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プロローグ

 夢。人の願い。

 それは、いつも美しいものばかりじゃない。ときにそれは、醜く残酷だ。

 すべての人が幸せな夢を抱いているならば、この世界はきっともっと平和なはずなのだから。


 人の願いの恐ろしさを、人の夢の脆さを、『見えて』しまえる力。

 そんな力は呪いでしかない。


 少なくとも、高嶺明日香はそう思っていた。


***


 まただ、と明日香は思った。

 今日から高校二年。マンションから出ると道沿いに植えられた桜が桃色の衣をまとって出迎えてくれた。天気もよく晴れ晴れとして、心機一転、新学期を迎えられる――かとも思ったのだが、『彼』はやはりそこにいた。まるで明日香を待っていたかのように。

 春休み中、『彼』から逃げるように祖母の家に泊まりに行った。明日香の祖母が住んでいるのは、観光地でも、緑豊かな田舎というわけでもなく、ただただ退屈な地方都市。血気盛んで好奇心旺盛な高校生が、わざわざ東京から出て、何週間も滞在するような場所ではない。でも、明日香には、休みの間、わざわざ遊ぶような友人もいない。腫れ物にでも触るように明日香に接する両親はうっとうしいだけ。祖母の家で、祖母と二人で他愛のない話をして過ごす春休みは、明日香にとってはこれとない癒しの時間になった。なにより、祖母は決して、悪い夢を見ないから。

 そんな明日香を、『彼』は容赦なく現実に引きずり戻す。明日香に逃げ場などないのだ、と思い知らせる。この世に人が存在する限り、それは消えない。明日香の意志とは関係なしに、ふとしたときに様々な形で現れる――明日香にとって、それは『悪夢』でしかなかった。


 「なんで、無視するの?」


 マンションの外で佇む『彼』の前を素通りし、登校する制服姿の学生たちの群れに混ざったときだった。急に背後から声をかけられた。

 明日香は一瞬、ぎくりとしてから、はあっと鬱陶しそうにため息ついた。一つ瞬きすると、切れ長の目がいっそう鋭さを増して、前を歩く高校生たちの背中を睨みつける。思春期の少女の苛立ちーーそんなものでは言い表せないような、鋭利な刃物を思わせるギラついた輝きが宿っている。

 腰までの長い髪をさっそうとなびかせ、明日香は立ち止まることなく長い坂を登っていく。

 珍しいことではない。『彼ら』が明日香の視線に気づいて声をかけてくることはあった。でも、マンションの前で待つ『彼』は声をかけてくることなどなかった。ただじっと、明日香を見ているだけ。それが余計に気味が悪くて気に入らなかったのだが、話しかけられれば、それはそれで厄介だ。

 その細く白い脚からは想像もつかない、力強く乱暴な足取りで、明日香は坂道を進む。そんな明日香の肩を、背後から誰かがぐいっと掴んで引き留めた。

 「ちょっと、俺のことまで無視するわけ?」

 その声は、さっきと同じ。でも、妙だった。『彼ら』が明日香に触れるはずがないのだから。

 明日香はぴたりと立ち止まり、慌てて振り返った。すると――、

 「おはよう」

 明日香の肩から離した手をひらひらと降り、彼は微笑んだ。それは、まるで仲の良い友達に向けるような親しげな笑顔だった。着ているブレザーの制服もネクタイも、明日香の着ているものと色合いも素材も同じ。違うのは、スカートがズボンかというだけ。同じ学校の生徒なのには違いない。しかし、見覚えがない。その人懐っこそうな顔立ちは愛らしく、長めの茶色がかった髪は、地毛なのだろう、傷んだ様子もなく艶やか。人目を引く容姿だ。一度見れば忘れないだろうし、学校でそういう『美少年』がいるとなれば噂も耳にするはずだが。転校生か、新入生か。いずれにせよ、人間であることに間違いない。

 勘違いだったのか、と明日香は、安堵からか、呆れからか、ため息ついて、「なにか用ですか?」と彼につっけんどんに訊ねた。

 「だから……さっき、なんで無視したの?」

 「無視ってなんの話です?」

 『彼』に気を取られ、信号無視でもしたのだろうか、と思い返す明日香だったが、思い当たる節はない。言いがかりでもつけられているのか。しかし、少年の笑みも声色も穏やかで、邪気や悪意といったものは感じられない。ただ、単純に、不思議そうな……。

 なぜか、胸騒ぎがした。

 そして、少年はまっすぐに明日香を見つめて答えた。

 「さっきの『夢』――マンションの前にいた『男の子』さ。君も見えるんだろ、他人の『夢』が」

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