三十九話:三年前の事件
先週の後半に体調を崩してしまい、更新できませんでした。
楽しみに待っていた方、申し訳ございませんでした。
本日は体調良好ですので、週ニ更新目指します。
「〝霊魂具現〟」
すらりと腰にさした刀の刀身に濃い青色の霊力がふわりと纏わり付く。戦闘の時に向けた刺々しさは無く、ただその身を受け入れるように柔らかい。
その刀を秋の土へと真っ直ぐに突き刺して、霊力が土へと流れてゆく。墓跡を中心に土から霊力が蛍のように宙を浮かび、まだ夕方前だというのに夜の景色をも思い出させてゆく。
「わー! きれー!」
「あー、これ、そう長くは持たないんでよろしくっす」
ミエルが可愛らしく跳ね上がっていると、それとは打って変わってジュンの顔は渋られている。長くは持たないと自ら公言していたので、もしかしたら相当扱いが難しい術なのかも知れない。青の霊力が人の形を取り始めて、やがて見覚えのある一人の王へと姿を変えた。
オズバルト・リーロン・オータム前国王陛下。その髪と瞳の色はマティリアスと全く同じで、彼らが血縁者というのは誰から見ても頷ける。
「お父さん!」
『久しいな。マティリアス』
マティリアスは縋るように目尻に涙を溜め込んで、父——オズバルトを呼ぶ。もう二度と言葉を交わす事はないだろうと諦めのあまり頭を下げていたので、喜びに満ち溢れてオズバルトに駆け寄ろうとした。
——それを阻んだのは、オスバルト本人である。
まだ来るなと静止の意を称して左手をすっと肩ほどまでに上げたのだ。親子の会話の前に何がしたいのだろうかと疑問に思った矢先、オスバルトの視線は常にレフィシアに置かれた。
「……」
『レフィシア殿。そなたが気に病む事ではない』
「いいえ。貴方の息の根を止めたのは、間違いなく俺の剣です。俺の手です」
『でも、本心では無かったのだろう。だから、止めに入ってくれた』
*
三年前。
夜が深く、灯りを灯さねば目が慣れない。夜はしっかりと英気を養い次の日に備えるのを徹底して、野宿の準備を各々で進めていた。
兵士達に指揮を取っていたレフィシアは、他でもない人物がガタガタと騒がしく箱を鳴らしているのに気づく。夜になったのに気付いているのだろう。箱の中にいては時間感覚も狂うだろうが、ヴァンパイアには体内時計がしっかり管理されているのだろうかと首を傾げた。
このままにしておくのもうるさいだけなので、蓋の部分を二回ノックしてから、それを恐る恐ると開ける。瞬間的に飛び上がって彼が出てきたものだから、驚きのあまりレフィシアは地面に尻餅をつく。
普段このような失態は絶対に起こさないレフィシアだが、ようやく休憩を取れる安心感のあまり油断していた。ゆっくりと立ち上がると、未だ白一色の仮面を外さない紅がレフィシアを見下すように立ちつくした。
何故仮面をつけているのかと一度だけ質問を投げかけた時がある。その時は「真実の顔はいざという時まで隠しておいた方が都合がいい」などと言っていたが、表情が隠れてしまっていては余計に何を考えているかが分からなくなってしまう。その点だけに関してはアリュヴェージュ以上だろう。
「そ……そういえば、珍しいね、紅が着いてきたがるなんて」
「東国は薬草も豊富だ。薬草は研究にも使える」
紅は研究者としてごく稀に遠征に着いていく事がある。
比較的引きこもりを極めている——いや、引きこもらなければならない最大の理由は、ヴァンパイアという種族の都合上。それでも紅が外に出る一番の目的。
不老不死。
希少個体種の中でも比較的新しい歴史を持つが、それでも魔物よりかは歴史が深いヴァンパイア。一族の誇りだとか何だとか長ったらしく説明された事があったが、彼は説明時に次第と早口のぼそぼそ声となり上手く聴き取れない。だからこそなのか、レフィシアはその詳細をよく覚えてはいない。
「私が見回ってこよう。夜はヴァンパイアの方が眼も効く。王弟殿下はさっさとおやすみになる事だ」
紅はそう吐き捨てて、兵を指揮し始めた。真っ当な台詞にレフィシアも言葉に甘え、用意された仮設テントに潜る。
*
「——! 状況は!」
「ハッ! こちらが押しております!」
「そういう事じゃない! どうして戦闘になっている! 俺への報告は!」
「それが、レフィシア様が出るまでもない、と、紅様が……」
「くそ……ッ! 紅は何処にいる!」
仮眠を取っていたら騒がしいのにすぐ気づき、身支度を直ぐに整え飛び上がるように仮設テントを出る。すぐ近くの兵士に状況を報告させ、小競り合いになってるのに気づく。
