さようなら、また会う日まで
天使を殴り飛ばしました。
生まれて初めてのことです。子供の頃、教会で神父様にたくさんのお話を聞かせてもらっていた時は、天使を殴り飛ばす日が来るなど思いもしませんでした。
ましてやソレがこれ程に禍々しい造形でブニョンとした鳥肌モノの触感だなんて。
脱獄したら神父様に伝えよう。天使はブニョンとしてましたよ……って。
神父様はどんな顔するかな。『ニトくん、いい加減定職に就きなさい』とかかな。
あ、そうだ。女神様のおっぱいの話もしよう。こっちはふにょんとしてましたよ……って。
神父様は……もういいか。怒鳴られる以外の結果が見えない。
さて、幸運なことに移動を始めて一日で天使に遭遇したわけだ。
俺に殴られ吹っ飛んだ天使は遠くで倒れている。
「死んだかしら?」
「あれならまだ起き上がるっ!」
「……ホントね。まだ生きているわ」
マナ視スキルで見たのだろう。ブレアとメスブタは仲良く会話を楽しんでいる。
そして俺は一人で戦っている。
これはアレだ。俺が憧れた『か弱い美女を背後に戦う闇のヒーロー』に近い。近いだけで異なる。異なる部分は『か弱い』というところだ。二人とも俺より強いし、怯えの感情など微塵も見てとれない。
あ、あれか? 強い不良少女に手足にされる下っ端ってやつか? それならそれでも良い。
色んなシチュエーションを疑似体験するのだ。失われた青春を取り戻すのだ!
失った理由は、度を越した自分の怠惰だったということは目を瞑ろう。
あ、起き上がった。簡単に殴り飛ばして余裕かましてるけど、こいつ一匹でも現れたら人間界は大混乱だろう。
俺は強くなった。そして、ここの囚人はおかしい。天使を消せる人間だらけの監獄とか、そりゃあ無限なんていうぶっ飛んだ構造になるわ。
「ウボボボボボボォッ!」
そう、天使は本当にウボウボ言っていた。この分だと上位の天使は本当にウッボウッボと言うかもしれない。
天使は光輪に手をかけ、それを縦に構える。
え。それ武器だったの。
光輪を振りかぶり、片方の足を引く。見た目が泥人形でなければ様になるのに。
──来るっ!
音を置き去りにするスピードで眼前に迫る天使。その動きを余裕を持って見つめ、重心を横に傾ける。並行して掌にマナを収束させて行く。
訓練の成果か、自分の身体の周囲数センチまでなら任意の場所のマナ収束量を操れるようになっていた。いま、俺の掌はオリハルコンの強度を超えた。
そして、天使がやっと到達する。振り下ろされる光輪を持つ手をやさしく横から押してあげる。ドロっとした感触だ。気持ち悪っ。
天使は体勢を崩し地面に光輪を突き立てた。俺は無防備になった背後に回り込み、そのまま首筋っぽい辺りに拳を打ち付ける。どこだよ急所。
天使の身体がビクンと揺れる。と、同時に背後で爆発音が響いた。周囲の牢獄が壊れながら修復して行く。天使が高速移動したことによる衝撃波がいま発生したのだろう。
おお。なんかヒーローっぽいぞ。
「ウボァー」
天使が死んだようだ。
死ぬ時はウボァーなのか。記憶の片隅の何かがくすぐられる気がしたが気のせいだろう。
「光線は打たれなかったな」
「天使によって違うっ! コレは剣士タイプだっ!」
光輪は剣扱いなのか。ともかくやることをやるか。
「よし、剥くぞ」
天使は死んだら消える。しかし、損傷が少なければある程度の時間はその場にとどまる。理由は不明だ。なので、とりあえず消滅しないように傷を少なめに殺し、中身を見てみることにしたのだ。
ブレアやメスブタでは消滅させる未来しか見えなかったので変質者が立ち上がったというわけだ。
天使の遺体から泥の部屋着を剥がそうとするがなかなかうまくいかない。
「難しいっ!」
「だけど千切ったらダメなんでしょう?」
「いっぱい壊れると消えるっ!」
いっぱいというのが果たしてどの程度かはわからないがなるべく傷つけないように脱がし方を探って行く。
「……ブレア、天使のステータスはどうだった?」
「何かで阻害されているのかよく読み取れなかったわ。生きているか死んでいるかぐらいは判別できたのだけれど」
読み取れなかったか。色んな謎があるものだな。
「そうだな……一匹目であまり変則的なことをやるのはどうかと思うが、変質させてもいいか?」
「変質っ?」
「そうね。このままなす術なく消えるのを待つだけよりはよほど良いわ」
「変質ってなんだっ?」
「よし、やるぞ」
「なあ、変質って?」
俺は天使の脇腹あたりに意識を集中する。
天使が着ている服だけあって凄まじいマナ収束量だ。しかし、それも徐々に分散しつつあるのを感じる。おそらく、消滅が近いのだろう。ここまでマナが分散していれば変質者スキルで変質させられる気がする。
──流体的でありマナを淀ませない構造。
特徴的なのはマナの周回速度とマナ自体の収束分散周期を協調させ、マナ収束量以上の強度を持たせている点だ。とてつもないマナ操作技術の賜物だろう。衝撃の分散性にも優れている。
ああ、これだな。マナ視スキルの阻害はマナの巡りを操作したことによるものだ。この部屋着を脱がせば天使のステータスを見れるかも知れない。
そんな情報がなんとなく理解できた。変質者スキルによるものだろうか。本質を変える、という事が出来るようだし、ならば本質を知ることもまた出来るのかもしれない。
しかし、なるほど。デザイン以外は凄いのか。デザイン以外は。
それを変質させる。物質の変質ならお手の物。それが機能固定もないとなれば朝飯前だ。朝飯なんて4年は食ってないがな。朝飯が恋しい。朝飯のなんて遠いことか。腹減らないけど腹減った。
服の密度を一点だけ薄くし、周囲にずらして行く。徐々に薄まる泥の部屋着。そして、ついに穴が空いた。
「空いた」
「凄いぞっ! ニトッ! 部屋着に穴を空けても身体が消えないなんて初めてだっ!」
「見せて……人の肌のようね」
「ん? これは?」
きめ細やかな白い肌はある部分から流線的な山を描き、その頂は桜色をしていた。
「…………」
「…………」
ブレアと俺は押し黙る。
なぜだろう。視線が痛い。悪いことをしたつもりはないのだが。たまたま、脇腹あたりが上を向いていたからそこに穴を開けただけで。他意はないのに、視線が痛い。
「お! メスかっ!? この天使メスなのか!? おっぱいから確認だなんてニトはド変態だな! あははははははっ! おっぱいからか、か、か、確認…………っ! あはっ、あはははははっ!」
メスブタとまれ。
と、俺が念じたその瞬間に天使は消えた。身体が光に包まれて、薄ぼんやりとした輪郭になり、一点に吸い込まれるように消えた。
「消えたな」
「中は普通の人型なのかしらね」
「あはははははっ! あはははははっ!」
いつまで笑ってんだよ。怖えよ。
しかし、良いものを見た。触ったことはあっても見たことはなかったのだ。
さようなら、知らないおっぱい。
また会う日まで。