九話:霏霏と吹雪く山の中で
ついに第一章、一節が開始です!
新キャラであるメインキャラの二人が出ます!
常に冬の季節。
一面が雪の世界の極寒の地、北国。
首都セアンと拠点ベルスノウルを繋ぐ険しい雪山——名を、ゼファー雪山。
頂上が近くなるにつれて嵐のように吹き荒れる吹雪に、襲い掛かってくる攻撃的な魔物達。北国の魔物達が過酷な環境下で生き残るには、日々互いの肉を喰らうしかない。同じ種族でも群れが別々となれば、別の群れの肉を喰らい生きようとする弱肉強食の世界。北国の魔物の中には人肉を喰らう魔物も少なからず存在するので、基本的に街と街との移動には軍に申請する制度が設けられる程だ。
ただしこの制度なるものは一定の金銭を軍に支払わなければならない為、国民の三割はこれを支払わずに単独で挑む。理由は勿論個々様々で、単純に払える金銭が足りない、金銭を払いたくない、払うまでもないなど多種多様。軍側は厳しく取り締まっているが全てを取り締まるのはこれからも叶わないだろう。
そんな中——少女はただ一人。
郵便の仕事でゼファー雪原の頂上にたどり着いていた。本来、職に就く者は仕事上軍の制度に申請するべきもので、雇い主の義務であると法律で定められている。
しかし、少女は何分これに疎く、この制度の事を知らない。まさか雇い主が私的な理由で軍の目を上手く欺き申請してないなど、思ってもいないだろう。
昼を過ぎたというのに吹雪は止まる事を知らず、頂上は相変わらず氷点下の酷寒で全身を締め付けるようだ。毎日やっている事とはいえ相変わらず寒いと少女は小さくため息をつくが、それで状況が変わる訳ではない。一層に強くなるばかりの吹雪が少女の艶やかな黒の髪を大きく揺らした。視界に入った髪の束を右手で後ろに退かすと、目の前で群がっている魔物達と鉢合わせて眉間にシワを寄せる。
じりじりとゆっくり、肩にかけていた白のショルダーバッグに入った郵便物を庇う形を取って後ろに後ずさった。
ゼファー雪山に住む魔物の中でも、雪と同じ真っ白な毛を纏った身体と剣のように鋭く尖った氷の爪をした狼。敵意のこもった金眼を光らせ如何にも少女を取って食わんという眼をした、好戦的な〝アイスウルフ〟の群れだ。
アイスウルフは肉食系で、肉の種類の拘りは無い。かつて人が襲われて亡くなった等と噂が立っていた気がする。単純な戦闘能力こそ少女が上だが、群れを作る魔物は知能が高い。
「(やっぱり、近道をするべきじゃなかった)」
少女はいつもと違うルートを辿って初めて近道をしてしまった事に深く悔やむが、静かに現実を受け止めるしかないだろう。
逃げるという選択肢もあるにはあるが、雪山に適応した素早い魔物相手に背を向ける行為は自殺行為。
ショルダーバッグを雪道の片隅に軽く投げ置いて、少しだけ前に足を踏み入れる。やれるだけやってみるしかないと喉の音を鳴らして唾を飲むと、アイスウルフ達が更に低く唸り、威嚇を始めた。
そのうちの一体が音を立てて足を踏み込み突撃をする構えを見せた瞬間。
————。
少女は、状況を理解する処理能力を直ぐに働かせる。事態は一瞬だった。気付いたらアイスウルフの群れの全てが血を吹き出して雪の地面に力なく横倒れていたのだ。身体に刻まれた切り傷から鮮明なる赤の色の血がまだ音を立てて流れ、白い雪を赤く染める。
「群れに襲われているようだったから助けに入ったんだけど……大丈夫?」
アイスウルフから別の声の主に視線を移す。年齢は恐らく少女と同じか少し年上に見える青年。暖かみのある橙の髪の中で唯一、左側だけ鎖骨ほどまで伸ばして、それを纏める為の銀の髪留めをしている。
青年は右手に持つ片手剣がアイスウルフの血で濡れているのを適当な布で剣身を拭う。
そして剣を鞘にしまったと思え仰向けに雪の地面へと倒れこんでしまった。
