」
ジュンが向けてきた疑問は〝ミエリーゼ・ウィデアルイン〟に向けたものでは無かった。突然で申し訳ないと頭をしゅんと下げたジュンに悪気がないのは分かっているので、ミエルは言葉を慎重に選び始める。そして、口に物を含むかのようなゆっくりと、小刻みに言葉を紡ぐ。
「かつての……遙かに昔の頃の彼に、似ている、から……だと、思う」
蘇る遥か昔の記憶。
〝ミエリーゼ・ウィデアルイン〟の記憶と混在するまた違う記憶の中。
外見も似ていた。暖かみを帯びた橙の髪は首筋まで届いていて、ラベンダーの瞳はいつだって〝セカイ〟と友、仲間を思っている優しい眼であったのだ。
——そう、まるで今のレフィシアのようだった。
友や仲間を大切に思っていた。
だからこそ、彼はそれらを守る為にたった一人で一身に毒を受け止め続けたのだ。
その毒が何れ彼自身を苦しめ、人格を歪めてしまう事になっても——。
「……じゃあ、選ばれたのは、外見や性格が似てるからって事っす、かね……」
「……それだけじゃ、ない筈」
ミエルは首を横に振りながらも、言葉は疑問形であった。彼女とて、確信は持てていないのだ。
レフィシアの家系〝シェレイ〟は、人という生命の始まりから長らく続いていた血。
その中でも巨大な神魔を受け入れられる〝器〟が偶然にも〝レフィシア・リゼルト・シェレイ〟であった。元より彼がレフィシアを選定した一番の理由はそれしかない。容姿や性格は二の次だろうか。
行き場の無いため息が生まれて、ぼうっと馬車の窓に映る砂漠の大地達を眺め始める。
「今となっては昔の自分と外見も似ていて、性格も似てる。極め付けに剣士となっては、彼にとってレフィシアは〝お気に入り〟であり〝最終目的の一番の弊害〟なの」
〝お気に入り〟であるから窮地に手を差し出して。
〝一番の弊害〟だからこそ自らの夢の記憶を消す。
矛盾していたとしても、それが彼のレフィシアに対する態度だ。
また〝キャローレン〟の血も〝シェレイ〟には劣るが古くから始まり——彼の毒の感情から産まれた人間から、今に至る。
その証拠としてキャローレンの家系はどの髪色よりも暗闇の如き深さを持ち、艶やかで、濁りのない黒の髪。苦しみ嘔吐した血の塊のような……ワインレッドの瞳。
その中で何故〝リシェルティア・セアン・キャローレン〟が選ばれたのか。
単純に〝レフィシア・リゼルト・シェレイ〟とほぼ同世代で、同じく巨大な神魔を受け入れられる〝器〟だからなのか。
変わってしまった彼の思考だけは、今もなお読めない——。
「レフィシアさんの目覚め方なんすけど……」
「ごめん。あたしも、まだミエリーゼ・ウィデアルインとしての神魔のコントロールが上手く行ってないから難しい。それに、下手したら勘づかれちゃう」
「え? 誰にっすか?」
「天空の巫女と呼ばれる、エンジェルの子。ノエアが言っていたトルテ・エレーゼリーン」
「ああ。ノエアさんの腹違いの妹さんか」
ジュンやミエルもその姿を確認しては居ないが、同じ〝眷属〟である以上、力を使えば場所の特定をされかねない。もしこれを知られれば何をされるかも分からないのだ。
レフィシアが倒れた理由は一度に神魔、並びに神創術を使い過ぎたのは分かり切っている。回復方法の一番安全な方法は自然回復なのも間違いはない。ただ、ここまで意識を取り戻さないとなると命以前の問題……身体の栄養失調の問題が発生してしまう。
どうにかしてやりたい。
どうにか出来なくもないかも知れない。
でも、それをしたとしてその後に降り掛かる火の粉を払えるかと言われれば、はい分かりましたと頷ける自信がミエルにも、彼女にも無い。
「一人で戦ってるんじゃないんすよ」
ぐるぐると思考をかき混ぜていると、察したかのようにジュンが言葉をかける。
「本当の意味で一人で戦うというのは、とても悲しいし、寂しいし、辛い。多分……この中で一番オレが良く分かってる。オレはシアさんみたいに圧倒的に強くも無ければ容姿がいい訳じゃない。ノエアさんみたいに冷静かって言われてもそうじゃない。だから、保証は出来ないけど……オレの手が届く範囲で、ミエルちゃんを……勿論、他の皆さんも助けたいって、思ってる……」
ジュンの過去をミエルは知らない。
知りたいと思っていても、安易に聞いてはならない気がして一歩引いてしまう。
ただ、彼の言葉は偽りを纏ってはいない。赤紫の瞳には何かの罪悪感に苛まれながらも、自分の想いを曝け出していた。歳が近いからなのか、相棒に気を遣わせたくないのか、はたまた別の理由か。
ミエルは弱々しく眼を下に伏せる。
「ねえ。ジュン。あたしは、あたしで……〝ミエリーゼ・ウィデアルイン〟のままで居られるかな……」
「……」
ジュンは自分が最初に投げた質問の内容を思い出して、思わずミエルから眼を泳がす。
あの質問は、完全にミエルに向けたものではない。それが無意識にミエルを傷つけてしまったのではないかと考えると、ジュンは自分の考えの浅はかさを殴りたくなった。
「ミエルちゃん。言霊って知ってるっすか?」
「ことだま?」
「ええっと……発した言葉通りの結果を現す力があるとされてる? みたいな。刷り込み……みたいな、うーん……」
〝言霊〟。
モルプローヴ大陸において、言葉に宿っていると信じられており、発した言葉通りの結果を現す力がある……とされている。
実際この言霊は死霊術にも反映されており、死霊術士は意識的に言霊に力……霊力を込める事が出来ると説明が施された。
「まあ、だからその。マイナスな発言はほんとにそうなっちゃう可能性だってある訳だし、どうせなら前向きなプラス発言の方がお得、みたいな感じっすね!」
——過去の自分を記憶の中で掘り起こしながら、ジュンは馬車の窓の外に広がる砂漠を眺める。