回想『Crocell Ⅳ』
時計の針は巻き戻る。
それは彼の記憶、或いは……彼女の記憶。
「神を殺す……?」
「そうだ、僕は神を殺そうと思う」
魔族の少女が魔王の側近となって暫くが経った、ある日の事。
突如、少女に対して魔王がそんな話を始めた。
それは少女にとって意外な事であった、人の命を尊ぶ、心優しい主人が、突然神の命を奪うなどと言い出したからだ。
「その為には教国に攻め込む必要がある」
「魔王様……どうして……」
「あぁ、悪いね、君を傷付けてしまったか……でもこれは必要な犠牲なんだ、神は討たねばならない、居てはいけない存在なんだ」
「魔王様がそう言うのなら……私は従います」
「あはは、魔王である僕が誰かの存在を否定するなんて滑稽な話だよね、一番居てはいけない存在なのは僕なのに……」
魔王は笑いながら、肩を落として自嘲するようにそう呟いた。
そんな魔王に、少女は詰め寄ると、大きく首を振って言葉を続ける。
「そんな事無いです……魔王様は此処に居て良いんです、他の誰かが、誰もが貴方を否定したとしても、私は……私だけは……貴方を肯定していたい!」
そうはっきりと断言する少女に、魔王はただ笑って応えた。
「そうか……ありがとう、君がそう言ってくれるだけで僕は勇気付けられる、嬉しいよ」
「それで……神を討たねばならない理由は……教えて貰えないんですか?」
「……ごめん、これは残酷過ぎる真実なんだ、君には知って欲しくない」
「なら魔王様はどうしてそれを知ったんですか……?」
「ごめん、それも言えないんだ」
「そう……ですか……」
「こればっかりは無理に付いて来る必要はない、君は魔王城で待っていてくれても構わない、これは僕の問題だから……出来れば君を巻き込みたくはない」
「それでも、私は貴方の側近です、嫌だと言われても……付いて行きます」
「うん、分かった、なら一緒に行こう」
「……」
少女は魔王の言葉に、黙って頷いた。
そして魔王は少女と魔物を引き連れ、教国へと進軍。
しかし、神の加護の影響で、魔王が神の元へ辿り着く事は出来なかった。
「失敗した!失敗した失敗した失敗した!!!」
魔王城に戻った魔王は、全身に傷を負った姿で、玉座に腰掛けたまま頭を抱えていた。
「僕が……僕が魔王になんてなっていなければ、この世界の負の連鎖を……彼女を……止める事が出来ただろうに……」
「魔王様……」
「すまない、君を巻き込んでしまった上に……こんな醜態を晒して、悔やんでも悔やみきれないよ……」
魔王は悔しげにそう告げると、己の膝を強く叩く。
少女はそんな魔王の膝下へと近付くと、その手を握り、優しい声色で告げた。
「良いんです、魔王様……魔王様は最善を尽くした、王だからと言って常に完璧じゃなくても良いんです、私も魔王様も元は人間、完璧になんてなれないんですから……」
「ありがとう……君には助けられてばかりだ」
「私も、魔王様には勇気付けられてばかりですから」
「君に励まされたからには、僕も長々と落ち込んではいられないね、君の言う通り、気持ちを切り替えよう」
魔王は少女の頭を撫でると、そのままゆっくりと立ち上がった。
「僕は僕に出来ることをするとしよう……少し王国まで出掛ける」
「私もお供します」
「いや、君は研究を完成させてくれ、これは予感だが……どうやら僕達には時間がないようだ」
「魔王様……最近隠し事が多くないですか?」
じとっとした瞳で魔王の事を見つめながら、少女は拗ねたような声色でそう問い詰める。
そんな少女の様子を見て、魔王は困ったように笑いながら……その頭を撫で、言葉を続ける。
「君の為……なんて言い訳にしかならないか、ごめんね、すまないとは思ってるんだ」
「私の分析の才能を以てしても、何故か魔王様の心は読めません……一体何を考えてるのか、何を思ってるのか……」
「僕の意思の能力……いや、君の研究に倣って言うならば、意思の才能と言うべきか、これは万能なんだ、意志の力、それは不可能を可能にする力がある」
「魔王様が己の心を秘め隠す意思を抱けば……隠蔽の才能と同様の効果を得られる……と」
「まぁ、才能指数最大の才能の実力って奴かな、それに……余り人の心を覗く物では無いよ」
「ごめんなさい……」
「うん、では行ってくる、留守は任せたよ」
「分かりました、行ってらっしゃいませ、魔王様」
そして、魔王が出掛けた後に、少女は再び停滞していた才能の研究へと漕ぎ出した。
「あと少し……あと少しで……全てが分かる」
少女の研究の報告書、以下はその一部抜粋である。
魔王の持つ意思の才能。その才能指数、数値化不能。
数値化不能な才能は二種類存在する。
その内、数値が大きすぎる物を才能指数10、異能と定義する。
その内、数値が小さすぎる物を才能指数0、無能と定義する。
