さり気ない男とトイレの女たち
「──フォースリザレクション」
ブレアは魔法語で詠唱し、魔法を発動した。
淡いピンクのいかがわしい空間に直径1メートルほどの黒球が浮かぶ。ちょうど螺旋階段の中央部辺りだ。
アルマの結界に阻まれていた虫たちの何匹かは黒球に興味を示し飛んで行く。そして、黒球に吸い込まれて出てくることはなかった。
虫を吸い込みながらそれは徐々に大きくなる。
見えない何かに惹かれるように虫たちは次々に黒球へと飛んで行く。数十匹は吸い込んだだろうか。3メートルほどに達した時、黒球の膨張がとまった。
耳鳴りのような音が響く。黒球から聞こえるのか、虫たちの鳴き声なのか。
虫たちの羽音がうるさい。ざわざわと無秩序に逃げ惑うように飛び回る。そして、いつのまにか虫たちは、黒球から伸びる何かに引き摺られているかのように吸い込まれていった。
俺は呆気にとられていた。
牢獄内で物理的な収束魔法を見せてもらったことがあったが、あの時とは規模が違う。そして、実際に生物を巻き込むところを初めてみた。
ここまで圧倒的なものだとは思わなかった。一匹一匹が災害レベルとも言えるマナ総量20万の虫、数百の群れが成すすべなく黒球に凝縮されていったのだ。
「ニト」
「あ、ああ」
ブレアの声でハッとして手すりソードを投げ込む。結界にまとわりついていた虫たちはもういない。
黒球は収束していく。小さく、小さく、一点に。そして消えた。少なくとも俺の目からは、だ。マナ視が可能なブレアには見えているのかもしれない。
「さすがにちょっと汗をかいたわね……。結構な数がいたからあの一点に数千万のマナが収束しているわ。分散したマナの収束によって増えた分もあるし」
「数千万……」
ここで神が生まれたりしないだろうか……。それだけのマナ量だ。ピンクのいかがわしい雰囲気とブレアの芳醇な汗も相まって、性的興奮を微かにくすぐる小悪魔な女神が生まれそうだ。グイグイこないで後押しするぐらいのささやかなエロスが特徴だ。妄想の向こうでお会いしたい。
「これが人間の軍だったら、恐怖や戸惑いなどの分散した感情から強制的に収束することによってさらにマナ総量は増えるのだけど。今回はやらなかったけどアレの核に金属を入れると魔法金属になるわ」
なるほどね。こりゃあ大地母神もストップかけますわ。ゴッドストップですわ。禁忌待った無し。レッツゴー無限牢獄。俺はとんでもない化け物を解き放ってしまったのか。
200年前に三万の軍を収束させた時はどうなったのだろうか。マナ総量が数千ぐらいの人間が三万人で、感情的な分散からの収束も加味して億に達したのではなかろうか。
そういえばあの『ヴェロアナ戦役』の跡地は当初は荒野だったにもかかわらず、200年経った今では巨大な樹海が出来上がっていたりする。精霊も活発だと聞くし、この魔法のせいなのか。
伝説級の魔法金属を量産できたり、精霊が活性化する土地を作ったり、下手したら神が生まれるほどのマナを収束させたり。
無限牢獄に置いておけば立派な女神になっただろう。
「素晴らしいのです! ブレアちゃんだけの魔法とは思えない威力なのです!」
ああ、たしかにアルマの言う通りだ。魔法はマナ記憶に刻まれているほど強くなる。たくさんの人が使う方がマナに強く記憶されているので、イメージが稚拙でも強い効果を発揮できるのだ。使う人が少ないほど術者の力量に左右される。
つまり『あ、この魔法ねー。マナ覚えてるよぉ! こうして欲しいんでしょ? でしょでしょ?』みたいな感じだ。
これが世界で初めての魔法だと、『えっとちょっと何言ってるかわからないです』となる。
さすがのマナちゃんも真顔になるのだ。
『ニトお兄ちゃんの話なら初めてでも大歓迎だよ!』
ははっ。ありがとうな、マナ。…………変な癖ついたな。
◇ ◇ ◇
虫はしばらく寄ってこなかった。意外に勘がいいのか。俺たちとの力量差を悟ったのかもしれない。
と、思っていたら一匹きた。メスブタが体を強張らせる。
「メスブタ、とりあえず一匹やってみよう。いつも通りに殴ればいい。アルマ、二匹目がくるようならすぐに結界だ。準備よろしく」
あらかじめ用意していた手すりシールドを構えながら二人に指示を出す。これで今回もブレアのお世話になるようなら再検討が必要だ。
虫がメスブタの間合いに入った、その瞬間。
あれ。
「消えた?」
「消えたのです」
「消えたわね」
「消したっ!」
「え、消したの? どうやって?」
「こう、腕を広げる感じでぐわっと」
何言ってるか分からん。分からんがメスブタの仕業なのだろう。…………消せるのか?
