二十五話:〝ノエア・アーフェルファルタ〟
ノエア・アーフェルファルタは天才ではない。
ただ魔法士としての好奇心とプライドが強く、ルーベルグの魔法士一の負けず嫌いなだけだ。
誰よりも魔法を極めたい。
誰よりも魔法で負けたくはない。
その競争意識が彼の今の魔法士としての知識と実力に反映されていると言ってもいいだろう。
セリッド・アーフェルファルタ。
〝聖天魔法士〟という名を背負う彼女を母としている以上、彼女以外の誰にも負けたくはない。
——いや、違う。
何れは母でさえ追い越したいとノエアは誓っていた。
「ノエア。母さん、ちょっと出掛けて……あら。また医学の本?」
「腹部内蔵の循環の仕組み、心臓の作りと働きとかのな」
自宅には図書館のように天井まで本棚が伸び、びっしりと本達詰められている。そのうちの数冊を取って、ノエアはテーブルに広げていた。
セリッドは回復魔法においては中級程度しか扱えない。ルーベルグの他の魔法士も回復魔法は初級までが限度であった。理由は単純明快。回復魔法には魔法士としての魔法知識の他に医学の知識も必要不可欠であるからだ。このルーベルグにも医者はいるが、医者を本業としていて魔法の知識が浅いので使えない。
だったら自分が上級の回復魔法を使えるようになれば——という、ノエアのいつもの競争意識が働いていた。
「ノエアは将来の事って決めてる?」
「は? 何だよ、いきなり」
「こーんな小さい頃は、かあさんみたいな魔法士になるんだーって言ってたでしょ? 可愛かったわあ」
そんな小さな頃の事は忘れてくれとノエアは歯を食いしばって堪えた。反抗した所でセリッドのマイペースさは変わらないのを誰よりも理解しているので、大人しく答えようと思って本にしおりを静かに挟んでから閉じる。
「夢なんてもの見ても意味がねーだろ」
「夢を見た方が素敵よ? ほら、あるんじゃない? 幸せな家庭を築くだとか、何屋さんになりたい、だとか」
「そういう母さんはどうなんだよ」
ノエアが聞き返すと、珍しく返答はない。ふと閉じられた本からセリッドの方へと眼を向けると、かける言葉に詰まって眉を下げた。
あれだけ豊富だったセリッドの表情に感情は生まれず、口角だけは少し上がっているが明らかに作り笑いであるのがお見通し。
聞くなら今だと隙をついて作り笑いを浮かべるセリッドに容赦なく返す。
「母さんって、普通じゃないんだろ。父さんの話も一切しないし」
「……そ、れは」
「幸せな家庭だとか、夢とか言ってるけど、母さんは結局それを手に入れた事があるのかよ?」
まるで八つ当たりだ。
溜まっていた疑惑をぶつけても、結局セリッドは何も言い返さない。 それが腹立たしく、ノエアの声色はとても低く怒気が籠られていた。ほぼ理想主義のセリッドと現実主義のノエアの意見がぶつかる事は都度見受けられる場面であったが、ここまでノエアがセリッドに怒りをぶつける事は無かった。
しかし、今回は違う。
ノエアのこの一言に込められた怒りの感情。
言葉と反した事実がある事。
もうとっくの昔に気づいていた、自分の父親は普通じゃない。
どのように普通じゃないのかは知りたくもないので考察するのさえ嫌になっているが、家族を愛していないのだけは確信を持って肯ける。
家族を愛しているなら今頃この屋根の下で生活しているだろう。していないというならつまりはそういう事。死んでいる、殺されているならセリッドも最初からそう伝えている筈だ。
この時既に十七歳と成人を迎えて一年を経過したノエアだが、歳相応とは言い難い頭の回転の速さは幸か不幸かそれすらも見抜いている。
*
それから数年。
——凄まじい唸りを立て里全体が炎と化して燃えてゆく。燃え移る木や建物が太い火束になって乱雑に倒れ、地面の草に引火も引火した。
辺りに火花が無数に弾き飛んでいて、当たると酷く、そして熱く傷む。
「くそ、何で、こんな……」
ノエアが誰よりも出遅れたのは、今より一時間前を遡る。地下の図書館に引きこもっていたからだ。村長に「一歩も出るな。これでも読んでおけ」と半ば無理矢理閉じ込められてしまったのだ。何故そうされたのか、今だったら理解できる。
