二十九話:黄昏が幕を下りる頃に
「〝中央四将〟……!?」
「構えないで下さいなのですよ。ここを荒らしに来た訳ではないのですから」
リシェントが戦闘態勢に入ろうと踏み込む足に力を込めたが、大袈裟にトルテは首を横に振った。すたすたと迷う事なくセリッドの墓石の前まで歩み、右に持っていた花の束を添えるようにして置く。
掌を合わせて冥福を祈るように眼を瞑り——少ししてから、眼を開き、小さく安堵の息を吐いた。
「……ふう。ルーベルグに行くなら立ち寄りたかったんですよね」
「お前、何で墓参りなんてしてんだよ。つーか、よくここの場所までバレずに潜り込みやがったな」
「あはは、当然の事をしたまで、なのですよ」
「当然の事?」
ノエアが聞き返すと、トルテは呆気に取られてぽかんと小さな口をまん丸に開けた。
「……驚いたのですよ。ノエアさん、もう知ってると思っていたから。あ、兄様とお呼びした方がよろしいです?」
「は? どうして兄って呼ばれなきゃなんねーんだよ。ふざけんな」
「え? 異母兄妹なら別に兄様ってお呼びしても問題ないんじゃないのです?」
何も間違えてはいないだろうと首を傾げたトルテだが、言葉だけはすらすらと迷いがない。
その中に出てきた単語を聞き逃さず、ノエアは口を詰まらせて引っかけた。
「…………今、何……て」
「異母兄妹なら別に兄様ってお呼びしても問題ないんじゃない、と。確かに」
「だって、お前……お前、は」
「はい。わたしは紛れもない希少個体種——〝純血〟のエンジェルなのです。これで、もう、分かりますよね?」
固有能力。
異母兄妹。
つまり——。
「……ノエアは、人間と、エンジェルの、ハーフ……」
リシェントが小さく呟いたそれが耳に届き、トルテは肯定の頷きをひとつ。
エンジェルの外見的特徴のうちのひとつはブルーグレーの瞳。ノエアの瞳の色にも当てはまる。何より、純血のエンジェルのトルテの瞳の色とノエアの瞳の色を比較するとどちからが暗く、どちらかが明るいという訳ではない。
本当に、全く同じブルーグレーなのだ。
「ちなみにセリッド様も人間とエンジェルのハーフなのです」
エンジェルは、天空の巫女以外の一切の地上への直接的干渉は禁止されている。
——ただし、地上を繁栄させていた〝妖精〟が滅びた事により地上にもエンジェルをという結論にいたる。が、純血のエンジェルに地上への干渉は到底難しい。
理由としては天空の巫女以外のエンジェルは地上の生活を許されていないからだ。それを侵そうとした瞬間消滅するとの噂があるが、そもそもそれを行おうとした者は居なかったので事実かは怪しい所。
様々な議論の元導かれた答えとして——天空の巫女が地上の人間を攫い、男のエンジェルと女の人間との間で繁殖行為を行う。本来純血のエンジェルは卵生でも無ければ胎生でもない方法で男女の力同士が結びつき、その力が幾年の時を経て赤子を生み出す。
しかし、ハーフの場合は、母体に合わせた繁殖方法を行うという。
「流石に想像以上に人間の方は耐えきれずに亡くなりました、が、ようやく念願は叶いました。人間とエンジェルのハーフ、第一号。セリッド・アーフェルファルタ」
結果的にセリッドは人間としての魔法を使いこなし、エンジェルの固有能力もある程度は使う事が可能となった。人でもある為、地上でも生きられる。
「なので、今度はそのセリッドを娶り——とある男のエンジェルは元いたエンジェルの妻と、セリッドの両者に子を宿した。それが……現、天空の巫女。純血のエンジェルであるわたしと、人間とエンジェルのハーフ、第二号……ノエア・アーフェルファルタ」
「……ッ、それでも、まだ物的証拠が足りな」
「……なら、証拠が足りればいいのですね」
ズイズイとノエアに近づきながら、懐に潜めていた透明で小さな瓶を取り出した。瓶の中には砂のように細かく、宝石のように満天の輝きを秘めた金色にも見える液体が半分入っている。
ノエアとの距離を詰め終わって、その距離は一メートル以内。敵意を感じなかった為距離を置くのをすっかり忘れていたノエアも、ようやく左足を身体を後ろに下げた。
