写生と拷問の狭間で
「こここちらが『断罪の拷問具亭』です」
魔界村入り口近くにその宿はあった。貴族の屋敷を酸で溶かしたかのような建物に血のように赤い花を咲かせたツタがからみついている。これを見て宿だと思う人間がどれだけいるだろう。悪魔の感性なのか。
「フィルトアーダくん、これが悪魔たちの常識的な宿屋なのかな?」
「えっ! 常識!? そそそそれって客観的にみて当たり前である知識や物事、価値観、つまり世界的に見て悪魔という存在とは対極に位置する概念のことですよね?」
「あー、すまない。たしかに悪魔に常識がどうとか聞く方が非常識だったか」
「いいいいえ、この宿屋の外観は非常識ですよ。だ、だってこわいですよぉ」
非常識なのかよ。さっきのやり取りは何の意味があったのか。フィルトアーダくん、半泣きじゃないか。
「とにかく中に入るのです」
「そうね、行きましょう」
半泣きで怯えるフィルトアーダくんを余所にアルマとブレアは扉を開いて中に入っていった。続いてメスブタとレイシャ、ユリーネも入っていく。
「ほら、俺たちも行こうぜ」
フィルトアーダくんを連れて中に入ると、受付が目に入った。カウンターがあり、花瓶が飾られている。花瓶というのもおかしいか。花瓶にさされていたのは花では無く猫の足だった。肉球が柔らかそうだ。本物か? だとしたらそこそこ怖いぞ。
ひた……ひた……ひた……。カウンターの奥、カーテンで隠された通路の奥から何者かが近付く足音が聞こえてくる。
「くく、く、くる。ラッキーキャットさんが……」
「ラッキーキャットさん?」
怯えるフィルトアーダくん。そんなに怖い奴が中にいるなら外までで良かったのに。
「いらっしゃい……にゃ!」
振り返るとそこにはおじさんがいた。角刈りで髪はさっぱりしているが、腹が出ている。肌は重力に抗えていない。服装も最悪だ、黄ばんでヨレヨレのランニングシャツとトランクス。
最悪なのがここからだ。まず、猫足のスリッパに、肉球がついた猫の手袋。控えめにいってキモい。名前と語尾もあわさって奇跡的にキモい。こいつはどぎつい悪魔だぜ。
「フィルトアーダくん、俺たちの紹介をお願い」
「あ、あああ、そうでした。あ、えっと、ラッキーキャットさん、この方々は人間で、その聖女が、おっぱいで、爆乳が、男には、その、百合、百合なので、かと思えばメスブタは焼肉なので、その、その悪魔王様が詐欺に」
「わかった……にゃ。聖女とその恋人をしばらく宿泊ということだな……にゃ。そちらの4名は一泊で良いかな……にゃ?」
すげえな、伝わっている。悪魔語か? というか別にむりに『にゃ』って言わなくていいのに。そうとう無理していっている感じがするぞ。
「はい、お願いします」
にちゃあという擬音が似合いそうな汚い笑顔でラッキーキャットさん(自称宿屋)は俺たちを部屋に案内してくれた。フィルトアーダくんとはここでお別れした。今夜もどこかの女とヨロシクやるのだろうか。どいつもこいつも元天使とは思えない。さすが悪魔だな。
◇ ◇ ◇
ラッキーキャットさんが用意してくれたご飯はふつうに美味しそうだった。柔らかそうなパンに、ワイン。ハムやサラダにローストチキン。随所にみかんがあしらわれているのが気になったぐらいで、全体的には非常に満足度が高い夕食だった。
「あらためて、本当にありがとうございました。みなさんがいなければ私はあのまま、あの教会の箱庭で暮らし続けたことでしょう」
「私からもお礼を言わせてください。本当に無理をいったと思います。にも関わらず、こんなにも迅速に要望を叶えていただき、ただただ感謝するばかりです。ありがとうございます」