「消せるなんてすごいのです。これでイケそうなのです。さすがメテオちゃんなのです。洗練されているのです」
まるでさっき愚直に斬っていた俺が洗練されていないかのような…………いや、悪意はないのだろう。余計なことは考えないようにしよう。
「スキル効果を広げてパンチしたってことでいいのか?」
「っ!? わからんっ!」
だよな。まあ、虫が嫌すぎてスキルの効果を拳から拡大して虫の肉片を一片たりとも残さぬように抹殺したのだろう。
思いがけずメスブタがパワーアップしてしまった。
「ま、いいか。とにかくメスブタお疲れ様。ありがとう。おかげで無事に進めそうだ。てことで進むか」
その後も虫がたまに出たがメスブタが進化した謎の技で一匹一匹を丁寧に仕留めていった。
そして一つ目の壁に到達した。60階だ。
それは螺旋階段を塞ぐ巨大な扉だった。階段中央部にある穴は塞がれている。この扉を開ける以外に抜け道はなさそうだ。
なんと言うか最早、ここは非常階段ではない。何度もそう思っていたが眼前の扉を見て確信した。一本道ダンジョンだ。一本道だなんてそんなのダンジョンじゃないって言う人もいるかもしれないが、本来的な意味の『監獄』や『地下室』にとてもマッチする。
もうすぐ人間界だと思ったけどまだまだだ。そういえば昔、学校の先生によく言われたな。『家に帰るまでが脱獄です』いや、言われてないか。ともかく気を引き締めよう。
「ブレア、頼む」
「開いたわ」
「はやっ」
「入り口と構造同じだったからよ。ザルね」
まあ世界で最も古い扉の一つだもんな。セキュリティ意識とか古すぎて時代遅れなのかな?
「じゃあ、開けるけど異論ある人」
三人の美少女戦士がふるふると首を振る。シンクロしてて可愛いな。目に焼き付けておこう。
扉は音も立てずに開いた。古いからギィィとか言ったり、錆びついて開かなかったりとかするかと思ったけど、さっき出来たばかりであるかのような見事な仕上がりだった。
さすが神界産は違う。持って帰って売りさばきたいぐらいだ。『神界産のドアだよー! 安いよー』ってね。そして誰も信じなくて可哀想な目で見られるのだ。神父さまに『ニト君、詐欺とは情けない。ちゃんと定職に就きなさい』と言われるのだろう。切ない。
「広いな」
ドアの中は少し広い部屋だった。奥にはさらに扉が見える。おそらく向こうの階段に続くのだろう。
「あっ! トイレがあるっ!」
──なんだとっ!?
メスブタの声にあわてて振り返るとそこにはトイレがあった。メスブタがドアを開けており、奥には個室が並んでいる。個室の中には便器だ。
「メテオ、不用意に開けちゃダメよ」
「ああっ! そうだなっ! すまんっ!」
「そうなのです。気をつけるのです。でもトイレを発見したのは素晴らしいのです」
「えっ!? そうか? そうだなっ! ちょうど行きたくなってたし!」
──なんだとっ!?