何かをするつもりだ。止めなければ。
流石のリシェントも右に拳を作ってその標的を定めるが、足を踏み込もうとしてぴたりと動かせない。
魔法の類か、或いはエンジェルの固有能力か。真実はまだ分からないが足が動かない以上、リシェントの拳はトルテに届く事すら許されなかった。
「邪魔はしないで欲しいのですよ」
横目でリシェントを確認するトルテのブルーグレーの瞳は、まん丸とした瞳を尖らせる。
改めてノエアの方に振り返りながら瓶の蓋を引き抜いて、トルテはその液体を一気に口の中に含む。
頬が口に含んだ液体で少し膨らみ、その状態でノエアの右腕を強く引っ張った。男女の体格差があるとはいえ、希少個体種であるトルテの筋力は人のそれよりも遥かに筋力は上だ。
兵士として鍛え上げられた訳でもない魔法士のノエアが力勝負で叶うわけもなく、身体が引っ張られた反動で前かがみになった頃——。
「——」
唇と唇が合わさった。
すぐに引き剥がそうと詠唱破棄の転移魔法の為の魔力コントロールを練りはじめたが、トルテの口の中から先程の液体が流れ込んでくる。
瓶の中の液体の実態が分からない以上、そのまま喉に通す訳にはいかない。
一層の焦りが心に充満していき——。
ごくり。
喉を鳴らして液体が体内に侵入。
しまった、という言葉はもう既に遅い。
液体を飲み込んだという事実を確認してから、ようやくトルテの唇がゆっくりと離れる。
「……っ、おま、……え……何、……を」
「……だい、じょうぶ、なのですよ、毒じゃ、ないですから……」
互いに息を切らし、体内に空気を取り入れようと呼吸を大きくした頃。
ノエアは突然内側から溢れ出す熱量に、両脚の支える力が失われて前に倒れ込む。
倒れそうになった身体を、トルテがしっかりと受け止めた。このまま土の地面に顔面が埋まるよりかはマシであったが、彼女が中央四将と名乗る以上は敵であるのには変わりない。
今度は精一杯両手を使ってトルテを突き飛ばして、ようやく一定距離が保て戦闘態勢に入る、が——。
「それが、エンジェルの一番の特徴」
トルテは人差し指を指して、ノエアの背後に目を向ける。一向に身動きの取れないリシェントも、ノエア本人もつられて目を向けた。
——ノエアの背に、秋の紅葉のような色がついた、六枚の光の翼。
エンジェルは通常鳥のような翼を持っているが、特に個体値の高いエンジェルの翼は白い光の粒を凝縮させた六枚の翼だ。
トルテも青空のような天色の光の粒で六枚の翼を背に現す。
「さっきの液体に、わたしの力を注ぎ込んで——」
「……〝共鳴〟」
「母方が違うとはいえ、父が同じなら、わたしの力でノエアくんの本来の力を、ある程度まで覚醒させられる。まあ……〝妖精〟に比べたらあっち側の力は全然ですし、わたしはセリッドさんとは全く繋がりがなかったので、できませんでしたけど」
黄昏が幕を下りるように夜に変わりかけているこの時刻で、光の翼は一層に輝いて目立つ。
ブルーグレーの瞳。六枚の翼。
これほどの物的証拠と事実をいきなり叩きつけられて、そして、自らの出生を他者の口により明かされた。
ノエアは優れた魔法士であるが、それ以前にまだ十九の人間である。
心の重心の置き場を無くして、視点は定まらない。明らかに動揺して、心を乱しているのが第三者であるリシェントから見ても安易に確信できた。
「驚かれないのですか?」
「……流石、に、驚いてるさ。でも、事実なのに変わり無いのに否定してどうするんだよ……」
「……わたしは貴方になら、本当の事を話してもいいって思ってる。貴方の知りたい事を、わたしは知っている。結果的に、それがこの〝セカイ〟の為にも繋がる」
まるで救いを差し伸べる、ひと回り小さな天使の手。
先程とは打って変わり、とても悲しくて、それでも今と未来に向き合う為に意地でも力ない笑いを見せる。わざと作っているものではなく、真意なのだろうと確信させらた。
「だから——兄様。わたしと一緒に、行きましょう」
ついにノエアくん……ノエアくん……!