レイシャとユリーネはそろって頭を下げた。
「お気になさらず。どちらにせよダンジョンには来る予定だったんです。何も知らずに来ていれば、もしかしたら悪魔たちと争いになっていたかもしれません。お二人に橋渡しをしていただけたおかげで、この先もスムーズに進めそうですよ」
事実だ。仮に発見した第一村人が好戦的な悪魔で、ぶち殺してしまった場合、悪魔王ベルゼブブが現れたかもしれない。そうなるとぶち殺されるのは俺たちだったかもしれない。ブレアの魔法陣で脱出も出来るかもしれないが、不測の事態すぎてどうなったかはわからない。
「本当ね。私たちからもお礼を言うべきだわ。ありがとう」
ブレアは少しだけ笑みを浮かべお礼を言った。たまに見れる微笑がたまらないな。
「ガチャが最高だったのです。Dコインを集めるのです!」
それは2人は関係ないかな。でもアルマらしい。
「肉うまいな!」
メスブタはブタだな。暴飲暴食バンザイ。
レイシャもユリーネも笑っていた。箱庭とは違う、抑圧されたなにかが吹き飛んだようなすがすがしい笑顔だった。
◇ ◇ ◇
深夜。俺はレイシャの部屋を訪ねた。報酬のためだ。夕食の時は、こちらこそお礼をとか言ったがそれとこれとは話が別だ。もらえる報酬をもらわねば俺は自分を許せない。後悔せず精一杯生きるのだ。
ノックして扉を開けると神妙な面持ちのレイシャとユリーネが座っていた。
「お待ちしておりました」
「報酬をいただきに参りました」
ユリーネの頬を汗が伝う。緊張しているのだろうか。
「それなんですが、一つ問題が…………」
ここに来てトラブルか。大丈夫、一つ一つクリアしていこう。きっと乗り越えられる。
「何でしょう?」
「道具がありません」
「たしかに」
あの脱出時に写生道具なんて持って来ているはずもない。どうしよう。変質者スキルで作れなくもないが……時間がかかるし、ラッキーキャットさんに相談してみるかな。なんか持っているかもしれない。
「ちょっと宿屋の主人に聞いてみます。お二人はお待ちください」
部屋を出て受付までいく。気配を探ると奥にいそうだ。ブレアたちの部屋には届かないよう慎重に声を届ける。
「すみませーん……」
声は届いたようで、奥から汚いおっさんが屁をこきながら現れた。客の前だぞ。自重しろ。
「こんな夜中になんですか……にゃ」
「すみません、絵を描きたいんですが、道具をお借りできませんか? 買取でも構いません」
「ほう……良い趣味をしている。ちょっと待ってろ…………にゃ」
そう言って数分後、ラッキーキャットさんは絵画道具を持って来てくれた。なかなか立派な道具に見える。
「とても高価にみえますが……」
「気にするな。死蔵されている品だ。好きに使ってくれ。貸してやるが……欲しけりゃやるよ」
ニヤッと笑い、語尾をつけ忘れたことに気がついたのか、あわてて「にゃ」と言っていた。罰ゲームみたいだな。
「ありがとうございます! 助かりました!」
「いいってことよ、にゃ。そいつはとっておきだから良い絵が描けるだろうよ」
不穏な空気を感じたものの、とにかく早く始めたく、お礼もそこそこにレイシャの部屋に戻った。
「では、始めましょう」
「……は、はい」
頬を染める元聖女レイシャ。そしてそれをにやにや見つめるユリーネ。歪んでいらっしゃる。
「脱いでもよろしいですか」
わざと聞いてみる。
「え、ええ。もちろんです」
「そうですよ。これはアートです。ニト様の肉体美をレイシャというフィルターを通して表現するのです」
