屍
君はどこにいるの?
君はどうして会いに来てくれないの?
君はどうしているの?
君は約束を忘れてしまったの?
君はどんな顔をしているの? どんな顔をしていたの?
君はどんな名前をしていたの? どう呼ばれているの?
君はだれなの?
君は、私の何なの?
どうして私は君を待っているの?
返ってきた、恐ろしい問いに、私は耳を捨ててしまいたくなった。
もういくら塞いでも駄目だから、これだったら、耳なんていらない。
古傷のように私に残った君の声を、私が苦しんでいた証として保存しておくためにも、余計な音は消し去ってしまった。
耳だけが、私の中で私を邪魔していた。
だけど信じたい気持ちが未だにあるのも本当だ。
君の声をまだ聴きたいんだ。君の声をまた聴きたいんだ。
何度だって、桜の頃が訪れる度に、私は君を待っている。
待っている。待っているよ。
この声の記憶だけを頼りに私は待っている。
時が過ぎて、すっかり君が私の知っている君でなくなったとしても、私が君を知っていることをなくしてしまったとしても、この手掛かりだけは守るから。
約束と一緒に守って居るから。
「桜の頃にきっと会おうね。二人きりで会おうね」
別れの約束をぎゅっと抱き締めた。
あのとき、君はどんな表情で私を見ていたのだろうか。
どうして見なかったのかという想いと、見なくてよかったという想いが交差していた。どちらがどちらかわからなくなるほど、染まり合って混合し始めていた。
空になっていた酒瓶を胸に抱いて、私は瞼を閉じる。
そこでは桜が満開になっていた。
「一緒に酒を酌み交わそうか。若いくせして、おまえは酒の味のわかる人だから、何に怯えることもない世界で、おまえと酒が飲みたかったんだ」
「思っているほど、私ももう若くないのよ」
「そうかい? こりゃ変だな、いつしかおまえは年上になっていたのか」
「来るのがあんまりに遅いから。そんなことより、ほら見てよ、とっておきのを買っておいたんだから」
私のとっておきと釣り合うくらいの酒、君も用意してくれていなくちゃ許さない。
これだけ待たせたということは、それだけハードルを上げたということなんだから、容赦なく期待しようか。
咲いているはずのない桜の花の下。
いるはずのない君の隣。
「花見でもしようよ」
私は呟くの。
それに、いつか、私の約束は更に曖昧になってしまっていた。
桜の咲く頃にまた会おう。花見をして、一緒に酒を酌み交わそう。
だったら、花が咲いていさえすれば、どこにでも君は表れてくれるような気がした。
こんな君の罪の上で待たなくても、君は来てくれるような気がした。
もしかしたら、ここに罪が眠っているから、君は訪れられないのかもしれない。
だれにも内緒の、警察にまで隠した重い君の罪。
私は知っている、知っていることさえ罪となる重い罪の上で、丸くなって私は眠るの。
もう私も怖くない。
だから、怖がらなくていいんだよって、そう伝えたい。
花咲く場所で私はいつも君を待っているの。
違えるはずのない約束を抱えて、私はいつも君を待って、凍えてしまいそうなのを耐えているの。
あと何年だって待つつもりで、待っているの。
待たせたことを、怒らないとは言わないけれど、今となっては怒りなんてほとんど残っていなかった。
会いたい。安心したい。
君に会えるだけで、全てが救われて、全てが報われるような気がした。