タルフの村
「宿屋は……あれか」
タルフと書かれた看板が置かれた門を潜ると、そこには日が落ちかけた閑静な街が広がっていた。
不思議なことにどうやら俺はこの世界の文字も読めるようだ。この世界の神というのは、中々に気の利いた神様らしい。
「ところでご主人、通貨は持っているのか?」
「当然。無いぞ」
「偉そうに言われても困るのだが…」
「まぁダメが元々でもやるだけやってみるから見てろって。
あと……前回は助かったが、余り脅しはするなよ?」
「常に力で解決しようとする悪い癖は直さねばならないとは思っているが、中々難しい物でな」
俺にも同じ癖はあるから余り人のことは言えないのだが。
「それで思い出したが、魔杖クロセルってそこまで危険な存在として認知されてるのか?事の場合によっては今後の活動に支障が出る可能性もあるから、一応聞いておきたいんだが」
「ふふっ……良くぞ聞いてくれた。我は魔王フォーカスの持つ魔杖にして、第49代魔王クロセル、才能のシステムを読み解き才能指数の概念を確立させた大英雄にして大悪魔だ。どうだ?凄いだろ!何しろ子供向けの逸話にさえ出てくるほどの有名人だ、知らなかったのはお前ぐらいだな」
「そうかそうか、よーくわかった。ではお前は今日からクロと名乗れ。クロセルの名を出すのは俺と二人っきりの時だけ。命令だ、良いな?」
「何故だ!?我の偉大な名前を省略するなど、ご主人と言えど何たる侮辱……」
「能ある鷹は爪を隠す。偉人たるもの、日頃は真名を隠し、本当に必要な時だけ名乗るのが格好良いと思わないか?」
「言われてみれば……それもそうだな」
様子を窺おうとちらりとクロセルに視線を向ける。どうやら完全に言い包めた訳ではないようで、まだ不満そうな顔をしているが、仕方ないとばかりに大きな溜息を吐きながらも頷いて命令を肯定する。忠実で良いことだ。
そのまま二人で日暮れを背に街路を歩き、遠目に目星を付けていた宿屋の戸を叩きそのまま中へと足を踏み入れる。
「いらっしゃい。夕食と朝食付きで一晩銀貨10枚だよ」
中に入ると、直ぐに人の良さそうなおじさんが声を掛けてくる。
辺りを見渡すが、他に従業員らしき人は見当たらない。
早計かもしれないが、ひとまずこのおじさんが宿屋の亭主であると見て良いだろう。
「悪いが今持ち合わせが無いんだ、泊まらせて貰う代わりに、何か俺に手伝えることは無いだろうか。どんな仕事でも並にはこなせると思う」
「うーんそうか、一文無しの旅人だったか……どうするかねぇ……」
お願いします、と言いながら深く頭を下げる。人の良さを利用するようで胸が痛むが、誠実な態度を示せば応えてくれると信じよう。
勿論、只で泊まらせてもらおうと思ってたわけじゃない。対価として身体、労働を提供することで最低限の衣食住、そしてあわよくば職も確保しようという魂胆だ。
恐らく……実際はそう上手くいかないのだろうが、これが俺なりに頭を捻って出した最適解だ。
「なら、お前さんらの才能を聞こう、それ次第じゃ働く代わりに泊めてやっても良い」
「……『傷害0』だ」
「……話にならんな、まともに自分の才能すら把握出来ない奴に仕事が任せられるとは思えん」
「別に嘘ではないんだがな」
「待て、亭主。我は『魔術9』の才能がある。恐らく思い付く限りのあらゆることが可能だ」
クロセルは大人しく引き下がろうとする俺を制止し、一歩前に出ると、淡々とそう言い放つ。才能指数9…最大がどれほどか分からないが、かなり高い部類なのだろう。
「おいおい……『魔術9』なんて持ってる人間が居るはずないだろう、王都の宮廷魔術師でさえ『魔術6』程度だってのに……」
前言撤回。彼女の才能指数は少し高いととかいう次元じゃない、世界規模の規格外だったようだ。
「毎度このような反応をされるのも面倒だな、見たければ見せてやろう……これが本当の"魔術"だ」
「派手なことはするなよ?」
「魔術全書第七十八章四十五節、召異魔術
魔術回路改竄……略式詠唱展開
――召異魔術……神竜召喚!」
慌ててそう警告するが、時既に遅し。
周囲に張り詰めた空気が漂い始め、窓の外から差し込む赤い光は途絶え、室内は暗闇に包まれる。
明らかにまずい雰囲気を感じるが、今更止めることも出来ない。俺は大きく溜息を吐きながら、思わず頭を抱えた。
「こ…これは…」
「窓の外を見ると良い、さぁ恐れ慄け!これこそが真の魔術だ!」
促されるままに窓の外を見てみる。
そして窓の外に映る光景に、俺は言葉を失い、思わず息を呑んだ。
それは遥か遠くの大空を、途方も無い大きさの黒き翼竜が羽ばたきながら浮かぶ姿であった。竜は遠方で静かに此方をじっと見ている。
「クロ……さっき俺の言ったことちゃんと理解したか?」
「勿論だ、我はクロであるのだろう?問題無い、ちゃんと把握している」
ダメだこの杖。知識はあれど、知能が足りない。
外が騒がしい、それもそうだろう。この街の何処にいようと、あの大きさの竜であれば嫌でも視界に入る。
あれほどの巨体が翼の羽ばたきだけで浮かんでいられるのは不思議だが、魔術のあるこの世界じゃなんでもありなのだろう。
「で……亭主さん、こいつの魔術が本物ってことは分かっただろ、こいつに出来そうな仕事があったら手伝わせて欲しいんだが……」
「わ……分かった、お前とお嬢さんに部屋を貸す代わりに仕事を手配するよ」
おじさんは震えた声でコクコクと頷きながら俺にそう告げる。
仕事を貰えるのが代わりとは一体。これじゃ対価どころか一方的な奉仕だ。
あぁ、また脅すような真似になってしまった。これじゃ何も生前と変わらない。
「あぁ、悪い……本当に悪い」
思わず頭を下げる。これは明らかに俺達が悪い、街から追い出されても文句は言えない所業だ。
隣で不思議そうな顔をするクロの頭に拳骨を飛ばすが、ばしーんと謎の力によって弾かれてしまった。
これが無才か、そう言えばだが猪の突進の時も拳が弾かれ身体が不自然に吹き飛んだ。それもこれが原因か。
「そうだ、もうすぐ夕飯が出来る。二人共食堂で待っていてくれ、仕事については見付かるまで部屋を貸すから気長に待って欲しい」
「何から何まですまないな
それと、クロはあの竜をなんとかしとけ、あのまま放置は出来ないだろ」
「確かに、あの規模の魔術となると魔力の消費も大きいし何より疲れる」
疲れるだけで済むのが恐ろしいんだよ、と心の中で呟き、芳しい香りを頼りに食堂へと向かう。
なんとか食と住は確保したが、余り手を叩いて喜べるやり口じゃないのが事実だ。
こんな調子で大丈夫なのだろうかと不安を抱きつつ、俺は食堂の席に付いた。