「じゃあ、あたしはトイレ行くっ! あ、みんなもいくかっ!? トイレ行く人ーっ!?」
「いくいくーなのです」
女子って連れション好きだよな。まあ、でも出来ることなら一人ずつ行って欲しい。だって集中できないし。
いまこの瞬間にブレアがトイレにいるんだな、とかメスブタが、とかアルマが、とか考えるのには一人一人が望ましい。
しかし、危険を考えると分散するのは良くないな。
「まて、二人で入るのは危ない。何があるか分からないからな。俺が中で見張っておこう」
アルマがドン引きした。
「変態なのです」
「まて。変な意味ではない。危ないからだ」
助け舟は思わぬとこらからきた。ブレアだ。
「いや、危ないのは確かね。便器の先がどこに繋がっているのかわからないわ。虫が来る可能性があるのよ」
「そ、そうだろ? ほら、だから俺が──」
「わたしが見張るわ。それなら安心でしょう?」
「安心なのですっ! ニトだと何かと理由をつけて個室まで入り込んできそうで嫌なのですっ!」
信用なさすぎだろ。そこまでするわけない。
「いや、しかし。敵が虫だけとは限らない。虫にしたって上手く対処できるとはかぎらない。わずかな成功体験が確実なことであるかのように語るのは愚か者のすることだろう?」
「ある程度の傾向は見えたし今の状態でも危険が少ないと判断して良いと思うわ」
ブレアらしくないな。普段はもっと慎重な気がする。
「わからんでもないが、一人で目の届かない場所に入る危険は大きいんじゃないか?」
「じゃあ、三人で入ってドアを開けておく。一人一人順番にすることにして、手を繋いでおくのはどうかしら。もちろん中は見ないわ」
え、なにそれずるい。そんなの俺だって手を繋ぎたいよ。仲間はずれにしないでよ。そりゃあ、一人だけ手をつなぐ目的は違うかもしれないけど俺たちパーティじゃん。
とは言えない。どうしよう。
「はやくっ! 漏れるっ!」
くそっ、メスブタめ。まだ考えがまとまっていないのに。漏らすなら漏らせばいいんだ。なにも問題ないじゃないか。くっ……。
「やはりダメだ! それだと俺が一人になってしまう! 俺が危ない!」
情けないが俺が危ないのは事実だ。
「別にいいでしょ」
なっ…………このタイミングでアルマから『なのです』が消えた。こいつマジだな。マジになったら消えるのか? え、じゃあさっきの結界の時は余裕ぶっこいてたのか?
「すまんっ! 早くっ! 漏れるっ!」
「ほら、もう。女の子にこんなこと言わせて。ほんとデリカシー無いのです。早く決めるのです」
あ、戻った。なんか安心する。さっきは怖かった。
「わかった。じゃあ、近接と魔法コンビでアルマとメスブタ。ブレアと俺。の二手に分かれるのはどうだろう。バランスがいい」
「全然察してくれないから言うけど私もトイレに行きたいのよ。何だかんだ結構我慢していたの。ニトは一人でここで待っていて。選択肢はないわ。じゃあ行くわね」
怒れるブレア。慌てるメスブタ。蔑みのアルマ。三人の美少女はトイレへと去って行った。
ブレアはそこまでトイレに行くことを知られたくなかったのか。恥じらいか。恥じらいなのか。乙女だな。
しかし、そうか。三人の初めてのトイレはこういう形か。手を繋いでするのだな。
うん、今頃は仲良くしているのだろう。がんばれ………がんばれ…………。
しかし、ブレアも行きたかったのか。気付かなくって悪いことをした。モテる男はさり気なくトイレを促すというからな。今度からさり気なく聞いてあげよう。
こんな感じかな?
『さっきからプルプルしてるけどトイレ?』
違うな、ダメだ。もう少しさり気なくしたい。
『マナの廻りが躍動の兆しを見せている。聖域が晒される時、衝動は解き放たれるだろう』
回りくどいか。やっぱり、もう少しストレートでもいいかもしれない。
『そろそろおしっこの時間じゃない? いつもならそうだけど?』
うーん。さりげなくはないがわかりやすさはある。だけどコレにするなら、ちゃんと普段から三人のトイレの時間を記録しておかないとな。
とりあえず今回の時間はあまりあてにならないかな。機能固定解除されたばかりだから。
どれくらいの間隔でしたくなるか、水分をどれくらい摂取したかをしっかり記録しておこう。