今回、戦闘は許可されてない。一旦アリュヴェージュの命を仰ぐ、または、向こうから手出しされた場合の防衛としては許可されているが——。
あの紅なら、それの可能性も極めて薄い。
数多に響く金属音や叫び声達を聞き分けて、レフィシアは探る。木々の隙間を瞬間的に通り抜け、幹に不自然と生えた枝が頬を擦った。
「あそこか……!」
ぐらりと身体を左右に揺らした紅が、今にも一人の男性を喰らう吸血鬼と化していた。男性の護衛と思われた東国の兵士達数十名は、一部を除き全員が血塗れになって動かぬ人形となって地面に伏している。レフィシアの足元にもその残骸が転がり倒れていて、首回りに噛みつかれたような跡が確認出来た。レフィシアは生き残っている男性と紅の間に割って入り制止を促す。
「やめろ! 紅!」
「起きたか、レフィシア」
悔しそうに舌打ちはしたが、声の色といえば諦めきれなそうな声色だ。念の為いつでも応戦できるようにと右手を腰にさした剣の柄の部分に手をかけながら、背にいる男性に声をかける。もちろん、こちら側の一方的な落ち度であるが故、極力、優しく。
「大丈夫ですか」
「き、君は……」
「俺は……」
名乗ろうとすると。
紅のそれはナイフのように鋭利な爪が、一直線に獲物を捉えようとしてくる。
——お見通しだ。
一瞬のうちにレフィシアは鞘から剣を抜き、それを弾き返す。多少なり吹っ飛ばされた紅であったが受け身を取っていたのでそこまでのダメージはない。これは中央軍の上層部であれば誰だって知っている事だが、紅は食事を邪魔されるのが一番嫌なので、邪魔をするなら味方だろうが攻撃をする情緒不安定さがある。
何故彼を中央に招いたのだろうと兄であるアリュヴェージュの考えは、この歳になってもまだ理解に至らない。
こうなった紅は斬り倒してでも止めるしか方法かないと捉えて、レフィシアは小さく息を吐く。
敵に向ける時と同じように、淡々と処理していく冷ややかな眼差しで再度身構えた。
「レフィシア様! 紅様!」
「下がれ! 下手に攻撃範囲に入ったら死ぬぞ!」
味方の兵士が到着したが、下手に踏み入れば巻き込まれてしまう。これ以上、余計な死者を出したくはない。レフィシアの声があまりにも懸命で切羽詰まっていた様が伝わり、兵士達はぐっと身を引く。
「ああ、王族の血を、飲みたいだけなのに、一滴残らず!!」
王族?
自らの背に守っている男は、間違いなく、東国の王族が持つ髪と瞳を見に持っている。改めて確認すると、以前アリュヴェージュが話していた人物に酷似していた事から確信できた。
「……オズバルト・リーロン・オータム国王陛下。お逃げください。我々の任務に、貴方の殺害は入っていない」
男性——オズバルトはレフィシアの言葉に息を呑んではいたが、緊張のあまりに声が出せない。
「早く! 流石の俺でもヴァンパイアに有利な時間帯、慣れない土地、非戦闘員の貴方を庇い、逃しながら紅と戦うのは難しい!」
これが何も抱えずの単純な戦闘であれば、レフィシアに分があるのはまず間違いはない。だが、条件があまりにも不利すぎる事を懸念して、紅の攻撃を捌きながらレフィシアは逃走を促した。
——レフィシアが会話をしながら戦えるのもここまでだ。
東国の兵士の血を飲み干して、活性化した紅の戦闘力。木々に邪魔されてレフィシアの剣の範囲も限定される。木ごと倒してもよかったが、森林破壊は味方をも巻き込む可能性があるので迂闊には出来ない。
自在に、俊敏に木々を渡り、翻弄するように動く。レフィシアの背後を取った紅は、鋭利な爪を氷魔法でさらに強化し氷の爪を向けてくる。だが当然——レフィシアが回避できない筈がない。
「——」
回避も出来たが、避けているだけでは抑え込めない。こうなれば腕を切り落としてでも紅を食い止めるしか方法はないと捉えて、右に持つ剣——その切っ先を勢いよく突く。
——しかし。想像と予想を超え。
レフィシアを庇うように、オズバルトはその身を投げ捨てる。
だが時は既に遅い。間に合わない。
紅の爪は胴を深く裂き、レフィシアの剣は心臓部を紅ごと串刺しの如く貫いたのだ。
勢いよく噴き出した血が返ってレフィシアの頬を赤く染める。どろりとした生々しく、独特の嗅ぎ慣れた臭い。
声も出ぬレフィシアは呆然と立ち尽くす。
ただただ次第に右手の握力を無くし、からんと剣が金属音と共に転がり落ちた。