少女は青年が自分を襲う気はないのだと確信を得てから駆け寄って、青年の上半身を起き上がらせる。どうやら少し息があがっているように見られる。
「ごめん、ちょっと無理しすぎた。慣れないのにいきなり頂上まで行くのは流石に無理があったね」
「あの。目的地は何処ですか」
「ベルスノウルだよ」
「ベルスノウルですね。分かりました」
少女の目的地もベルスノウルだ。丁度いいと思った少女はゆっくりと立ち上がる。雪道に置いていた郵便物の入った白のショルダーバッグを持ち上げ、肩にかけて、再び青年の元に戻ってくると今度は仰向けになって倒れていた青年を当たり前のように背に乗せて背負う。
少女にとって青年ほどの人物を一人背負った所で歩行に影響などない。流石に無理がある絵面に断ろうとしていた青年だったが、あまりにも涼しい顔で「大丈夫です」と答えた少女を目の当たりにして、青年は渋い顔を続けながらも従う事を決めたようだ。
魔物に遭遇しいないように気を張り詰め、青年を背負い登り降ってゆく。降り続ける事三時間半ほどでようやく拠点ベルスノウルの建物達が視界に入ってきた。人の出は少なく、活気は首都に比べれれはかなり落ち着いている。ひっそりと佇む一軒家が感覚を保って連なるが、閑寂な雰囲気は北国の特徴でもあるので特別気にする事はない。
激しい吹雪は失せて昼の太陽の光が差し込むが、太陽の光で雪が溶けて無くなることはあり得ない。
この北国は七日のうち四日は雪が降り続け、気温はほぼ維持されたまま。少しばかり雪が溶けようがこの国に対し影響は無い。
「ね、ねえちょっと……下ろしてよ。こんなの見られたら恥ずかしいし……」
「また無理して倒れられても困るので我儘言わないで下さい」
「いやいや、お、お願いだからさ、分かって」
「……」
歳上である青年を無表情で背負う歳下の少女の絵図はかなり目立つ。少女は渋々と青年を下ろしてあげると、青年はほっと胸を撫で下ろしていた。
改めて青年の方に目を向けると、とても顔立ちがいい。貴族か王族と名乗られても違和感が全くない。寧ろそう名乗られた方が納得がいく。
「……君、名前は?」
「……リシェント・エルレンマイアー、です」
「うん。リシェントだね。よろしく。俺は…………〝シア〟って呼んでよ。よろしくね」
「〝シア〟……?」
謎の沈黙が続いた後で〝シア〟は名乗る。もしかしたら偽名なのかも知れないなと考え込む少女——リシェントだったが、あまり深く関わるのはやめておこうと思い心の中で首を横に振った。もし本当に名前を偽っているのだとしたら無理に詮索した所で自分にも彼にも得などない。
それより早く仕事を終わらせなければと本来の目的に引き戻されて、一歩後ずさった。
「……っ、リシェント!!」
今度はシアがリシェントを横抱きをし、その場から一瞬で避けるように離れた。同時に、雪の地面に何かが衝突したかのような鈍く大きな音が鼓膜に響く。
横抱きしたリシェントを地面に下ろしてから、シアと名乗る青年は顔色一つ変えずに確認する。
先程まで立っていた場所は熱で雪の大地が溶かされていて深い穴が出来上がっていた。その穴の最深部には、丸い溶岩のようなものが埋まっていたので、熱の発生源はどうやらそれらしい。
魔法だとは思うが、ただの火魔法でここまで溶かせるとは思えない。恐らくは火と地の複合魔法で、威力は上級のものでまず間違いは無いだろう。リシェントはこのように高威力の魔法を初めて見るので眼を疑がわせて開いた口が塞がっていないが、シアは微動だにもせず、動揺もしていない。この時点でシアがただの平民ではないのがリシェントから見ても明らかとなった。
二人して、こんな複雑で威力の高い複合魔法を使える魔法士がいるのかと思考を巡らせていると、今度は自分達ではない雪を踏む足音が聞こえた。その先に視線を移す。