回復魔法を使える魔法士は優遇される。ノエアが回復魔法を使えると知られれば捕らえられるのはまず間違いはない。聖天魔法士の息子であるならば、人質にだって使われるだろう。だから閉じ込められた。
図書館が外側から鍵をかけられていたのは、きっとそれが原因に違いない。魔力無効の部屋と扉であったが、暗号と化して記されていた避難用の隠し通路の場所が本棚の中に隠されていた。ノエアの魔法士としての成長の速さを、村長も予測できなかったのだろう。
次第に熱病にかかったみたいに身体が熱くなり、意識を保つのが精一杯になってきた。
実弾銃の銀の発砲音と、魔弾銃の独特な高い音をした発砲音がどこからとも無く、絶え間なく響いて耳鳴りを起こす。
悲憤、慨然の声達も重なり、更に酷く頭を揺さぶらせた。
「ぱぱぁ!!」
未だ衰えずに唸る炎の中に、父親を呼ぶ子供の声。知り合いではない。放っておいた方が自分の生き残る可能性は高いのだが、反射で声の方に向かって足を走らせた。
僅かに炎の勢いが衰えているそこは地面が濡れているが、逆を返せば周囲の炎に蒸発して蒸し暑くなっている。
成人男性、だけではない。
その場には老人、子供問わず男性だけがその場に倒れて息を引き取っていた。そのうちの一人を男の子が泣きながら抜け殻の身体を揺さぶる。ぱぱ、ぱぱ、と繰り返して泣き呼んでいた。
——が、男の子の生涯はここで終わる。
「——……は?」
ノエアは常に何処から銃弾や魔法が飛んできても弾き返せるようにと自分を対象に上級防御魔法をかけていたので致命傷を避けられた。
それでも右肩に切り傷が生まれ、じんわりと赤の血が服に滲み出る。痛みで唇を噛みしめてその先にまた視線を移すと、先程まで父親を呼んでいた男の子が視界から消えた。
——消えたのではない。
地面に目をやると、そこには——。
「……何でまた男なのよ。ったく、運がないわね、私って」
力なく転がる男の子の頭を、蹴鞠のように足のつま先で弾く。
中央軍の黒の軍服を着た女性。水のような美しい色のウェーブがかかったロングヘアー。金色の瞳を不機嫌に引きつらせて、それをノエアに向けた。
一瞬にでも見惚れてしまいそうになった自身の心に鞭を叩きつけ叱責してから、ノエアは改めて眉を潜める。
「あんた、子供も殺すのかよ」
「私、子供でも男っていう人種は嫌いなの。でも安心して? 女は生かして捕獲してるから。紅よりかはマシよ。あいつ、血を嗅いだせいで今性別年齢問わず殺しまくってるって報告来てるから」
女の周囲には水泡がいくつにも巡っている。魔力で操作されたその水泡は当たれば即死だと思わせるほど圧縮された魔力量。
ノエアは悟る。
彼女には勝てない。
どんなに自分があらゆる魔法を覚えてきたとしても、彼女に勝つ事は叶わない。
母であるセリッド以外にその感情を抱いてしまったのが悔しい。同時に死という概念を静かに感じて呼吸は乱れ、ひゅーひゅーと呼吸音を鳴らした。
「こらこら。アルフィルネ。殺しすぎないでよ」
「……アリュヴェージュ」
「やあ。怖がらせて、ごめんね。自己紹介しよーか」
後ろからの聴き慣れた低く甘い声。
アルフィルネは声色と姿を確認し、金色の瞳を見開いてその道を譲るように一歩下がる。
噂程度に聞いた外見。
暖かみのある太陽のような橙の色をした髪。ラベンダーの瞳は一見するととても宝石の様に輝しく華やかである。
その中に渦巻いている感情は、アルフィルネと呼ばれた彼女よりも深い、何かに対する憎悪。魔力——とは違う何かは今までに感じた事がない力。未知の力ほど脅威なものはなく、息を忘れてしまいそうになるほどの恐怖を抱いた。
「僕はアリュヴェージュ・リゼルト・シェレイ。よろしく、聖天の息子くん」
「聖天の息子くん? こいつが?」
「その髪と瞳。魔力量。間違いはないよ」
「……まあ。アリュヴェージュがそう言うなら、そうなのよね」
中央四将、アルフィルネでさえアリュヴェージュに対しては消極的態度と発言が多くみられていた。
「ちょっと話をしようか」
アリュヴェージュの視線は再びノエアに向けられる。燃え盛る炎。火花が空気を舞い散るのをお構いなしに口角を少し上げて笑った。