四十話:ひたすらに、悲しみに苛まれる
直ぐに駆け寄って、オズバルトの上半身を起き上がらせた。
ひゅうひゅうと空を切るような呼吸音を鳴らしてるのが聞こえる。
まだだ。まだ生きてる。
まだ助けられる。可能性はある。
応急処置を施し。回復魔法を使える兵士をすぐ呼び出せば——。
「む、だ……だ………じぶ、んで、わか……る……」
ぐるぐると思考を巡らせているレフィシアを止めに入ったオズバルトの声。
死地を悟った色をしていた。
「(……そうだ)」
自分は今まで何を経験してきたというのだ。
例え回復魔法を使ったとしても、これはもう助からない。いつもならすぐに察していただろうに、動転してしまっていた。
レフィシアは唇を噛みしめて、悔しさに苛まれる。
守ろうとしていた人を自らの剣が決め手となり結果としてこうなってしまった様に。
「何故、俺を守ろうとしたのですか。俺は、敵ですよ」
「……まもろ……と……し、て……くれた、なら……」
いよいよ声も小さくなり、オズバルトの瞳の光も次第に遠ざかってゆく。
「……あ、あ…………い、ま、なら……わか、る」
そしてオズバルトはぐたりと抜け殻となり固くなった。
レフィシアは昔こそ何かとよく泣いていたが、それはアリュヴェージュの前でしか見せない。
動揺をするのは当たり前。
悲しむのも当たり前。
しかし、それを表に出していい時とそうでない時かは自ら考えろ。
そして王族として下の者に涙は見せてはならないという父の教えを貫き通そうとしている。だからこそ、レフィシアは涙ぐみそうになっている自分に鞭を叩く。
「紅……今、守るべき者が居なくなった俺は、気遣いしないで戦える。言っている意味が分かるか?」
「加減しない、だろう? 死者の血は新鮮ではない。生者の血こそ美味。同じ王族なら貴様の血を少しでも飲ませて貰うぞ」
「そうか。できるものなら、やってみろ」
一定の距離のままじりじりと硬直状態が続く。互いの実力が身に染みているからこそ、下手に踏み込めない。
紅もいつも以上に慎重なのは、自らに向けられた殺意の質を感じ取ったからだ。それは自身の悲しみをそのまま紅への殺意に変換したかのように膨大で、とても普通に戦っては太刀打ち出来ないだろうと紅は冷静に分析した。
「はい。ストップ」
突然。
ぱん、ぱんと手の平同士で二回叩かれ、聴き慣れた声色と姿に両者共眼を丸くして疑う。
「兄さん!?」
「……アリュヴェージュ」
アリュヴェージュ・リゼルト・シェレイ。彼が何故この東国にいるのだろうか。どうやら兵士から連絡が入ってきてから、魔力を繋げて転移魔法を使ったらしい。レフィシアはそういう事も出来るのかと感心したかったが、それ以上に兄が来て安心し、思わず力が抜け両膝を地面につく。
剣を握る握力も失い、小刻みな震えが止まらなくなった。
自分は強いという自覚はあった。自信もあった。
最強とは名乗りはしないし思ってもいないが、一端の兵士では相手にすらならないと思っている。
——でも、結果はこれだ。
守りたい、守れる。
そう確信していたのに、結果的には真逆となってしまった。自らの剣でその命を終わりにしてしまった。
レフィシアの俯かせた顔が上がる事がないのを確認したアリュヴェージュが、ゆっくりとした足取りで目の前まで寄る。
オズバルトにはまだ幼い息子がいる。
アリュヴェージュの察しが正しければ、いつかの自分達の境遇を同時に重ねているのだろう。
「レフィシア」
「に、いさ……」
アリュヴェージュに名を呼ばれて、どうにかして顔を上げたレフィシアであったが——。
眼には大粒の涙が浮かび上がり、それは溢れてぽたぽたと地面に落ちた。最初の涙が溢れてしまうと、あとはもう止所がない。
「——大丈夫。泣きたいだけ、泣いてていいよ」
「……ッ、ご、めん……ごめん、兄さ……ごめ……」
