三十二話:きっと大丈夫
前回の話がこのままだと文字数多すぎる! やべえ! ってなってキリがいい所で割った結果、今回文字数少なめです。
漆黒の鉤爪は折れる事なく、ただ目の前の敵——リシェントとノエアを引き裂く剣。貫く槍である。
彼らは召喚獣よりも無感情に、召喚獣よりも気高い。その戦い方はつまらなく淡々としているようで計算された動きである。
巨大相応の計り知れない重量に、勢いをつけて真上からの攻撃を防げはしない。どうにか躱し続けているが、その度に岩の地面が粉砕していって割れた破片が頬を裂く。
「(トルテ……の言っていた事は、気にはなる、けど、今は——)」
時間稼ぎに集中するしかない。幸いにもシュテルリヒトはリシェントに眼をやっていて、ノエアには眼もくれていない。理由は分からないが、好都合である。
「リシェント!」
「——!」
合図だ。
リシェントは助走する距離を取る為、シュテルリヒトから距離を置く。
勿論、それを追わないはずは無い。翼をめいいっぱい広げて——加速する、瞬間。
「〝記憶操作〟!!」
ノエアの言葉とほぼ同時にシュテルリヒトはがくりと身体を俯かせた。二本の鉤爪で自らの頭を抱え込んで、翼は安定力を失って閉じられた。
通常の記憶操作にはこのように対象が狂う事は決してあり得ないのだが、ノエアはあえてそうなるように仕組んでいる。魔力の〝鍵〟と〝錠〟を作るだけ作っておいて、記憶封印前の段階で記憶の前後をぐちゃくちゃにかき混ぜ続けている。シュテルリヒトがいくらエンジェルの力に似ているとはいえ、似ているだけで違う生き物。魔力の流れさえ掴めば容易い。
「頼む!」
「これで——終わりにする!!」
本日一番に銀の純度は高く、煌々とその輝きを四肢に帯びる。
右拳で突きのような一発。下から上へ、左足で二発目。
右から左に横一閃。右足で三発目。
踏み込んで——左拳での四発目。
ぴきぴきとシュテルリヒトの身体全体がひびが入り——飛び散って割れた。
そして粉と化して空気中を舞い、光のようにして消えてゆく。
同時に風景も元の墓地に戻った事から勝利した事実をようやく二人は受け止めた。時刻は既に夜を回っていて秋風はやや冷たく、本日の夜の空は雲という壁もなく星が散りばめられて輝いている。月すらも壁に阻まれずに木々達を淡く照らして、まるで勝利を抱擁されているような気持ちに包まれた。
「……ッ」
「ノエア!」
「大丈夫、だ……くそ、流石禁術……魔力と精神力めちゃくちゃ、使うじゃ、ねーかよ……」
力が抜けて、どっと疲労が襲ってくる感覚。
ノエアは両膝を折り、どさりと枯葉の土の地面に座り込んだ。丁度いい木が後ろにあるものだから思わずそれを背もたれに大きく安堵の息を吐く。
リシェントといえば外傷は都度ノエアが回復魔法で治癒してくれたのでほぼ無傷である。……が、今まで以上の強敵との戦闘に精神的疲労の方がリシェントの体力を奪っていて、体力回復がてらノエアの隣に座り込む。
リシェントがノエアの顔色を伺おうとして覗くと——。
「寝てる……」
困った事に、ぐっすりと眠っていた。
流石に予想していなかった出来事が襲ってきたのに対し、リシェントは二通りの選択肢を自らに提案した。
一つは、このままそっとしておくべきか。
二つは、道のりは覚えているからこのままルーベルグまで運ぶか。
女が男を運んで変な風に騒がれるのはノエア本人も嫌がるだろう。でもこのままそっとしておいても逆にルーベルグの魔法士達が慌ただしく捜索するのは目に見えている。
ノエアが東国の出だとしても夜の秋風に晒され続ければ風邪を引くだろうし、もう運んでしまった方が早い。
そう考えたリシェントはなんて事は無い顔つきでノエアを背負い、記憶を頼りに草木の中を歩む——。
「(そういえば……)」
セリッドの遺体そのものはノエアの話から察するに無かったと推測していい。
おそらく〝聖天の儀〟に支障が無いからなのか、どの魔法士も騒いでいなかったのだからリシェントも今まで気がつかなかった。
「(セリッドさんも、人間と希少個体種のハーフ、なら……)」
いや、嫌な予感は止めておこう。今は。
リシェントは心の中でふるふると首を横に振って、進み続けた。
*
「かあさん! かあさん! おれ、かあさんみたいな魔法士になるんだ!」
遠く。遠く。
昔の記憶。
「嬉しいのだけど、私を目指すのは辞めた方がいいわ」
目線が合うようにしゃがみこんで、丁寧に頭を撫でる。
「いい? ノエア。目標があるのはいい事だけれど、そこで線引きはしない事。それをやってしまったら、それ以上を目指せない」
「んー……んんん?」
当時まだ五歳だ。魔法士を目指していても知らない、難しい言葉の意味は理解できない。ましてや本にも載ってない事なら尚更。
「ノエアは聖天魔法士にもなりたいのよね?」
「うん! かあさんもそうならおれもそれになりたい!」
「……聖天魔法士はね、お勧めは出来ないわ」
「どーして? 二つ名みたいでかっこいいのにー」
「いつか分かるわ」
「いつー?」
「いつか、きっと。でも、これだけはずっと覚えておきなさい、ノエア」
「これからどんな事実が貴方に向けられようとも、私は……私が貴方に向けてきた想いは、それだけは、本物だから——」
ああ。思い出した。
そうだ。それだ。その言葉だ。
記憶を掘り出そうと思えば出来ただろうに、しなかったから見つける事の出来なかった言葉達。
夫に愛されていないままに孕んだとしても、その責任を子へとは押し付けなかった。混乱しない為に隠し通してきた。何より彼女は何度も愛してると言葉にして伝えてきたではないか。
——ごめん。
一度でも疑ってごめん。
もう二度と手も繋げないだろうけど。
——ありがとう。
辛い想いをした中、親として愛してくれて。
たくさんの事を教えてくれて。
育ててくれて、ありがとう。
確かにオレは今にして思えば聖天魔法士にはなりたくは無いよ。
そりゃ現状を考えれば余裕が無くなったから仕方なくって思ってはいたけどさ。
多分、母さんもオレがそうなるのが、嫌だったんだと——今にして思う。
何処かの記憶の中で母さんが言っていた言葉。
「それを得てしまったら、貴方は戻れなくなってしまう」
この言葉の意味がまだ分からないが、実質ほぼ全知全能となるのだけは理解できた。
怖い。 まだ怖い。
覚悟していても、まだ怖い。
未知の知識は恐ろしい。
——だけど。
オレより一回りほど小さな手が、導くように差し伸べられている。
母さん?
リシェントか?
いいや、どちらも違う。
『大丈夫』
聞き覚えのある声に、あの時から導かれてきた。
その小さな手を、オレは取る。
「——ああ。そうだな。きっと大丈夫」
不思議と気持ちが軽くなって、久しぶりにオレは力を抜いて眠りにつく。