一人は亜麻色より少し濃い茶の髪をした青年。所々に寝癖が直しきれていないのか少々ぼさぼさしている。ブルーグレーの瞳は吊り上がったまま標的をシアの方に向けていた。その隣にはリシェントよりも小柄な少女が立っており、薄緑の髪をツインテールにし、脇下程まで垂らしている。動くたびに尻尾のように動いている様は少女の小柄さもあってまるで小動物を思わせた。濁りのない青く澄んだ瞳で此方を見るや、自分より高い身長の青年を見上げて不満そうに頬を膨らませる。
「ちょっとー! 外してるじゃん! なーにが、特訓しただって!?」
「うっせえ黙れよ、偉そうだなお前ふざけんな!」
「痛い!いたたたたたたた!! あたま、いた、ぐりぐりしないで! 暴力反対! 訴えてやる!!」
「誰に訴えるんだよ!!」
少女は青年が魔法を外した——正確にはシアが避けたと言った方が正しいが、魔法が当たらなかったことに関して青年に不満の声をあげ始めた。それに激怒した青年は少女との身長差で見下ろしてから掌に拳を作って、上から少女の頭をぐりぐりと強く押さえ込む。
それにしても気が荒い青年だ、と他人事のようにリシェントは呆気に取られてしまった。
「……見苦しいものを見せたな」
軽く咳払いをすると、亜麻色の髪を持つ青年は落ち着きを取り戻したようだ。
今、リシェントとシア、そして亜麻色の髪の青年と薄緑の髪の少女。両者の間はある程度の距離感が保たれている。
「大丈夫、俺に任せてよ」
リシェントを下ろして彼女を守るように前へと立ち、静かに鞘から剣を抜いて構える。リシェントには背を向けている形となっているので顔つきの確認は出来ないが、正面で向き合っている亜麻色の髪の青年と薄緑の髪の少女は、まるで恐怖で立ちすくんでいるかのようにピタリと動かない様に、次第に血の気を失っているかのように白くさせているようにも捉えられた。
「やっぱり、お前は……!」
亜麻色の髪の青年は、湧き上がる恐怖を押さえつけて、瞳の奥に強い憎悪が燃えたぎらせた。
拳を固く握り締め指の肉に爪を立てながら、悔やむように下唇を噛み締める。尋常ではない怒りと憎しみの塊は初対面であるリシェントも感じ取れる程に膨大だ。魔力が青年の全身から炎のように溢れ出している。怒りや憎しみの大きさと同じくらいには青年から溢れ出る魔力は周囲の空気に重みを感じさせた。
知り合いでもないのにここまでの感情を抱くのは何故だろうと、リシェントはその矛先であるシアの方にもう一度視線を移した。
青年と少女に立ち塞がるシア。その紫の瞳は感情を極限にまで消していた。
慌てるわけもなく、怖いくらいに静かだ。
まるでシアともう一人の誰かを照らし合わせるようにして、青年は三度舌を打つ。
「ミエル! 行くぞ!」
「汝、吹き荒ぶ風と眩き光を司る者よ、それを合わせ、時には主の剣となり盾となれ! いっけー!にるちゃんっ!」
少女は薄緑のツインテールを揺らしながら——召喚術の詠唱を読み解く。
召喚術とは。
大まかに魔法の類に分類されるものの、こちらは想像やイメージ、使用者がの想いが強く反映されるものである。
天空の世界と噂される〝スカイル〟に管理されている召喚獣をこちら側に呼び寄せる事が出来る。
その多くは契約をしようとする者の性格や思い、記憶、素質などを重視するらしい。召喚獣は魔力こそ持つが魔法が使える召喚獣は個体が少ないとされていて、とても希少だ。
純白を身に纏ったような綺麗な白き身体と、黄色に輝いた二枚の翼。宝石で言うならサファイアのように美しい瞳をしたーードラゴン、ファフニール。
『……あ、あの』
「にるちゃん! ここ周辺は家ないからぶっ飛ばしちゃっていいよ!」
『……分かりました』
高さ的にはおおよそ四、五メートルほどで、雪原の空に浮かぶ薄緑色の魔法陣から舞い降りてくる。ドラゴン種は上位の召喚獣であると分かっているからこそ、リシェントは益々シアの安否に不安を抱く。
契約している少女……ミエルと呼ばれていたが、彼女は一体何者なのだろうか?