「謝らなくていい。レフィシアの判断は適切だった。だから、大丈夫だ」
アリュヴェージュですら、レフィシアが泣く姿を見るのはかなり久しぶりだった。
レフィシアを引き寄せて、アリュヴェージュは自らの懐に収めた。かつて突然降り注いだ運命に咽び泣いた自分に対し淡く光射す月のように包み込んでくれた彼女をフと思い出しながら、レフィシアの背を優しくさすってあやす。
「君と手を組んだのは、ヴァンパイアという希少個体種であるから、そして、君の技術力が高いから。だからこそ、眼を瞑ってきた。……だけどね」
アリュヴェージュは懐に収めていたレフィシアをゆっくりと離してから、少しだけ揺れるように立ち上がる。
「——そろそろ死にたいのか?」
先程までレフィシアに向けてきた甘く華やかなものとはまるで違う。戦闘時のレフィシアの殺気、それ以上のもの。鋭く怒りに煮え滾った目つき、より低くなった声色となって現れている。
アリュヴェージュがレフィシアを溺愛しているのは中央に居ても居なくても有名な話。何より、あの力の研究を持ちかけてきたのはアリュヴェージュ本人。怒らせたのはマズかったかと、後になって紅はごくりと息を呑む。それでも、今更自分の本能を抑えたくはなかった。
「幾ら貴様でも、私の食事の邪魔をされては怒るぞ」
「それはこっちの台詞だ。幾ら君が凄くても、レフィシアを悲しませ、泣かせたなら容赦はしない。それでも収まりが効かないなら、僕が相手をしよう」
「ほう? つまり、私に血を飲まれてもいいと?」
「いや、無いなー。例え血をあげるとしても、僕はレフィシアと、キアーと……サヨとヒルデにしかあげないよ。君には絶対にあげない」
「それは、どう、かなッッ!」
血に飢えながらも頭の中で紅は分析を行っている。
ただでさえ優秀な魔法士な上、あの力を自在に使えるアリュヴェージュ。
真正面から行っても勝てるかどうかは運次第。
——ならばとすぐ暗闇の木々に隠れながら移動し、動きで翻弄しようと試みる。
トップスピードのレフィシア程ではないが、常時を越えた素早い動きの中、アリュヴェージュはその場にぴくりと動かない。
瞳も対象を追おうともしない。
あまりにも余裕の構えをしたアリュヴェージュに痺れを切らして、紅は唸った。
「隙だらけだ、アリュヴェージュウウゥ!!」
一気に踏み込んで、紅はその鋭利な爪をアリュヴェージュの首元に狙いを定めた。
——が。
「〝アディユ・ディカイオーシス〟」
アリュヴェージュが人の名のような何かをぼそりと呟くと、それは一瞬の如く。
銀の色をした光が紅の両肘から下、両膝から下が蛇のように纏わりつき——。
あらゆる四肢が消滅した。
「グァァァァァァアァァ」
断末魔の叫び声が木霊する。紅の痛み狂う叫びに思わずレフィシアも顔を上げて向けた。身体を支える手足が無くなって、紅は重い音を立てて地面に伏す。失った四肢の断面から遅れて血が噴水のように湧き出て、紅の衣服や仮面を完全に赤に染め上げた。
四肢が無くなった直後、襲ってきた痛み。
紅が地面を左右に転がり続けていた中、未だ怒りに燃えているアリュヴェージュが見下ろしてきた。
それにしてもあれだけ多量出血しておいてまだ生きているのは、流石ヴァンパイアと思っていいのだろうか。
——そうじゃない。感心している場合じゃない。
気づかされ、レフィシアは大袈裟に首を横に振るう。
震える両膝をどうにかして立たせて、今にも紅を殺しかねないアリュヴェージュに向かって歩む足を早めた。
「兄さん!! もう……もういい!! もういいから!!」
悲しみは消えないまま、アリュヴェージュの黒のコートを弱々しく掴む。幾ら紅がしてはいけない事をしてしまったとは言え、これ以上の争いには何の意味がない。
「……分かったよ。レフィシアがそう言うなら、これまでにしよっか」