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三月の終わりから四月の初めは、私が仕事を休むことが、当然のことのようになっていた。
最初からそうしておいてくれたかのように、「いつものね」と、すんなりと休みを入れてくれるようになっていた。
その頃になると、どうしたって君のことを思い出して、切なくなるのだとばかり思っていた。
あんまりに桜が綺麗だから、苦しくなるのだと思っていた。
二月五日、私の誕生日。
今までこんな気持ちになることはなかったのに、今年はなんだか、桜の頃が本当に、心から待ち遠しく思えるの。
今度こそ、約束が果たされることの予兆であるかのように思えた。
それで、何を思ったのか、私はワイングラスを購入していた。
自分の誕生日に買っているのだから、自分への誕生日プレゼントみたいになってしまっているけれど、君に酒を注いであげるつもりで。
桜の木の下、日本らしい花見の酒宴で、ワインというのはいい。
ワイングラスで日本酒というのもまたいい。
花はまだとても咲いていないのに、私の気持ちは止まらない。
梅の花のピンクにさえ、気分が高揚してしまうのだった。
何かを焦っているのだろうか。記憶が薄らぐことを何より恐れているのだと、私が感じているタイムリミットの正体はそれであると、気付かないではなかった。
突然に春を待てなくなるとも限らないけれど、平均寿命まで生きられるとしたら、あと何度も私は春を持っている。
それなのに焦っている理由には、耳が塞がれていた。
忘れるはずないから。大切だから。
すっかり、一瞬で、全て忘れてしまえたなら、それは楽なことだろう。
思い出せなくなるのが恐ろしかった。
引っ掛かってしまうのが嫌だった。
春の訪れまであと何日か、カレンダーを見て笑えた。
「そういや立春よね」
一人暮らしの寒い部屋の中では、乾燥した季節では、乾いた笑いも、そんな言葉さえ、部屋の中から消えてくれなかった。
だれかの声が聞こえてきた方が、そりゃ怖いだろうけれど、沈黙が辛かった。
慣れた一人暮らし。なのに、静かさが私を責めるの。
冬だ。ああ、こんなものは冬だ。
もうすぐ春、春になれば、君に会える。
立春は昨日だ、もう春だなんて、歪んだ正しさをカレンダーは訴える。
約束は、桜の頃に二人きりで会おうというものだ。
桜の頃と言ったら、桜の花が咲く頃だろうが、「桜の頃」とは春を言い表していたことであったかのように思えた。
今こそが桜の頃なのかもしれない。