ファフニールと呼ばれたドラゴンにつけている謎のネーミングセンスへのツッコミは無しにしておいて、未だシアの表情は変わる事はない。
「俺に恨みがあるか何かは知らないけど……これ以上は容赦出来ないよ」
酷く冷え切った声色で、後ろから見守っているリシェントすら感じる威圧感。ファフニールすら躊躇いを見せているが、命令である以上は戦わなければならない。それが召喚獣なる生物の性だ。
二枚の両翼から発生する竜巻は地面の雪をも巻き上げる。向かってくる速度は自然に発生する竜巻の比ではないく、風魔法に光魔法を複合しているのかその速度は弾丸の如く鋭い。並の人間では避けられないだろう。
そう、並の人間であれば。
「相手が悪い」
だが、シアは避けた。避けられた。
汗一つも滲ませずに、淡々と。
気づけば空中に飛ぶファフニールの背に乗っている様に、一同は後を追うよう視線を移す。しかし、幾ら視線で追おうとも無駄な事だ。
まずは右脚でひと蹴り。魔力を身体の一部に強化すれば生身だろうが威力は桁違となる。空中から雪の地面へと一気に叩きつけられたファフニールが横倒れる。地震のように雪の地面が大きく揺れて、ファフニールが一撃で叩きつけられた様はミエルの心を動揺へと誘う扉となった。左手に魔力を弾丸として発砲する魔弾銃を構え、数弾の発砲。だか、これさえも当たる事は叶わない。
気づけばミエルの目の前にシアは立ち、左手に持つ魔弾銃を剣で空高く弾き飛ばす。更に少女の右手首を剣を持たぬ左手で引ったくって、身動きを封じた。
強すぎる。
速すぎる。
青年は魔導士なのだから、移動魔法でない事くらい見分はつく。単純なる魔力……否、魔力と呼んでいいか分からない力による速さだ。あり得ない。本当にそんな事が出来る人物は……と顔が強張るほどの驚きを感じていた青年は、やっと自分達が何かおかしいことに気がつく。
「……お前、もしかしてレフィシア?」
「そうだよ」
「………」
やってしまった。
青年は深い反省と共に頭を抱え込み始めた。自分達が如何に恥ずかしい勘違いをしていたのを思い知ったからである。青年の様子から敵意を感じられなくなったと判断したシアは、剣を鞘にしまう。魔弾銃もミエルに返還して「奪ってごめんね」と一言謝ってから、シアはリシェントの元へ小刻みに足を運ぶ。
「あれっ? どうしたのー?」
『よかった……気付いてくれて助かりました』
「おいファフニール! お前知ってたのか!? 知ってたんだな!? 言えよ!!」
『すみません。命令重視ですので。私はもう帰ってもよろしいのですか?』
「なんか、だいじょぶみたい? だからおっけー! ありがと! にるちゃーん!」
姿を消したファフニールを呆れた様子で見送ってから、青年は深い溜め息をゆっくりと吐いた。