脱ぐ。なるべくゆっくりと、意識させるように脱ぐ。アートだから。これも表現だから。大事なことだからもう一度言うけど、これはアートが目的で表現の一種だから。
「おお、これが……」
「あ……」
ユリーネは初めて、レイシャは2回目のようです。
「では、どうぞ」
俺だって恥ずかしい。でもしょうがないじゃないか。約束してしまったんだし。
待ちに待った写生のお時間。レイシャの目は真剣そのものだ。ドキドキする。あ、やべっ。
「すみません、ちょっと角度が変わってしまいました」
意図せず動いてしまった。
「いえ、その、構いません。見れて良かったです」
あ、そう。見れて良かったんだ。そんな風に言ってくれて、なんというか奇特な人だな。さすが元聖女。
そして、ついにレイシャが一筆目を紙に走らせた。ガリガリとおかしな音を立てて。
「いてっ!」
「えっ、どうしました?」
「いや……なんか今すごく痛みが。大丈夫です。続けて」
「はい、では……」
がりがりごりごり。
「いてててて」
なんだ? 誰かの攻撃か? マナフィールドを広げて探る──絵画道具だ。魔道具だな。不自然にマナが収束し、魔法語で指示が記録されている。本質を読み取っていく──描く……対象……痛み──え、そういうこと。
なるほど、さすが『断罪の拷問具亭』、主人が持っているのは拷問具ということか。これは描いた対象に苦痛を与える魔道具なのだ。描けば描くほど『描かれた対象部分』に激痛が走り、対象者は苦悶に歪んだ表情を浮かべる。その表情を絵に収める非常に悪趣味な拷問具というわけだ。貴族が好みそうな優雅な拷問だな。
「──そんな魔道具のようですね。まあ、大した痛みではないですし続けましょう」
本当はめちゃくちゃ痛いけど、違う道具を探したりしている時間が惜しい。チャンスはこの一晩しかないのだ。
「だ、大丈夫なのですか?」
「大丈夫です。さあ、早く」
がりがりがりがり。なんで絵を描くのにそんな音がするんだよっ!
「いたたたたたた。このへたくそっ!」
「す、すみません……もっと、もっと上手にできるように頑張りますからっ!」
懇願するように上目遣いで見つめられては何も言えない。
まあ、ここまででわかったこともある。
「分かったことがあります。絵を描くときの強さが痛みの強さに繋がるようです。優しいタッチで、大事な宝物を撫でるように描いてください」
「はいっ! わかりました!」
そして再開する……おっ少し上達したようだ。
「その調子です。頑張ってください」
額に大粒の汗を浮かべ、真剣に描き続けるレイシャ。えらい。
「できました!」
ついに……長かった。
「見せてくだ…………なにそれ?」
正直、ここまで痛い思いをさせておいてこれ? という気持ちでいっぱいだった。下手くそにもほどがあるだろ。通りで筆を走らせるだけでなにかが削れるような異様な音が鳴り響くと思ったわ。
「下手くそだけど、下手くそだけど頑張りますから!」
レイシャは2回戦をご所望のようだった。まじかよ。だがここまで言われて引いては男が廃る。
「わかりましたよ。では続けましょう」
何がここまで彼女を突き動かすのか。満面の笑みで立ち上がり、頭を下げるレイシャ。
「ありがとうございます!」
がりがり、しゅっしゅっ、ごりごり、ぎゅっぎゅ。
ぐぐぐ……そんな音させて書いたら絵がかわいそう。つーか、俺もすごく痛い。
「レイシャ、私が手伝おう」
見かねたユリーネは、背後から抱きしめるようにレイシャの手を握り、動かしていく。2人の共同作業だ。
どうなんだろ。それで絵が上手になる? 普通に考えて邪魔じゃない?