無能と異能を行使する際には見えざる力が働く、これを以後"神の力"と定義する。
無能と異能には何らかの関係があると推測される。
これにより研究は最終段階に移行、神の力の解明に……
――しかし、その先が綴られる事は無く。これを最後に少女の研究は幕を閉じた。
そして、時計の針は急速に進む。
そして場面はあの日、あの場所へ。
「まぁ当然か、君達も手ぶらで帰る訳にはいかないんだよね……それなら僕は……」
魔王は四人の勇者にその刃を向けられたまま、少女を抱き上げ、優しく囁く。
「君は戦わなくて良い、断罪されるのは僕だけで十分だ」
「嫌です!魔王様……私は戦います!」
「……いや、僕は此処までだ。僕が生きるというのは、彼らを殺すという事だ、それに……彼らを退けたとしても……勇者が居る限り、いや違うな……魔王である僕が居る限り、この戦いは終わらない」
「嫌です……それでも私は……魔王様に死んで欲しく無い!」
「――それは僕もだよ」
「えっ……」
「僕が君を側に置いた理由、それは……君を守りたかったからだ」
「違います!私が!側近である私が魔王様を守るべきであって……」
「あはは……上手く伝わってないか、違うよ、要するにね」
こんな時でありながら、魔王は笑った。
いつものように優しく、少し困ったように。
そして……少女に向けて優しく言葉を紡ぐ。
「――僕は君の事が……好きなんだ」
「魔王……様……?」
「僕は君を守りたかった。君を守るたった一人の騎士でありたかった。最後まで……君の側に居たかった。でもそれは魔王である僕には叶わないらしい」
魔王は一瞬顔を上げ、勇者達を一瞥する。
「これから僕は、君を過酷な運命に巻き込む事になる、それは許されない僕の罪だ、君を守るとか言いながら……君に辛い思いをさせるなんて、馬鹿馬鹿しい話だよね」
「何をする気……なんですか?」
「高い所は苦手かい?」
「こんな時に何を!別に……大丈夫ですけど……」
「そうか、それは良かった」
最後に再び優しく笑うと、魔王は少女を抱き寄せ、口吻を交わした。
「……!?」
「っ……ごめん、嫌だったかな」
「嫌じゃないです……けど……この感じ……まさか!?」
「うん、君に魔王の力を継承した」
「待って下さい!そんな事したら魔王様は……」
「これから君は魔王城から離れて身を隠すんだ、良いね?」
「待って……」
そんな少女の言葉は遮られる。魔王に強い力で突き飛ばされ、その身体は宙を舞う。
「――愛している、ルツ」
「魔王様!」
少女に耳に、何かが砕け散る音が届く。
視界がキラキラと輝く、少女の目に映った魔王の最後の姿は満足げで、でも少しだけ悲しそうな顔を浮かべていた。
永遠に続くかと思われたその瞬間は、残酷にも速やかに終わりを告げる。
少女の身体を包んでいた浮遊感は直ぐに落下の感覚へと変わり、視界に映る光景は目まぐるしく変わっていく。
「っ……魔術回路……」
詠唱を試みるが、今から魔力を練り上げていては間に合わないと悟る。初の試みだが、やってみるしかない。
「……(緩衝水球)!」
無詠唱魔術。この身体が地面に叩き付けられるまであとどれくらいだろう。
身体から魔力が消え失せる感覚。構わない、幾らでも持っていけと少女は自棄になりながら思う。
そして少女の試みは、成功する。
「ごぼっ……」
衝撃を受け止める水の塊が少女の身体を優しく受け止めた。
「魔王の力が返還される事は無い……という事は、無事なようだね」
魔王は急激に身体から熱が失せていく感覚に襲われていた。寒い、酷く寒い。まるで死んでいるかのようだ……
「いや、この考えもあながち間違いじゃないな、僕はもう死ぬのか……」
力が抜けていく。立っているのも辛い。気を抜くと身体がバラバラになりそうだ。
「何をしている!?な……仲間を殺すなど」
「僕は悪逆非道な魔王……なんだよね、こんな酷い事が出来る魔王を、君達は放っておけない、そうだろう?」
「その通りだ!覚悟しろ!魔王!」
「そう……だね……出来れば早く済ませてくれ」
かろうじて生きている耳に勇者の声が届く。その姿はもう……魔王の目には見えなかった。
それから間も無くして、身体に何かが走る感覚を覚えた。痛みは感じない。ただ己の死、その事実だけを自覚した。
「ふははー……やーらーれーたー……なんてね、君達の……勝利だ……今此処で……魔王は……死ぬ」
視界が落下する。魔王の身体は地面へと崩れ落ちた。
そんな瞬間でありながらも、自身を破った勇者の事など、魔王の思考にはなかった。代わりに……
「(僕の意思の全てを彼女に割く、僕が死んでも……僕の意思だけは生き続ける、大丈夫、僕なら出来る、彼女を……ルツを守るんだ)」
その存在が死に絶え、完全に消滅するまで、彼はただその事だけを独り思った。
一人を、想い続けた。