「ダメ、うまくかけない。やっぱり直視できない」
え、今までちゃんと見ずにやってたのかよ。俺の痛みはいったい。
「しっかり見るんだレイシャ。どんな事にも目を逸らさないって決めたじゃないか!」
何の話だよって思うけど、なんかいいな。こういうの。
真剣な2人に当てられて俺も真剣にポーズを決める。部屋に熱気がこもっていく。
「レイシャ、汗だくだな。少し服を脱ごう」
「うん…………」
描くことに集中していてレイシャは自分が上着を脱がされていることに意識が向いていない。ユリーネも脱いでいく。
これがサービスタイムか。痛みに耐え続けたからな。この光景が報酬ってこと? 果たして痛みに見合っているのだろうか。
続く写生。必死に書いている。なんでこんな必死なんだ。真剣すぎだろ。痛い、痛いです。でも今更引けない。
「かんばれ、レイシャ。うまく出来てきたぞ」
「うん、もう少し」
もう少しなのか。希望が見えてきた。
いつのまにか、その音は滑らかにシュッシュッと音を立てていた。上達したじゃないか。
もう痛みはほとんどないぞ。痛みをかんじられなくなったのか、レイシャが上手になったのかは分からない。なんか青黒くなってしまっているが治るだろう。たぶん。
励まし合う2人。気付けばめっちゃ薄着だ。二人ともほぼ下着だ。やって良かった。
「完成しました!」
覗き込むと、やはり下手くそだった。だが……
「うん、味があっていい絵だ」
上手にかけたとは言わないが気持ちがよくこもっている。良い絵だ。
「ありがとうございます。あの、逆に報酬がこんな形になってしまって申し訳ないです……よければ何か一つ、おっしゃってください」
まじで。いいの? じゃあ…………いや、今回は直接的なのはなしだ。レイシャとユリーネ、2人のスパイスに徹するのだ。
「だったら、今のお二人を記録に残させてください。穴の女神のフィギュアを見て思ってたんです。こういうのいいなって」
「え! フィギュアを作ってくださるということですか?」
抱き枕で練習したからな。今なら2人とも目の前にいるし、小さいものならスピーディに作れるだろう。だが、ちょっとぐらいは贅沢させてもらおう。
「はい、だけど……うーん、もう少し薄着になれませんか。なんかこう、情熱を伝えるためには、やはりそれなりの肉体の質感というものが重要になってくるのだと思うんです」
適当に言って見たがどうだ?
「脱ごう」
ユリーネ男らしいな。まじでかっこいい。俺が女の子だったら惚れてたかもしれない。て、それはおかしいか。男だったら惚れてたかもしれな……違う違う。どっちにしろ惚れるほどの『美』があるということだ。
そして2人はくっついてポーズをとる。可愛らしい。
際どく重点箇所をお互いにフォローしあう、2人の阿吽の呼吸が見て取れる良いポーズだ。
冷静に考えると、際どい格好の女性を直接見るのは初めてだな。ブレアの時は朦朧としていたし。
いや、これは報酬ではあるが、アートなのだ。芸術だ。ひとりの美の探求者として最高の一品を残すのだ。
薄着の美女をフィギュアにする裸のおれ。いや、服を着ても良かったのだが暑かったからだ。大体あれだよ、芸術家って裸で絵とか描くじゃん。そういうことだ。
変質をつづけ、少しずつフィギュアを作っていく。レイシャの写生にかかった時間と同じぐらいの時間が過ぎようとしていた。もうすぐ朝が来てしまう。間に合うか。
というギリギリのところで完成した。
完結した世界がそこにはあった。ユリーネ、レイシャ、みかん。最高の美女2人が絡み合う最高傑作。際どすぎるところは俺の頭の中にだけ記録して、フィギュア的にはみかんを設置した。村の人は皆みかん脳だから、これで見つかっても『ああ、みかんのフィギュアね』みたいな感じになるだろう。
「わあ、すごい!」
「すてきだ……これは2人の一生の宝物だな」
満足そうな美女たちを見つめ、おれは服を着る。
いい男は余計なことは言わないものだ。ただ去るのみ。これが俺という2人のスパイスの在り方だ。
そして、そのままイチャイチャし始めた二人を背に、痛む股間を抑えて部屋を出るのだった。